『赤ひげ』(65)(1982.11.20.千代田劇場 併映は『姿三四郎』)
まずは観客の多さと熱狂ぶりに驚かされた。久しぶりに映画館の前に並んで待ち、おまけに3時間あまりのこの映画を立ち見で見るはめになるとは…。改めて黒澤映画の人気の高さを知らされた思いがした。
さて、映画本編の方だが、先に山本周五郎の原作を読み、小林桂樹、あおい輝彦主演のテレビドラマの印象もあり、今まで見てきた黒澤映画とはいささか違った接し方になるかもしれない、とは思っていたものの、そのあたりを差し引いて考えても、あまりいい印象が浮かばない。もっと素直に感動できると思っていたから、拍子抜けすらしてしまった。
確かに、黒澤ヒューマニズムの頂点とも言える作品であり、短編集である原作を、一つのドラマとして見事に映画化しているのだが、どうも上から見下ろすような視線を感じさせられた。三船敏郎演じる赤ひげ=新出去定の人物像に、スーパーマン的なところがあって素直になじめない。その対照として浮かんできたのが初期の監督作である『酔いどれ天使』(48)だったのである。
あの映画の志村喬演じる酔いどれ医師は、決してスーパーマンではなく、地位も腕力もないが、この赤ひげに勝るとも劣らないほど病や悪を憎み、人を愛していた。それに比べると赤ひげは悪に立ち向かう腕力も名声もある。この違い!
そうは言っても、実際、これほどのスケールの大きさを持った面白い映画を撮れる監督は皆無なのだが、彼の過去の映画をほとんど見終わった今感じるのは、ヒューマニズムを貫きながら変容した姿だった。そんなわけで、終映後に期せずして起きた拍手の中で、取り残された自分がいた。
三船、加山雄三をはじめ、藤原釜足、山崎努、杉村春子、そして天才子役の二木てるみと頭師佳孝…個々の俳優の演技は本当にすごかった。
(佐藤忠男さんの『黒沢明の世界』に感化されていた頃に書いた一文。今はこんなふうには思わないから、気恥ずかしいものがある)