TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

玉造日の出倶楽部 というものがあるらしい

2012-11-30 22:54:00 | ノンジャンル
ツイッターで知った。この方。

玉造日の出倶楽部
@hinode_berber

機会を見つけていかなければ、元明星健児の名折れである。


さて、テンソルのお勉強。アインシュタインの規約で表現されたものが、結局スカラーなのか、ベクトルなのか、行列なのか、すぐには分からないから、結局書き下してみて感じを掴むトレーニング中。
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読書メモ:『「アラブの春」の正体』

2012-11-30 12:00:00 | 読書
 『「アラブの春」の正体 ――欧米とメディアに踊らされた民主化革命』(重信メイ著、角川oneテーマ21 C≠Q31)

 数奇な運命を辿った重信房子の娘。彼女の立場は本書が示すように、リベラルであろう。だが、彼女の視点は、そんななまっちょろいところにはない。その点では、母上や、戦前右翼の祖父に通じるものがあった。

 アラブの春は、インターネット、特にフェースブックを利用して広がりを見せ、そこに各メディア、政府、外国勢力などの思惑に迄Mされたのは知られている。本書は、そのダイナミズムを示し、躍動感溢れる文章となっている。もう、指導#寬w導的な運動論は、通用しないんだなあと痛感。

 「はじめに」では、いきなり「本当にアラブに「春」は来たのでしょうか?」(p3)と問いかける。確かに、その後の報道は芳しいものではない。筆者は、アラブに関する報道は欧米の思惑に左右されていると指摘する。直接、アラブの声に耳を傾けよう。だが、後で示されるようにアルジャジーラにも思惑があるのに注意して。アラブの春は腐敗体制への怒りが原動力であった。そして、それはオキュパイ運動、反貧困運動など世界の運動と共通するものであり、「思想や宗教を超えた大きな動き」(p6)の一つである。何が上手くいき、いかないか、そして、恐らくホメイニ革命から示されるャX・モダ全般の難問とは? そんなことを考えながらの読書メモとなろう。

 第一章は「北アフリカの小国、チュニジアから始まった「アラブの春」と題して。ジャスミンはチュニジアを代表する花。だからジャスミン革命。最初世界のメディアは注目していなかったが、何が起こっているかはフェイスブックで広まった。反腐敗闘争である。そして、ベン・アリー大統領が国外脱出に至ったとき、広く報道された。きっかけはこうだ。大学を卒業したが就職できなかったムハンマド・ブーアズィーズィーは、生活のために露天商をやっていた。当局に対して無許可で行っていて、市の検査官につかまり、友人から借りていた商売道具を没収された。検査官はその時、ムハンマドの顔を叩いた。女性が男性を叩くのはアラブでは大変な屈辱とのこと。彼はそれに耐えられず、焼身自殺をする。この模様は、ユーチューブやフェイスブックで広まった。そして自然発生的にデモが起こった。明日は我が身と多くの人が感じていたからだ。中には焼身自殺で抗議を表現する者も出た。ネットだけではなく、衛星放送、携帯電話などで情報は拡散する。チュニジアはニューメディアが早くから発達していた。一方、ウィキリークスがベン・アリーの一族がどういう腐敗行動をしていたかを国民に教えた。青年の自殺からたった一か月で、ベン・アリーが亡命せざるを得ない状況にした。

 注意しなくてはならないのは、腐敗した政権だが、開明的で改革的であったことである。上に見たようにチュニジアでは女性の社会進出がされ、政教分離の国家だということ。ただ、アラブの各国共通の、一族のみ栄え、あとは貧困のままということは改善されていなかった。また、イスラム教に基づいた国造りを主張する原理主義者(ムスリム同胞団)や、共産主義者、社会民主主義者は政治犯として収容されていた。まず行動を起こしたのはリベラルを含む左派。彼らは政権を打唐オた。だが、数が多いのはムスリム同胞団などの右派。選挙では右派が勝つ。自由を求めた行動が、却って自由を抑圧する者を権力の座につける。元々、イスラムには自由や平等の概念がある。だが、時代が下ると――キリスト教と同様に――時の権力者にとって都合がいいように解釈され、抑圧的になる。その一方、権力とは距離を置いて考える宗教家もいる。リベラルなイスラム指導者もいるのだ。たとえば、ムハンマド・ファドララ師。レバノンのシーア派であり、胚性幹細胞を許容し、女性へのDVに対しては「殴り返してよし」という。「イジュティハード(人のためになると判断できればやるべきだ)」。それは時の宗教指導者が決める。そのためにはイスラムに限らず広い知見が要求される。一方、ファドララ師が亡くなった時、彼を「偉大な人」と表現したため、CNNを首になった女性(オクタビア・ナスル)がいる。ヒズボラにも尊敬されるファドララ師を偉大な人と表現したことが、CNNには許せなかったようだ。さて、アメリカは「自由の国」かね?

 さて、イスラム同胞団が選挙で勝利した。その背景には、モスクに集うという宗教的紐帯がある。「顔の見えるリーダーは信用できる」(p38)そして、暴動だけでは革命は出来ない。「リーダーが必要となるのは、政権を唐オ、新しい政権を作るときです」(p39)。そのリーダーは、社会に根付いていたイスラム勢力であったのだ。

 第二章は「アラブの盟主、エジプトで起こった「革命」の苦い現実」と題して。エジプトでも労働者らの不満は鬱積していた。だが、労組の腐敗(政治との癒着)ゆえに、ムバラク体制は打唐ナきていなかった。労組を当てにせず、独自で労働者がストを起こしだしたときに、ジャスミン革命が起きた。また、ハーリド・サイードという青年が、麻薬を横流しする警官を撮影したビデオを入手し、ブログで公開すると警官を脅したところ、彼はネカフェで警官に捉えられ、数日後死体となって家族の元に送り届けられた。連行現場を見た人たちがネットで告発を始め、その中には、グーグル社幹部のワエル・ゴニムがいたことも「西側」には大きかったと思う。ほどなく、「私たちすべてがハーリド・サイードだ」というフェースブックが立ち上がる。そんな時にジャスミン革命が起きた。その後、フェイスブックやツイッターでデモなどの街頭行動が呼び鰍ッられ、その情勢で大規模なストライキが起きる。軍はムバラク政権を見限り、政変となる。エジプト国家の根幹は軍であり、それが見限った。軍は金融機構を持ち、投資活動を行っている。御多分にもれず、コネ社会で一部の人だけ潤う社会。また、革命を主導した左派やリベラルではなく、イスラム系政党の支持を得たムハンマド・ムルシーが大統領に。この辺はチュニジアと同様。ここでムスリム同胞団の解説。これは組織ではなく、運動体。スンニ派であり、テロから合法活動まで、状況に応じた活動を行なう。緩くて影響力があるが、余りに増えればリベラルや世俗主義の敵に。たとえば、女性の結婚年齢を十四歳に引き下げようとしている(女性の教育の機会を奪う)。その「右」にイスラム原理主義者の一派であるサラフィがある。ムスリム同胞団とサラフィで議員の七割。一方、イスラエルの主張は容認。そういえばアルカイダも直接イスラエルとは対峙していない。ハマスが唯一イスラエルと対峙しているが、それ故に彼らは孤立している。

 ちょっとだけパレスチナ。二〇〇六年の選挙でハマスが勝利したのは有名。PLOやファタハの腐敗も理由として挙げられる。そして、ハマスは住民のイスラム化に血道を上げる。内向きになり、同時にイスラエルは「原理主義者」を嫌い、ガザを封鎖し、ハマスの統治能力を妨げる。それを見て、他の国のイスラム勢力はイスラエルと妥協する。そしてイスラム社会が腐敗しやすい理路について筆者は触れる。領主がいて富と権力が集中する仕組みがまずあり、それを配下に分配するというコネ社会のせいである、と。かつてはザカート(喜捨)で上手く機能したのかも知れないが、この仕組みはイスラム国家群が取り入れようとしている近代国家の原理と相容れない。それに対して「イスラム的な価値観を取り戻せ」と訴える一団に支持が集まる。その一方、リベラルは民主化などを訴える。

 第三章は「メディアによってねつ造された「アラブの春」~リビア内戦」と題して。カダフィは独裁者ではあるが、西側に媚びることなく直言し、国外の民衆運動を支持したため、アラブで人気の高い人物であった。リビア国民からの支持も厚かった。反戦、反核運動の支援者でもあった。カダフィはナセルに憧れたアラブ・ナショナリストであったが、同時にイスラムを尊重する人物であった。アラブ・ナショナリズムとは、大まかに言ってアラビア語を話す者同士が国境を超えて連帯し、西欧と対峙する考えのことである。その前提を満たせば、宗教も問わない。だが、イスラム教という生活全般の規範を決定する宗教の信者には物足りなさがある。そして、ザカート(喜捨)やラマダンという社会主義的な考えがイスラムにはある。アラブ・ナショナリズム、イスラム、そして両方に共通する社会主義という要素。この混淆がカダフィであった。カダフィは、一九六九年にクーデターで権力の座に就くが、今や報道で知られるように、彼は西の部族の出身であった。元々は東の部族の王様の国だった。二〇一一年の蜂起は東側のベンガジで始まった。西出身のカダフィは東への配慮を忘れなかったが、反カダフィ勢力には強硬であった。徐々に東への予算が減らされ、東は不満を募らせていた。リビアは教育、医療費、電気代、水道代が無料であり、筆者が知る限り最も豊富な福祉国家であった。ただ、他のアラブ国家と同様腐敗していた。また、外国(特にアフリカ)への援助にかなりのお金を割いていた。また、カダフィは個人口座を持たず、国家資産として海外に資産を置いていた。だから、簡単に経済制裁された。どころか、このお金で反政府派は武器を購入できた。で。どうして、カダフィは殺されたか? 彼がアラブよりは、アフリカの一員として行動したところに理由があるらしい。「アフリカ合衆国」構想。アフリカ投資と言えば中国。コンペティターではなく、コーワーカーとして中国とリビアは接近した。どちらも帝国主義の時代に西欧に恨みがあるし。要は、欧米列強のパワーバランスを崩しかねない要因としてリビアは浮かび上がったのである。何しろカダフィーはアフリカに新通貨・ディナールをブチ上げたのであった。それも金本位制。ドルの基軸通貨としての価値を揺さぶるには十分だ。思い出すのは、フセインがユーロ決済で石油を売ると言ったがために、殺されたという見方。一言で言うと、西欧というメインフレームとは異なるありようを追求した結果、利害が対立したので殺されたと言える。東の不満を焚き付け、内戦を起こし、カダフィは殺された。リビア空爆の国連決議には中露印独伯が棄権。NATO軍はインフラ――鉄道、高速道路、病院、大学――を空爆した。大規模投資で西欧の資本が儲けるために。カダフィ後は国営企業が民営化され、海外資本が参入している。要は、草刈り場だ。なお、リビアには国会がないから民主主義はないように思い込まされていたが、実際には直接民主主義が行われていた。地域ごとに「マジレス(基礎人民会議)」が開かれていたのだ。これはイスラム教の流儀である。カダフィ治下の実際は、報道されていたとは言えなかった。ただ、国家全体のありようについて、民衆は疎外され、カダフィ批判は秘密警察などの力によって弾圧されていた。筆者は、アラブのシステムは問題があるが、その直接民主主義がより洗練される可能性があるという。その一方、欧米の民主主義の影響もあり、それを是とする民衆もいることを指摘する。選挙で後継者を選ぶことも大事であるというニュアンスだ。さて、世界のどこであれ、それまでの民主主義は行き詰まっている。制度は文化に規定され、カスタムメイドされるべきで、民主主義も例外でないという。その通りだと思う。

 さて。NATOが空爆に踏み切ったのは一つの誤報からであった。リビア政府が一般住宅を空爆して一〇〇〇人以上が亡くなった、という誤報。元はアルジャジーラによる電話取材であったが、何ら裏付けもされずに世界に発信された。後に誤報と分かったが、アルジャジーラは謝罪もしていない。実際には政府の軍事施設が襲われていた。反政府勢力が襲撃したことへの反撃であった。アルジャジーラが謝罪しない理由は、アルジャジーラがカタールによって作られ、そのカタールにとってカダフィは邪魔だったから、と。カタールは反政府軍に肩入れしていた。リビアのことは革命というよりは、外国勢力も絡んだ内戦であったと言えよう。

 第四章は「アラビア半島へ飛び火した「アラブの春」」と題して。「アラブの春」に最初に呼応したのはバーレーンの民衆とのこと。だが、石油産業を守るという口実で親米国家のサウジの軍隊などが出張ってきて鎮圧。ここは立憲君主制で王家はスンニ派、国民の約七割はシーア派。サウジはスンニ派。御多分に洩れず、この国はスンニ派ばかり潤う差別構造がある。警察国家がそれを支える。外国の軍隊を用いてまで鎮圧した口実は「反政府運動の陰にイランあり」と。欧米メディアは、アラブの春の一環であるべきバーレーンのデモに「革命」という報道をしない。欧米にとって都合が悪いからだ。なお、軍隊を派遣したのは湾岸協力会議(GCC)。経済協力体であるとともに安全保障協力体。なお、サウジとバーレーンの統合をバーレーンが持ちかけているらしい。こうすれば、シーア派は少数派になり、弾圧しやすくなる。ここでシーア派の解説。孤児・ムハンマドは祖父と叔父に引き取られ、叔父の子アリー(シーア・アリー)と兄弟のように育ち、後にはムハンマド暗殺の身代わりに立った。そんなアリーを後継者と考えたのがシーア派。一方、最高指導者は話し合いで決めるべきと考えたのがスンニ派。その後、ウマイヤ朝を巡る闘争で決裂が決定的となる。今は大きく意識されず、どちらにもリベラルも保守がいるが、世界中の民族問題と同じく、何かあれば排外意識として噴出する。

 一方、イエメンでは大統領が辞任した。チュニジア政変の後、イエメンの首都のサヌア大学で反政府デモが起き、警官隊が威嚇発砲する。貧しく、強圧的な政府だが、デモの発展は速く大きかった。多少の妥協ではデモは収まらず、ここではGCCが大統領の退陣を求めた。イエメンはアデン湾などと接し、安定していなくては困るのである。国民の怒りを見て、鎮圧できないと思ったのではないか。サーレハ大統領は辞任したが、後任は副大統領であり、選挙結果は九九・八%の得票という見事な出来レース。政治的安定という、GCCの意思が貫徹され、ノーベル平和賞という政治賞(ショー)でカワックル・カルマンが受賞。イエメンは石油が出なくて貧しく、サウジの援助で成立している。道は困難である。

 第五章は「報じられなかった革命、違う用語にすり替えられた革命」と題して。アラブの春に関して、サウジ、カタール、オマーンは報道されなかったが影響はあった。オマーンの場合は民衆に改革を約束し、公共事業で五万人の雇用創出、最低賃金の向上、報道の規制緩和などを打ち出した。サウジの資金援助が背景にある。サウジとしてはホルムズ海峡の安定のため。スンニ派の国、サウジではシーア派のデモがあった。貧困への抗議としての焼身自殺もあった。だが、多数派の国民は豊かな石油資源により生活保障されていることもあり政治に無関心で、サウジを刺激してこじれると石油確保に難があると考え、周囲のアラブ諸国も石油輸送に支障を来したくない。よって欧米のメディアやアルジャジーラはサウジの反政府運動について見て見ぬふりをする。王家により特に女性の権利が抑圧されているし、奴隷制も残っているが、「親米」なのでアメリカも民主化を押し付けることもない。息抜きは外国で。王家からしてそうなのだ。湾岸諸国には「ヒドゥーン」と呼ばれる国籍を持たない遊牧民もいて、権利上の大きな差別を受けている。ヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権団体の多くは、欧米の大企業の支援を受けている手前、触れない。


 欧米のメディアが報じる「人権問題」は、その背景に政治的、経済的な思惑があることを疑ってかかったほうがいいと思います。

(p157)

 イラクでもデモが各地であった。元々世俗国家化が進み、宗派を意識しなかった国だが、イラク戦争後に「宗派対立を解決する」という名目で宗派ごとに権力分配がされ、却って人々は宗派を意識するようになった。「ノー・テロリズム! バアス党反対! マーリキ(首相)反対!」(P158)。明らかにアメリカの失政で、そのために起きたデモであり、鎮圧で数十人の死者が出たが、「アメリカのやったこと」の結果なので、欧米メディアは殆ど報道せず。そんなイラク――だけじゃないが――ではスンニ派のアルカイダが戦争を持ち込む。そして政情はますます不安定に。アルカイダにはアメリカの情報機関から送り込まれた工作員もいるらしい。こういうのに嫌気がさし、イラクはイランと接近しようとしているらしい。独立を求めるクルド人はイラン、イラク、トルコ、シリアにまたがっているが、石油や農業で豊かな地域にいて、それぞれ「独立させるわけにはいかない」として、紛争に利用されている。ヨルダンは貧困で左派が強い状況でアラブの春の影響が出たが、左派ゆえに「王政反対」運動となり、ラディカルゆえか報道はほとんどされなかった。ただ、国王は国民から一定尊敬されており、その国王が減税などを打ち出すと沈静化した。モロッコは内閣総辞職と憲法改正で国王の権力を少しだけ弱める妥協が行われたが、デモは続いているらしい。北アフリカには先住民のベルベル人がいて、モロッコにもいる。少数民族の権利を認めると、他の民族問題も噴出するので、慎重に対処しなければならないとのこと。

 第六章は「メディアが伝えないシリアで内戦が激化する本当の理由」と題して。シリアでデモの呼びかけがフェイスブックにてなされたが、反応はほとんどなかった。フェイスブックの閲覧可能となったのが直前だったのと、呼びかけたのが在外の反アサド政権の人たちからだったからだ。強権政治で外部からの呼びかけに呼応する条件はない。今のアサド大統領の父親が一九七〇年にクーデターを起こして大統領に。反発するムスリム同胞団が反政府活動を行うが、一九八二年、ハマーという拠点の街を封鎖して空爆、推定一万人死亡。曰く「イスラム原理主義と闘っている=テロとの闘い」。アサドはアラウィ派というシリアのマイノリティー出身で、クーデター前はマジョリティーのスンニ派に差別されていた。出世するには軍人になるしかなく、そこで出世し、クーデターを起こした。バアス党は政教分離、そしてアラブ・ナショナリズムの党(団結・自由・社会主義)だが、ムスリム同胞団にはそれが許せない。そしてアラウィ派を恨み、意図せずとも宗派対立となる。実際にはスンニ派も出世しているのに。欧米の報道が対立を煽っているところがある。なお、フセインの弾圧を逃れたバアス党員もいて、イラクのフセインのバアス党とは犬猿の仲らしい。

 父アサドは二〇〇〇年に亡くなるが、その前の一九八〇年代前半。弟のリファアト・アル=アサドがクーデターを計画。父アサドが入院中、国家運営を担う「六人委員会」を設置したが、それが全員スンニ派だった。アラウィ派の軍人が不満を持ち、リファアトを立てる。だが、父アサドの退院により挫折。リファアトは副大統領という閑職に就き、ソ連に無期限の「労働訪問」を命じられが、フランスとスペインに移動し、実質亡命。そこからコネを使って息子らがシリアのビジネスを実施、その資金で反アサド活動。さて。シリアは社会主義国であり、格差も小さい。秘密警察があり強権的な政治とお決まりの腐敗があるが、不満は小さいほう。筆者はデモがあっても小規模と考えていた。だが、カダフィ政権が打唐ウれた後、世界のメディアが突然シリアに目を向けた。それに乗じて反政府活動が活発化、外国から彼らに武器が持ち込まれ、内戦に。なぜか自爆攻撃が政府の仕業にされるという変な報道。ホウラの虐殺事件も検証なしに政府の仕業と報道。まるでカチンの森に関するソ連の報道だね。さて。宗派対立が内戦の理由のように見えるが、多くの人はそんなことを望んでいない。「民主化革命」後に原理主義者が政権を握った諸国の実態も見ていて、アサド政権打唐燒]んでいない。

 父アサドの後継者は、今の大統領の兄になるはずだった。腰の低い好人物だったが、交通事故で死亡。そこで眼科医の弟が父に呼ばれ、軍人としてキャリアを積み、国民投票を通じて大統領に選ばれる。改革を志すも、腐敗のしがらみは深く挫折。が、ネットや携帯電話、NGOを普及させた。開明的な大統領であったようだ。自由への志向は国民の感じるところであり、もっと自由を求めてデモに参加した人もいたが、いつの間にかアサド政権打唐ニいう運動にすり替えられたと、初期のデモ参加者はいう。元々、国外と国内の反政府活動家の繋がりはなく、開明的な大統領の下、一定の発言の自由もあったのに、どうして内戦になったか不可解だという。結論から書くと「シリアの友人」というグループがいかがわしい。在外の「シリア国民評議会(SNC)」を立てつつも、国内で武装闘争をするシリア自由軍に武器などを流しているのではないか? SNCは当初、外国からの軍事介入に反対していたのに。アメリカは、イランに支持されたアサド政権を唐オたいがために、内戦に介入している。そして、ヒズボラ封じ込めのために。ヒズボラは二〇〇六年のイスラエルのレバノン侵攻に反撃し勝利している。ロシアはシリアに基地を持っている。勿論、欧米のメディアはそういう面をあまり報道しないし、悪意ある報道がなされている。ネットもデマ宣伝に利用されている。アラビア語が分かる人から見たらおかしいが、そうでない人にはおかしさが気づかない、ような。例えば、親アサド派が暴行を受けていることはアラビア語から分かるが、世界には逆のものとして流されるような。ねつ造だらけとのこと。

 ちょっとレバノン。宗派ごとに法律が違い、政府高官のャXト配分も宗派に基づいているらしい。アラブの春のデモでも、宗派ごとの法律に反対したりしたが、改宗を恐れる国民の多数は冷ややかだったらしい。国内世論は「サウジ、シリア、ヒズボラ、ハリーリー首相」を巡り真っ二つで、外国の影響もみられる。そんなレバノンだが、リベラルでオープンな雰囲気があり(宗派が問われない外国人には制約がないことだろう)、湾岸のお金持ちに人気があって地価が高騰しているらしい。九・一一以後、欧米にバカンスに出ると視線が冷たいので、近場で比較的快適なレバノンがいいらしい。

 カタールにはアルジャジーラがある。アルジャジーラはカタールのハマド首長から支援を受けている。カタールのことは報道しない。特に、政府批判は。トルコに対するアラブの印象は良くなかったが、エルドアン首相とアブドゥラー・ギュム大統領はムスリム同胞団系の公正発展党(AKP)の所属であり、イスラム的な価値観を表に出している。それもあり、アラブとの関係は良好になっているとのこと。「エルドアンはトルコの舵取りをすることで、イスラム主義と世俗主義と民主主義は相反するものではないことを証明しようとしています。」(p214) イスラエルに対しても、批判すべきは批判するようになっているようだ。アラブと欧米との仲介者として、中東のリーダーの役割が期待されている。それも、アラブの民衆の気持ちに沿うような発言を通じて。

 UAEの国民は豊かで政治にほぼ無関心。働くのは外国人。政府への不満を言うとチクられて国外退去もあるような国。

 「アラブの春」はネットで励起されたところがあるが、だが、同時に、シリアに関するように、デマ宣伝の場ともなった。メディアリテラシーと、双方向の発信――突っ込み力――が求められる時代になった。また、衛星放送はメディアの情報が世界に広がることを可能にし、情報封鎖が困難になっていることを示している。が、こちらも内戦をあおるような報道がなされることもあり、これもネットと同じ対処法が求められるだろう。アルジャジーラのスタッフが嘘報道の多さに抗議して離職しているらしい。エジプトでは両者の意見を聞いていたのに、シリアでは一方的でデマだらけ、と。

 「さいごに」から引用。パレスチナの春はきっとくる。それは世界的な人間の恢復だろう。


 二〇〇一年に日本に初めて帰国したときから、私自身が生まれ育ったアラブで起きていること、とくにパレスチナ問題を理解してもらおうとさまざまな場で講演し、質問に答えてきました。

 そのとき、私には、日本の社会では、アラブで起きていることは宗教的で民族的な問題だから、専門家にしかわからないと思いこんでしまっているように感じられました。

 しかし、私に言わせれば、パレスチナ問題は宗教的でも民族的でもなく、「人間的な問題」です。人間として絶対に許してはいけないことがパレスチナで起こっていることをわかってほしいのです。

 パレスチナ人、アラブ人だけではなく、日本を含めた世界中の人が、パレスチナで起きている差別や弾圧、占領に対して「許してはいけない」ということを理解してほしいのです。

 パレスチナとイスラエルの問題は、宗教的な問題ではないということです。
(中略)

 弾圧、差別、自由がない……だから抵抗しているのです。宗教のためではなく、生活のために戦わざるをえない。そのことをまず知ってほしいと思っています。

(p228~)

 さて。貧困で追い込まれたら、革命と言っていい動きが起こる。純粋にこれが起こるとは限らない。注意が必要だ。だが、世界の結びつきがこれだけ深くなり、日本だけの運動、なんかは可能なのだろうか? アラブの春は、各国独自の運動であり、様相は異なる。エジプトのように展開は、ある意味理想だろう。だが、シリアのようになる可能性もないわけではない。ただ一つ言えることは、人間の尊厳と生活のためにこそ、立ち上がるということだ。注意深く、注意深く。


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ふと、思ったんだが

2012-11-30 08:30:00 | 工学
 空間を離散化して、数値流体解析とかをしている。これは、パラレル化で高速化可能。

 さて、世の中には時間についての変化ってのが気になることもある。たいていの場合、前の結果を「初期値」とみなし、次のタイムステップを求める。たとえば、完全混合槽とみなせるバッチの反応槽なら、反応により内部組成(槽内すべての位置で組成が同じ)が刻一刻と変わる。ある時間の結果を初期値とみなし、次のタイムステップでの組成を求めるのだ。前の結果が初期値になるのだから、パラレル化は不可能。小生は、入社早々、Runge-Kutta-Gill 法を用いてこんな計算をしていた。(N88 BASIC)

 まあ、1万ステップくらいならいいのだが、たとえばこの発展方程式が1億ステップとかなると、パラレル化したいものだ。時間t_i での値を求め、それを初期値に時間t_i+1 を求めるのではなく、時間t_0 ~ t_N について離散化して初期値を与え、それを「一気に」解く計算手法ってのは、やられているのだろうか?

 気になる。
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 で、ググったら、やってはる人おるやん。たぶん。
http://www.infsup.jp/saito/ln/time06-1d.pdf


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いやあ、これ、素晴らしい

2012-11-28 21:26:00 | 工学
ここまで充実、発展していたとは!

Webラーニングプラザ
http://weblearningplaza.jst.go.jp/


・・・でも、ちょっと「論理の梯子」が飛んでいるところがあるなあ。

がんばるぞ(謎)。
----

もうすぐ47歳、ということで、30年前を思い出したりしていたら、あの頃の感覚に
襲われ、数学、物理を思いっきりやりたくなってきた。というわけで、学生時代に挫折
したテンソルあたりから、時間を鰍ッてゆっくりやろうと思っている。

やっぱり俺はこっちだよなあ。
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なごみ

2012-11-27 20:54:00 | よしなしごと




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