若い時から、左翼にも右翼にも知人くらいはいて、上のことは理解しているつもりである。脱原発で左右共闘を目指すのはいいけど、ある種の左翼と右翼が発火点になってこじれる可能性は感じていた。
具体的には、左翼では党派的引き回しが大好きな共産党、右翼ではそしてレイシズムを標榜する団体。
どうも、始まっちゃったみたいだ。小生は、かつて市民運動に係わった経験から、共産党には共産党「らしさ」を出した時点で運動から排除すべきと思うし、レイシズムを標榜する団体の構成員が「らしさ」を出した時点で運動から排除すべきだと思う。当たり前だ。連中がそんなことをすれば、運動そのものが単なる草刈り場になり――過去、どれだけ見て来たことだろう――、一般大衆はどん引きし、離れて行く。「らしさ」を出すとは、「団体名」や「党名」を前面に掲げることを含む場合もあるだろう。線引きは難しい。例えば、「共産党」は、掲げてもいいけど余りしゃしゃり出るな、だけど、「統一義勇軍」の場合は団体名さえ掲げたらアカンとか。後者への拒否感は、非常に強いのだ。そりゃあ、「在日は出て行け」とか言う団体の看板があれば、反原発の在日の諸君は参加出来ないよね。こういうのは運動の事務局の判断に任せられるべきである。
で、始まったのはこれ。思うところを書く。
http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20111121
Tさん:
この方が左翼だとして、左翼ってのは日本においてはとどのつまりは「西欧進歩主義の視点」の体現者であるという、皮肉を言いたくはなるが――なんで外国の視点を持ち出さなければならないのだ?――、原則的である。特に「なんとなく「ナショナリズム」的な気分にからめとられながら運動に参加して来る人々と、針谷=ナントカ軍のようなプロ右翼を混同するようなことは書いていないと思いますし、議論の仕方として混同するべきではありません。」は良い。
桜井大子さん:
これは批判として成立するのか? 小生は、東京出張で時間が取れたら、靖国神社に参拝する。今度、プライベートで東京に行くが、午前中に参拝するつもりだ。そういう人間から見れば、8.15に靖国でワァワァやる人間なんて、ぶんなぐられて当然だ。参拝する方々から聞いた話ではおぞましく凄まじいものであったとのこと。「音」は使いようによっては暴力の一種である。だから、様々な規制がなされるのだ。暴力に対して暴力! 原理的な左翼の発想である。反天連に「敵対」する人間は、左翼の論理に従っているまでだ。搦め手で相手を非難する、こういうのは左翼界隈で何度見て、呆れてきたことか。特にダメなのは「これは針谷ではなかった。でも、私たちにとって彼らと針谷を区別するものはないです。針谷は彼らの中にあり、彼らを容認し、靖国や戦争責任(とりわけ従軍慰安婦問題)を問題にする人々に暴力的に対峙する思想の持ち主です。」 針谷氏が、いつでもどこでも誰とでも暴力で左翼と対峙していることを証明しなくては、こんな言い方も言えるだろう。「XX氏は彼ら中核派と行動をよく共にしており、(運動の場面での登場を)容認し、北朝鮮の拉致や人権を問題にする人々に暴力的に対峙する思想の持ち主です。」RENKに対する中核派の武装襲撃については、RENKの人から聞いた。その人は左翼党派の人間でもある。で、桜井さんの論理を敷衍するならば、多くの市民団体は多くの左翼党派やその同伴者を叩き出さなくてはならないだろう。多かれ少なかれ、大衆に実力行使した過去があるからだ。「動員」は出来なくなるね。いや、それはそれでいい。すでに大衆から孤立している左翼がますます孤立することになり、「こちらとしてはやりやすい」(謎)。
小倉利丸さん:
彼が一番の問題である。まさに(左翼)党派間の論理を持ち出している。但し、ここでは「右翼」「左翼」がそれぞれ一塊の党派のように扱われている。小生の眼から見ればリベラル保守――まぁ、右翼からすれば堕落と言えば堕落だな――の鈴木邦男氏(小倉さんから見れば右翼陣営)に対して「かれらがまず取り組むべきは、同じ右翼陣営のなかでの天皇についての表現の自由についての議論ではないのか、なぜそれをやらずに(回避して)あえて口出しをするのか?とぼくは思っていました。今回は事態そのものはもっと大きいですが、構図は同じだなあというのが最初の印象です。」 右翼業界ってのが一塊であって、その内部での解決をしてから反原発に係わるべきだ、と。うーん、じゃあ、新左翼が労働運動に係わるには、中核派と革マル派が諸問題を解決してから係われ、と言うべきになるんだな。いやあ、左翼が内部の意見の相違を克服して整理できてたらいいね。だけど、それが出来ていないのはなぜ? なぜそれが出来ていない自称左翼が右翼に求めるの???
『右翼の言い分』という本がある。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/472.html
右翼と雖も、その中は余りにも多種多彩、水と油な連中がいる。これらをひとくくりにして「内部で解決しろ」というのは、左翼で言えば社民党と革マルをひとくくりにするようなものだ。これは、左翼が「団結」「統一」を観念的に、先験的に前提する発想から来る誤謬と思う。そんなことをするから、凄まじい分裂と内ゲバが繰り返されるのである。右翼は「お互い、違う」という発想から出発する。だから、必要以上にお互いに口出ししない。これは、知恵なのだ。鈴木氏に対する小倉さんの意見は、小生のような右翼の洗礼を受けた者から見たら、「僭越至極」である。偉そうに言うべきことじゃない。これだけで喧嘩の口実になる。まぁ、鈴木さんは今は紳士的に振る舞っているから、そんなことにはならないだろうけど。
園さん:
まぁ、マトモで良かった。でもね、付き合う人は考えたほうがいいよ。活動家ならば仲間に対しても批判の刃は研いでおくべきだ。
で。左右は無理に共闘する必要はない。別個に進むほうがいいだろう。そして、個人として、お互いのデモや集会に参加すればいい。大石規雄さんがツイッターで言っているとおり。現に、右からの脱原発デモは、左翼界隈の人間が個人として参加し、非常に面白いことになっているそうな。