TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

日本極右の立場でもあるはずだが

2012-08-27 21:52:00 | 幻論
ツイッターから転載。


領土問題について、もし、革命的左翼の立場があるとすれば、「すべての国境の廃絶」以外にないだろう! プロレタリア国際主義革命万歳! 何が「道理」だ! そんなもの、帝国主義の産物だろ!!


 なぜ極右でも、なのか? 国境に関するルールはいかにしてつくられたか。一六四八年のヴェストファーレン条約をメルクマールに、その後の帝国主義の時代に世界に広められたものである。

 すなわち、ヨーロッパを中心とする帝国主義の強盗どもの世界分割の「ルール」として発展してきたわけである。これのおかしさは、アフリカやアラブを見れば一目瞭然だろう。世界を巻き込まないでくれないか?

 さて、日本の右翼と言ってもいろいろあろうが、小生が本家本元本筋と考える右翼は、西欧列強への反発から生まれたものだ。アジアにはアジアの規範があってもいいじゃないか、と考えるのが筋である。

 では、アジアのこの辺の規範とは何か? それは華夷秩序である。これは、あまり、しっかりと国境などを確定させない。相互利用も可。歴史を見れば駐№ヘ日本と朝鮮の双方で数百年交代くらいで利用されていたし、尖閣諸島については大陸中国側が琉球への道案内として、台湾は漁業の基地として利用していたらしい。そういうものを、どこかの国家に確定的に帰属させる事自身が、かなり角が立って当たり前である。ましてや、もともと人が住んでいないのならば。


 もちろん、歴史的経緯を素直に読めば、駐№熕?t諸島も「国際法」とやらに則って日本が所有していることは言うまでもない。だが、その「国際法」が問題なのだ。この「法」とやらの正当性は何に由来するというのだろうか? もちろん、その見地からすれば駐№リ国だけのものと見るものも、尖閣諸島を中国だけのものと見るのも、帝国主義者と同じ穴の狢である。

 特に、今や各方面で論破されている井上清のごとくに依拠して尖閣を中国のものと言っている自称左翼の痛々しさは見る影もない。

 資本の論理は容易に国境を超える。ならば、左翼のプロレタリア国際主義は当然のこと、西欧列強への反発から生まれた右翼も西欧由来の帝国主義者のための国境なんていう「擬制」を超えていこうとするのが当然の筋ではないか?

 あ。帝国主義者のための国際法とやらを「道理」と見ている日本共産党のごときは、反革命と言っていいだろう。

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お客の呼べる試合

2012-08-23 21:17:00 | ノンジャンル
愛媛マンダリンパイレーツ3≠P香川オリーブガイナーズ
2012年8月22日(水曜日)18:00~
宇和島丸山球場、晴、ほぼ無風、ちょっと涼しくなってきたかな


 この日の朝は最悪。朝、起きたら口の中がおかしい。歯間ブラシをすると、歯が欠けてた。しかし、仕事は待ってくれない。泣く泣く会社に行き、行きつけの歯医者に電話をすると、「午後二時半からしか空いてませんよ」とのこと。また、痛い手術か!とか思っていたら、応急処置だけ。災い転じて、ということで、時間が出来たので宇和島へ。

 新居浜から2時間か。近くなった。途中、片側一車線高速を50km/h(法定最低速度)で走る軽トラにブチ切れそうになる――最低速度を守らないのを取り締まる方が交通安全に寄与するぞ、警察よ――が、まあ、5分も待てば抜けるし。

 ただ、前回と同じく(爆)、あのUターンはないわ。一度、迷子になったぞよ。

 さて、その前の日の試合はスコアレスドローだったが、両投手が素晴らしく、守備の見せ合いだったようだ。そのためか、お客さんの出足が良かったようだ。

 そして、この日。良い試合だった。久々にじっくり書こうかな。


 1回表、愛媛の先発はデイビット。先頭の水口相手にちょっと抜け気味の真っ直ぐ。手探り状態なのか、球威に少し欠けていた。アウトコースの甘い真っ直ぐをセンター前に返された。ちょっと不安。さて、香川は相手の隙を突くチームである。デイビットはちょっとモーションが大きい。そこを突く狙いだったと思う。ヒットエンドランや盗塁も果敢に仕鰍ッる。次打者小栗の三球目、盗塁を仕鰍ッる。これに対し、捕手宏誓が素早い送球。ちょっとショートバウンドになったが、四ツ谷がグラブを低く我慢して捕球し、そのままタッチ。これは四ツ谷のファインプレー。これで、デイビットは落ち着いた。低く、低く、ボールを続け、多くのファールを打たれた後、ショートゴロ。ちょっと弾んだ当たりだが、四ツ谷が軽快に捌く。国本は真ん中低めのストレートを芯で捉えるが、セカンド正面のゴロ。

 1回裏、香川の先発は大場。フォームは去年のものに戻したが、いかんせんボールが来ていない。135km/hあるか、どうか。それよりも心配なのは、決め球のシンカーがすっぽ抜け、左打者のアウトコースのはるか遠い所にばかり行っていた。先頭樋口はインコース真ん中寄りのカーブを合わせ損なったが、流はインコーススライダーをライト前にヒット。甘い。藤長の五球目に盗塁を試み、送球が短すぎてタッチ出来ず。藤長はアウトコースのカーブをレフト前に。流はショートが取ると思って帰塁仕鰍ッたが、慌ててサードへ。間一髪セーフ。ふう。ブレットは真ん中高めのカーブを振り抜いたが、ちょっと先だったかなあ。でも、犠飛には十分。橋本の時、藤長が盗塁。完全にモーションを盗んでいて送球出来ず。橋本は四球で、高田はインコースの甘いストレートをライト前にヒット。藤長がホームインした後、サードを狙った橋本がナイス中継でアウト。意外と速い走塁だったと言えば失礼か。

 2回表は一死後、桜井がインコースのボールをレフト前にライナー風のフライを。大井が回り込んで、その前に落ちる。星野の時、ヒットエンドラン、大きなレフト線へのフライ。抜けるかなあ、と思ったら、大井が追い付く。桜井も抜けると決めつけていたようで、帰塁出来ずにゲッツー。

 2回裏、先頭大井がライトオーバー二塁打の後、宏誓が引っ張りセカンドゴロで三塁に。四ツ谷は何とかボールに食らいつこうとする姿勢が良い。だが、上半身がミートの時に体が流れては、体の回転で得られる力をボールに伝えられない。高めを必死で叩き、外野に持って行くが、ちょっと浅く、ライト小栗の肩ではホームに還れない。残念。

 3回表からデイビットのエンジンが鰍ゥってきたが、ちびっ子(失礼)甲斐には投げにくいのか、ストライクが簡単には入らなくて四球。こういうのをなくさないと、上には行けないね。

 3回裏、調子の戻らぬ大場を攻めつける。先頭流はサード・ペレスを狙ったセーフティーバントを試みるが、ペレスは「捕りながら投げる」感じで、長い腕を思いっきり振り切って送球、間一髪アウト。ナイスバント、ナイスフィールディング! その後、藤長、橋本のヒットで二死1,2塁とし、高田。ちょっと詰まったけど、センター前に抜けようかという当たり、抜ければデイビットの出来を考えれば愛媛はかなり有利に、というところで、水口がスタート良く、ジャンプ一番ライナーをファインプレー! 愛媛も出来ることをやっての無得点、攻められない。だが、こういう展開って、良く追い付かれるんだよね。

 4回表。悪い予感は具体化しかかる。二死後、アウトハイストレートをシバキ唐オたペレスの打球は、ワンバウンドでスタンドに。桜井は抜け気味のインコースの真っ直ぐを三遊間に。外角に構えていたが、内に来た。これで1点返される。続く星野には真ん中のスライダーを三遊間安打される。ここでコーチが一息入れに行く。北村はインコースストレートに詰まり、ショートゴロ。ふう。

 4回裏からは変則左腕、後藤。この日はカーブの切れが良かった。ところで、5回表まで、ブレットは結構コントロールが不安定だった。しかし、香川のエンドランにこの日は助けられたと思う。それが印象的だったのは、甲斐のお約束のような四球のあと、長距離打者大西の時、エンドランが鰍ゥりまくり、ファールが続いた後、アウトローのカーブのボール球を空振り三振。ちょっとやり過ぎかなあ。

 6回裏は伴が登板。二死一三塁で盗塁を刺しまくっている宏誓。外角の速球に食らいつき、レフト前にタイムリー。その前に、まっすんが到着。それまで、三々五々の声援があり、それも良かったが、やっぱり太鼓やラッパがあると、盛り上がるなあ。

 7回表は、見るからに気合いが入って来たデイビット。先頭星野には、物凄いボール。NPBでも、そんなに記憶にない。1987~90年、毎年40試合前後見ていたパリーグでも、あの球威は、郭泰源、渡辺久信の絶好調時くらいか。スモークボールと言う言葉がぴったり。凄まじい三球三振。二死後、奥野が高く弾むショートゴロ、それを山内が弾き内野安打。ピンチランナーは林。ここでも宏誓は盗塁に対してストライク送球でアウトに。

 8回表も、死球で出た涌島を、エンドランの三振ゲッツーに。香川自慢の俊足陣をことごとく盗塁死の形で仕留めたバッテリーの勝利。しかしまあ、香川さんのエンドラン、やり過ぎだなあ。粉撒きなのかな?

 8回裏、橋本死球、大井のライト線二塁打でチャンスを掴む。ここで宏誓が再びアウトコースに食らいつき、左中間に落ちるかという当たり、センターの林ちゃんが必死でダッシュ、膝元下のボールを抱えるようにキャッチ。ファインプレー。

 9回表は流が魅せる。先頭国本のセンター前に抜けようかという当たり、深めに打球に入り込み、深いところから送球、間一髪アウト! 打者走者の足を考えた素晴らしい守備。試合慣れが心配されたが、セーフティーのトライといい、この守備といい、大丈夫そうだ。最後は桜井が粘るも、アウトロー真っ直ぐで空振り三振。唸りのような三塁側(ホーム)スタンド。

 両軍、攻守ともに魅せてくれた。こういう試合が繰り返されると、お客さんも増えていくだろう。





 と、良い気分が今日の昼まで続いていたが、なんじゃ、そりゃあ?「堂上隼人、わいせつ容疑で逮捕」。明日(24日)福岡で試合がある香川球団、特に西田監督は針の筵だろう。ショックがあって当たり前だろう。そして、ホークスの金、安田、飯田、そして特に亀澤の胸中と立場を考えると辛い。勿論、南海時代からのホークスファンとしては、ホークスの選手や首脳陣のことも考える。厳正な処罰は当然。ただ、他の選手やチームは、香川もホークスも、これまで通り良いプレーを魅せて欲しい。君達はプロなんだ。
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四半世紀前の日本共産党の反原発闘争への態度

2012-08-19 22:18:00 | 工学
 ネットでは、日本共産党員がまたぞろ「日本共産党は大昔からどこよりも反原発だった」とか、嘘を書いてやがる。日本共産党は、ほとぼりが冷めたり、当時を知る人がいなくなったかと錯認したと思われるときに、平気でデマを流しやがる(笑)。

 確かに、原発建設反対闘争では眼を見張るべき成果を日本共産党が出したのは事実である。例えば、三重の芦浜原発反対闘争が有名である。

 というわけで、日本共産党サイトへのリンク。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-08-19/2011081904_01_1.html

 しかし。1988年の頃の反原発闘争周辺にいた小生には、日本共産党は反原発闘争の盛り上がりを妨害する勢力として映っていた。小生は、京都大学反原発学習会の諸君とつるむことが多かった。彼らの主力は、京都大学工学部原子核工学科学生・院生であった。かなり工学的な知見を基礎に反原発の主張をしていた。曰く、原発の安全性確保は、想定外とされる事態が起きた場合、フールプルーフがなされていず、安全性確保とは言えないこと――これは福島第一原発で証明されてしまった――、廃棄物処理の方法が確立していないこと――これは自分が院生の時に知った(今もされているとは言い難い)――、そしてこれらを考慮すればするほどコストが馬鹿高くなることを指摘し、要するに、科学的見地から原子力発電に反対していた。

 ところが、である。京大の共産党細胞(民青とも言う)は、「反原発学習会の反原発運動は科学の否定、赤ヘル同学会の手先」とか、政治的レッテルを貼るのであった。マトモに科学的に反対していた記憶は、全くない。まあ、上部組織の(出来の悪い)スピーカーに過ぎない京大の民青じゃなく、当時(1988年頃)の共産党の主張を確認しよう。土佐高知さんに感謝。

 まずは、1973年の日本共産党の「民主連合政府綱領草案」から引用。


安全と放射能汚染防止の保障が充分でない現行の現行の原子力発電計画を全面的に再検討し、自主・民主・公開の原子力三原則をまもり、安全で放射能汚染や環境の悪化をもたらさぬ原子力発電計画をつくり、新エネルギーの一環として原子力の研究、開発をすすめる。

http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2284.html

 当時の政府の原発政策に批判的な観点が見られるが、基本的に原発推進である。

 次に、1975年にはこのような提言がなされたらしい。

原発技術が依然未完成の技術であることを念頭に入れた十分な安全対策もとることなく、安易に原子力発電所建設計画を推進するようなことは、厳につつしむべきであると警告した。

http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2285.html

 妥当と言えば妥当。だが、これをもって脱原発・反原発とは言えない。まあ、原発がまだまだ少数だった時代なんだが。

 っで、1994年頃まで特に大きく認識を変えることはなかった。例の共産党節により、対米従属、大企業本位の原発利用から転換して、安全第一の原発利用をしましょう、ということである。

 確かに、それは聞こえはいいが、京大の反原発学習会の諸君は、それを考慮しても、原発は安全・コストの面から割に合わないことを指摘してきた。その指摘に耳を傾けず、あまつさえ彼らを反科学的と罵唐オていたことを小生は忘れることが出来ない。

 さて。反原発学習会の主力メンバーの一人、Kさんはその後、原子力情報資料室に入られた。原子力情報資料室と言えば、高木仁三郎先生である。この筋金入りの専門家にはセクト主義的な言いがかりが行なわれている。
http://civilesociety.jugem.jp/?eid=9126

 そんな高木氏も、最晩年には日本共産党も脱原発の行動を期待していたらしい。氏は大物である。だが、小生のような、TAMO2界の小物は、科学者としてのプライドもあり、政治に科学を従属させるような、日本共産党のような徒輩は、反原発界隈での言動を総括するなり、自己批判するなりしなければ、絶対に認めてやらない。

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融けてた

2012-08-18 23:30:00 | よしなしごと
敗戦記念日に実家へ。人気取りに日本を挑発するアホな大統領を有する隣国を憐れに思いつつ、何か書こうと思うが、めんどくさいからやめ。駐№ノ対するこの人たちの論理って、「国際法は帝国主義ニダ」ということなので、本音では同意するところもあるのだが、南朝鮮はそれを全世界に公言する勇気がないので、日本にだけ言う。まあ、ガキの頃から日本に住むあの人たちと係わらざるを得ない環境だったので、苦笑いするだけ。いつも通りだ、ノープロブレム! 根っからの事大主義者。朝鮮民族も他の民族と同様、独特の病がある。ちなみに日本人は、「健さん病」。我慢して、我慢して、我慢して、ブチ切れ。アジア四馬鹿ネタはきりが無い。

翌日は、夜に用事があったが、午前は時間があるので、某ブログで知った06ブルズの練習予定を知り、東花園へ。平野から近鉄バスで布施へ。いやあ、農村的風景がなくなったばかりか、町工場も減ったなあ。マンションが一杯出来ているけど、どのくらい埋まっているのかな。ルートは昔通りだね。30分で着くとは思わなかった。布施駅で切符を購入して、自動改札機を通過しようとしたら、何故かreject。機械の奴が、買ったばかりの切符を折り曲げやがった! 仕方がないので昔ながらの改札を通過。入挟時、花園球場の場所を駅員に確認。その後、エスカレータで迷っていると――俺は地べた時代の布施駅しか知らないもん――、「長いほうのエスカレーターですよ!」と声。ありがとう。アフターケアも万全だね。

駅を降りて、昔と風景が違いすぎて愕然。北側は、田んぼじゃなかったっけ? 分からん。とりあえず、球場に。そこには当然のごとく、DKBが。練習は終わり近く、フリー打撃。マスコットを使っているせいか、鈍いぜ。最後の人だけ、凄く鋭い。あ、笹平だ。元気そうだな。岡下もどこかにいるんだろう。すると、横に村上監督が。体型が昔と殆ど変らないなあ。恰好いいね。愛媛から来て、笹平や岡下のことを聞く。元気にやっているらしい。色々お話を聞くが、ここでは略。村上さんは、人の話を最後まで聞いて、漏らさず返答される。これ、中々出来ないことなんだよなあ。選手たちは監督を信じてついて行って欲しいものだ。こういう人、中々いませんよ? あ、少しだけ話の内容を。フリーで使っているマスコットは、そんなに重くないらしい。「色が普通のバットと違うくらい」とまで。おーい、鍛えろよ~。で、今の試合のバットは900gを切るが、それは、ちょっと前まで良いバット材があり、技術の進化でそうなったとのこと。だがしかし、バット材がなくなり、質が低下して、折れやすくなってきたとのこと。そして、飛ばないボールのため、去年からはバットが再び重くなってきたが、我々――監督とは同学年なのだ――の頃よりはまだ軽いとのこと。監督は950gくらいのを使っていたらしい。

その後、時間もあるし、大阪市内まで歩こうとする。なあに、河内平野は田んぼばっかり、平気さ!と、思ったら、35年の間に――35年前は若江岩田の田んぼの真ん中に親戚がいたのだ――完全にアスファルト&コンクリートジャングルに。途中のラーメン屋――おいしい――で食べた焼豚の脂も悪かったか、どう見ても熱中症的な気分の悪さに襲われ、八戸ノ里駅で挫折。たまらず平野に戻り、漫画喫茶に。そこで普段読まない漫画を読もうとして、ラノベ系を。『僕は友達が少ない』を。面白いやんけ。第二巻、高ビー(死語)だけどいたいけな少女(肉)にあの仕打ちはなあ。セクハラは、同性からも行なわれるのだ。でも、爆笑したからいいけど。夜は高校の後輩と飲み会。大阪経済は、お上の都合で停滞させられているのかも知れない。あと、神戸の港は見積もりに得体の知れないお金が書かれているらしい。橋下に期待が集まる理由を再発見。彼らは期待していないけどね(笑)。

その翌日は、本屋へ。宿題のような本だ。で、夜は兄者家族と秘密の串カツ屋へ。

今日はTVで甲子園を見ていたら、甲子園、いきなり大雨! 甲子園から2~30分後に雨が降るのを経験的に知っていたので、それを見て急遽新居浜目指して出発。おかげで、谷町線や環状線の停止前に梅田に辿りつき、バスに乗れてよかった。ここのところ苦戦し、落としてはいけない試合を落としてしまったマンダリンパイレーツも勝って良かった。速報チェックは、結構心臓に悪い。あ、バス、この日は湾岸線じゃなく、昔からの阪神高速を走っていたけど、何でだろう?

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読書メモ:『ブッダはなぜ 女嫌いになったのか』

2012-08-14 11:50:00 | 読書
 『ブッダはなぜ 女嫌いになったのか』(丘山万里子著、幻冬舎新書154)

 以下、一八禁。本そのものがそういう内容なのだ。あと、ハードな「聖者様ブッダ」を信仰している人も。この本が示すところによると、ブッダを含め、その周囲には爛れたセックスが瀰漫していたのだ。

 仏教は女性差別的と四六時中批判される(笑)。まあ、この言葉が一番有名だな「女性(にょしょう)、救い難し」。だが、文字どおりに受け取ることは勿論出来ない。ブッダは男である。男にとって、女性は他者である。この言葉は、他者に相対するときに人間が様々な欲望にまみれ、揺らぎ、焦がれ、求めても得られないこと(愛執)を示していると思う。逆に女性から見たら「男性、救い難し」であろう。

 さて、ブッダ。母親であるマーヤーがブッダ生誕後、すぐに亡くなったのは有名な話。「マーヤー」とは「幻」という意味。ブッダは母親の喪失を幼時から感じていた。そして、筆者の推測だが、父親の後妻であるマハーパジャーパティー(マーヤーの妹)と歳は余り違わず、小さい時から一緒に過ごしてきて、思春期の頃に、父の妻となるために離れたらしい。彼は、マハーパジャーパティーに母の面影を追い求めていた。

 という話を書くと、日本人なら源氏物語の光の君と藤壺を思い出すだろう。そう、二人に男女の思いがあっても不思議ではない。そして、ブッダは、王子として幼少のころから――おそらくは将来の訓練として――女をあてがわれた。インドの聖典(性典)、『カーマ・スードラ』に従ったセックスをしていたのは、当時の王室のデフォかと。だが、そこには肝心の愛はなく、空しさが募る。

 ある日、若いブッダのために演奏をしていた女性たち――女性楽団(喜び組みたいなものか?)――が、ブッダが眠ってしまってやる気を失い、だらしなく眠る。女性器丸出しで。途中で目が覚めたブッダはそれを見てしまう。それを見て、美しく着飾った女性たちの「醜い本質」を見た思いになる。(じゃあ、途中で寝てたお前はどうやねん、という突っ込みはなしよ(笑))。

 母は幻、愛を感じる愛しい義母とは会えず、ブッダは孤独を感じる。彼は全ての「幻」、空しさの根源について思索する青年になる。

 そんなブッダは、王室維持のためにヤシャードラーと結婚をする。彼には中々子供(あるいは、男の子)が出来ない。だが、六年経て、ようやく出来る(ブッダの子ではなく不義の子という説もあるらしい)。しかし、それを見て、跡取りが出来てしまった、彼が育つ責任が出来たということは、それに縛られることだ、と、実に「喪」なことを考えてしまう。息子に「ラーフラ(束縛)」と名付け、生まれた時、あるいはその七日後に家出してしまう。(出家というより、家出だ。He is leaving home, bye-bye!)当時の高貴な人の生き方を示したとされる、四住期の原則からしても、外れている。

 何というか、世俗的には無責任一代男。だが、ブッダにはそれだけ深い悩みがあった。残された者の嘆きようは様々。悪妻とされるヤショーダラーの嘆きは、実に世俗的に人間臭い。誰が責められようか? ましてや、ブッダの心は自分にではなく、義母にあることを知っていたとしたら? ヤショーダラーは以下の事を言う。至極尤もだ。


 正しい行ない(四住期に従い、いずれは妻と出家すること)をともにすべき妻を捨て、独り苦行にいそしもうとするような人間に、どうして正しい行ないなどありえようか

 この世でも来世でも、何とかして夫が私を捨てないでほしいというのが私の望みです。

 このかわいそうなラーフラは、父の膝で動きまわることが決して許されていないのです。

(p144あたり)

 そして、捨てられた私の心も壊れない程度には残忍だ、と自己分析する。伝者、馬鳴の狙いとは別に、一人の女の悲痛が伝わってくる。仏教的には、勿論、愛執から夫を罵る悪妻ということになるのだが。一説にはヤショーダラーの弟とされる、ブッダの最大のライバル、ダイバダッタ(デーヴァダアッタ)が心を痛め、ブッダに憤らないということがあるだろうか?

 一方、マハーパジャーパティーは? ひたすらブッダの身を案じる。


 王子の足は、指の間にきれいな網が広がり、柔らかで、くるぶしが隠れ、蓮のように美しく、足裏の中に輪の印がついています。そのような足が、どうして固い森の大地を歩くのでしょうか。

 王子の力強い体は、宮殿の最上階で眠ったり坐ったりするのに慣れており、高価な衣服や沈香やチャンダナの香料を用いて大事に扱われています。そのような体が、寒い時や暑い時、また雨の続く時に、どうして森にいるのでしょうか。

(p91あたり)

 『ナラ王』の妃と同じである。王座を追われた王と共に逃げた妃は、森の中で、夫に捨てられる。だが、彼女はひたすら王の安全を願ったという。

 さて。ブッダは当時広まっていた苦行がナンセンスであると見抜き、悪魔との対話を超えて悟りを開く。愛執こそが苦の源、それを断つための訓練(修業)が大事であると、説く。全ては連なっている、それを断ち切るにはどうすればいいか。ブッダが感じた愛執の苦しさは、勿論義母に対するものである。妻から向けられた愛執はさらに、「憎悪・迷妄・邪見・煩悩」にまみれたものだったかも知れない。それらもまた、愛執から生まれるのだ。この愛憎の泥沼を――たとえそれがマハーパジャーパティーのように、極めてアガペーに近いものであったとしても――知ったブッダは叫ぶ。「絆を断て!」「愛するものを作るな!」

 スラヴォイ・ジジェクに言わせれば、「人間でなくなれ」と言っているようなものであろう。だが、悟りとはそういう境地であるという理解は、日本では存在する。またカント哲学では、敢えて不可能を提示することで、それに近づくという方法論がある。(『永遠平和のために』はそういう本として読まれるべきであろう)

 で。実際のところ、ブッダが行なったのは、どうだったのだろうか。彼は、故郷に帰ったら、息子と異母弟(ナンダ)を出家させた。異母弟がセックスの日々――結婚したばかりの妻とだけではないと考えられる――に溺れているのを懸念したようだ。昔の彼と同じ愛執に捕われている、と。七日後、ヤショーダラーは息子をブッダに送り、財産を渡すように言わせる。「財産など囚われの根源だ、お前もこっちに来なさい」と出家させてしまう。ヤショーダラーが恨まないはずがない。ブッダの父であるスッドーダナは「お家断絶」を考え、絶望の淵に。どちらも、仏教的には愛執である。そして、シャカ族は滅びの日を迎える。三度侵略を防いだブッダだったが、四度目は放置したとのこと(ブッダ入滅後とも言われる)。彼にとっては、愛執の園であったのだろう。

 さて、マハーパジャーパティー。夫であるスッドーダナの死後、出家を願い出るが三度断る。女性という他者、最も愛執を体現する女性が入り教団が乱れることを懸念したのだ。彼女は出家を決意し、ブッダの下に行く。第一の弟子、アーナンダが取りなし、尼となることを認める。それにしても、尼に厳しい戒律を課した上で、「これで仏法は五百年しか持たない」と嘆くブッダって(苦笑)。女の実在が問題なのではない。女の作用が問題なのだ。それは容易に男の実在、男の作用と言い換えることもできよう。だが、この試練に耐え、ブッダとマハーパジャーパティーは同志・御同胞として絆を作ることになる。あれ?

・悪漢=ダイバダッタ。初期教団の原理主義を守ろうとして分派活動を行った人。それが「罪」とされる、ということは、ブッダは大衆化することを望んでいたということか。宗教団体や思想団体は、常に大衆化と純化の狭間でまた裂きにされる。

・愛執の業火をくぐり抜けなくては、おそらくはアガペーに近づけない。恐らく、人間はそういう風に出来ている。「諦」とはコントロール。それを知らずして、どうやってコントロールするのだ? いきなり滅することを、超越的に論じるのは、破滅的カルトだと小生は考えている。

・この本の、キリストとの対比(出生、「女よ」、などなど)は、面白かった。偉大な喪男たち。だが、実は、どちらもリアルで女と「接して」いる!

・この著者に仏教関係者から誹謗中傷罵詈讒謗来ないかな(笑)。
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