TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

おめでとう岸投手、君ならやれるはず

2012-07-30 22:18:00 | 野球
 一昨日の夜、宿直部屋で携帯を弄っていたら、Facebookの福西太志氏のリンク先に懐かしい名前が。「岸健太郎」。をを、高知ファイティングドッグス草創期の左の軟投派、キシケンやん。「弟から連絡があり、良い報告が出来そうです」。これでピンと来なければ、アイランドリーグファンじゃない。とうとう、支配下登録か、と。

 岸敬祐投手を初めて見たのは、大阪ゴールドビリケーンズ時代の万博球場だったか。「キシケンの弟は関学でピッチャーやってるとは聞いていたけど、カンドクに入ったんか。」 その試合の印象は、「うーん、まとまった好投手だけど、130km/h前後の真っ直ぐと、普通の切れの変化球じゃあ、NPBは苦しいよなあ」。 社会人中堅レベルなら、三番手くらいで良くいるタイプだったのだ。

 しかし。ファンの皆様は良くご存じだろう。岸投手の武器は、総合的な人格の素晴らしさにある。それを分析すると、頭の良さ、コツコツ努力を続ける精神力、気配りということになろうか。そんな、社会人クラスならどこにでもいる投手だったが、カンドクのあの苦難の日々の中で、努力を続けていたのだろう、某政治同志と共に観た三田城山球場では、140km/h近くにまで球速は伸び、切れもコントロールもレベルアップしていた。そして、その年、カンドクの投手タイトルを総なめにした。

 ゴタゴタ続きのカンドク。選手たちはどうするのだろうと思っていたら、岸君は我らが愛媛マンダリンパイレーツに参加することが決まった。彼なら十分エースクラスになれると期待した。だが、2010年の前期、先発で回っていたが、スタミナ不足は否めなかった。また、前期は打棒も振るわないせいもあり、勝ち星も伸びなかった。後期に入り、配置換えで岸君は能登原、徳田と共に協力なリリーフ陣を形成した。その中で、max.145km/hまでスピードアップした真っ直ぐと、スライダーを武器に勝利に大いに貢献した。シンカーも効果的だったと思う。そして、巨人に入団。

 ここからはネット記事などに頼ることになるが、2011年は開幕二軍で当初結果を出したが、そのうち方向性を見失ったとのこと。だが、頭の良さが彼の武器。自分はこの世界で何をして生きて行くべきかを考え、それに合わせてトレーニングを積み重ねたとのこと。今は、球速は抑えめ(135km/h前後らしい)だが、切れとコントロールを磨いているとのこと。

 支配下登録で「課題山積」のようなことを言っているが、その精神力ならば課題を一つ一つクリア―していくと確信している。浮「のは怪我。オーバーワーク気味は二軍選手として仕方がないだろうけど、その後のケアだけは十分に。大丈夫だろうけど。そして、最近の岸君の起用を見ていると、先発として使われることもあるのかなあ、と思う。勿論一軍で。

 それでは、秋の広島のマツダスタジアムで見ることとしよう!


 お約束。

 君ならやれるはず
 君ならやり遂げられるはず
 相手を圧唐オ
 勝利を掴み取れ!


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79000km

2012-07-29 19:23:00 | クルマ
2012年7月29日 19:23
尾道に巨大アヒルを観に行った帰り、旧東予有料道路終点付近。
とにかく、暑かった。夜のライトアップを見ようと思ったが、余りにも暑いので退散。

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読書メモ:『物理学に生きて』

2012-07-28 12:10:00 | 読書
 『物理学に生きて 巨人たちが語る思索のあゆみ』(W.ハイゼンベルクほか 青木薫訳、筑摩書房)

 物理学に巨大な足跡を残した方々が一同に会し、一九六八年の夏にトリエステの国際理論物理学センターで行なった講演録(というのかな?)。正直、馴染みのない分野の話はチンプンカンプン。ただ、考え方や行なったことについては興味深いところがかなりあったので、後で触れよう。そして、かつては「趣味」の一つのようであった物理学は、今や高度産業社会においてはあちこちでその成果が使われている。だから、物理学に携わる人間は巨大な倫理に面している。このことについては、特にハイゼンベルクのところで感じさせられ、また、訳者の「物理学とその時代――あとがきに代えて」に見事に表現されている。それは、企業内エンジニアにも突きつけられた問いなのだ。

 さて、この本で一番興味深かった、あるいは面白かったのは巨人たちの顔写真である。どれもこれも魅力的だ。特に、ハイゼンベルグの人懐っこい、面白い(失礼)笑い顔は、この世の地獄を突き付けられた人間のものとは思えない。否、地獄を突き付けられたからこその悟りなのであろうか。

 さてさて。偉大な物理学者の業績はウィキペディアに任せるとして、以下は面白かったエピソードを中心に記す。

 【ベーテ】
・地下鉄で、ユージン・ウィグナーがヒントをくれたおかげで、地下鉄内で問題を解決してしまったらしい。

・星内の原子核反応は二つの陽子の核融合が有名だが、それではシリウスなどの明るい星の説明が出来ないらしい。6週間調べて、炭素サイクルの中で4つの水素原子が1つのヘリウムになることが分かったとのこと。

・戦時中の原爆研究は「おぞましい仕事」だが、誰も見たことのない数百万気圧の状態方程式を求めたとのこと。コンピュータ(!)を使って。量子力学の計算なんだろうなあ。

・宇宙船の表面にコーティングされた石英があるが、地球突入時にはマッハ100位になるわけで、恐ろしい熱が発生し、石英は融けて蒸発する。融けると「液」だが、温度によって粘性が大きく異なるはずで、それを組み込んだ解析をしたとのこと。CFDなんだろうか? 蒸発モデルも入れたのかな?

 【ディラック】
・この人の講演は、考え方を考える、というメタ思考が面白い。分野によって求められる考え方や方法は異なるが、決めつけてはいけない。一度にたくさんのことをやり過ぎてはいけない(汗。くつろいだ時にこそ良い発想が出る。

・相対論的量子論では、テンソルではダメで、スピノルってのが出てくるらしい(何のこっちゃ)。
ここでの教訓は、一つのアイデアに執着してはならない。

・計算結果における無限大を無視する当時の方法におかんむり。無視して良いのは、無視し得るほど小さいものだけだ!

 【ハイゼンベルグ】
・日本のどこかの高い塔のてっぺんの手すりの上に立ったらしい。運動神経抜群。

・ボーアの頭脳(電子が異なる軌道を回る)にビビり、話を聞きに。「ボーア祭り」。そこで分かったのは、ボーアは計算をしていなかった! 幅広い知識から洞察していたのだ。

・新しい概念を、古い言葉で説明を始めなくてはならないという矛盾。

・アインシュタイン曰く「観測可能な量だけを使うというのは、どういう意味なのだね?」 「何が観測できるかを決めているのは理論なのだ」。 背景には、マッハの思考の経済がある。

・厳密な数値計算の研究もされていた。どこから乱流不安定が始まるか、という研究らしい。だが、数学者ネーターに臨界レイノルズ数の存在を否定されたらしいが、流体力学をやっている人は誰でも臨界レイノルズ数の存在を知っている。謎だ。

・「保守的進歩主義」。ギリギリまで数学的に洗練された古い概念を使い唐オ、その限界を見極めて新たな(野蛮な)概念を作ること。ここに科学者のだいご味があると思う。だがパラダイムシフトの時は、最も努力を要する・・・。

・にしても、ボーアとかシュレーディンガーとかアインシュタインとか、臆することなく意見を言うのは凄いなあ。

・幼児期の体験から、理論を作るに先立ち、全体像を把握(構想?)してから、仕事に鰍ゥるべきとハイゼンベルグは言う。

 【ウィグナー】
・全てが予測できるわけではないから、世界は面白い。同感。

・科学が即物的な成果に繋がることを嫌がる科学者もいる。(堕落を感じるのだ)何というか、浮世離れ。

・20世紀初頭、ハンガリーに物理学者の席は四つ。それじゃあ飯が食えないだろうということで、ウィグナーは化学工学を専攻。その後、物理学者でも飯が食えるように。

・巨大科学の出現後は、社交性があって強くの態度が必要である。社会にアピールする責務があるのだ。(それは倫理において、も。これは本著を貫く課題である。)

 【クライン】
・オデュッセイア マニア(笑)。

・電磁ャeンシャルとアインシュタインの重力場ャeンシャルの相似から、空間が四次元になる波面方程式が見えて来たとのこと。勿論、実験や観測は無理な話で、数式を用いて「思念憶測の渦に巻き込まれる」。

・ついには「一個の荷電粒子は、五次元の測地線を記述する」と。

・四番目の空間方向は0.8×10^(-32)mに閉じているらしい。

・疑うだけの理由があるときにはつねに、その自由を行使することもまた科学者としての自然な態度なのです。

 【ランダウ by リフシッツ】
・13歳にして中等教育(高校だな)終了。リアル・ちよちゃん(あずまんが大王)。

・人間の独創性の勝利は、時空の曲率や不確定性原理のように、思い描くことすらできないものを理解する力にある。

・一般物理学教程は、一部だけ読んだ。いつかはしっかり読みたい。

・スターリン批判で死にかけたことはスルーされてる。

・幅広い分野の人間と交流したことが、彼の財産(金の蓄え)であった。

・単純さと秩序をとことん追究する。「物事をよりトリビアル」に。レーニン主義だね。

・ソファーに寝ころんで物理が彼のスタイル。


 で。「物理学とその時代 ――あとがきに代えて」

 ベーテは原子核理論の祖。言うまでもなく原爆や原発の産みの親の一人。それによる批判も多いらしい。だが、なぜ、マンハッタン計画が発動したのか? ドイツへの脅威である。ドイツにはハイゼンベルクがいる。(ハイゼンベルク誘拐計画があったが、立ち消えとなったらしい。)ユダヤ人は皆殺し、というドイツの状況で、ユダヤ人は「狂気」なしで生きることが出来るだろうか? 言うまでもなく、理性と狂気は並立する。アウシュビッツしかり、原爆しかり。青木氏は言う。「切迫した状況をリアルに想定する努力をしたうえで、同じ立場に立ったときに自分はどうするかを考えようとしないならば、歴史を教訓にすることなどできはしない」(p168)。その後、ベーテは核実験停止を訴えることになり、反核運動をはじめとする社会運動を担うことになる。原発推進だったが、彼は後処理についての知識は乏しかったとのこと。政治や教育を担った後、70歳を超えてから研究の最前線に復帰という驚異的な仕事をされた。

 次にハイゼンベルク。第二次世界大戦の時に、ドイツに留まる。自分が亡命すれば、非ユダヤ系のドイツ人物理学者は、どうなるのか? 留まったことが、マンハッタン計画を推進させたことは言うまでもない。ハイゼンベルグ自身による反論となるものは、青木氏によると『部分と全体』第16章にある、とのこと。そして、マイケル・フレインの戯曲『コペンハーゲン』。ナチス滅亡の後、ハイゼンベルクはオットー・ハーン(核分裂の発見者)らと共にイギリスの農場に幽閉されていた。(ソ連の手に渡る前に殺害する案もあったらしい。)そして、彼らは広島への原爆投下を知る。核物理の恐ろしくおぞましい結果に彼らは戦慄するしかなかった。戦後も、物理学者間の亀裂は残るのであった。さて、ハイゼンベルクは死の前に、神様にあったら、「どうして、相対性理論、そして乱流なのですか」と聞いてみたいと言い残している。神様は相対性理論については答えてくれそうだ、と(笑)。ハイゼンベルクのバックボーンは、非線形現象だったとのこと(山崎和夫氏)。不確定性原理は、先日、それを塗り替えられるかも知れない式が提案された。物凄く実験物理の精度が上がって来たから、見えてきたことである。

 最後にランダウ。教育者として名高い彼は、ソ連内部の科学のリーダーであり、そして最先端の科学を担う者として、スターリン主義の批判者であった。――『唯経』を、彼がどう読んだかは興味がある、ちなみに宮本修正主義集団(日本「共産」党千駄ヶ谷派)は、党内のイデオロギー支配のために未だにこの本を経典扱いしている。―― この当たりの事情は、『物理学者ランダウ スターリン体制への反逆』(みすず書房、佐々木力(有名なトロツキスト)・山本義隆(元東大全共闘)・桑野隆編訳)に描かれているとのこと。彼は大粛清の時代、逮捕され、一年間獄中で暮らしていたのだ。実際にスターリン批判の書き、一九三八年のメーデーに撒こうとしたらしい。彼を救ったのは、イギリスで知り合ったP.L.カピツァとの友情であった。カピツァはイギリスからの一時帰国時にソ連に拘留され、ソ連の重工業にとって欠かせない人物にされ、スターリンとのパイプがあった。カピツァはソ連の物理学者のためにクレムリンに百通以上の手紙を書いた。ランダウ逮捕の後、カピツァはモロトフ首相に手紙を書く。「現代物理学のもっとも謎めいた領域でちょうど発見をしたところなのだが、ランダウ以外の理論家には説明することができない」、もしランダウが釈放されなければ自分は研究所をやめる、と圧力を鰍ッる。時代状況を考えたら命がけの賭けである。カピツァは賭けに勝ち、ランダウは釈放され、超流動理論は日の目を見た。釈放後、戦後となり、ランダウは、監視付きで水爆研究に従事させられる。カピツァは拒否して自宅軟禁。ランダウはそんなカピツァを毎月訪問したが、それ自身命がけである。スターリン死後、ランダウは「解放」される。さてさてさて。資本主義的帝国主義(アメリカ)、国家社会主義(ナチス)、共産主義(共産党)のうち、一番苛烈でおぞましい体制はどれでしょうか、諸君!

 科学者が今や、社会の様々な状況と無縁であることは出来ない。どのように振る舞うか、倫理を持つことは重要である。だが、ランダウのように、共産主義体制においては、そのような倫理さえ、党のイデオロギーの前に全面屈服しなくては、生きることさえ困難なことがあるのだ。
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神風が吹いている

2012-07-16 19:52:00 | 野球
愛媛マンダリンパイレーツ7≠O徳島インディゴソックス
2012年7月16日(月曜日)13:00~
川之江球場、晴、基本的にレフトからバックネットめがけて強い風

 いやあ、暑い日差しだった。かき氷2つ消費だが、そんなのじゃ足りないのだ。水道水を汲んできて、撒いた撒いた。風が強いから出来る兼磨B風は心地いいのはこの球場の良いところ。

 さて、愛媛の先発は小林。ボールは余り来ていず、カーブは抜け気味、スライダーも良かったり叩いたり。真っ直ぐもそんな感じ。あれ?何点取られるのだろう、と立ち上がりに思った。

 先頭の神谷がインコース中頃のスライダーをアジャストし損ねたり、続く東も真ん中低めのスライダーを見逃し三振にしたり、運があったと思う。バラけた感じが却ってよかったのかも。逆球も結構あった。調子が悪いなりに、低く変化球を集めようという意思が感じられ、勝負所ではそれが出来ていたと思う。

 一方、徳島の先発の安里は良かった。135km/hくらいと思うが、伸びと切れがあった。そして、コントロールが良かった。

 試合が動いたのは4回。まず、徳島の攻撃で、1死後から吉村が2ボールから苦し紛れの甘いボールを逃さずセンター前に。大谷龍の当たりは高く弾んでサード藤長の前に、ダッシュして処理しようとしたが、バウンドが難しく待ったところ胸に当てて落球のエラー。続く松嶋も高く弾むバウンドの三塁線、サードでは間に合わないと思ったら、小林が猛然とマウンドから降りて来たが、止まれずに足が滑り内野安打。ここで根鈴さん。あああああ、と思ったが、ボールは何か分からないが――カットボールのように見えたが、小林にあったかな?――どん詰まりのファーストハーフフライ。続く中村は、真っ直ぐも変化球もタイミングが合っていた。そして、真ッ芯で捉えた当たりはレフト頭上。二塁打は覚悟。しかし。猛烈な逆風がレフトから本塁に吹いていた。打球は急激に失速し、樋口が追い付いて捕球。真後ろの打球が押されて失速したら、結構難しいけど、隠れたファインプレー。これを神風と言わずして、何と言おう??

 その裏、先頭藤長がライト前に詰まりながらハーフライナーで持って行く。ブレットの当たりは三遊間、ショート東が良く取ったが、セカンド送球が弱く、ツーバウンドくらいになりセーフの内野安打。橋本は四球。ここで、高田がセンター定位置近くに犠飛。大井はライトにライナーのクリーンヒットだが、ブレットなので三塁自重。金城は、窮屈なスイングでファーストファウルフライ、続く四ツ谷は詰まったセカンドゴロで終了と思ったが、目切りが早すぎてグラブからボールが零れてエラー。足があるって武器だね。これで二点目。続く樋口もセンターにライナーのタイムリーで三点目。そして、小林ノリさんは調子を上げてくる。

 五回裏は大井のタイムリー、六回裏は橋本のタイムリー――二点目は本塁憤死だが、足が入っていて本当はセーフだけど、返球が本当に素晴らしかったのであの判定は、仕方がない、逆にセーフという勇気はないぞ(笑)――、7回は四ツ谷の内野ゴロと樋口のタイムリーで着々と加点。

 愛媛の8回表は入野。真ん中に入るボールを二者連続ヒットをされたが、好打者吉村をカーブでセカンドゴロに仕留め、ピンチを脱する。

 そして、9回表は河原。また、一球ごとに。

大谷龍
 外角低めストレートでストライク
 外角高さ中ほどストレートでボール
 インコース高さ中ほどストレートを空振り
 外角低め一杯ストレートをファール、ライト線ギリギリのファール
 外角高さ中ほどスライダーを当てただけのファール、ライト線ギリギリ
 真ん中低めドロップをファール、必死に体を残してよく当てた
 外角高さ中ほどのスライダーを真ッ芯で捉えた打球は投手にハーフバウンドのライナー性のゴロに、しかし、前もって低く「野手の構え」をしていた河原は左手を伸ばして綺麗に捌き、投手ゴロ。フィールディングは一級品だ。

松嶋
 初球のアウトコース真ん中を芯で捉えたが、センターライナー。

中川竜(代打)
 外角低めストレートでストライク
 外角低めストレートがボール、かなり力が入って引っ鰍ゥった感じ。140km/h出てたかな?
 ど真ん中にドロップ、タイミングが狂ったファール
 外角高さ中ほどにカーブでライトフライ。当てただけ。


 今日も安定感抜群。フィールディングの上手さが目立ったイニングだった。なお、力を入れた真っ直ぐは、多分狙ったところに行っていなかった。しかしまあ、「投手はコントロール」の見本のような投球だった。


 徳島のリリーフ投手二人。永川は、スプリットっぽいのが面白いと思った。遠目には、ユニフォームのデザインもあって、オリックス時代の星野みたい。ネルソンは、アウトコース真っ直ぐが高く抜けまくっていたが、それが決まりだすとスイングさせていなかった。


 で。愛媛は運も味方につけている。このまま突っ走れ!
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英会話は英語学と違う

2012-07-12 22:51:00 | お仕事
 会社で英語のエキスパートの講演。職場には、本当に色々な国の同僚がいる。日本語と英語で会話せざるを得ないのだ。また、何かあったら、その先の人は英語で意思疎通を図ろうとする。こうなると、ある程度は英会話が出来ないと仕方がない。

 色々と興味深い話があったが、まず面白かったのは、学校の英語教師曰く「英会話したかったら、学校の英語じゃ足りない。英会話学校で学ぶしかない」と言ったという話。じゃあ、学校で教えているのは「英語学であり、使える英語ではない」ということ。そして、「英語にかこつけた、何か」。例えば、東大の入試。あれ、正確に日本語に訳されていても、理解するのが難しいよね。

 それから、韓国では reading と hearing の点数しか出ない「TOEIC」なんぞでは、今や英語力を測定しない方向になっているらしい。 speaking と writing の測定も行う国家試験とやらをやっていくそうだ。 確かに、worldwide にビジネスを展開しようとすれば、英語力、正確には英会話力が必要となっている。

 で、講演者が言うには、「英語は学問ではなくて、スメ[ツと思ってください。」とにかく、読む、聞く、話す、書くしかない、と。基本はそうは言っても、読む、聞く、だ。ほんで、面白い本を紹介された。 ラダーシリーズ。詳しくはサイトで。
http://www.ibcpub.co.jp/ladder/

 とにかく、日本語を放り出すこと。入れないこと。それが肝心。ラダ―シリーズを最初読むときは、単語が分からなくても気にしない。それから、単語を確認(巻末にまとめてあり)、再読。

 それから、耳馴らしには数多くのCD付きの本がある。それを、聞き、頭に入る範囲で――最初なら、単語ごと?――、ストップし、口真似する。三歳児君の過程を、繰り返すのだ。


 まあ、そんな感じで。頑張ろう。

 今、中高でやっている、ナンセンスな英語授業が小学校に降りてくるのなら「やめとけ」だが、ツールとしての英会話なら、賛成だね。出来れば、「英語にかこつけた、何か」でない英語教育を、中高でも続けて欲しい。
コメント (6)
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