TAMO2ちんのお気持ち

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読書メモ:『韓国民主化から北朝鮮民主化へ』

2019-01-28 19:56:00 | 読書
 『韓国民主化から北朝鮮民主化へ ーーある韓国人革命家の告白』(金永煥著、馬哲訳、石丸次郎監修・解説、新幹社)

 1980年、光州蜂起が起きた。当時の一般的な言い方で国を表すれば「南朝鮮はなんと恐ろしい」と思った。身の回りの在日の親戚も処刑されたと噂に聞いた。それがまた恐ろしさにリアリティーを与えた。著者は「酷S」というHNで「酷S通信」を書き、韓国民主化の闘争を担う、光州蜂起後の学生活動家であった。マルクス=レーニン主義を学び、その刃で後に地下革命党の党首である時に、北朝鮮批判の急先鋒となる。だが、皆がよく知るように、韓国での「民主活動家」の多くは北朝鮮に幻想を抱いているか、北の手下である。著者は孤立する(著者は左派にまだ期待を持っているようだが)。そんな中、北朝鮮民主化と脱北者の支援のため、中国に渡り、中共に逮捕される。そして帰国し現在も活動を継続している。(一方、この本によれば「従北派」と言うしかない著者のかつての仲間が権力中枢に入り込んでいる。これは我々の知る「民主主義」と「自由」の観点からすればかなりの危機的状況である。)

 韓国の民主化が一定なされた今、しかし、それを脅かす北朝鮮の民主化のために動いている無数の活動家の困難を知ることの出来る本である。同時に、韓国の社会主義・共産主義運動が北の従属物にならないように願う。少数ではあるが従北派じゃない左翼も韓国にいることも聞いている。彼らの主体的発展に期待したい。
それではいつも通り、印象に残ったことなど。

・著者は「NL派」とか「主体思想派」の指導者と呼ばれる学生時代を過ごした。
・北朝鮮訪問で幻滅したのは、日本の李英和先生と同じ。
・それだけではなく、90年代以降の悲惨な北の惨状を知る中で北朝鮮民主化を決意する。
・北朝鮮の人権問題については、左派でも一般大衆でも関心が低い。これは日本にも当てはまるね。
・著者にカンパする大企業もあるらしい。
・脱北者支援のため中国にいた著者らが逮捕された容疑は「国家安全危害罪」。その後釈放されて、「中国で何をしてきたか」については要は多忙のため答えて来なかった著者が、話すべき時が来たと判断して出版されたのがこの本。

・2012年3月23日に中国入りし、28日に情勢分析・方針会議をしていたようだ。29日の午前中に逮捕。逮捕後に逮捕令状が発行される中国w
・移送は目隠しをする中国。弁護士を専任する権利を与えない中国。椅子に座ったまま寝させる中国。拘禁は114日に及んだ。その頃、韓国では「統合進歩党事件」が起きていた。
・後ろ手で手錠、眠らせない、そういう拷問を中国は行う。韓国の安企部の拷問が「死なない程度」なら、中国の拷問は「死んでも構わない」ものである。著者と同志は黙秘を貫き、安企部の嘘から状況を把握する。闘士だね。
・口を開かない著者に、殴打拷問、電気拷問。その後、領事面会がされるが、拷問のことを話されるのを中国の安企部は嫌がった。また、韓国内外で著者の行方不明が大きな問題となり、二回目の面会が開かれる。そこで拷問の事実を伝える。
・著者は中国の役割を重視し、「親中」と思われるように行動していた。中韓接近は北朝鮮民主化の利益になると考えていた。
・中国における逮捕は口実が荒唐無稽だし、理不尽だがそこの追及に集中すると「北朝鮮民主化」の目的から逸れるというジレンマ。著者たちは本来の目的を優先させた。
・風呂も散髪もない留置所。髭は使い捨てカミソリ1回?一ヶ月でホームレスのようになる。その後、釈放。
・釈放されて空港に移送される時も安企部の要員が配置される。国外追放時「危害国家安全罪」が読み上げられる。著者はそこで3つの謝罪を要求する。拷問、北朝鮮民主化運動への侮辱、その運動の犠牲者を侮辱したこと。中国の当局者は顔色をなくし、「もっと残るか」と恫喝。韓国外交部の立場を考え、著者は要求を撤回。

・『酷S通信』は労働者に主体思想を平易に伝える目的のパンフレットだった。スターリンとは無関係に「酷Sのような革命家」という意味で「酷S」と名乗る。それが主体思想を韓国の学生運動史で初めて主体思想を理論化したものとして評判を呼び、広がった。「主思派(チュサ派)」と呼ばれ、公安畑の必読文献、勿論運動圏の必読文献。数万部に増え、十万単位のコピー。
・注釈のことだが、「一心会事件」というものがあって、左派の従北路線への批判が高まったが、2008年の民労党大会では親北路線清算が討議され否決、党は分裂。ということは、民労党の主流派は親北だったということだな。
・80年代の若者の反米意識は強く、北朝鮮に友好的な感情を持つ者が多く、彼らが今の社会運動団体の熱心な活動家となっている。いわゆる「三八六」世代である。一方、今の若者は北朝鮮を大いに嫌っているようだ。
・光州蜂起鎮圧は国際的な批判が強く、韓国の政府代表はユネスコ総会で沈黙。著者の世代は真相究明が重い課題だった。デモの即時鎮圧のために警察が大学に常駐していた時代である。
・大学で単位を取ることは非常に簡単で、学生を厄介払いで卒業させていたような感じである。真面目な学生は授業に飽き足らず「図書館派」となり、一方「運動派」がいた。
・入学の門戸が緩くなった著者の世代(82年入学、「82」=「パエ」=「蠅」)は「糞蝿世代」と呼ばれる。数が多くて群れていたかららしい。そして闘争を主導するようになる。
・「サークル選び」は日本の昔の「党派選び」に似ているね。日本の「五流二二派」のごとき「八大家門」。主力は勿論地下サークルで、イデオロギーを勉強するのだ。公的にはご法度の社会主義イデオロギー。なお、「表向きの」サークルと「本当の(地下の)サークル」という構造だったようだ。サークルの全容は当局も把握しきれず、「霧林事件」「学林事件」という、当局にとって始末に負えない事件が起きる。
・著者らの志向性は「階級革命を通じた社会主義政権樹立」(p83)であった。
・83年に全斗煥が国際世論に譲歩したのか、大学の警察常駐がなくなり、政治的理由で解雇された教授が復職するなどした。それを受け、ソウル大では穏健派のMC(主流)と急進派(MT;民闘)が対立する。著者からは幼稚でセクト主義的な対立に見えた。後にこの対立について著者は皮肉を『酷S通信』に書き、活動家の大衆的な品性を強調すると人気を博した。
・著者はMCに近いサークルに属しつつ、労働者問題を扱う「労問」に席を置いていた。こちらはMT傘下である。
・運動圏には北朝鮮コンプレックスがあり、北朝鮮に無批判であった。著者は「あらゆるものは批判の俎上に行くことができる」(by マルクス)という精神で、北朝鮮の研究をはじようとする。まずは直接北朝鮮は知りえない状況だったので、ソ連や中国について調べ、失望が大きくなる。特に中ソの罵り合いに幻滅する。
・86年に北朝鮮の短波放送を直接聞くが、その前に公安機関の資料を利用して主体思想を検討していた。放送を聞くことは確認作業であった。
・時代の雰囲気は反米で、ちょっとどうかと思うが光州蜂起鎮圧の責任はアメリカにあり、ということが堂々と言われる時代であった。著者はそれを「反帝直闘論」として押出、パンフを書く。著者に言わせるとその稚拙な理論用語が30年後の今も通用しているとのこと。
・反米突出の背景が85年5月のソウル米国文化院選挙事件であり、それを手動したのがMT傘下と言える「三民闘」であった。その上部組織が「民推委」であった。警察がその組織の幹部を追う中で、朴錘哲を水責め拷問を行い、死亡する。これが87年6月の民主抗争の導火線となる。こうして「民族解放の理論=NL」が受け入れられる。受け入れられた一つの理由は、平易な言葉で書いたためである。
・著者は主に安企部の資料で主体思想を学び、専門家の北朝鮮批判文章を引用して学んだ。こうして、著者は主体思想で理論武装をするようになる。そして「酷S通信」を書く。

・「労問」関係で逮捕、懲役終了時は88年末。ソウル五輪があったり、民主化は進展していた。だが運動圏のトップはNLが多数派で、NLは広がっていた。釈放後、著者は準備段階の「反帝青年同盟(反青)」に加入する。他のメンバーに李石基がいた。
・現在の韓国で金日成賛美のビラを撒くと「頭のおかしい奴」呼ばわりされるが、当時はそれを支持する活動家がいた。著者は反対したが、反青中央委員5人中3人の賛成でビラを配布。が、著者が朝鮮労働党員として大衆の支持を受けないことを、かくされた身分である「労働党員」であることを明かして訴えると、翌年からビラ配布はなくなった。著者は89年にスパイと接触して秘密労働党員になっていた。
・アウンサン廟テロ事件は北朝鮮の犯行であることを打ち明けるなど、スパイは率直である。また、朝鮮労働党員には無線機、乱数表、呼出符号が渡される。
・南朝鮮の従北派は、観念的に北を美化していて、北の指示で動いているわけではない。また、北朝鮮の主体思想の研究家も、主体思想をよく知らない。そもそも、金日成も知らない。北朝鮮は実は、最も主体思想の研究に制限された国家であった。
・東欧共産主義圏の崩壊により著者は失意のどん底に沈む。そして「全ては疑いうる」。そして「反青」組織全体の転向を目標とする。代案を作りつつ。98年、NLの立場を反映した「マル(言葉)」という月刊誌で「北朝鮮の首領論は、完全な虚構であり、巨大な詐欺劇だ」という寄稿文を発表する。但し、独自の「主体思想(人間中心の哲学)」を構築しようとしていたようだ。
・97年に亡命した黄長ヨップと著者は主体思想について論議したが、現実の理念として体系化することは難しいと結論づけた。現実(物自体)と切断した上で理論構築するカント哲学と同質のものを感じたようだ。
・著者は91年5月に北朝鮮を訪問し、主体思想の議論をしたが、思考停止に陥っていることを確認。金日成の世界の認識は30〜40年代のものを完璧に剥製化したものであった。
・階段の登り間違いで罵詈雑言を浴びせられ、北朝鮮社会の権威主義が尋常でないことを著者は知る。「人間の価値が最高に尊重される」はずの主体思想の国家でこういうことがあると、当然体制に強い懐疑心が生まれよう。要は北朝鮮は停滞した社会であり、非人間的であるということだ。また、一緒に行った後輩が北朝鮮の工作員がとてつもない人命軽視の発想をするので、北朝鮮に失望した。著者と彼(チョユシク)は8年後に転向書信を出す。
・98年に撃沈されたスパイの半潜水艇から出てきた手帳では余りにもお粗末なスパイ暗号を用いていた。
・97年に著者は民革党の解散を決定していた。中央委員の二人がそれに賛成、残り一人の河永沃が反対。著者は幻滅した北朝鮮の方に顔を向けていても韓国民衆のためにならないと考えた。
・北朝鮮に幻滅した著者がそれでも、すぐに民革党の解散をしなかったのは、政治的影響と北朝鮮の影響を複雑に考えたため。また、北朝鮮の命令は実は大したことがなく、かつ行き当たりばったりだったので、いろいろと握りつぶせた。金日成と会ったという事実から、北朝鮮も著者にこの段階では手出し出来なかった。それほど北朝鮮は権威主義なのだ。
・金日成の命令で「汎民連」が作られたが、従北で広がるはずもなく、民革党は解散を要求。だが、北の官僚主義は解散を拒否。民革党と北朝鮮が対立する。
・汎民連問題を議論すればするほど人々の心は北朝鮮から離れる。また、著者は主体思想がML主義から借り物しまくっている(らしい)ので、ML主義にも批判的になる。
・民革党は北朝鮮住民支援運動を実施する。人道的観点と、北の現実認識の幅を広げるために。結果、「北朝鮮の優位性」に対する信頼が弱まる。
・95年頃から著者は公然と北からの独立、批判に踏み込む。代表的な論文が「世界が変われば時代精神も変わらなければならない」。地下革命党での議論という性質上、反発への対処は除名という形となる。河永沃が除名されたが、著者のやり方は、どうしても日本共産党の除名処分のやり方と重なってしまって心苦しいものがある。そのためか、河永沃は後に一層北朝鮮に追従することとなる。
・著者の転向で、北は新たな連絡線をつくる必要があり、その過程で死人が出る。南北にはそういう関係がある。なお、北のスパイは簡単に転向するが、北としては確認が取れないため、家族に危害はない。
・ややこしい状況の下、著者は南にも北にも追われる可能性があり、ドイツに身を隠す。北の動きがないことを確認して、北朝鮮民主化のためにいた中国に戻る。
・著者はチン・ウンバンという北のエージェントに殺されそうになったが、韓国軍に摘発されて潜水艦と共に沈んで死亡する。因みに河永沃は直前にチンと接触していて、予定が変わって別れていて助かった。河永沃は著者の代わりに新しい民革党の総責任者と、北に指名されていた。
・権力を巻くには、ベストは自転車、次に公共交通機関(乗り方は小生も教えられたw)。最悪は自動車。河永沃はその辺の甘さから99年の民革党摘発事件に責任があるらしい。
・99年6月号の保守系の『月刊朝鮮』に、著者は主体思想運動圏からの転向記事を発表する。オルタナティブは共同体主義。そして北朝鮮民主化運動。こういうガチ左翼な記事は、日本でもリベサヨ系で発表できずに保守系から出すことはある。それに対する反応も、まあ似ているね。金大中政権は著者らに理解を示したようだ。その上で、国家情報院が「バラの庭は約束しない」という本を示し、スパイ暗号のことまで知っていたと著者に示す。著者は全てをぶちまけることで総括をする。
・また、国家情報院に全てをぶちまけるにしても、他の人に累が及ぶのを防ぐため「民革党摘発のために、いかなる人も立件をしないで欲しい」と依頼、そして約束させ、全貌を話す。すると「韓国の主体思想派の規模と影響力」に調査官たちは驚く。
・結果的に国家情報院は政治組織ではなく、官僚組織であり、立件した。結果、従北勢力を強めることになった。著者らは裏切り者とされた。
・立件という弾圧のために国家情報院が動くという情報を得て、著者は『マル』誌に「国家情報院、大規模なスパイ団事件でっちあげのために、私を懐柔脅迫した」というマヌーバ記事を発表させる。国家情報院の裏切りに対する、裏切りである。ミネルヴァの梟の故事だな。終わらないと全ては分からない。
・国情院は著者に「反省文」を求める。というのは、「左偏向」と言われた金大中政権で、世論を納得させるには「組織の総責任者が転向したので、これに見合った水準で事件を収拾する」(p157)という大義名分が必要だった。黄長ヨップが著者を説得し、真剣に書き、公訴保留で釈放される。自首者には寛大な措置を求めたが、河永沃のラインからは自首者は出ず、彼らの大部分は民主労働党に活動の舞台を移し、2012年の「統進党事件」の主役となる。
・民革党の正式な組織人は100人ほど、地下組織員は400人、その周辺を合わせると数千人の規模だったらしい。

・社民主義などに著者が共感を寄せていた90年台半ば、北朝鮮に大飢饉が起きて脱北者が続出した。信じがたい話が入ってくる。著者は疑い深く、クロスチェックや論理整合性を確認しつつ、話を検証する。そして、北朝鮮の人権状況などは最悪であるという結論に至る。また、金正日の実質的な甥である李韓永の亡命手記で金王朝の不道徳さと無責任さに著者は衝撃と憤りを覚える。著者は見て見ぬふりが出来ない。そして北朝鮮民主化の活動家となる。
・著者は北朝鮮の改革開放を目指すが、三代世襲の「鉄拳統治」にそれは期待出来ないと今は考えている。なので民主化という名の革命を求めるしかない。政権が変わらないと、改革開放も出来ないと考えているということだ。
・北朝鮮も脱北者としてスパイを放つ。スパイは人聞きの話を元ネタにするので、感情的な反応が硬く、ばれるらしい。著者の観察眼ゆえか。
・「北朝鮮を捨てた人たちの証言をどうやって信じろ」とNL運動圏の人は言うらしい(呆)。捨てざるを得ない、という発想にならないのだろうか。盲従とは精神を麻痺させるんだなあ。とはいえ、脱北者の証言ん誇張もあるのでチェックは必要。
・北朝鮮の政治犯収容所は「ナチスのユダヤ人収容所よりも酷いことはあってもましなところはない」(p172)
・金正日の実質的な甥である李韓永の手記は、北朝鮮の独裁者が不道徳で無責任であることを示していた。革命家または共産主義者は独裁と暴力革命を追求するが故に、高い道徳性が求められるが、金日成らはその反対物であった。
・著者は最初、脱北者が帰国して北朝鮮民主化を内部でするように働きかけたらしい。
・実際に民主化運動をすると、中国の情報当局、北朝鮮のスパイなどがうようよしていたようだ。まずはセキュリティーを優先した。著者は出国禁止(これ自身は仕方ない)のため、中国の同志に来てもらうなどの必要が生じ、お金がかかった。「ほとんど無から有を生み出す」ようなもの。
・目立たないように活動をする。非合法活動とはそういうものだよな。また行動や住居の決め方も非合法活動の基本だなあ。脱北者の身の処し方に被るところがある。最も必要な資質は「孤独に耐える力」。北朝鮮は活動家の暗殺部隊を中国に派遣している。
・身分偽装のために語学研修、企業の従業員、社長など。それでも国外退去を受けることもある。中国当局は盗聴、ハッキングなど何でもあり。なので、公衆電話を主な連絡手段とした。色々と戦前日共の活動を思わせるものがある。
・活動資金源はキッパ販売、ネカフェ、ピザ屋などなど。成功したものも多い。これも戦前日共の水野らと同じだな。(水野は党の再建?のために店を畳んだが)活動のための資金獲得のムスケルは重要だが、それに納得できない人もいたようだ。
・中国朝鮮族の助力は大きかったようだ。そして有能である。また、中国人や北朝鮮人の助けとネットワークも大事だった。中国人は北朝鮮と合法的に往来できる。
・そこで中国人に北朝鮮に貿易拠点を作ってもらうようにした。「枠」を北朝鮮に認めてもらうのは大変で、それは一種の関税であり、北朝鮮の大きな収入源とのこと。それを諦め、「ャbタリ貿易」(荷物を直接持ち込む)にするが、それには通関への賄賂が要る。いずれにせよ、赤字構造であった。北朝鮮は貧しすぎて、賄賂、賄賂で動く。
・北朝鮮民主化運動を支えるものは国際連帯。米国、中国、イギリス、日本、カナダ、ドイツ、などなどの活動家がいる。また方々から資金援助が集まりだしているようだ。が、財政難は続く。
・従北派の振り撒くデマ。「国情院が金を援助」「NED=CIAを強調」。因みに金大中はNED総会に出席しているw 
・中国に行こうとする韓国の活動家は多い。韓国人の気質かなあ。だが、国内に残り世界に北朝鮮の実態を暴くことや、民主化運動を資金的に支えることもとても大事な仕事だ。


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44336km

2019-01-27 23:59:00 | クルマ
44336km、通算燃費16.4km/L

寒いね。でもちょっと新御堂を走ったりしたから燃費は下がらず。

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44233km

2019-01-20 23:59:00 | ノンジャンル
44233km、通算燃費16.4km/L

家と会社だけの往復なら通算燃費が極端に悪い。
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44219km

2019-01-13 23:59:00 | クルマ
44219km、通算燃費16.6km/L

ここのところ寒いね。寒いと燃費が悪いのはエンジンが温まらないからかな。

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44142km

2019-01-06 23:59:00 | クルマ
44142km、通算燃費16.6km/L

最近は出勤以外で車に乗らないので燃費が酷く悪くなる。

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