硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

人はなぜ戦争をするのか。

2022-02-27 16:12:34 | 日記
侵攻は留まらず、着実に一つの国を侵食し続けている。
其の戦闘に反対する声が多いのにもかかわらず、その手を止めない。

君主はクレイジーだからと断言することもできるが、絶対的な権力を持った者ならば、誰もが一度は思い描く未来を実現しようとしているだけなのかもしれない。
それは、到底理解できないものであるが、ジークムンド・フロイトは、なぜ人は戦争するのかをテーマにアルベルト・アインシュタインと議論した中で、要因の一つとして、「破壊欲動が無意識レベルに存在し、それが理念的な動機を後押している。」と分析しています。
さらに、続けて、「人々が焦がれてやまない永遠の平和を達成するのに、戦争は決して不適切な手段ではないだろうと。戦争は大きな単位の社会を生み出し強大な中央集権的な権力を作り上げる事が出来るのです。中央集権的な権力で暴力を管理させ、そのことで新たな戦争を二度と引き起こせないようにできるのです。」と述べているのですが、もし君主がこの思想を持って現在の事象を作り出しいているのならば、計画を貫徹できたとしても君主が君臨している間だけでしか維持できない。

それは、フロイトが上記に続けてこう述べているからです。

「現実には、戦争は永遠の平和を実現させてはいません。」
「征服によって勝ち得た状態は長続きしないものだからです。」

もし、それを理解したうえでの行動だとしたら、問題の根源は、誰が君主を後押しをしているのかになるのではないかと思う。

沈黙する教会。

2022-02-26 22:05:00 | 日記
戦禍が広がる。テレビ画面に映される遠い国の人々は悲しみに沈んでいる。
それなのに、神と人とを取り持つ彼らの教会は沈黙を通している。
それは、君主が聖人になったからなのか。それとも、神になったからなのか。
もし、それが事実だとしたならば、主は、こうおっしゃられるだろう。

「偽預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやってくるが、内は貪欲な狼です。」

神の不在。

2022-02-25 21:59:06 | 日記
侵攻の手が止まらない。被害は増え続けている。そこには、民意も正義もないように感じる。

帝国の君主が何を思うかわからないが、ニッコロ・マキャヴェッリの言葉を借りて、現在の事象をとらえるなら「政治と道徳とは無縁である」「戦いは、大軍を投入して短期間に勝を決せよ」という言葉が、当てはまるような気がします。

やはり、神は不在であらせられるのであろうか。



神様。お願い !!

2022-02-24 20:59:21 | 日記
侵攻がはじまってしまった。

理由はいろいろあるだろうけれども、僕が考える理由は、古くなってきた武器弾薬を消費する為なのではないかと思う。
消費しなければ生産できない。消費すれば投資する人も増え、それに関わる人たちが豊かになる。それが政府関係者なら、なおさらである。

戦争を沢山の人の死と引き換えに大金が発生するビジネスだと思っている人のやることは本当に理解できない。

主よ。どうか、戦禍に苦しむ人々に御手を差し伸べてあげてください。そして、無意味な暴力から守ってあげてください。

神様、お願い!!

2022-02-23 22:05:24 | 日記
ここ数日、遠い国で戦争が始まるのではないかと言うニュースが流れている。
そして、その戦争は誰にとって必要なのかと考える。

現地で取材された市井の人々の声の記事や個人が発信するネット上の声をみても、多くの人々は戦争に前向きではない。

戦争はいらないと、多くの人が望んでいるのに、国家間で情報戦が繰り広げられていて、嘘か真実かわからないような情報が流されていて、戦争のきっかけを意図的に作り出そうとしている人がいる。

戦争が始まってしまえば、その陰謀にも近い行為を企てている人達から、一番遠いところで兵士として従事している人達や、戦争を反対している、陰謀には全く無関係な市井の人々の命から奪われていってしまう。

それを、イメージすることができない人だから、当主になれるのかもしれませんが、その代償を背負うのが、市井の人々であるという悲しい現実は、どうすることもできないのでしょうね。

主よ。迷える子羊達を導き給え。

抗原菌検査キットよ、こんにちわ。

2022-02-19 16:20:48 | 日記
「これ見て。」と妻が言う。
炬燵で転寝していたので、うっすら眼を開けると、きらきらする小さな袋を持っていて、そのまま両手でバリっと封を切った。
どれどれと上半身を起こし、よく見てみると抗原菌検査キットと書いてある。
妻は中身を取り出し、筒状のプラスチック容器を取り出し、用途を説明する。
その工程は、とても簡単で、驚いたが、なぜ、それを手にしているのかが気になる。

どうしたのか尋ねると、職場で濃厚接触者の人が出て、市の保健所に問い合わせても、何もしてくれないとのことで、だからといって、何もせずに問題を先延ばししてしまうと、クラスター発生の危険性をはらんでいるので、なんとかせねばと、自分たちで検査キットを購入し、全員検査を行い、確認する事になったのだそう。

コロナウィルスの影響は、ついに、ここまでやってきたのだ。

一貫性のない政策と、人が内包する消費欲の前には、どうすることもできないけれども、どれだけ科学が進歩しようとも、未知なるものに対して人類は、これからも、犠牲を払い苦難を乗り越えゆくしか手がないのではないかと思うのです。

さらに、もし、このパンデミックが人為的なものであったとしたら、その運命を受け入れるしか選択肢はないのだと思ったりするのです。

高齢者の運転免許更新の現実に驚く。

2022-02-14 17:00:54 | 日記
母が自動車運転免許を更新する為に高齢者運転免許証更新認知症問題と実技テストを最寄りの自動車学校へ受けに行った。
高齢者であるから、少しばかりの不安はあるけれど、身体的にもまだ大丈夫そうであるし、母も張り切っていて、今回の更新を最後にすると宣言したので応援しました。

講習は、認知症問題と実技、それぞれ半日かかり、「疲れた、疲れた」といいながらも、無事に免許を更新することができたのですが、その際に周りで起こった出来事を話してくれて、その事実にとても驚きました。


認知症テストというのは簡単な問題らしいのですが、高齢になってからでは、次々に出てくる言葉や絵を覚えていかなければならないことがとても大変なのだそう。
しかし、同じ受講者の中には、自信のなさゆえに、自分の手のひらに書いてやり過ごそうとした人がいたり、手足が不自由な人や、運転そのものがうまくできない人などもいて、更新は難しいと講師に言われても、何とかならないかと訴えていた人がいたそうです。

それは、地域が田舎であるがゆえに、自動車は必要不可欠になっているからで、運転できなくなると、誰かに頼ならければ家から出られなくなってしまう状況になってしまうからですが、頼りの子供たちも、就職や進学、結婚を機に遠方へ出て行ってしまっているので、気軽に頼ることができない人も多く、公共交通機関も、通っていないところもあれば、通っていても時間を把握していなければ、うまく利用することができず、タクシーを使うのにも、お金がかかりすぎてしまうので、通院以外は控える傾向にあるそうです。

こういった問題は、利便性を求めすぎてしまったがための結果であるといえるけれども、違和感を覚えるのは、テレビニュースや新聞で高齢者の自動車事故を大きく取り扱っているのに、自分はそうはならないと思っている人が一定数存在しているという事実です。

しばらくの間は、問題は問題のまま先送りされてゆくだけだと思われますが、現在50代から60代の人たちがその年になった時、飛躍的に科学が進歩するか、交通法規が改訂されなければ、高齢者による事故や、若い人たちが面倒くさがる老人は、今よりも増えるように思われるのです。

そして、そう考えると、人の進歩というものが一番遅いのかなと思えてくるのです。



コロナウィルスの終息の糸口

2022-02-05 09:36:19 | 日記
コロナウィルス感染者が増加し続けていて、田舎暮らしの僕でも、外に出て買い物に行けばもらってしまうのではないかと感じています。

島国であっても、ここまで利便性が向上していれば、水際対策も意味をなさないという事が明白になった。
人が移動する事により発生するお金の消費が、経済の燃料になってしまっている以上、人の移動は止められないことも明白になった。
自由があり、自由にふるまえる事に対して、リスクが伴うことも明白になった。

政治とか政府とか政治家と言うものも、少しずつ分かってきた気がする。
いい加減がいい加減なのだという事も、少しずつわかってきた気がする。
自己の権利ばかりを主張する人々によって、疲弊する人々がいる事も少しずつ分かってきた気がする。

ウィルスと言う生き物に対して、科学は抗ってくれるけれども、その科学は、お金を儲けようとしている人達によって、コントロールされているから、スペイン風邪が流行った時代と同じように、自然淘汰という事象の中で、集団免疫を獲得して、進化してゆくしかないのだと、決定権を持つ者たちは判断したのではないかと思う。