TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

2019年12月の行動

2019-12-31 23:25:00 | よしなしごと
電磁場の性質を理解する必要性を痛感する今日このごろ。

2019年12月1日(日曜日)

体調がやや戻った。心斎橋の大丸へ。良い手提げかばんはなかった。「アラン・デュカス」で究極のホットショコラ。カカオ本来の酸味と甘味を引き出している。焙煎技術が素晴らしいのだろう。その後、LOFTで手提げかばん入手。高いなあ。今、使っている愛媛マンダリンパイレーツの試合でもらったものは、無料で良いものを配布していたということだな。南海本線で住吉大社へ。カモを見に行ったが、いてる池の門が閉められた。残念。「ラ・メール」で晩御飯を食べようとしたら、臨時休業。仕方なく天王寺で和食。美味しかったので良し。


2019年12月2日(月曜日)

大阪本社。凄まじい高温の熱流体解析。だがすぐそばは冷え冷え。熱輻射と対流でどうなるか? 新型翼の解析。我々のターゲットとしているコア技術に対応した化学装置とは? 従来の延長で良いのだろうか。19:00退社。なお、この日から勤怠システムが変わり、登録では19:05退社である。箕面の今宮の喫茶店で少し電磁場の勉強をしてから帰宅。


2019年12月3日(火曜日)

大阪事業所。打ち合わせで解析を修正。手計算で分からないことをCAE計算すべし、だよな。他に教育資料作成。19:00にいそいそと退社。堺の祥福の湯。風が強いので散歩はしなかった。空手バカ一代、ようやく3巻まで。つのだじろう編だけでも遠いね。


2019年12月4日(水曜日)

大阪本社。流体解析も資料作成も続きをやる。粛々と。19:00退社。久々に近畿自動車道を経て帰宅。三宅ランプを降りてからが遠い。


2019年12月5日(木曜日)

大阪本社。ソフトベンダーの方が来られたので、こちらの徹底的に難易度の高いモデル開発依頼wと、とてもややこしい(小生にはわからん)電磁解析の技術指導。流体解析の継続の他に、何年かぶりにDEM。遅いw! 速く結果を知りたいが、来週中頃にならんと何も分からんかな。18:30過ぎに退社。梅田で「近鉄魂とはなんだったのか?」を購入、その後、乗り鉄で環状線をほぼ一周、天満で降りて散策。喫茶店の店じまいが早いね。南森町まで歩き、焼き肉の名店万両に入るか迷うが、SABARにした。サラダとお茶漬け。獅「。店はガラガラw また来たいね。


2019年12月6日(金曜日)

有機溶剤の健康診断。会社の前に朝食として「来夢」へ。店主の奥様から叔父の若い頃の話を少し聞く。60年以上前の話を聞くのは面白い。大阪石綿で同僚だったらしい。10:30頃に出社。安全衛生会議、聡怐A数値流体解析の確認。報告書作成に時間がかかるなあ。18:00頃退社。翌日に備えて早めの就寝。


2019年12月7日(土曜日)

早朝、すごく早く目が覚めてそのまま東京に向けて出発。6時なんば発のアーバンライナー。真っ暗な中から徐々に夜が明けて行く様子を見ながらの乗車。駅ナカのコンビニも空いていない時刻。名古屋で朝食。そこから塩尻に向けて特急。木曽の山々は高い。首を上に向けて眺める。塩尻駅で駅弁と、駅そば。駅そばが獅「。しかしまあ、ホームの店が空いていないのは何故? 塩尻からは特急あずさ。諏訪湖が殆ど見えないのが残念だったが、山梨側からの富士は格別。ほぼ同時刻に静岡側からオセアン滋賀ユナイテッドのやもさんが画像を撮っていたので、滋賀ファンで同時に撮影していたことになり、富士山をユナイテッドできたので山梨・静岡論争に終止符(謎)。八王子で降りて、コウペンちゃんの聖地である入谷駅を経て、海老名から横浜、そして渋谷、新宿、西国分寺、浦和、そして神田と乗り鉄。ここで某共産趣味オフミーティング。爆笑的に進む。全解連になる前の「解同正常化委員会」の資料を見たり、新日本出版社の「同性愛は異常」という文章を見たりw ツイッターにあっぷしたw 二次会では「今やいわゆる共産主義は反革命」というお話を。千坂恭二勉強会の話題になる。また、熊野寮の某重大女性差別事件について、下手人が在日朝鮮人というだけでもみ消したというケッタクソ悪い話題も。排外主義ならぬ拝外主義。だから左翼は信用されない、という話に。名残惜しいが新小岩で宿泊。


2019年12月8日(日曜日)

乗り鉄で房総半島へ。この日もやたら朝が早かった。上総亀山へ。霧の中の幻想的な車窓を楽しむ。そして素晴らしい快晴の中、房総半島をぐるりと。千葉県からも富士山が美しく見えた。京葉線を経て横須賀線で武蔵小杉へ。人大杉。そして工業地帯の扇町を目指すが、本数少なすぎで諦めて鶴見へ。横浜を経て八景島方面、横浜線、橋本から新宿。四国アイランドリーグバーへ。元高知の井坂さんと話し込む。独立リーグそっちのけで大学野球の話を。35年くらい前の大学野球の話、10年ほど前の大学野球の話。東大にもOBチーム作れればいいよね、という話。野副さんとは野球のボールがリーグや主催によって反発が違うのは変な話とか。スカウトさんはボールの反発は気にせず、プレーそのものを見ているそうな。独立リーグの統一球の話はないみたい。来年の東大-京大のOB戦での井坂さんとの再開を祈りつつ、久しぶりの新宿ワシントンホテル本館へ。中国人ばっかりの宿泊客。でもマナーが良いので無問題。


2019年12月9日(月曜日)

乗り鉄。だがぐっすり休んだ後で、ラッシュアワー後。新宿からコウペンちゃん、じゃない、西武新宿線で拝島へ。そこから南東へ向かい、南多摩へ。多摩川にはサギが。何故か一羽だけ暢気に鴨が。先日の大雨で河原の灌木がなぎ唐ウれている。橋を越えて是政へ。多摩川の土砂運搬のために出来た路線。さすがに東京都内だけあって、昼間でも12分ヘッド。武蔵境まで乗り、中央線に乗り換えたら人身事故の影響で混んでる。吉祥寺で降りて渋谷へ。京王井の頭線は混んでる。渋谷から三軒茶屋。そして東急世田谷線。なんてかわいい。凄く気に入った。下高井戸から新宿へ。ここで買い物。ギリギリの小田急のロマンスカーに飛び乗り、車内改札なんだが、凄くレトロな方式に驚く。首都圏の鉄道料金は安い。これだけ乗車率が高いとそうなるのかもね。近鉄や南海の半額というイメージ。小田原で美味しい蒲鉾を見つけたので購入して、そこからは普通に新幹線で帰宅。


2019年12月10日(火曜日)

大阪事業所。流体解析の結果報告だが、色々改造しないとな?という気の重い報告。DEMの途中経過確認。こちらはイメージ通り。液量がアホほど少ない場合の攪拌の計算。普通なら供回りするよなあ。どうしたものか。19:00帰宅。疲れがあるので家でぼへー。


2019年12月11日(水曜日)

大阪本社。色々面白い電磁場の実験結果を見る。流体解析の継続。改造前の非定常解析(謎)。17:45退社。新大阪あたりでブラブラ。鹿児島弁の一団がいた。懐かしい。


2019年12月12日(木曜日)

大阪本社。流体解析の継続。あれ?DEMのタイムステップが変わってる。おかしいなあ。レクチャーの講師。何故か反応工学のごく基礎的なことを。あ。「茶柱は渦の中心に集まる」問題だあ。これは難儀。18:30頃退社。琵琶湖のほとりまで乗り鉄後、帰宅。


2019年12月13日(金曜日)

大阪事業所。新プロセスの検討会。手が離れたけど、色々責任はある。LES解析の結果が吉に出ればいいが。DOを含むややこしい計算を「加速計算」。これもどうなるか。18:30退社。和歌山に乗り鉄。


2019年12月14日(土曜日)

奈良に鹿を見に。近鉄で行き、天極堂へ。そして葛湯を色々購入。桜井廻りの乗り鉄で大阪に戻る。なお、奈良で入ったカレー屋のフライドャeトサラダが美味しかった。


2019年12月15日(日曜日)

桜珈琲に久しぶりに行く。イオンで買い物しようとしたが、満車で帰宅。家でのんびり。いだてんの最終回は色々な物が繋がって回収されて、改めて良い作品だったと思った。「今の日本は、おまえが世界に見せたい日本か?」・・・今は違うなあ。観光客だらけだけど。


2019年12月16日(月曜日)

大阪本社。流体解析は継続。まあ、一つは結果が見えてきた。一工夫必要だよなあ。18:40退社。ことちゃんのプラのコップにヒビが入るという悲劇があったので、キディランドでコウペンちゃんの瀬戸物のコップを購入。


2019年12月17日(火曜日)

大阪事業所。改造案で輻射熱計算。重い! 別の案件、継続。そろそろ結果が出るかな。手が離れた案件にお邪魔。試運転では順調に動いているようだ。18:40退社。雨なので家に直帰。AI美空ひばりに涙。だがそれは、ぬらりひょん(秋元康)の歌詞が良いから。あざとい。なお、AIの歌そのものは70点かな。やっぱり不自然さは残るが、平坦なところはご本人の歌と区別がつかない。AIは凄いところまで来た。


2019年12月18日(水曜日)

大阪本社。輻射熱の計算継続。新型翼検討について報告。茶柱が中心に集まる問題解決必要。実験補助。ちょっと形状を変えるだけで、電磁波の挙動は変わる。悩ましい。18:50退社。ちょっと京都まで。先斗町をうろつく。色々と懐かしい。


2019年12月19日(木曜日)

大阪事業所。水運転ではOKだった装置が、能力出ない。不思議だ。新型翼の検討は、Euler-Euler-Granularの計算が安定せず悪戦苦闘。装置が小さい時は比較的安定していたのに。色々疲れた。19:10退社。散歩もせず家籠もり。


2019年12月20日(金曜日)

大阪事業所。能力問題解決。配管への液付着はどうしようもないね。新型翼はメッシュを見直して何とか計算安定。放熱対策の検討は、一筋縄ではいかない。18:00退社。奈良廻りの乗り鉄。会社に会社携帯忘れた。


2019年12月21日(土曜日)

家内の実家でカニパーティー。でもアレルギーで食えないので別途ステーキ肉を。近鉄百貨店で「国産和牛」の「ふぞろいステーキ」を。産地を見たら松阪肉。松阪牛を「国産和牛」として販売する近鉄百貨店w 自分で焼いたが、とても獅「。カニも1/3の脚を食べたが、発症。あかんわ。昼に通院、血糖値は変わらず。


2019年12月22日(日曜日)

先日見たマツコの知らない世界で取り上げられていた阪急梅田百貨店内、「HIBIKA」の樅の木ケーキを買おうと梅田へ。大好きなピスタチオクリームがたっぷりと。だが、物凄い行列で諦める。マツコすげえ! そして似たようなケーキを阪神百貨店で。こちらは行列なし。まずまず、ってところかな。夜は祥福の湯で空手バカ一代の続きを。アメリカのプロレスラーがカワイソスww 1950年代前半のアメリカの反日感情は凄かっただろうな。大山倍達は在日だと知っていると、色々と興味深い。


2019年12月23日(月曜日)

大阪本社。全く同じ翼と回転数なのに、液量が多いほうが、混合性能が良い?だと? 春からの実験の打ち合わせ、発注業務。19:00退社。宝塚、伊丹をちょっと散策した。


2019年12月24日(火曜日)

大阪事業所。春からの実験のために、装置移動の打ち合わせを業者さんと。心配事が色々あるなあ。DEMをラボ試験をネタに開始。10^6particleは重い。18:00退社。クリスマスイブなのでどこにも寄らずに帰宅。鳥料理。うまい。


2019年12月25日(水曜日)

朝は大阪事業所で実験のための装置配置検討。その後、本社に移動し、今年最後のミーティング、流体解析各種。17:30退社、枚方方面へ。そして京橋でぶらついていたら「今治の店」が。おなかいっぱい食べて日本酒まで飲んで2000円ちょっと。名刺が貼られていて、なんと愛媛マンダリンパイレーツのスタッフの方のも。


2019年12月26日(木曜日)

大阪本社。DEMの計算二つ。余りにも重いので対処方法をベンダーに聞いてみた。効果はまだ分からない。16:00退社、忘年会。それにしても人数が増えた。


2019年12月27日(金曜日)

大阪事業所。大聡怐B工事のために埋まった正門の溝聡怩ェきつかった。天気は良いが風がきつかった。15:00退社、事業所の忘年会。「とりだん」狭すぎるw


2019年12月28日(土曜日)

金沢日帰り。兼六園は坂があって結構な運動である。その後、職場で教えて貰った甘味処「つぼみ」に行ったが、生憎休日。その後、生麩の餅をいただき、北陸鉄道の北側に乗り鉄。そして治部煮を頂き、大阪へ。すごい動き。


2019年12月29日(日曜日)

マクドで昼食&朝食。そしてたま駅長に会う乗り鉄。貴志川線は思ったより山の中。雰囲気は琴電の琴平線に似ている。橋本廻りで難波へ。接続が良いと意外と速い。なんばで鎌倉パスタ、ピザ食べ放題。お腹いっぱい。


2019年12月30日(月曜日)

中学生の頃からの友人の家へ。その前に、生駒山上行きのケーブルカーで山上へ。雲の上に出た。幻想的で綺麗であった。友人の家へは、いつものお土産以外に、アラン・デュカスのチョコレートのお菓子。チョコレートのみにすべきであった。


2019年12月31日(火曜日)

家内の実家でおそば。今年最後の乗り鉄で、思い出の(謎)電鉄網干往復。当然、夢前川のホームの写真を撮影(謎)。雨上がりの晴れた空が印象的な鉄道旅行であった。夜は紅白。AIひばりは、関係者があれだけ参加してたら許さないといけないのかなあ。まあ、歌そのものが良いしね。個人的には藤山一郎をAIで。氷川きよしさんが楽しそうだったのが印象的。


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読書メモ:『ハーバードの日本人論』

2019-12-19 23:45:00 | 読書
『ハーバードの日本人論』(佐藤智恵著、インタビュワー、中公新書ラクレ=658)

 日本人は世界でもトップクラスで自国民論が好きらしい。ただ、この本を読んで、日本人が世界からこう見られているんだ、ということ以上に、自分は日本のことをまだまだ知らないと思った。

 日本人はロボットを人間の延長のように捉えるが、それは西洋人にはない感覚らしい(cf.「フランケンシュタイン博士」)。伊藤若冲が描いた技法の極北は、細部にこだわる日本人の絵の結晶であるが、何故そうなのか。遺伝子解析で解明されていく大和民族。だが、縄文人はどこから?など解明すべきことはまだまだある。長寿の秘訣は大豆と魚と海藻。政治では世襲率が高いが、小選挙区制導入などで変わってきている。場を重んじ、周囲を気にする理由。トヨタ生産方式は日本の文化を背景にしているから簡単には「輸出」出来ない。実は宗教が血肉化しているからこそ、無宗教に見える日本。物語の結末が曖昧な日本の小説。


 さて、いつも通り気になったことなど。

(アレクサンダー・ザルテン氏、専門はメディア論)
・黒澤明監督の劇的な演出は決して日本的ではなく、革新的で、計算し尽くされている。
・映画の教科書になる『用心棒』。
・小津安二郎監督は既存のテクニックから逸脱した手法を使う点で日本的でない。独自のスタイルがあり、実験的だ。
・ラストシーンで主人公が海で死ぬシーンが多いのが日本映画。『HANA≠aI』が取り上げられるが、この作品は時代の閉塞感を示していた。日本を出ようと思っても海が広がり、ドンツキでは「死ぬしかないじゃない」。
・善と悪をはっきり描かない日本映画。ジブリの『千と千尋の神隠し』など。
・二次元アニメは観客の視点を規定しないので観客の想像が入り込む。そこで3DCGより自由なビジュアル表現が出来る、らしい。
・アニメーションには想像の幅があり、人種などの壁を容易に飛び越える。よって、世界に受け入れられる。
・宮崎作品ではロボットやテクノロジーと人間は対立構造にプロットされるが、押井監督は接点を探るようなプロットをする。
・ロボットを人間の友人と見る日本人の背景には、神道の影響(万物に魂が宿る)も挙げられるが、明治維新後の科学技術への肯定感があるのではないか。
・対して欧米人はテクノロジーを信じすぎるのは危険、という思いがある。『トランスフォーマー』『ターミネーター』など。奴隷制の歴史を思い出す人も。スマートスピーカーは人の形をしていない。
・IT起業家がアニメに夢中になるのは、どちらもリミックス技術で成立するから。
・将来のエリートたちは、『ドラゴンボール』『デスノ』『ゼルダの伝説』に夢中になって育った。

(ユキオ・リピット氏、専門は美術史)
・アメリカで盛り上がりつつある伊藤若冲。日本ではしばらく忘れられたかのような存在だったが、先行して人気が出ていた。昭和に入るまでは円山応挙らと並んで人気があった。
・伊藤若冲は「私の絵は千年後に理解される」と言ったらしい。後世に評価されたい、という野心。独学で絵を学んだが、そういう人が多く生まれた時代だった。版画技術の発展、マニュアル本の入手が容易になった、中国から来日した画家の影響。黄檗宗による写実的な黄檗派。沈南蘋を祖とする南蘋派。とはいえ、若冲は狩野派である程度学んだのではないか。
・当時は40歳で隠居するのが当たり前。跡継ぎ育成方法。若冲もそうし、後半生は件pにすべて注いだ。
・視覚件pに触れる時に重要なのは、時間をかけること。立体的で複雑。絵画の世界に没入するべし。
・件pは教養として知っておくことが重要で、それは世界認識を広げること。
・若冲の技術は既存の技法を進化させ、精緻性と完成度を極限まで追求した。「裏彩色」。日本画の顔料は何層も色を重ねる。修正が効かないらしい。体に技法をおぼえこませる。だから江戸時代の画家は宴会の場で「席画」が描ける。
・若冲の精神的な柱は仏教。「仏画のどの箇所もすべて同じように大切だ」と信じ、すべての箇所を平等に扱った。なお、作品のほとんどが墨画。
・生物のディテールに宇宙を見出し、風景や星を描かなかった若冲だが、月は描いた。当時の一般的なモチーフであり、また光の効果に興味があったからとリピット氏は推測。
・漢字とひらがな、カタカナを学ぶ日本人は文字を通じてデザインセンスが身についているらしい。

(デイヴィッド・ライヒ氏、専門は遺伝学)
・『交雑する人類──古代DNAが解き明かす新サピエンス史』の著者。
・全ゲノム解析により、先祖全員からどんなDNAを受け継いだかが見えてくるようになった。(それまでは父の父の・・・と、母の母の・・・という二系統のみ)
・何千年、何万年もさかのぼるとすべての人類は繋がっていると実感できるそうな。
・先に「すべての」と書いたが、実際にはDNAを受け継いでいない祖先がいるらしい。例えば、20世代前には32768人の先祖がいるが、受け継いだDNAの本数は47+71*14=1112本になるらしい。
・モンゴル帝国が支配した地域の子孫のDNAを調べると、おそらくジンギス・ハンと思われる男性の遺伝子が8%もあるらしい。東アジアやヨーロッパでは5~6000年前の一人の男性の遺伝子を共有している。この時代に強い権力者が既にいたことが推定される。
・日本人のDNAの20%は縄文人、80%は弥生人で、どちらも東アジア人の共通祖先をもち、中国人や韓国人と同じ。
・180万年前に出アフリカした人類の祖先の一部が、30万年前にアフリカに戻る。そして6万年前に第二の出アフリカ。東アジアに到達したのは5万年前。この時代には先に到着していた旧人類はほぼ絶滅していた。
・ただ、第二の出アフリカから東に行くにしたがって、旧人類と混交している。ネアンデルタール人、デニソワ人。日本人の遺伝子の2%は彼らから。ほかの東アジア人と比較すると、ネアンデルタール人由来のDNAは少なめ。謎である。
・1万年前に氷河期が終わり、気温と地形が変化して大規模な人口移動が起こり、黄河と揚子江に農耕集団が出現。彼らはどこから来たのかは分からないが、漢民族、チベット族、東南アジア人、日本人にはその遺伝子がある。日本人は揚子江集団のDNAが多いらしい。先に住んでた縄文人は謎。アイヌや琉球人に縄文人の遺伝子は多い。それ以外の日本人は極めて同質的。
・日本に弥生人が入ってきたのは2400年前だが、縄文人と交配したのは1600年前かららしい。混交比率から逆算できるらしい。異文化の人が混じるには数百年以上かかるのは世界的にみられること。とはいえ、人類の歴史は混交の歴史である。
・日本の弥生人の流入過程はライヒ氏が解明したいことだが、ヒントは島国のイギリス。イギリスでは過去2回大流入があり、一気に取って代わった。
・イギリスは14000年前に狩猟採集民が流入、6000年前に農耕民が、そして4500~1500年前にロシア方面から流入、今のイギリス人の祖先になる。

(ロバート・A・ルー氏、専門は分子細胞生物学)
・日本人の長寿の理由の仮説として、効率的な代謝、異常蛋白が蓄積しにくいことが挙げられる。タンパク質が正常に機能しないと、細胞内の活動の効率が落ちる。
・日本人がアルコールに弱いのは飲酒習慣がない祖先がいたからかも知れない。環境が遺伝子を作る面があり、例えば南太平洋の人々は糖尿病になりやすい。甘い物がなかったから。
・魚のオメガ3脂肪酸は悪玉コレステロールを分解する。鰯、鯖、鮭、鮪に多い。病気の予防に繋がる。大豆には良質なタンパク質が多く、アミノ酸、要素、フコイダンを含む海藻も体に良い。でも肝心なのは、日本食の栄養バランスが良いこと。特に炭水化物とタンパク質の。
・日本人は食育や、栄養バランスに拘る民族。アメリカは平均寿命が短くなっていっている。保険制度も不備。
・ルー氏による日本への懸念はストレス。

(ダニエル・M・スミス氏、専門は比較政治学)
・スミス氏によると日本の政治の転換の時代は1990年代。「政党政治と選挙制度」「経済政策」「外交政策」を挙げる。小生は中曽根の時代が最初だと思う。
・「55年体制」が安定したのは池田勇人から。経済成長を追い風に出来た。
・自民党はそんなに人気はないけど長年選挙で勝ち続けている。理由として選挙制度(大政党に有利な小選挙区制)、公明党のアシスト、野党分断として機能した共産党の独自候補、投票率の低さ(公明党と自民党支持者は熱心に投票に行く)。
・年代は色々またがるが、日本の衆議院議員の世襲率は28%、自民党の国会議員の世襲率は39%。ドイツは2%、イギリスは6%、アメリカは7%、先進国は大体10%未満。
・国会議員を目指すリスクが日本では大きすぎるので、後援会などを親から引き継げる世襲が多くなる。家事・子育ての負担が大きい女性は政治家になりにくい。
・世襲は悪いことばかり出ない。資質は遺伝することが多い、後援会があることで長期的視点で政治が出来る、地域利益に貢献しやすい、女性でも世襲なら立候補しやすい。デメリットもある。汚職、競争の欠如による堕落。
・小選挙区制導入の時、新制度が自分に有利か不利かで自民党は割れた。選挙改革を求める世論が強く、改革に踏み切った。そしてそれは基本的に自民党に有利だったが、下野の可能性も膨らんだ。比例区はミニ政党にチャンスを生んだ。
・自民党は与党の獅ンを知っているので分裂しない、野党は特に弱小なところ(社民・共産)は党の名前・看板がなくなることを最も嫌がるから合流しない。
・1994年以降、世襲政治家は減少傾向にある。中選挙区制の時は自民党の候補同士が同じ選挙区で争うこともあり、個人の力がものを言ったが、小選挙区比例代表制では党の名前がものを言う。こうして世襲議員のニーズが減った。自民党は2005年から公募制度を導入している。新人候補に党がより多くの資金を分配するようになった。とはいえ、多選が条件の大臣は世襲優位の時代を引きずっているようである。
・有権者は世襲を判断材料にしていない。少なくとも有利な方向には考えていない。
・自公共の3党は名前を変えないので二大政党制にはならない。日本の選挙制度における一つの改良方法は「小選挙区比例代表#併用#制」とし、比例代表で各党が獲得した票数に基づいて議席を配分し、より多様な政党、小政党に有利なように変えることが考えられる。
・トランプ登場によりアメリカでは若者も投票するようになった。日本が変わるとすれば、若者が投票すること。が、自民党に有利になりそうだよね。そのくらい、民主党の失政のイメージは若者に強いのを小生は知っている。

(メアリー・C・ブリントン氏、専門は社会学)
・働き方改革の号令があっても、文化そのものに変化がない限り、変わらない。仕事第一の生活が変わらないから。
・副業の促進は余計に労働者を追い込むという意見に同意する。余計に働かせることになるし、女性については育児・家事の負担が大きい今、副業は無理だし、副業をやっている人は調整弁として利用されかねない。
・日本人の「場」という概念は中根千枝氏の『タテ社会の人間関係』で有名になった。「どこのもんじゃ、われ」というのが大事な日本。他者に対する警戒心が強い日本社会。それらは戦後の復興期に「場」の形成を余儀なくされたからかな。収入は能力よりも「場」で決まる。
・転職に役立つのは「友人の友人」のようなウィークタイズである。アメリカでの実証。が、日本は家族や友人の繋がりと言ったストロングタイズを築くのが大事だと思われてきた。
・終身雇用制は労働者の移動を妨げる。転職はリスキーとなり、『リスクに背を向ける日本人』となる。これは小生も問題だと思う。
・一方、映画『トウキョウソナタ』に見られるように、日本人は自らのスキルを分析して売り込むことに慣れていない。結局、転職活動でも出身校などの「場」の紹介に頼る(5割)。ストロング/ウィークタイズを利用するのが3割、新聞・ハロワ(非ネットワーク型)が2割。
・転職の可能性は誰にでもある。ウィークタイズを増やすために異業種の人と交流し、能力の棚卸しをし、説明出来るようにすること。
・中高年向けの教養講座には(超)一流を揃えることが大事である。大学に入ってから専門性を選択するようにし、幅広く教養を身につけるようにしたほうが、仕事の社会的意味を理解できるようになるだろうね。
・STEM=Science, Technology, Engineering, Mathematics は大事だが、人間を理解し、文化的価値のためにあることを踏まえるためにも人文科学は大事である。

(ウィリー・C・シー氏、専門はマネジメント)
・1970年代、アメリカのメーカー(自動車)は、「日本企業は何か不公正なことをやっているから低価格で売れるのだ」と信じ込んでいた。技術力や生産様式を疑っていたらしい。変わったのは、MITによる自動車産業の未来についての報告書が出てから。
・GMは84年にトヨタと合弁会社を設立。だが、トヨタの文化は簡単には移植されなかった。トヨタは全公開するが「企業文化と考え方まで理解しなければ、この生産様式は実現できない」と言った。
・シボレーの「廃」工場を引き受けたトヨタは、解雇された従業員を雇い直し、トヨタ文化の教育を施し、トヨタ生産方式を導入することによって最低ランクの工場を最高ランクにした。ただ、GM全体がそうなるには何十年も要した。
・「あんどん」「かんばん」を形だけ入れてもトヨタの生産様式は移植できない。チーム全員で解決法を考える文化がないとね。
・「完璧な品質を追求する」は徒になった面も。「継続して改善を行う」については、枠組み自身を変えるべきときにそうしないという点で徒になった点も、とか思う。守りつつ変えるのは難しいね。
・テスラはトップダウンが過ぎた。
・フォーディズム:製品を通じた社会貢献、高賃金と低価格、社内留保からの投資。これらはテイラーの科学的管理法から。トヨタはそこに「リーン生産方式」を加えた。
・ソニーが90年代から20年間苦しんだのは、リソース、プロセス、優先順位を変えるのに時間がかかったから。トランジスタ、カラーテレビの次のもの(
CMOSカメラ、ネット事業など)が芽吹くまでに時間を要した。ただ、研究開発への投資をやめなかったから復活した。
・コア技術を水平展開するのに成功した富士フイルムと、失敗したコダック。市場の広がりを見越せるかどうか?
・企業経営の難しさは「限定合理性」故である。日本の経営者は日本人の五〇歳代以上に囲まれているため、市場の動向を掴むには偏りすぎた情報に触れている。
・破壊的イノベーションとしてホンダジェットが取り上げられている。成功の理由は、限定合理性の中でできるだけオープンに情報を取り入れようとしたから。
・シー氏が注目する日本企業はトヨタ、ホンダ、ソニー、そして任天堂と東レ。任天堂は主力商品を次々に変えて生き残り、東レは炭素繊維で世界をリードするようになった。

(ジェームス・ロブソン氏、専門は東アジアの宗教史)
・日本にはそもそも西洋などの「Religion」はなかった。一神教ではないから。西洋基準では「日本人の大半は無宗教」と思われ、固定観念になっているが、日本人の行動や生活はとても「宗教的」である。神棚と仏壇があり、正月や七五三に神社に行き、仏式で葬式をする。塩を撒いたり積んだりする。対して西洋人の多くは年に一度くらいしか教会に行かない。
・ものづくりの精神を支える神道と仏教。神事や仏事では道具を揃える。物に魂が宿る。そこから細部や品質に拘る心が生まれる。
・多数の木彫りの仏像を作った円空は「自分の仕事はただ、その(木の中に宿る)仏の姿を見えるようにすること」という信念を持っていた。
・大工道具の「玄翁」は仏教の言い伝えによるもの。
・日本の企業の敷地内には神棚がある。会社には創業者の魂が籠もっているので、絶やしてはならない。終身雇用制はまだまだ残っている。因みにアメリカ人の平均勤続年数は今や4年。(勿論昔はそんなことはなかった。)
・高野山には社員のための墓がある。パナソニック、日産自動車、キリンビール、UCC上島珈琲、ヤクルトなど。
・ジョブズなどで有名な1960年代からのアメリカでの禅ブームは、鈴木大拙と鈴木俊隆によるもの。90年代にはチベット仏教ブームに移ったが、現在は再び禅ブームが。とはいえ、禅そのものというより、マインドフルネス(意図的に、今この瞬間に注意を向けること)として。
・スティーブ・ジョブズが禅に関心をもつきっかけとなったのは、1974年に彼がインドに渡り、ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』を読んで感銘を受けたこと。鈴木俊隆とも面会し、著書『禅マインド ビギナーズ・マインド』を読む。この本はベイエリアの若者、特にヒッピーから起業家になった人の精神的支柱となった。「初心(空の心)忘れるべからず」。
・「聡怩オなくてはならない」ではなく、「聡怩キるという修行の機会を与えられた」と考える。「肝心なのは旅の過程を楽しむこと、目的地にたどり着くことではない」。「すべての行動は悟りであり、どこにいようとも悟りはある」。
・シンプルで美しいこと。
・禅では聡怩ニいう作務も修行の一つ。神道では穢れ払いがあり、これらが日本人の清潔好きを生んでいる。日本代表は遠征先のロッカールームをピカピカにする。アメリカ人は「聡怩キる人の仕事を奪う」と考える。が。今や日本人の地域聡怩フ習慣は、アメリカのコミュニティーに入っている。
・鈴木俊隆においては生きることすべて、悟りの道であり、宗教は生活の中にある。

(デイヴィッド・C・アサートン、専門は日本文学)
・ハーバード大を卒業すると、エリートとして遇される。サムライの生き方はエリートの生き方として共通点がある。リスクの取り方、利益の優先度の与え方、実利を得るには自分の地位をどの程度生かせばいいか、など。都度決断が求められる。
・上杉謙信と武田信玄は川中島の戦いで12年間、5回激闘している。そしてお互いを尊敬した。彼らの間には野心以上に、信義や公平性を重視するものがあった。信玄は勝頼に「自分が死んだら、謙信に助けを請い、この国を託せ」と遺言したという話があるらしい。
・武蔵守桐生輝勝は敵の首をとろうとしたが、それは野心というよりも、変態性欲のためであった(爆)。生首を洗う女性に興奮したとのこと。
・たそがれ清兵衛は武士の地位を重荷に感じ、清貧であった。一方、勝海舟の父親である小吉は、良いことにも、いかがわしい目的のためにも地位を利用した。
・ハーバート大の在校生、卒業生はエリートだが、清兵衛からも小吉からも学ぶことが出来るだろう。
・「武士道」という言葉は新渡戸稲造とともに。明治に武士という身分がなくなったが、以降日本人について考えるときに武士が再発見されていく。それを問う代表作が芥川龍之介の『忠義』と森鴎外の『阿部一族』。
・切腹は主君の許しがないと出来なかった。忠義は戦国時代から重視された。
・江戸の太平の世に武士論が出てくる。兵学者・山鹿素行の『武家事紀』。赤穂浪士に影響を与えたな。そして山本常朝の『葉隠』。この中で忠義が重んじられるようになる。明治国家は国民に忠義を要請した。
・日本の会社主義は江戸時代の藩への忠義由来。そして義理を大事にする。世間体を大事にする。
・判官贔屓は日本人に限らない。

(カレン・L・ソーンバー氏、専門は比較文学)
・日本社会を浮き彫りにする日本文学。カレン氏はまず、乃南アサの『凍える牙』を取り上げ、刑事司法制度と職場の男女格差の問題を指摘。次に多和田葉子の『ゴットハルト鉄道』と『文字移植』。国・文明・性などの既存の領域を超えた世界。介護の問題が何も進捗していないことを示す『恍惚の人』と『母の遺産--新聞小説』。医学部生に教えているとのこと。治療と癒やしの違い。
・現在は日本文学が世界中で最もよく読まれる時代。特に中国人は関心を寄せている。
・とはいえ。ソーンバー氏の『動的テクストの帝国』によると、19世紀後半から20世紀前半にかけて、日本文学がアジア諸国に与えた影響について詳述している。なので、影響の深甚さは昔のほうが大きかったのかも知れない。彼らは母国で日本文学を再構築した。
・例えば、『我が輩は猫である』に触発された魯迅の『阿Q』。政治的に対立していても、文化の世界では日中は親密であった。
・1960年代の韓国で人気を集めた『雪国』。戦争協力文学を強要された時代にあって、川端は政治などからかけ離れた世界を描いたという事情に、当時の韓国人は共感したと思われる。
・村上春樹は中韓で人気が高い。村上小説は読む者の共感を呼ぶ。「村上さんの頭脳と読者の頭脳がつながる『文学的インパクト』がある」(ジェイ・ルービン名誉教授)。世界的な普遍性がある。
・東野圭吾も人気がある。結末は巧妙で想像がつかない、とのこと。人々が信じている基準(正義)を疑わせる。
・日本ではやや無名だが、海外で有名な人もいる。例えば『コンビニ人間』の村田沙耶香。非正規雇用などの問題など。
・日本の小説の結末は曖昧なものが多い。それに触れることで、学生たちは「いつも読んでいる文学とは構造が違うことに気づく」とのこと。
・峠三吉や原民喜が原爆の惨禍を訴えた作品を出版したとき、「これは文学ではない」「被爆体験は文学のテーマになりえない」と批判されたとは驚き。「人間をかえせ」というのは、とてもこころを揺さぶられたものだがなあ。
コメント (3)
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