2週間くらい前。頭の中で突然、和田加奈子さんの「ジェニーナ」が流れた。
一度脳内再生されると、何度も再生される。しかし、脳内再生では歌詞がぼやけている個所がいくつかあった。
これは気になる。
その夜。YouTubeで検索し「ジェニーナ」を改めて聴く。「嗚呼、懐かしい」と気持ちが零れる。
しかし、YouTubeで検索をかけると必ず「あなたにおすすめ」が出てくる。和田加奈子さんの「ジェニーナ」は「気まぐれオレンジロード」の劇中に使われた曲なので、アルゴリズムさんは「気まぐれオレンジロード」関連を次から次へとおすすめする。
誘惑にかられ、オレンジロードのOPとEDを聴いてしまった。
不思議と今でも口ずさめるが、ストーリーはもうほとんど思い出す事が出来ない。
今でもファンの方がいて、(現在は世界中にいるのですね)DVD―BOXをお持ちの方が、いい場面だけをショートで繋げてUPされてくれているので、どれどれと、再生してみる。
懐かしさが込み上げてくる。こんな場面あったっけと考えるも、その前後の内容が思い出せない。
すると、気まぐれオレンジロード40周年記念イベントが行われているという動画もあった。
ネットの画面を切り替え、検索すると、現在は大阪で行われている事が分かった。
大阪難波なら近鉄特急で2時間。余裕で行ける。しかし、いまさら観に行ったところでどうにもならないとも分かっている。
しかし・・・・・・。
3日間悩み、重い腰を上げる。
週末アーバンライナーに乗り込み大阪難波を目指す。
幾つものトンネルを抜け山間を縫うように走る列車は、いつの間にか大都会へと進み地下に潜ると終点難波駅に到着した。
大阪はアクセスもそれほど悪くはないが、なぜか足が伸びない。まだ5回位しか訪れていないので、方向もよくわからない。とりあえずスマホを取り出しナビに頼る。本当に心強い。
ナビの言いなりになりながら、人混みの中を歩き地上に出て「なんばマルイ」を目指す。
あちこちから外国語が聞こえる人並みに飲まれそうになりながら5分くらい歩く。なんとか到着。足取りも軽く会場を目指し五階へ。
会場は小さなスペースではあるが、同世代位のお客さんの姿も見える。ひとまず安心。
当日のチケットを買い、いざ。
入り口付近のポスターのみが撮影OKなので、写真に収めておく。
檜山ひかるの声優さん、原えりこさんのサインが入っていた。
彼女のメッセージに思わず胸が痛くなる。
展示されている絵をじっくりと見てゆく。ああ懐かしい。思わずため息が漏れる。
まつもと泉さんが描かれたオレンジロードの第一話の原画も展示されていて思わず読み込んでしまう。原作はほとんど読まなかったのであるが、それでもこうやって時を経て読むと感慨深い。
その後、高田明美さんの描いた鮎川まどかが続く。高田明美さんの引く線はとても好きで、その気持ちは今でも変わらない。こんな風に描けたらなって何度思った事だろう。
LDやVHSの展示もあって時代を感じさせる。そうね。40周年だものね・・・・・・。
いつだったか、どこだったかで観た絵の実物が目の前にある。じっくり見てこんな風に描かれていたのかと感心。
一度会場を出てしまっては戻れないので、再び引き返し、4往復。そのおかけで気づきもあった。
まず一つは、40周年記念に描いた「鮎川まどか」が一番中学三年生の女の子らしかった事である。線の引き方が全体的に柔らかいのである。高田明美さんは、意図的にそう描かれたのであろうか。本人に出会えたら質問してみたいなぁ。
そして、背景の設定も4枚展示されていたのであるが、余白の部分「小林」の印が押されていたのを見つけた。
何を隠そう、この展示会で一番感動したのはこの「小林」の印である。
会場を出て物販スペースでしばし物色。お金持ちなら高田明美さんの版画作品を購入するところであるが、持ち合わせも無いし、もう、あの日は戻らないと分かっているので、設定資料集のみを購入。
会場を去る際に、会場の正面をふと見ると、近々、高田明美さんのサイン会が予定されていて、チケットはすでに完売とのこと。
う~ん。これは惜しい。実に惜しい。ずっと好きだった絵描きさんに会えるチャンスがあったというのに・・・・・・。
しかし、これでいいのである。時間は巻き戻せないし、「気まぐれオレンジロード」を超えるラブコメ作品はいくつも誕生しているのだから・・・・・・。と自分に言い聞かす。
この文章を書いた後、オレンジロードをウィキってみたところ、この歳になって衝撃の事実を知る。
映画「あの日に帰りたい」は、この地区では上映されなかったので、近くのレンタルショップで予約してVHSを購入したのであるが、凄く楽しみにしていたのに、内容は凄くしんどく、確かに物語の落としどころはそこしかないというのは理解できたけれど、2回観て、粗大ごみに出してしまって、そのおかげで「気まぐれオレンジロード沼」から抜け出せたのであるが、あの作品はまつもと泉さんの許可を得ずに進んでいて、監督の望月智充さんもそれを知らなかったというのである。
40年目にして・・・・・・、それはないぜ。
一度脳内再生されると、何度も再生される。しかし、脳内再生では歌詞がぼやけている個所がいくつかあった。
これは気になる。
その夜。YouTubeで検索し「ジェニーナ」を改めて聴く。「嗚呼、懐かしい」と気持ちが零れる。
しかし、YouTubeで検索をかけると必ず「あなたにおすすめ」が出てくる。和田加奈子さんの「ジェニーナ」は「気まぐれオレンジロード」の劇中に使われた曲なので、アルゴリズムさんは「気まぐれオレンジロード」関連を次から次へとおすすめする。
誘惑にかられ、オレンジロードのOPとEDを聴いてしまった。
不思議と今でも口ずさめるが、ストーリーはもうほとんど思い出す事が出来ない。
今でもファンの方がいて、(現在は世界中にいるのですね)DVD―BOXをお持ちの方が、いい場面だけをショートで繋げてUPされてくれているので、どれどれと、再生してみる。
懐かしさが込み上げてくる。こんな場面あったっけと考えるも、その前後の内容が思い出せない。
すると、気まぐれオレンジロード40周年記念イベントが行われているという動画もあった。
ネットの画面を切り替え、検索すると、現在は大阪で行われている事が分かった。
大阪難波なら近鉄特急で2時間。余裕で行ける。しかし、いまさら観に行ったところでどうにもならないとも分かっている。
しかし・・・・・・。
3日間悩み、重い腰を上げる。
週末アーバンライナーに乗り込み大阪難波を目指す。
幾つものトンネルを抜け山間を縫うように走る列車は、いつの間にか大都会へと進み地下に潜ると終点難波駅に到着した。
大阪はアクセスもそれほど悪くはないが、なぜか足が伸びない。まだ5回位しか訪れていないので、方向もよくわからない。とりあえずスマホを取り出しナビに頼る。本当に心強い。
ナビの言いなりになりながら、人混みの中を歩き地上に出て「なんばマルイ」を目指す。
あちこちから外国語が聞こえる人並みに飲まれそうになりながら5分くらい歩く。なんとか到着。足取りも軽く会場を目指し五階へ。
会場は小さなスペースではあるが、同世代位のお客さんの姿も見える。ひとまず安心。
当日のチケットを買い、いざ。
入り口付近のポスターのみが撮影OKなので、写真に収めておく。
檜山ひかるの声優さん、原えりこさんのサインが入っていた。
彼女のメッセージに思わず胸が痛くなる。
展示されている絵をじっくりと見てゆく。ああ懐かしい。思わずため息が漏れる。
まつもと泉さんが描かれたオレンジロードの第一話の原画も展示されていて思わず読み込んでしまう。原作はほとんど読まなかったのであるが、それでもこうやって時を経て読むと感慨深い。
その後、高田明美さんの描いた鮎川まどかが続く。高田明美さんの引く線はとても好きで、その気持ちは今でも変わらない。こんな風に描けたらなって何度思った事だろう。
LDやVHSの展示もあって時代を感じさせる。そうね。40周年だものね・・・・・・。
いつだったか、どこだったかで観た絵の実物が目の前にある。じっくり見てこんな風に描かれていたのかと感心。
一度会場を出てしまっては戻れないので、再び引き返し、4往復。そのおかけで気づきもあった。
まず一つは、40周年記念に描いた「鮎川まどか」が一番中学三年生の女の子らしかった事である。線の引き方が全体的に柔らかいのである。高田明美さんは、意図的にそう描かれたのであろうか。本人に出会えたら質問してみたいなぁ。
そして、背景の設定も4枚展示されていたのであるが、余白の部分「小林」の印が押されていたのを見つけた。
何を隠そう、この展示会で一番感動したのはこの「小林」の印である。
会場を出て物販スペースでしばし物色。お金持ちなら高田明美さんの版画作品を購入するところであるが、持ち合わせも無いし、もう、あの日は戻らないと分かっているので、設定資料集のみを購入。
会場を去る際に、会場の正面をふと見ると、近々、高田明美さんのサイン会が予定されていて、チケットはすでに完売とのこと。
う~ん。これは惜しい。実に惜しい。ずっと好きだった絵描きさんに会えるチャンスがあったというのに・・・・・・。
しかし、これでいいのである。時間は巻き戻せないし、「気まぐれオレンジロード」を超えるラブコメ作品はいくつも誕生しているのだから・・・・・・。と自分に言い聞かす。
この文章を書いた後、オレンジロードをウィキってみたところ、この歳になって衝撃の事実を知る。
映画「あの日に帰りたい」は、この地区では上映されなかったので、近くのレンタルショップで予約してVHSを購入したのであるが、凄く楽しみにしていたのに、内容は凄くしんどく、確かに物語の落としどころはそこしかないというのは理解できたけれど、2回観て、粗大ごみに出してしまって、そのおかげで「気まぐれオレンジロード沼」から抜け出せたのであるが、あの作品はまつもと泉さんの許可を得ずに進んでいて、監督の望月智充さんもそれを知らなかったというのである。
40年目にして・・・・・・、それはないぜ。