『戦後史の正体』(孫崎享著、創元社)
左右によらず、日帝自立論者はこの本を陰謀論、あるいはトンデモ本で片付けたいようだ。だが、読んでみて、それは無理だろうなと思った。というのは、特に就職して来てから聞いたさまざまな話と、特に平成以降一致するからだ。
そして戦後を彩った首相について、「ああ、こういう見方が出来るのだな」と、今までにない視点を提供してくれたことにも感謝したい。吉田茂については異論があるが。岸信介は戦前の設計主義的な官僚の立場によるであろう日本のグラウンドデザインを持ち続けていたことがわかった。それと先日の福田首相の理不尽な「投げ出し」にも大いに背景があることが分かった。
また、アメリカには様々な勢力の鬩ぎ合いがあり=民主国家なんだから当然だ=それの浮き沈みにより日本側の人物も浮き沈みしてきたことも分かる。それに引きづられる日本側の力量こそが本当は問われるべきことなんだろう。アメリカに怨恨を抱くことは恥ずかしいことなのでやってはいけない。確かにアメリカもえげつないが、それを可能にしているのも日本側なんだよね。
そして、かつては「フェア」を気取れたアメリカも、経済競争力がなくなり、双子の赤字に苦しんで以降、アンフェアかつ多面的にならざるを得ない国益を前面に押したて、日本から経済的「収奪」を行ない、今や軍事的にも没落しつつあるので「人的貢献=生命の差し出し=アメリカのための軍事大国化」を求めるに至っている。ちょっと前までの日本の保守政治家は戦争の悲惨を知っていたので、それだけは阻止していたが、今は要求は強まるばかりだ。そのためには、日本の官僚や政治家のトップは「馬鹿で軽いほうがいい」ということなのだろう。安倍ちゃんが返り咲こうとしているのは、多分そういうことだ。そして官僚バッシング・キャンペーンもそういうことだろう。官僚には京大・東大でも、特に優れた人材がなっているんですけどね。俺の眼が保証する。このままでは優秀な人材が日本のトップに就くことはますますなくなり、若者は海外へと雄飛していくことであろう。日本を見捨てて。(2012年12月15日、トンデモ改憲案を掲げる自民党が大勝すると予想される衆議院選挙直前。)
さて。かつて福沢諭吉は中国、朝鮮を悪友と言い、手を切れと言った。その悪友に今の米国は近いと思う。かつての枠組みを維持することに汲々とし、変わろうとする隣人の邪魔をするところなんかは、明治期の中朝とそっくりである。本当に米国を友達だと思うならば、毅然と言うべきことを言うべきではないか? 手を切る必要まではないとは思うが。
「はじめに」で、対米従属と対米自立の観点で執筆された本がないと書いている。本当かな? 共産党あたりからいっぱい出ていた気がする。まあいいや。この本はそういう視点で書かれている。アメリカにとって日本は「歩」になったり「飛車」になったり。だが決して、「玉(王)」とは扱わない。
序章は「なぜ「高校生でも読める」戦後の本を書くのか」と題して。防衛大学のとき、生徒を眠らせない授業を工夫した。多感な高校生に伝わるように、この大事なことを書いておきたい、ということか。筆者が日米関係(史)を真剣に学ぶようになったきっかけは、イラク戦争。アラブにもいた著者は参戦の危険を訴えたが、「少々無理な話でも、軍事面で協力するのが日本のためだ」と言われ、疑問を持って。また、駐イラン大使のとき、独自に石油確保のために動いたとき、アメリカが横槍を入れてきた経験もある。アザガデン油田の権益は中国に。そのときはチェイニー副大統領自ら動き、日本人関係者をャXトから締め出す。そういう裏工作は、日本人協力者、=なんと首相官邸からも=がいて行われる。(たとえば、CIAにャ_ンと呼ばれた正力松太郎。)よって、首相がアメリカの圧力に一番弱かったりする。元CIA長官、W.E.コルビーは言う。「軍事行動が許されるのなら、謀略くらい何だというのだ?」あけすけに語ったこのコルビーは、謎の水死を遂げる。を。終戦直後、天皇は言う「沖縄の軍事占領を無期限で継続してほしい」。おそらく話はそこから始まる。天皇制は、対米屈服と引き換えて維持されたのだ。「などて すめらは ひとと なりたまいき」(BY 三島由紀夫)
第一章は「「終戦」から占領へ」と題して。確認。日本は降伏した。正式な調印は九月二日、東京湾のミズーリ号で。日本人に敗北の意識を植え付けるイベント。真珠湾の奇襲をチャーチルは喜んだ。日本軍部は独伊と連携して英を降伏させ、米の戦争継続の意志を失わせるとか、厭戦気分を作るとか、観念論。敗北で自死する軍人。そんなことは謝罪にならない。降伏文書には
「日本はャcダム宣言実施のため、連合国最高司令官からの要求にすべてしたがう」
(p027) とある。最初の布告案は「公用語を英語」「通貨を米軍軍票」というもの。この無茶振りに対し、岡崎勝男・終戦連絡事務局長官が横浜に飛び、深夜に連絡を取り――高官を深夜にたたき起こすという捨て身の行為――、マーシャル少将に布告を延期してもらう。その後、重光葵外務大臣はマッカーサーと会見、布告を取り下げさせる。「ャcダム宣言には米軍が軍政をしくとは書いていない。日本政府の存在が前提であるはず」と原則論で説得。文字通り不退転の決意で。戦犯処罰に関して「口にするのもはばかれるこびへつらい」が横行。そんな中、幣原内閣発足、吉田茂外相に。ここの吉田評価はどうかなあ? アングロサクソン流リベラリズムの信奉者である吉田は、対米従属ではなく、本心からアメリカを支持していたんだろう。それをアメリカが利用したと思う。吉田は謀略のエキスパート、ウィロビーの所に通う。パンパン・サービスは略。従軍慰安婦の国(爆)。公職追放は一九万人。重光は米国になびく日本人を嘆く。そんな重光は時代に合わず、別の意味で追放される。この頃から日本は米国に間接統治される。戦争中、「天皇は処刑」という世論がアメリカで強かった。だが、利用価値があるので天皇制は存置。天皇は沖縄売渡、日米同盟推進をする。(さらに書けば、皇室一家はキリスト教徒だよ)。なお、米国は当初、日本人の生活レベルが朝鮮、ベトナム、インドネシアを上回ってはならないと考えていた。E・W・メ[レー・賠償委員会委員長は言う。
① 米国の賠償政策は、最小限の日本経済を維持するために必要でないすべてのものを、日本からとりのぞく方針である。
② 「最小限」という言葉は、日本が侵略した国々の生活水準よりも高くない水準を意味する。
(p060)
余談だが、スターリンがソ連国民向けに同じようなことを言ったと言って、反共主義者どもが反ソ宣伝でわめいていたが、アメリカ様は方針として考えていたのだ。
小生の母はアメリカが食糧不足の時代を知っていて、アメリカの「援助」のことを話していた。だが、それの何倍ものお金が「駐留経費」として使われていた。国家予算の二~三割である。吉田首相時代の石橋外相は考え難い経費まで計上されていることに抗議しようとして、追放された。その後、自らの地位保全のために米国追従を選ぶ政治家が殆どとなる。抵抗した人はスキャンダルをあおられて追放されるか、不審死を遂げる。そんな日本と対置して、著者はカナダのピアソンの逸話を挙げる。ベトナム戦争のトンキン湾事件を遠回しに批判したピアソンは、ジョンソンに逆切れされたが、毅然とした態度で批判を続けた。その態度をカナダ人は誇りに思っている、と。方や日本人は? 見てのとおり、対米従属こそ日本の唯一の国益と考える評論家がテレビや新聞の主要メディアを占め、そうじゃない人は素晴らしい分析をしていても、一般大衆の目に触れない(失礼)メディア、たとえば『論座』『情況』などで細々と身銭を切って書いているありさまである。カナダの外務省の建物は「ピアソン・ビル」と呼ばれている。日本国憲法は英語訳であるという情けない文章であることは、読めば明らか。チャンネル桜の河内屋さんが嘆いた通り。だが、それでも、右翼小児病の自民党改憲案よりははるかにマシだけどね。で、社会党・片山哲内閣。GHQがそれを許したのは、片山がキリスト教徒だったから。左派のGS(民政局)も応援。が、最左派の平野農相の罷免に追い込まれ、そして総辞職へ。これもGSの圧力。次いで外相だった芦田均内閣。ロシア革命を目撃した人。彼も対米自主派だったため、昭電疑獄で失脚。参謀第二局(G2)とそれと結びついた朝日新聞、読売新聞の追及による。なお、この疑獄は実刑判決ゼロであった。G2とGSは対立していた。日本の検察はGHQと関係が深く、特捜部は「隠匿退蔵物資事件捜査部」が源流。検察や特捜部はアメリカの利益を損なうと判断された政治家を告発することが、現在まで続く。(田中角栄、忠コ登、橋本龍太郎、小沢一郎)再び天皇。「沖縄に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借――二五年ないし五〇年、あるいはそれ以上――の擬制にもとづいてなされるべきだと考えている」(p087) これを元外交官の寺崎英成が一九七九年に米国の公文書館から拾い出したとき、黙殺されたとのこと。
第二章は「冷戦の始まり」と題して。一九四八年、米国は日本の経済力を反共防波堤に利用することにした。低水準では無理。米ソ冷戦を巣鴨プリズンで見通した男がいる。岸信介。鉄のカーテン、トルーマン・ドクトリン、マーシャルプランの動き。そしてドッジ・ライン、戦犯の釈放、約五〇〇万人が死んだ朝鮮戦争。北朝鮮は一九四九年一二月に米軍が南朝鮮からの撤退すると決めたことをつかみ、南侵したらしい。同じようなことはつい先年、イラクでもあった。ここで面白い外交官の「発言の仕方」。イランの外交官が、彼の調査の結論として原子力開発に疑問があるとする。だが、それを直接本国に言うと粛清される。どうするか。イラクの大使が「原子力開発に対して米国が軍事攻撃する可能性がある」と言っている、と、本国に伝えるのだ。さて。第二次世界大戦で破滅的な打撃を受けた日本だが、朝鮮戦争の特需で生き返った。なお、マッカーサーは日本の再軍備化に反対していたらしい。当時の日本、も。そんな状況で講和条約に向けた日米交渉が始まる。吉田首相は再軍備反対で、国務省政策顧問のダレスの再軍備化要請に反対する。そこで吉田はマッカーサーに泣きつくが、ほどなくマッカーサーはいなくなり、吉田は後ろ盾を失う。代わりに来たリッジウェイは、公職追放を緩める。そして鳩山一郎、石橋湛山、岸信介らが政治的権利を回復する。
第三章は「講和条約と日米安保条約」と題して。講和条約調印はサンフランシスコの華麗なオペラ・ハウスで行なわれたが、日米安保条約は下士官クラブという、格式の「低い」場所で調印された。調印順から、一番大事なのは行政協定(後の日米地位協定)、次に安保条約、そして平和条約(講和条約)。密約に基づいた、アメリカにフリーハンドを与えるための協定。この異常さは外交官であった寺崎次郎により指摘されるが、無視されている。これにより一応「戦前の軍部よりも占領時代のほうが自由がなかった」(by 江藤淳)「格子なき牢獄」(by 外務省の与謝野局長)占領時代は終了。信書が開封されていたという。憲兵でもしなかったことを。さらに大野勝巳は言う。
「日米安保体制を金科玉条として、万事アメリカにおうかがいをたてる、アメリカの顔色を見て態度を決めるという文字どおりの対米追随的態度は、日本人のなかにしっかりと定着したのである」
(p125)
それに立ち向かった政治家は失脚することをこれから見るであろう。
なお、占領期の検閲には、日本の知識人が協力したことは言うまでもない。財界、労働界も初期において米国に養成された。ま、鶏からアヒルになった気もするが。そうそう、ガイオア・エロア資金。でも、その何倍も駐留経費に。日本の米国学界は米国の寄付・援助で。中々米国を批判できないわけだ。米国がいろんな国の若者を招いて、米国の宣伝道具にしているのは有名な話だね。を。「この軍隊は、(略)日本国の安全に寄与するために使用することができる」(p145)だって。米国の意向によっては、日本が侵略されても米軍は守らないと読める。本土についてはそんなことをしないだろうけど。金づるを手放すはずがない。昭和天皇は、政治の根幹にかかわっていた。重光は一年半後の五七年一月、好物のすき焼きとモチを食べた夜に苦しみだし、急死した。鳩山一郎と言えば、日ソ国交回復。これなくして日本は国連に加盟できなかった。広く知られるように、北方領土はソ連参戦についての米国が与えた餌である。サンフランシスコ講和条約にも、「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」と書いている。そこには択捉も国後も入っているが、歯舞、色丹は別。それなのに、ダレスは「日本が国後、択捉をソ連に渡したら、沖縄をアメリカの領土にする」と圧力を鰍ッる。何たるご都合主義! それが米国の「プラグマティズム」なんだろう。アングロサクソンは、後々のパワーゲームのため、世界中に火種をばらまく。イスラエルを含むアラブしかり、インド・パキスタン、バングラディッシュしかり。二枚舌、曖昧さで撒いておくのだ。駐〟A尖閣なども。で、北方領土ではフルシチョフが一旦二島返還に同意するが、潰れる。その前、一九五四年三月一日、ビキニ環礁で第五福竜丸事件が起こる。米国は秘密主義で情報を与えず、犠牲者にもまともな賠償をしない。米国への批判が当然高まる。そのとき、ャ_ム=正力松太郎が動く。ャ_ムの懐刀、柴田秀利は「毒をもって毒を制せよ、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ、明日に希望を与えよ」と言う。こうして「原子力平和利用使節団」が出来た。中曽根康弘もその流れにのってのし上がっていったのは有名な話。
第四章は「保守合同と安保改定」と題して。
一九五五年に保守合同、石橋湛山内閣。米国の言いなりにならない、として、駐留経費、日中問題という虎の尾を踏む。すると、何故か原因不明の体重減で首相退任。そして岸信介が首相に。これは米国の思惑通りだったが、石橋時代に外務大臣だった岸もまた言いなりにならない思いを持っていた。安保改訂、行政協定改定に乗り出す。再軍備、改憲を射程に。岸はCIAからお金をもらっていたが、そこはドイツからお金をもらっていたレーニンと同じ思いだったのではないか?「お金に色も匂いもない」と。興味深いのはアイゼンハワーと岸が、ゴルフクラブハウスで裸でシャワーを浴びて話し合ったこと。NYYとCWSの始球式を実施。岸はアイゼンハワーと親密な関係にあった。なお、安保改訂では国連主義を掲げていた。そして米軍陸上部隊の速やかな削減。これらは米国にとっては手を縛られることになる。その頃、左翼から見た岸内閣は、日米安保改訂により、再軍備・改憲をすると見立てており、安保改訂に反対していた。純粋な憂国の至情からである。激化する闘争を指導していたのは全学連。だが、彼らに大量のお金が渡った。元共産党の田中清玄を通じ、財界(主として経済同友会)から闘争資金が出ていた。爆発的な闘争は樺美智子の死という事態を生み、全学連の国会突入方針が伝えられる中、あれだけ闘争を煽っていた新聞(七社)が声明を出すことにより、総評などが矛を収めて収束する。岸退陣の目途が付いた時点での収束であった。安保反対の論陣も運動も押しやられ、安保反対の論陣を張った記者は左遷された。さて。岸の考えは新安保にどのように反映されたか。「国連の目的」という枠が入った。「相手からの攻撃」「日本の施策下にあるところ」「憲法の規定、手続き」という文言が入った。これにより米軍は日本を守る義務を有することとなる。ただ、後者は今、集団的自衛権という名前で、世界展開される危険に晒されている。岸は政経分離で中国との貿易を推進した。安保などの岸の動きを見、CIAは岸の切り捨てを決断、池田内閣となる。
第五章は「自民党と経済成長の時代」と題して。
所得倍増計画。おっと。現在の状況について、ライシャワーの補佐官、パッカードの発言が面白い。「今日の普天間問題では、海兵隊の論理が国防省の論理となり、国防省の論理がホワイトハウスの論理になっています。」(p224)だって。これじゃあ、関東軍@、軍%煌tじゃないか! シビリアンコントロールがアメリカでも機能していないのか? 東京オリンピックのエピソードも面白い。これは魚本藤吉郎氏による。米軍代々木キャンプを見て、世界中から集まる人々が『なぜ米軍が東京の中心に居すわっているのだ』と思うから、選手村が朝霞から代々木に移ったとのこと。文部省の頭ごなしにライシャワー大使に働きかけて。ライシャワーは良きアメリカ人らしいフェアネスを大事にし、日本という第二の故郷――白金台生まれ――を大事に考えた。かつては対日石油禁輸政策に反対。ライシャワーはケネディーに沖縄返還を提言する。これも「虎の尾」の問題だ。日本側は非常に慎重だったが、佐藤栄作が首相時代にようやく要求する気になったが、ライシャワーの根回しがあってこそであった。米国は安保騒動の盛り上がりに(別の意味で)驚き、左派との接触も大事と考える。社会党はCIAの金で遊学もしていたらしい。西尾末広にも金が流れていた。後の総評解体・連合結成につながる。で、池田は外交では米国追従ではあるが、経済成長のためには自主路線を採る。日中貿易拡大(LT貿易)。米国は不快感を表明。池田は癌にかかり、退陣して佐藤栄作首相。ジョンソン大統領は、ベトナム戦争に消極的なところが不満。"Show the flag"。佐藤は撥ねつけるだけではなく、「核保有国は、非保有国を攻撃しない義務を負うべきだ」と主張。当時の下田外務次官は日本は核の傘に入っていないと考えた。そして、核保有国の軍縮義務を日本は訴えた。そんな気概が、一九六五年ころの外務省にはあった。さて、その佐藤は一九六五年に沖縄を訪問し、「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、戦後が終わらない」と訴える。核抜き、本土並みを決断。ニクソン大統領の時代の一九六九年、NSCは「日本の要求を拒めば、琉球列島と日本本土の双方で基地を全く失う」かも知れないと報告。そう、日米同盟には軍事が入ると米国はいい、それを飲まないと「安全保障について理解がない」と恫喝する。それは、今も続いていることだ。鳩山由紀夫はこれでやられた。米国は冷戦末期に、日本の海軍力を使おうとした。P3Cを買わせてオホーツク海のソ連原潜の動きを探らせる。口実はシーレーン。だがこれは、核戦争に日本を巻き込むことになる。そして、戦後最大の売国奴、中曽根康弘の登場。ロン=ヤスだね。不沈空母。米国の経済は「ダメリカ」の名前が相応しいレベルになっていた。だが、米国はそうは考えず、「日本の企業が不正をしている」と考える。日米貿易摩擦。自動車、半導体。「日本は米国の半導体を二〇%以上買え」と約束。これは自由貿易ではない。三〇一条で関税一〇〇%に。思うに、TPPを最初に反故にするのは、米国じゃないか、という予感がしている。プラザ合意で円高に。だけどなあ。これはアメリカの謀略じゃなく、経済運動の必然なんじゃないの? 「誰も幸せにならない国、日本」の問題だと思う。一部の大企業ばっかり儲かり、庶民には余りお金回ってこない構造ってのは、ずっとある。これでは円が過剰に強くなるのが法則だ。で、やっぱりダメリカはダメリカなので、日本の輸出が減っても、他の国に市場を席巻されました、とさ。BIS規制もあったね。バブル時代と言えば忠コ首相。軍事に消極的。で、リクルート疑惑。
第六章は「冷戦終結と米国の変容」と題して。
ソ連崩壊の時代、経済戦争において、米国の最大の敵は日本と認識された。それでもダメリカは軍需を捨てず、「ならず者国家」を言い立てる。日本の経済力を二重の意味で利用しようとする。軍事同盟を強めて軍事費を使わせることと、アメリカの軍事費を負担させること。湾岸戦争では、日本は一三〇億ドル出したのは有名。で、PKO法案で海外派兵が可能になった。時の首相は宮沢喜一。「金は出したが人は出さなかった」と世界から非難された、と、アマコストに使嗾された米国のャ`が宣伝していたことを覚えている人も多いだろう。クウェートが謝意を示さなかった、とか。あれは単なるミステークで、その後クウェートは切手の発行や戦争記念館などで謝意を示しているそうな。リクルート事件の影響もあり、三八年ぶりに非自民政権が出来、細川首相に。畠山蕃(しげる)防衛次官をブレーンに、「多角的安全保障」を掲げる。で、佐川急便事件で失脚。畠山氏は癌で死亡。さて、経済分野でもCIAが暗躍し出す。表の交渉ではとにかく「規制緩和」を米国は訴え、米国企業の市場参入を図る。金融商品、端的には保険のためのTPPというのは、この流れから明らかだ。農業はダミー。(牛肉オレンジで、日本の農業のその分野は壊滅したか?)で、PKO。海外派兵について国民の抵抗感がなくなった頃、米国の軍事的野望のために自衛隊を使うという戦略。そして集団的自衛権。橋龍の時代にこの動きは強まったが、橋龍は「米国債を売りたいという誘惑に駆られた」と発言してニューヨーク株価が下落したこともあり、警戒されていた。そういや、橋龍も急に死んだよなあ。その時代、米国はモニカ・・・じゃない、クリントン。スキャンダルにまみれ、共和党にイラク攻撃を攻撃するよう圧力を受けていた。橋龍は長野オリンピックの期間中の攻撃自粛を求めた。これにクリントンは激怒。クリントンは日本への関心を失っていく(別にいいじゃん!)。最後の森首相は「サメの脳みそ」と言われ、トップ同士の会談は出来ない始末であった。
第七章は「9・11とイラク戦争後の世界」と題して。
圧涛I人気をもって登場した小泉内閣。彼は、祖父の代からの懸案である北朝鮮との国交回復を望んだ。だが、それはブッシュの米国の戦略と対立するものであった。ヤクザの血を引く小泉はリアリストであり、どのような恫喝を受けたかは知らないが、金正日との会談以降、米国の言うことを何でも聞くようになる。でたらめ極まる国会答弁。そして、でたらめ極まる言説を垂れ流す小泉応援団。あのおぞましさを小生は忘れることができない。
たとえ正論でも、群れから離れて論陣を張れば干される。大きくまちがっていても群れのなかで論をのべていれば、つねに主流を歩める。そして群れのなかにいさえすれば、いくらまちがった発言をしても、あとで検証されることはない。これが日本の言論界です。
(p340)
思い起こすのは原子力ムラのこと。そして、左右関係なしのこと。例えば、日本共産党中央委員会の見解と異なる見解の本を編集した人は、地方に飛ばされた(笑、●窒ウんだ)。ただ、ネット社会で変わりつつあるようにも思う。
そして小泉は「自衛隊のいる地域が、非戦闘地域である」というわけの分からないことを言い出す。米国が非民主的と認定した国家に、米国が軍事攻撃をする権利はある、という米国の「戦略」に日本は組み込まれる。ウェストファリア条約無視のお先棒担ぎ。そして、鋳?ス蔵路線による「なんでも民営化、外資ウェルカム」路線。市場原理主義。弱者切り捨ての国家の役割の放棄。日本の国富の多くは米国債だが、広く知られるようにこれを売ることはできない。これらの延長上にTPPはある。これは、日本型社会主義と呼ばれた、「社会党がトスを上げ、自民党が打つ」分配社会の終焉となった。
その後、安倍首相が腹痛でやめ、次いで福田康夫首相に。ウィキリークスによれば、福田はアフガンに大型派兵をするように求めていた。二兆円規模の資金援助も。さらに、リーマンショック予防のために、ファニーメイなどの二社に数兆円を注入=どぶに捨てる ように福田は要求された。この二つを阻止するために、首相を辞めたのではないか、とのこと。
二〇〇九年の民主党の圧涛I勝利は記憶に新しい。鳩山は「日中関係改善(東アジア共同体)」と「普天間県外移転」を打ち出す。米国の虎の尾を二つ踏んだ。旧自民党独特の人脈があるはずだが、それは機能せず。米国にクルクルパー(ルーピー)呼ばわり。どんだけ、国益じゃなく、米益のために犬馬の労を取る日本人がいるのだ、という話。それにしても中国も中国だ。あちらにも米益のために動く人間がいて、呼応しているのだと小生は思う。
で。最初に触れたが、日本側の情けなさを思わせる本であった。米国は、あくまでも自分たちの欲望に忠実であり、それを非難することはできない。原則論でタフな外交を、多方面に行う力を得てこそ、日本は尊敬される国家になるであろう。そのためには、恐らくは本当の意味でのエリート教育を復活させなければならないだろうが、さてどうやるべきか。旧制高校の復活とか、『国家』(by プラトン)に依拠した制度とか。まあ、左右両方から攻撃されそうだな(爆)。
左右によらず、日帝自立論者はこの本を陰謀論、あるいはトンデモ本で片付けたいようだ。だが、読んでみて、それは無理だろうなと思った。というのは、特に就職して来てから聞いたさまざまな話と、特に平成以降一致するからだ。
そして戦後を彩った首相について、「ああ、こういう見方が出来るのだな」と、今までにない視点を提供してくれたことにも感謝したい。吉田茂については異論があるが。岸信介は戦前の設計主義的な官僚の立場によるであろう日本のグラウンドデザインを持ち続けていたことがわかった。それと先日の福田首相の理不尽な「投げ出し」にも大いに背景があることが分かった。
また、アメリカには様々な勢力の鬩ぎ合いがあり=民主国家なんだから当然だ=それの浮き沈みにより日本側の人物も浮き沈みしてきたことも分かる。それに引きづられる日本側の力量こそが本当は問われるべきことなんだろう。アメリカに怨恨を抱くことは恥ずかしいことなのでやってはいけない。確かにアメリカもえげつないが、それを可能にしているのも日本側なんだよね。
そして、かつては「フェア」を気取れたアメリカも、経済競争力がなくなり、双子の赤字に苦しんで以降、アンフェアかつ多面的にならざるを得ない国益を前面に押したて、日本から経済的「収奪」を行ない、今や軍事的にも没落しつつあるので「人的貢献=生命の差し出し=アメリカのための軍事大国化」を求めるに至っている。ちょっと前までの日本の保守政治家は戦争の悲惨を知っていたので、それだけは阻止していたが、今は要求は強まるばかりだ。そのためには、日本の官僚や政治家のトップは「馬鹿で軽いほうがいい」ということなのだろう。安倍ちゃんが返り咲こうとしているのは、多分そういうことだ。そして官僚バッシング・キャンペーンもそういうことだろう。官僚には京大・東大でも、特に優れた人材がなっているんですけどね。俺の眼が保証する。このままでは優秀な人材が日本のトップに就くことはますますなくなり、若者は海外へと雄飛していくことであろう。日本を見捨てて。(2012年12月15日、トンデモ改憲案を掲げる自民党が大勝すると予想される衆議院選挙直前。)
さて。かつて福沢諭吉は中国、朝鮮を悪友と言い、手を切れと言った。その悪友に今の米国は近いと思う。かつての枠組みを維持することに汲々とし、変わろうとする隣人の邪魔をするところなんかは、明治期の中朝とそっくりである。本当に米国を友達だと思うならば、毅然と言うべきことを言うべきではないか? 手を切る必要まではないとは思うが。
「はじめに」で、対米従属と対米自立の観点で執筆された本がないと書いている。本当かな? 共産党あたりからいっぱい出ていた気がする。まあいいや。この本はそういう視点で書かれている。アメリカにとって日本は「歩」になったり「飛車」になったり。だが決して、「玉(王)」とは扱わない。
序章は「なぜ「高校生でも読める」戦後の本を書くのか」と題して。防衛大学のとき、生徒を眠らせない授業を工夫した。多感な高校生に伝わるように、この大事なことを書いておきたい、ということか。筆者が日米関係(史)を真剣に学ぶようになったきっかけは、イラク戦争。アラブにもいた著者は参戦の危険を訴えたが、「少々無理な話でも、軍事面で協力するのが日本のためだ」と言われ、疑問を持って。また、駐イラン大使のとき、独自に石油確保のために動いたとき、アメリカが横槍を入れてきた経験もある。アザガデン油田の権益は中国に。そのときはチェイニー副大統領自ら動き、日本人関係者をャXトから締め出す。そういう裏工作は、日本人協力者、=なんと首相官邸からも=がいて行われる。(たとえば、CIAにャ_ンと呼ばれた正力松太郎。)よって、首相がアメリカの圧力に一番弱かったりする。元CIA長官、W.E.コルビーは言う。「軍事行動が許されるのなら、謀略くらい何だというのだ?」あけすけに語ったこのコルビーは、謎の水死を遂げる。を。終戦直後、天皇は言う「沖縄の軍事占領を無期限で継続してほしい」。おそらく話はそこから始まる。天皇制は、対米屈服と引き換えて維持されたのだ。「などて すめらは ひとと なりたまいき」(BY 三島由紀夫)
第一章は「「終戦」から占領へ」と題して。確認。日本は降伏した。正式な調印は九月二日、東京湾のミズーリ号で。日本人に敗北の意識を植え付けるイベント。真珠湾の奇襲をチャーチルは喜んだ。日本軍部は独伊と連携して英を降伏させ、米の戦争継続の意志を失わせるとか、厭戦気分を作るとか、観念論。敗北で自死する軍人。そんなことは謝罪にならない。降伏文書には
「日本はャcダム宣言実施のため、連合国最高司令官からの要求にすべてしたがう」
(p027) とある。最初の布告案は「公用語を英語」「通貨を米軍軍票」というもの。この無茶振りに対し、岡崎勝男・終戦連絡事務局長官が横浜に飛び、深夜に連絡を取り――高官を深夜にたたき起こすという捨て身の行為――、マーシャル少将に布告を延期してもらう。その後、重光葵外務大臣はマッカーサーと会見、布告を取り下げさせる。「ャcダム宣言には米軍が軍政をしくとは書いていない。日本政府の存在が前提であるはず」と原則論で説得。文字通り不退転の決意で。戦犯処罰に関して「口にするのもはばかれるこびへつらい」が横行。そんな中、幣原内閣発足、吉田茂外相に。ここの吉田評価はどうかなあ? アングロサクソン流リベラリズムの信奉者である吉田は、対米従属ではなく、本心からアメリカを支持していたんだろう。それをアメリカが利用したと思う。吉田は謀略のエキスパート、ウィロビーの所に通う。パンパン・サービスは略。従軍慰安婦の国(爆)。公職追放は一九万人。重光は米国になびく日本人を嘆く。そんな重光は時代に合わず、別の意味で追放される。この頃から日本は米国に間接統治される。戦争中、「天皇は処刑」という世論がアメリカで強かった。だが、利用価値があるので天皇制は存置。天皇は沖縄売渡、日米同盟推進をする。(さらに書けば、皇室一家はキリスト教徒だよ)。なお、米国は当初、日本人の生活レベルが朝鮮、ベトナム、インドネシアを上回ってはならないと考えていた。E・W・メ[レー・賠償委員会委員長は言う。
① 米国の賠償政策は、最小限の日本経済を維持するために必要でないすべてのものを、日本からとりのぞく方針である。
② 「最小限」という言葉は、日本が侵略した国々の生活水準よりも高くない水準を意味する。
(p060)
余談だが、スターリンがソ連国民向けに同じようなことを言ったと言って、反共主義者どもが反ソ宣伝でわめいていたが、アメリカ様は方針として考えていたのだ。
小生の母はアメリカが食糧不足の時代を知っていて、アメリカの「援助」のことを話していた。だが、それの何倍ものお金が「駐留経費」として使われていた。国家予算の二~三割である。吉田首相時代の石橋外相は考え難い経費まで計上されていることに抗議しようとして、追放された。その後、自らの地位保全のために米国追従を選ぶ政治家が殆どとなる。抵抗した人はスキャンダルをあおられて追放されるか、不審死を遂げる。そんな日本と対置して、著者はカナダのピアソンの逸話を挙げる。ベトナム戦争のトンキン湾事件を遠回しに批判したピアソンは、ジョンソンに逆切れされたが、毅然とした態度で批判を続けた。その態度をカナダ人は誇りに思っている、と。方や日本人は? 見てのとおり、対米従属こそ日本の唯一の国益と考える評論家がテレビや新聞の主要メディアを占め、そうじゃない人は素晴らしい分析をしていても、一般大衆の目に触れない(失礼)メディア、たとえば『論座』『情況』などで細々と身銭を切って書いているありさまである。カナダの外務省の建物は「ピアソン・ビル」と呼ばれている。日本国憲法は英語訳であるという情けない文章であることは、読めば明らか。チャンネル桜の河内屋さんが嘆いた通り。だが、それでも、右翼小児病の自民党改憲案よりははるかにマシだけどね。で、社会党・片山哲内閣。GHQがそれを許したのは、片山がキリスト教徒だったから。左派のGS(民政局)も応援。が、最左派の平野農相の罷免に追い込まれ、そして総辞職へ。これもGSの圧力。次いで外相だった芦田均内閣。ロシア革命を目撃した人。彼も対米自主派だったため、昭電疑獄で失脚。参謀第二局(G2)とそれと結びついた朝日新聞、読売新聞の追及による。なお、この疑獄は実刑判決ゼロであった。G2とGSは対立していた。日本の検察はGHQと関係が深く、特捜部は「隠匿退蔵物資事件捜査部」が源流。検察や特捜部はアメリカの利益を損なうと判断された政治家を告発することが、現在まで続く。(田中角栄、忠コ登、橋本龍太郎、小沢一郎)再び天皇。「沖縄に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借――二五年ないし五〇年、あるいはそれ以上――の擬制にもとづいてなされるべきだと考えている」(p087) これを元外交官の寺崎英成が一九七九年に米国の公文書館から拾い出したとき、黙殺されたとのこと。
第二章は「冷戦の始まり」と題して。一九四八年、米国は日本の経済力を反共防波堤に利用することにした。低水準では無理。米ソ冷戦を巣鴨プリズンで見通した男がいる。岸信介。鉄のカーテン、トルーマン・ドクトリン、マーシャルプランの動き。そしてドッジ・ライン、戦犯の釈放、約五〇〇万人が死んだ朝鮮戦争。北朝鮮は一九四九年一二月に米軍が南朝鮮からの撤退すると決めたことをつかみ、南侵したらしい。同じようなことはつい先年、イラクでもあった。ここで面白い外交官の「発言の仕方」。イランの外交官が、彼の調査の結論として原子力開発に疑問があるとする。だが、それを直接本国に言うと粛清される。どうするか。イラクの大使が「原子力開発に対して米国が軍事攻撃する可能性がある」と言っている、と、本国に伝えるのだ。さて。第二次世界大戦で破滅的な打撃を受けた日本だが、朝鮮戦争の特需で生き返った。なお、マッカーサーは日本の再軍備化に反対していたらしい。当時の日本、も。そんな状況で講和条約に向けた日米交渉が始まる。吉田首相は再軍備反対で、国務省政策顧問のダレスの再軍備化要請に反対する。そこで吉田はマッカーサーに泣きつくが、ほどなくマッカーサーはいなくなり、吉田は後ろ盾を失う。代わりに来たリッジウェイは、公職追放を緩める。そして鳩山一郎、石橋湛山、岸信介らが政治的権利を回復する。
第三章は「講和条約と日米安保条約」と題して。講和条約調印はサンフランシスコの華麗なオペラ・ハウスで行なわれたが、日米安保条約は下士官クラブという、格式の「低い」場所で調印された。調印順から、一番大事なのは行政協定(後の日米地位協定)、次に安保条約、そして平和条約(講和条約)。密約に基づいた、アメリカにフリーハンドを与えるための協定。この異常さは外交官であった寺崎次郎により指摘されるが、無視されている。これにより一応「戦前の軍部よりも占領時代のほうが自由がなかった」(by 江藤淳)「格子なき牢獄」(by 外務省の与謝野局長)占領時代は終了。信書が開封されていたという。憲兵でもしなかったことを。さらに大野勝巳は言う。
「日米安保体制を金科玉条として、万事アメリカにおうかがいをたてる、アメリカの顔色を見て態度を決めるという文字どおりの対米追随的態度は、日本人のなかにしっかりと定着したのである」
(p125)
それに立ち向かった政治家は失脚することをこれから見るであろう。
なお、占領期の検閲には、日本の知識人が協力したことは言うまでもない。財界、労働界も初期において米国に養成された。ま、鶏からアヒルになった気もするが。そうそう、ガイオア・エロア資金。でも、その何倍も駐留経費に。日本の米国学界は米国の寄付・援助で。中々米国を批判できないわけだ。米国がいろんな国の若者を招いて、米国の宣伝道具にしているのは有名な話だね。を。「この軍隊は、(略)日本国の安全に寄与するために使用することができる」(p145)だって。米国の意向によっては、日本が侵略されても米軍は守らないと読める。本土についてはそんなことをしないだろうけど。金づるを手放すはずがない。昭和天皇は、政治の根幹にかかわっていた。重光は一年半後の五七年一月、好物のすき焼きとモチを食べた夜に苦しみだし、急死した。鳩山一郎と言えば、日ソ国交回復。これなくして日本は国連に加盟できなかった。広く知られるように、北方領土はソ連参戦についての米国が与えた餌である。サンフランシスコ講和条約にも、「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」と書いている。そこには択捉も国後も入っているが、歯舞、色丹は別。それなのに、ダレスは「日本が国後、択捉をソ連に渡したら、沖縄をアメリカの領土にする」と圧力を鰍ッる。何たるご都合主義! それが米国の「プラグマティズム」なんだろう。アングロサクソンは、後々のパワーゲームのため、世界中に火種をばらまく。イスラエルを含むアラブしかり、インド・パキスタン、バングラディッシュしかり。二枚舌、曖昧さで撒いておくのだ。駐〟A尖閣なども。で、北方領土ではフルシチョフが一旦二島返還に同意するが、潰れる。その前、一九五四年三月一日、ビキニ環礁で第五福竜丸事件が起こる。米国は秘密主義で情報を与えず、犠牲者にもまともな賠償をしない。米国への批判が当然高まる。そのとき、ャ_ム=正力松太郎が動く。ャ_ムの懐刀、柴田秀利は「毒をもって毒を制せよ、原子力の平和利用を大々的に謳い上げ、明日に希望を与えよ」と言う。こうして「原子力平和利用使節団」が出来た。中曽根康弘もその流れにのってのし上がっていったのは有名な話。
第四章は「保守合同と安保改定」と題して。
一九五五年に保守合同、石橋湛山内閣。米国の言いなりにならない、として、駐留経費、日中問題という虎の尾を踏む。すると、何故か原因不明の体重減で首相退任。そして岸信介が首相に。これは米国の思惑通りだったが、石橋時代に外務大臣だった岸もまた言いなりにならない思いを持っていた。安保改訂、行政協定改定に乗り出す。再軍備、改憲を射程に。岸はCIAからお金をもらっていたが、そこはドイツからお金をもらっていたレーニンと同じ思いだったのではないか?「お金に色も匂いもない」と。興味深いのはアイゼンハワーと岸が、ゴルフクラブハウスで裸でシャワーを浴びて話し合ったこと。NYYとCWSの始球式を実施。岸はアイゼンハワーと親密な関係にあった。なお、安保改訂では国連主義を掲げていた。そして米軍陸上部隊の速やかな削減。これらは米国にとっては手を縛られることになる。その頃、左翼から見た岸内閣は、日米安保改訂により、再軍備・改憲をすると見立てており、安保改訂に反対していた。純粋な憂国の至情からである。激化する闘争を指導していたのは全学連。だが、彼らに大量のお金が渡った。元共産党の田中清玄を通じ、財界(主として経済同友会)から闘争資金が出ていた。爆発的な闘争は樺美智子の死という事態を生み、全学連の国会突入方針が伝えられる中、あれだけ闘争を煽っていた新聞(七社)が声明を出すことにより、総評などが矛を収めて収束する。岸退陣の目途が付いた時点での収束であった。安保反対の論陣も運動も押しやられ、安保反対の論陣を張った記者は左遷された。さて。岸の考えは新安保にどのように反映されたか。「国連の目的」という枠が入った。「相手からの攻撃」「日本の施策下にあるところ」「憲法の規定、手続き」という文言が入った。これにより米軍は日本を守る義務を有することとなる。ただ、後者は今、集団的自衛権という名前で、世界展開される危険に晒されている。岸は政経分離で中国との貿易を推進した。安保などの岸の動きを見、CIAは岸の切り捨てを決断、池田内閣となる。
第五章は「自民党と経済成長の時代」と題して。
所得倍増計画。おっと。現在の状況について、ライシャワーの補佐官、パッカードの発言が面白い。「今日の普天間問題では、海兵隊の論理が国防省の論理となり、国防省の論理がホワイトハウスの論理になっています。」(p224)だって。これじゃあ、関東軍@、軍%煌tじゃないか! シビリアンコントロールがアメリカでも機能していないのか? 東京オリンピックのエピソードも面白い。これは魚本藤吉郎氏による。米軍代々木キャンプを見て、世界中から集まる人々が『なぜ米軍が東京の中心に居すわっているのだ』と思うから、選手村が朝霞から代々木に移ったとのこと。文部省の頭ごなしにライシャワー大使に働きかけて。ライシャワーは良きアメリカ人らしいフェアネスを大事にし、日本という第二の故郷――白金台生まれ――を大事に考えた。かつては対日石油禁輸政策に反対。ライシャワーはケネディーに沖縄返還を提言する。これも「虎の尾」の問題だ。日本側は非常に慎重だったが、佐藤栄作が首相時代にようやく要求する気になったが、ライシャワーの根回しがあってこそであった。米国は安保騒動の盛り上がりに(別の意味で)驚き、左派との接触も大事と考える。社会党はCIAの金で遊学もしていたらしい。西尾末広にも金が流れていた。後の総評解体・連合結成につながる。で、池田は外交では米国追従ではあるが、経済成長のためには自主路線を採る。日中貿易拡大(LT貿易)。米国は不快感を表明。池田は癌にかかり、退陣して佐藤栄作首相。ジョンソン大統領は、ベトナム戦争に消極的なところが不満。"Show the flag"。佐藤は撥ねつけるだけではなく、「核保有国は、非保有国を攻撃しない義務を負うべきだ」と主張。当時の下田外務次官は日本は核の傘に入っていないと考えた。そして、核保有国の軍縮義務を日本は訴えた。そんな気概が、一九六五年ころの外務省にはあった。さて、その佐藤は一九六五年に沖縄を訪問し、「沖縄の祖国復帰が実現しないかぎり、戦後が終わらない」と訴える。核抜き、本土並みを決断。ニクソン大統領の時代の一九六九年、NSCは「日本の要求を拒めば、琉球列島と日本本土の双方で基地を全く失う」かも知れないと報告。そう、日米同盟には軍事が入ると米国はいい、それを飲まないと「安全保障について理解がない」と恫喝する。それは、今も続いていることだ。鳩山由紀夫はこれでやられた。米国は冷戦末期に、日本の海軍力を使おうとした。P3Cを買わせてオホーツク海のソ連原潜の動きを探らせる。口実はシーレーン。だがこれは、核戦争に日本を巻き込むことになる。そして、戦後最大の売国奴、中曽根康弘の登場。ロン=ヤスだね。不沈空母。米国の経済は「ダメリカ」の名前が相応しいレベルになっていた。だが、米国はそうは考えず、「日本の企業が不正をしている」と考える。日米貿易摩擦。自動車、半導体。「日本は米国の半導体を二〇%以上買え」と約束。これは自由貿易ではない。三〇一条で関税一〇〇%に。思うに、TPPを最初に反故にするのは、米国じゃないか、という予感がしている。プラザ合意で円高に。だけどなあ。これはアメリカの謀略じゃなく、経済運動の必然なんじゃないの? 「誰も幸せにならない国、日本」の問題だと思う。一部の大企業ばっかり儲かり、庶民には余りお金回ってこない構造ってのは、ずっとある。これでは円が過剰に強くなるのが法則だ。で、やっぱりダメリカはダメリカなので、日本の輸出が減っても、他の国に市場を席巻されました、とさ。BIS規制もあったね。バブル時代と言えば忠コ首相。軍事に消極的。で、リクルート疑惑。
第六章は「冷戦終結と米国の変容」と題して。
ソ連崩壊の時代、経済戦争において、米国の最大の敵は日本と認識された。それでもダメリカは軍需を捨てず、「ならず者国家」を言い立てる。日本の経済力を二重の意味で利用しようとする。軍事同盟を強めて軍事費を使わせることと、アメリカの軍事費を負担させること。湾岸戦争では、日本は一三〇億ドル出したのは有名。で、PKO法案で海外派兵が可能になった。時の首相は宮沢喜一。「金は出したが人は出さなかった」と世界から非難された、と、アマコストに使嗾された米国のャ`が宣伝していたことを覚えている人も多いだろう。クウェートが謝意を示さなかった、とか。あれは単なるミステークで、その後クウェートは切手の発行や戦争記念館などで謝意を示しているそうな。リクルート事件の影響もあり、三八年ぶりに非自民政権が出来、細川首相に。畠山蕃(しげる)防衛次官をブレーンに、「多角的安全保障」を掲げる。で、佐川急便事件で失脚。畠山氏は癌で死亡。さて、経済分野でもCIAが暗躍し出す。表の交渉ではとにかく「規制緩和」を米国は訴え、米国企業の市場参入を図る。金融商品、端的には保険のためのTPPというのは、この流れから明らかだ。農業はダミー。(牛肉オレンジで、日本の農業のその分野は壊滅したか?)で、PKO。海外派兵について国民の抵抗感がなくなった頃、米国の軍事的野望のために自衛隊を使うという戦略。そして集団的自衛権。橋龍の時代にこの動きは強まったが、橋龍は「米国債を売りたいという誘惑に駆られた」と発言してニューヨーク株価が下落したこともあり、警戒されていた。そういや、橋龍も急に死んだよなあ。その時代、米国はモニカ・・・じゃない、クリントン。スキャンダルにまみれ、共和党にイラク攻撃を攻撃するよう圧力を受けていた。橋龍は長野オリンピックの期間中の攻撃自粛を求めた。これにクリントンは激怒。クリントンは日本への関心を失っていく(別にいいじゃん!)。最後の森首相は「サメの脳みそ」と言われ、トップ同士の会談は出来ない始末であった。
第七章は「9・11とイラク戦争後の世界」と題して。
圧涛I人気をもって登場した小泉内閣。彼は、祖父の代からの懸案である北朝鮮との国交回復を望んだ。だが、それはブッシュの米国の戦略と対立するものであった。ヤクザの血を引く小泉はリアリストであり、どのような恫喝を受けたかは知らないが、金正日との会談以降、米国の言うことを何でも聞くようになる。でたらめ極まる国会答弁。そして、でたらめ極まる言説を垂れ流す小泉応援団。あのおぞましさを小生は忘れることができない。
たとえ正論でも、群れから離れて論陣を張れば干される。大きくまちがっていても群れのなかで論をのべていれば、つねに主流を歩める。そして群れのなかにいさえすれば、いくらまちがった発言をしても、あとで検証されることはない。これが日本の言論界です。
(p340)
思い起こすのは原子力ムラのこと。そして、左右関係なしのこと。例えば、日本共産党中央委員会の見解と異なる見解の本を編集した人は、地方に飛ばされた(笑、●窒ウんだ)。ただ、ネット社会で変わりつつあるようにも思う。
そして小泉は「自衛隊のいる地域が、非戦闘地域である」というわけの分からないことを言い出す。米国が非民主的と認定した国家に、米国が軍事攻撃をする権利はある、という米国の「戦略」に日本は組み込まれる。ウェストファリア条約無視のお先棒担ぎ。そして、鋳?ス蔵路線による「なんでも民営化、外資ウェルカム」路線。市場原理主義。弱者切り捨ての国家の役割の放棄。日本の国富の多くは米国債だが、広く知られるようにこれを売ることはできない。これらの延長上にTPPはある。これは、日本型社会主義と呼ばれた、「社会党がトスを上げ、自民党が打つ」分配社会の終焉となった。
その後、安倍首相が腹痛でやめ、次いで福田康夫首相に。ウィキリークスによれば、福田はアフガンに大型派兵をするように求めていた。二兆円規模の資金援助も。さらに、リーマンショック予防のために、ファニーメイなどの二社に数兆円を注入=どぶに捨てる ように福田は要求された。この二つを阻止するために、首相を辞めたのではないか、とのこと。
二〇〇九年の民主党の圧涛I勝利は記憶に新しい。鳩山は「日中関係改善(東アジア共同体)」と「普天間県外移転」を打ち出す。米国の虎の尾を二つ踏んだ。旧自民党独特の人脈があるはずだが、それは機能せず。米国にクルクルパー(ルーピー)呼ばわり。どんだけ、国益じゃなく、米益のために犬馬の労を取る日本人がいるのだ、という話。それにしても中国も中国だ。あちらにも米益のために動く人間がいて、呼応しているのだと小生は思う。
で。最初に触れたが、日本側の情けなさを思わせる本であった。米国は、あくまでも自分たちの欲望に忠実であり、それを非難することはできない。原則論でタフな外交を、多方面に行う力を得てこそ、日本は尊敬される国家になるであろう。そのためには、恐らくは本当の意味でのエリート教育を復活させなければならないだろうが、さてどうやるべきか。旧制高校の復活とか、『国家』(by プラトン)に依拠した制度とか。まあ、左右両方から攻撃されそうだな(爆)。