1937年に生まれ、61年に松竹に入社し、加藤泰に師事。20年以上助監督を務めた後、ようやく松本清張原作の『天城越え』(83)で監督デビューを果たした三村晴彦。
1938年に生まれ、61年に東映に入社し、マキノ雅弘に師事。20年間助監督を務めた後、ようやく伊藤左千夫原作の『野菊の墓』(81)で監督デビューを果たした澤井信一郎。
80年代になってやっと監督に昇進した2人の経歴は、驚くほどよく似ている。その後、三村は『天城越え』で燃えつきてしまったかのように、尻すぼみに終わった感があるが(08年死去)、澤井は『野菊の墓』の松田聖子に始まり、薬師丸ひろ子の『Wの悲劇』(84)、原田知世の『早春物語』(85)、後藤久美子の『ラブ・ストーリーを君に』(88)と、アイドル路線でヒット作を生んだ。
90年代は、『福沢諭吉』(91)『わが愛の譜 滝廉太郎物語』(93)と実録人物伝が続いたが、むしろ和田誠監督作『麻雀放浪記』(84)の脚本や、テレビドラマ「蒲生邸事件」(98)の監督の方が、澤井の職人らしさが発揮されていたと思う。
『天城越え』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/05cc3bee66d07fd1f13241ff713275d2
『Wの悲劇』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/63bed210d22a797e7b159c8dba157188
『麻雀放浪記』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/acb3da5cc3962e1b0183c0bfcc2a1828