TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『二十四の瞳』

2008-08-16 22:28:04 | 読書
『二十四の瞳』(壷井栄著、新潮文庫)

 昭和3年、子供と雖も家の仕事が当たり前だった瀬戸内海の寒村を舞台に物語が始まる。坂上二郎の「学校の先生」という名曲よろしく、物語は

産まれた時は誰でも同じ
裸で産声あげるのに
子供の時から それぞれに
違った道を 歩き出す
私(TAMO2註:先生)の力じゃ どうにもならない


運命の厳しさをにじませながら進む。それは後段になるほど重くなる。そして、そこにじわじわ染み込む戦争の影。声高でないだけに胸を締め付ける反戦の物語である。でも、これは第一次近似とでも言うべき評価か。

 大石久子先生は岬の突端の寒村に新人の低学年担任(?)として赴任する。生活の必要上から自転車&洋装で登場し、村人に反感を持たれる。そういう時代。子供受けはするのだが・・・。2学期、子供の作った落とし穴に落ちて、アキレス腱を断裂し、学校に行けなくなる。その頃から、評判が良くなる。子供受けが評価されて。子供たちは大石=小石先生(背が低いのだ)がいないのを寂しがり、無理をして歩いて先生を訪ねる。各自の事情の描き方、子供の遠出の不安の描写ったら! 素晴らしい。きつねうどんを子供に振る舞い、集合写真を撮って先生は見送る。大人たちは結局笑いながら子供を迎え、大石先生に感謝し、見舞いの品を贈る(米五ん合豆一升)。先生は村に受け入れられたが、怪我と岬通いの大変さを学校が慮り、たったの一学期で去ることになる。

 それから四年。ソンキ、吉次、仁太、マスノ、早苗らも大きくなり、本校に通う。3・15、4・16の共産党大弾圧について触れているのが著者らしい(笑)。でも、そんなの直接関係なく、、、と、言いたいところだが、不景気の影響とそれゆえの戦争(へ)の高揚は小豆島にも押し寄せている。子供たちも無関係ではなかった。松江は貧しさから学校に来れなくなる。小石先生から貰ったユリの弁当箱を使うこともなく。そして、大阪、高松(後の話)へ。丁稚奉公だ。家柄の重い富士子は、武士の貧乏と思われる家の「病」のため、借金がかさんで村におられなくなり、関西へ。そのうち、身売りされる。同僚の片岡先生は戦争がおかしいと言ったとかで赤として捕らえられる。変なことを変と素直に思う大石先生も、唇寒しの感を強くする。子供たちの境遇のバラバラさは、金比羅さんへの修学旅行で明瞭となる。松江は、高松港の小料理店で働いているところで先生と出会う。

 あ、反戦小説ではない社会告発。こっちのほうが重いかも。コトエの次の文章。

わたしは女に生まれて残念です。わたしが男の子でないので、おとうさんはいつもくやみます。わたしが男の子でないので、漁についていけませんから、おかあさんがかわりにいきます。(略)(p166)

勉強が非常に出来るコトエは、己の才能を諦めるしかなかった。あるいは、歌の才能に溢れたマスノのこと。勉強が得意でなく、「女の子らしい」裁縫好きなのに、そちらに進むことを許されないミサ子のこと。中盤、ともすればダレる小説が多い中、著者は子供たちの境遇を通じて女であること、才能とのミスマッチを強制されることの悲しさを描き、告発する。一方、男の子たちは軍にあこがれる。大石先生は死ぬのが仕事と言える軍隊にあこがれる子供たちに憂慮を示す。そして、赤と言われる。世間の眼とやらが厳しくなる前に、腹を立てて学校を辞める。その頃、富士子は身売りされ、磯吉(ソンキ)は質屋に奉公に出る。

 さらに八年。大石先生は三人の子供の母親。七つの海を渡る男の妻。不平や不満ははらの底へかくして、そしらぬ顔をしていないかぎり、世わたりはできなかった。(p187)長男大吉のランドセル@紙製でピラピラ を買った帰り、父を知る老人と出会う。兵隊に取られるのが嫌で、メリケンあたりに潜り込むために船乗りになった父。それを知る老人。詳しくは聞けなかった。そんな頃、岬の男の子は徴兵検査。出征兵士は白木の箱に納められて戻ってくる。リアルでその風景を知る著者は書く。幼子が一生懸命走る姿に重ねて。

 かたをふって走っていくそのうしろすがたには、無心にあすへのびようとするけんめいさが感じられる。その可憐なうしろすがたのゆくてにまちうけているものが、やはり戦争でしかないとすれば、人はなんのために子をうみ、愛し、そだてるのだろう。砲弾にうたれ、さけてくだけてちる人のいのちというものを、おしみかなしみとどめることが、どうして、してはならないことなのだろう。治安を維持するとは、人のいのちをおしみまもることではなく、人間の精神の自由をさえ、しばるというのか……。(p200)

 大石先生は悲しかった。


 戦争が終わり、先生は再び岬で働くことになった。村人に知らない人が増えたとはいえ、縁者はいる。その縁者としての新たな受け持ちの子供たちを見、話をし、かつての教え子たち、およびその境遇を思い、涙する。ついたあだ名は「なきみそ先生」。正は戦死した。夫も戦死した。大吉は戦争を「日常」として生きる、まるで9・11後のャXトモダンな子供として育った。ちなみに、大吉の年齢は小生の父親と同じである。大吉の言葉によって小生の父の考えの奥底に刻印されたものが少し分かった気がした。そうそう。戦争は、戦争後も命を奪う。末っ子、八津は青いカキの実を食べて食あたりをして死んだ。熟れるまで誰も待てなかった時代なのだ。

 生き残った人にも傷を残す。ソンキは、メクラになった。アンマ修業で未来を掴もうとする。あ、メクラ。差別語で使ってはいけない、とされる。しかし、言葉狩りが大好きな人間は、以下の文章をどう読む?

「おまえがまくらになんぞなって、もどってくるから、みんながあわれがって、見えないおまえの目に気がねしとるんだぞ、ソンキ。そんなことにおまえ、まけたらいかんぞ、ソンキ。めくらめくらといわれても、へいきの平ざでおられるようになれえよ、ソンキ。」(p259)

 戦後、生き残った者たちは人生を抱え、先生を招き、宴を催す。一本松の写真を前に、ソンキはこの写真は見えるんじゃ。と言い、ズレたところを示す。先生は泣きながら「そう、そう、そうだわ」と答える。そして、マスノは荒城の月を唄う。物語はそこで終わる。

 以下、思いつくまま。


・子供の頃読んだほのぼの話は余りない。前半を除いては結構重い小説だ。だが、大石先生の象形(あずまんが大王の「ゆかり先生」の軽さと「にゃも先生」の慕われ方を重ねたようなキャラ)をはじめとする人物描写の巧みさと、話のテンモフ良さで一気に読ませる。
・空想で渡し船の航路(実際行ったけど、風が心地よかったぞ! これを漕いでとなると大変だったろう)に橋を鰍ッるシーンは、さすが絵本作家。他にも風景が目に浮かびやすい小説だ。それは事前に小豆島に行っていたからかなあ。
・一本松の存在が、物語の風景の重心となっている。
・小夜奈良(さよなら)夜露死苦(よろしく)
・二十四の瞳(=十二人)は、著者のご両親が自分の子供十人と、孤児二人を育てたことかららしい。
・映画に描かれていた電車ごっこはなかった。そりゃあ、汽車さえない島だもんなあ(爆)。
・21世紀、戦争(敢えて、カッコなしで)が世界で常態化した社会でこの本を読むと、国家という枠を関係なしに襲ってくる「何か」を意識せざるを得なかった。但し、その情景は、阪神大震災のときに感じた「たった道一つ隔てて平和と破滅が共存する不気味さ」を伴ったものである。いつ、正やソンキのようになるかも知れない。ならないかも知れない。そういう不確実な恐浮ェ散種された「テロ=戦争=警察行為」のャXトモダンの時代に、反戦はいかに紡がれるべきであろうか?
・ただ、同時に、赤と罵った側の気分~論理も分からないでもない。彼らも浮ゥったのだ。だが、恐浮ヘ向ける方向と、その烈度を間違えては味方をなくす。
・おまけ。おかしいことをおかしいと言えない時代を告発した反戦小説であるが、そのことは「共産主義化」@連合赤軍 によって、ウヨサヨ共通の問題であると書いておこう。寮内権力(笑)とか。

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