メールで以下のことを書いた。気になるので貼っておこう。
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庶民は政治にかまけている暇は昔からなく、その意志も大抵はありません。そんなことに関心を持てるのは日本では昔から、小金持ちおよびその師弟と相場が決まっています。
危機をまず感じるのは常に少数の部分からで、共有されるには時間がかかります。そして、センシティブな部分は傍目には多くの場合趣味に見えましょう。
そして、危機が深まる前に、対応する政治活動家がいれば改良可能、大衆が動けば対応可能なのですが、しかし、民主主義の本質が多数への従属というものであるからして、危機が大衆に認識されなければ、その危機は深まるしかありません。歴史を鑑みると多くの事態がそのようにして進むようです。そして、カタストロフを迎える、と。民主主義は本来、そういうカタストロフ回避のための知恵として発展・成熟してきたはずですが、必ずしもそのように機能しているとは思えません。そのようなわけで、僕個人としては革命の可能性というものを、片目くらいには入れておかないわけにはいきません。それもまた、傍目には趣味に見えましょう。
革命家は改良主義者を大衆蔑視と罵りますが、革命の可能性を眼に入れるものは、裏側からの大衆蔑視者です。でもそれは、仕方のないことだと思います。
「誰よりも大衆を愛した君は 誰よりも大衆を軽蔑した君だ」(芥川龍之介のレーニン評)
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庶民は政治にかまけている暇は昔からなく、その意志も大抵はありません。そんなことに関心を持てるのは日本では昔から、小金持ちおよびその師弟と相場が決まっています。
危機をまず感じるのは常に少数の部分からで、共有されるには時間がかかります。そして、センシティブな部分は傍目には多くの場合趣味に見えましょう。
そして、危機が深まる前に、対応する政治活動家がいれば改良可能、大衆が動けば対応可能なのですが、しかし、民主主義の本質が多数への従属というものであるからして、危機が大衆に認識されなければ、その危機は深まるしかありません。歴史を鑑みると多くの事態がそのようにして進むようです。そして、カタストロフを迎える、と。民主主義は本来、そういうカタストロフ回避のための知恵として発展・成熟してきたはずですが、必ずしもそのように機能しているとは思えません。そのようなわけで、僕個人としては革命の可能性というものを、片目くらいには入れておかないわけにはいきません。それもまた、傍目には趣味に見えましょう。
革命家は改良主義者を大衆蔑視と罵りますが、革命の可能性を眼に入れるものは、裏側からの大衆蔑視者です。でもそれは、仕方のないことだと思います。
「誰よりも大衆を愛した君は 誰よりも大衆を軽蔑した君だ」(芥川龍之介のレーニン評)