TAMO2ちんのお気持ち

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読書メモ:『野村の「監督ミーティング」』

2021-12-30 14:25:00 | 読書
 『野村の「監督ミーティング」』(橋上秀樹著、日文新書=044)

 現役時代にノムさんの考えに接し、「自分がチームで生き残るにはどういう選手になるべきか」を考え、そのための努力をし、名バイプレーヤーとして左殺しで活躍した著者は、その後ノムさんが楽天監督の時にヘッドコーチを勤めた。その時は、「野村の考え」を野村の代理として選手に説明していたとのこと。著者が整理し、エッセンスを凝縮したこの本は読みやすく、理解しやすい。

 ノムさんは常々、考えが変われば行動が変わり、行動が変われば習慣が変わり、習慣が変われば人生が変わると仰っていた。野球を通じて人生を考えた人である。現役晩年の選手にはその後の人生の長さを説き、生き方を伝えようとしていたことがこの本にも書かれている。

 また、読んでいて思うのだが、言われてすぐに気づくようなことは少ないと思う。大抵は後のある瞬間、思い知るのである。なので、ノムさんは嫌われようがどうしようが、必要と思ったことを、飽きもせず何度も言い聞かせていたと思う。こういう「頑固おやじ」は少なくなった。

 サラリーマンとして、色々と考えさせれることが多い。人の上に立ち、偉そうなことを言わなくてはならなくなって気づく。人の上に立つ者はつるんでいてはいけない。ノムさんはそうした。南海ファンとして思い当たることがある。若くして監督になった鶴岡監督は、人情にほだされるところがあったと良く言われる。素晴らしい人であったのは違いないが、一の子分である蔭山さんが、鶴岡さん勇退を受けて南海監督就任後、心労から亡くなった理由の一つは、周囲の男の嫉妬によると言われる。鶴岡さんは人とつるむことが多かった。余りにも親分すぎて、その愛情を選手たちは一身に浴びたかった。だが、愛には限りがある。父親を早くに亡くしたノムさんもそんな選手だったと聞く。だが、「三冠王?ちゃんちゃらおかしい」。鶴岡さんは最晩年は選手たちと距離を取っていたと聞くが、若い鶴岡さんはそうじゃなかったようだ。データ野球に関して蔭山さんをも師匠としていたと言われるノムさんは、男の嫉妬に苦しみ亡くなった蔭山さんの死で色々思うところがあったのだろう。ノムさんは「何で鶴岡野球の最高傑作と言える俺をほめてくれんのや」と、すねた表情を記者に見せることがあったという。様々な苦悩が、ノムさんを作った。鶴岡さんを教師に、反面教師に生き、考えることを求め続けた人だったと思う。

 その考え方について、興味深い記述があった。データに基づく野球と言えば、ダリル・スペンサー由来の阪急ブレーブスもそうであった。西本~上田の流れ。その流れが、上田さんを通じて日本ハムにも流れていた。しかし。日本ハムではデータは素晴らしくあったが、だが、肝心の「どうしてそういうデータになったか」、すなわち、データは野球の結果なんだが、その結果につながる心理の分析まではしていなかった、と著者は言う。小生は思う、ノムさんはそこまで考えることを、選手やスタッフに求めるのか!と。

 思い出すのはエモやん(江本孟紀さん)の回想。「エモ、フルカウントになったら、ボール一つ外せや、バッターは振りよるで。」その通り投げたら、三振が取れたというから恐ろしい。確かにTV中継を見ていても、2≠Qまでは見送ったボールを振る打者は多い。というか、自分もそうだった。

 今、メジャーではデータサイエンスを駆使した野球が花盛りで、却って選手は考えなくなり、ベンチ、ひいてはその向こう側のスパコンの駒になっていると聞く。だが、野球は「現場」のものだろう。心理的駆け引きが見られる日本の野球はAIを超えて欲しい。今年の日本シリーズは素晴らしかった。我慢で選手を育てた中嶋(上田さんの弟子)、高津(ノムさんの弟子)の激突で、胃が痛くなるような、興味深い采配・用兵・作戦がたくさんあった。そして、野村野球の申し子が勝った。南海ファンとして嬉しい。独立リーグファンとしても嬉しい(高津は新潟の優勝監督)。

 ノムさんの教えは、野球にとどまらない普遍性がある。ビジネスマンにも色々応用が利く話がある。
 というわけで、印象に残ったことなど。

・ノムさんがミーティングで重きを置いたのは「人としての生き方」「組織とは何か」「人材育成について」である。
・運命、責任と使命、仕事・チーム力、繁栄・育成・継続。人生の四つの側面。
・他人の評価、NPBなら監督の評価を考えるべき。
・「監督ミーティング」は、ヤクルト最初のキャンプでは毎晩2~3時間。何度も何度も反復。「野球道具は忘れても、筆記用具は忘れるな」。反復により頭にしみつく。
・「進歩とは変わること」。変わるとは何かを失うのではなく、何かを得ることである。最大の障害は、実は自分自身のなかにある。
・上手くいかないことに対して、自分はどう対処したらいいのか、を考え続ける。
・人間は「幸福になること」と「成長すること」を求める生き物である。野球は「道具」に過ぎない。人生全体の目的や意義を考え、そこからブレイクしていって野球技術の向上に取り組む。こういう話をする人は少ない。
・「不思議の勝ち」は無意味なものとノムさんは考えた。
・目的意識。技術論の前提は取り組み方。組織が求めるものを考える。NPBという厳しい世界で自分は何ができるかを著者は考えた。そして左腕キラー+小技と足・守備の選手へ。
・練習で「1」成長し、実戦経験や成功体験で「9」成長するとノムさんは考えた。但し、「1」がないと始まらない。
・組織の力量はリーダーの力量以上にならない。ノムさんは70歳代半ばでも勉強していた。ONもそういう人。
・努力の方向(目標設定)が間違っていると、努力は無意味に。
・一流になる人の条件。独創性・アイデア、自主性、観察力、成功体験、旺盛な問題意識、孤独を愛して精神的な成長に使える、感性の豊かさ=鑑賞力、思いやり、謙虚さ、他責性がない。
・考え続けることが蓄積を生み「無形の力」となる。カウントごとに局面が変わる野球は、頭の中で備えるスメ[ツ。
・技術的限界を感じたところから、プロの本当の戦いが始まる。挑戦に限界はない。そしてプロは頭脳勝負に。
・ノムさんは選手の成長を18~25歳、25~35歳、35歳以降の三段階に分けていた(三計)。第一段階は基礎・土台作り、第二段階はチーム優先主義(人間性の陶冶)、第三段階はチームへの貢献と成長、奉仕の精神、鑑。
・ノムさんはヤクルトや阪神の監督就任後、自分でデータ分析してオーダーを決定していたが、逆を言えばコーチがデータ分析できていなかったと著者は言う。だが、楽天ではコーチに任せた。その上で、根拠を問う。そうやってコーチを鍛えた。「質問して考えさせる」。
・ノムさんには子分がいなかった。(高畠さんは例外?) 派閥ができると、環の中に入れなかった人は疎外感を感じるかららしい。親分を反面教師にしたとのこと。また、コーチに野村色を付けないことで、コーチの再就職を容易にする配慮もあった。

・ノムさんは捕手に分析、観察(目に見える)、洞察(見えない心理を読む)、判断、記憶を求めた。最低でも観察出来ないとリード出来ない。そのために古田、矢野を横に座らせてぼやいていた。そのボヤキは聞き手を意識していた。繰り返し毎日聞いていると監督の考えが染みつく。
・考え方が変われば行動が変わる/行動が変われば習慣が変わる/習慣が変われば人格が変わる/人格が変われば運命が変わる/運命が変われば人生が変わる
・特徴のない選手は使いづらい。特徴だった個々が集まった集団のほうが、組織は明らかに機能する。
・名将上田もデータ野球。だが、そのデータの裏付け、先ほどで言えば「洞察」まで行っていなかった。心理を突き詰めてはいなかった。
・落合博満氏についてのノムさん評。「オレも野球の話は好きだが、落合はオレ以上に野球のことが好きだな」。06年の交流戦で両監督が話し込んだ時のこと。
・ノムさんのボヤキは自チームの選手の短所を指摘し、敵チームの長所をほめる。例えば「涌井ほど制球が良いなら、積極的にいけ」、「ダルビッシュの本質は変化球投手、カウントボールは変化球で、勝負球はストレート」など。ほめてヒントを与えている。自チーム選手には「いつもストレートしか待たないから簡単に変化球で崩されるんだよ」と、これもヒントを。他チームの選手の欠点を言っても利益にならないので言わない。
・データを集めるほど、状況毎の傾向がはっきりしていく。よって、物事は複雑ではなく簡単になる。確率を数値に落とし込める。
・鈴木啓示投手は不調の時は投げなかった。無理して投げて故障したら責任を取ってくれるのですか、と、あの西本監督に言っていたとのこと(複数聞いた話w)。その近鉄の「悪しき」伝統が岩隈に受け継がれてしまった。(石本、阿波野、小野のことはどうなるの、というのはおいておいて、と。) 先輩格の選手たちは、そのチームの伝統を作る責任がある。
・ミスは即座に指摘しろとよく言われるが、興奮している人に素直に入るはずがない。そこでメディアを通じて監督のコメントという形で伝える。試合が終わってから時間もかなり経過しているので、冷静になっているから。
・明確なビジョン、理想像をもっているからこそぼやき続けられる。
・「今日の試合はオレの采配ミスだった」と率直に言えたのがノムさん。自らにも厳しかった。そうして信頼感も高まる。
・ゲン担ぎをするノムさん。試合中は「大」をしない。「ウンが落ちる」というわけw
・強いチームのヤジは、自チームの選手への励ましくらいで、ベンチの会話は観察と洞察。試合に集中しているからこそ。控えも会話に参加。
・主力・ベテランには人間的にも尊敬される、チームの鑑になることを求めるのがノムさん。自己中心主義を戒める。山崎武司はそれで生き返った。
・自分の殻を打ち破る一番のきっかけは、成功体験。著者の場合はチームの優勝であった。
・付き合う相手で運命は変わる。だから、チーム内の交友関係にもノムさんは気を配っていた。どの先輩と交流するかで決まる面がある。
・タイガースのコーチや選手は「変わる気がない」からノムさんの話を聞かなかった。寝ている選手もいた。「次は岡田さんなので、聞いているふりだけでええ」という感じ。ただ、赤星、藤本、矢野はそうではなかった。
・強い組織ではリーダーが絶対の存在でいることが必要。ただ、ノムさんほどの自己修養しているリーダーはどれだけいるのだろう?
・伝統の力を引き継いでいる生え抜き選手の育成こそが、組織の大きな力である。
・気の抜けたプレーはその場で指摘。気力は大事。指摘されると「監督は常に目を光らせている」と選手は思う。
・最晩年のノムさんは、コミュニケーションのために10叱ったら2褒める戦略を使っていたようだ。(まあ、叱っていてもジワジワと褒めているを内包していたのがノムさんの良さでもあったと思うw)

・「人間は無視・賞賛・非難の段階で試していく」とノムさん。小生は野球ファンの視点と一致すると思う。非難が大事なのは、飽くなき向上のため。
・超二流には、努力次第で誰でもなれるとノムさん。NPBで生き残る秘訣。壁にぶちあたってからどうするか。
・「相手のチームと戦う前に、『監督のオレとの戦い』に勝たねばならない」。監督に使わせようと思わせるものはあるか? 監督の考え、意向を理解しているか?
・意外だったが、ノムさんは一定出来上がっている選手には「長所を伸ばすより、短所を直す」基本方針を持っていた。短所は意識して練習しないとよくならないから。特徴づけはその後の話。
・技術的なミスは練習しかないから叱らないが、準備ミスは叱った。確率からの準備(シフトなど)も重視した。
・不世出の捕手、ノムさんも現役時代は「代わりはいくらでもいる」と感じてプレーしていた。ケガへの対応、準備も含め、ここを意識することで野球への取り組みが一段深くなり、一皮剥けると著者は言う。
・高卒の選手は謙虚で素直。心も成長しやすい。マー君がそうだった。「東京六大学の捕手はプロでは大成しない」とも。粒ぞろいの投手陣の六大学だから、勉強不足になるということか。
・コーチは言いすぎてはいけない。言われた方は一つに対応するだけでも大変なのに、複数言われると混乱し、意図さえ分からなくなる。元も分からなくなる。選手の成長を待つ我慢強さが必要。
・確かにバッティングは感覚の世界が大きいので指導しにくそう。監督の教えはシンプルに「頭の位置を動かさずに、軸足と踏み出す足との重心のバランスが7:3にして、肩は開かずに腰の回転でスイングする」という比較的シンプルなもの。(若いノムさんは「カーブのお化け」が来ると三振。対策は技術ではなく、配球を読むことだったと別の本にあった。)「頭を使って技術を伸ばせ」。 その上で、ノムさんの打撃フォームは教科書的だったと、子供の頃のイメージを今でも持っている小生は思う。
・NPBの平均在籍年数は9年ちょっと。1年が重い。今岡、浜中は考えを変えずにノムさん時代を浪費した。一方、関本は長距離砲からチームバッティングの人に代わることで長く活躍できた。(とはいえ、後の首位打者・四番という主役の座を射止めたのも確かで、簡単には判断できない。そういう弁証法も野球の面白いところなんだろう。)
・山本樹は心優しい投手だった。その優しさが仇になるタイプ。ある時、ノムさんは「今日の試合で先発させるが、結果がしょうもないとクビだ」とけしかけて、成功。山本は雑念なしの投球が出来た。その後、中継ぎとして活躍。監督の言葉で殻を破れた。
・新庄みたいに褒めて伸びるタイプは積極的に褒めた。
・長距離砲が使うようなバットをアマ時代の赤星は使っていた。ノムさんがそれを変えさせたのは有名。自己変革のきっかけとしてのバットの変化。
・立命館大学時代には「当たれば飛ぶけど・・・」な選手だった古田の記憶。社会人で素晴らしく良くなったが、NPB入り後は金属と木製の差異に悩む。だが慣れてしまうと首位打者に。で、結果が出たら打撃は変えないのが普通だが、ホームランも出る打ち方とバットに変えて結果を残し、優勝した。絶えざる自己変革と柔軟な発想とチャレンジ精神が古田を大選手にした。
・楽天時代のノムさんと選手は孫との歳の差。ボヤキも優しくなった。現代っ子の打たれ弱さも考えていた?
・著者はシーズンオフに選手にノートを書かせた。「自分の長所と短所」「これからどういう選手になりたいか」「何を伸ばせば戦力になれるか」が課題。コーチ側とのすり合わせ。
・コーチは選手に考えさせるのが仕事。その上で質問を受けたら、具体的な例をもって答える。「オレはこう思う」と選択肢を選手に与えるのも大事。
・天才型は感覚型。自分の世界に没頭できる環境づくりが大事。努力型は努力の方向を見守る。オーバーワーク気味なのでそこを配慮する。
・ベテランには引退後のことを考えるようにノムさんは訴えた。目先の技術や方法にとらわれず、人間教育を行なうからこそ、組織は伸びていく。
・野球の主導権は投手にある。だからこそ、野村再生工場は投手のほうが再生しやすかった、とのこと。
・いきなりコーチに質問を振るノムさん。即答できないと「普段から考えてない」という烙印w 
・どんなに努力しても、欠点を完全にはなくせない。ある段階からはそれよりも、長所を鍛えた方が良いのも事実。欠点を知る者だけが生き残れる。

・ノムさんの考える名参謀の具体例は尾花さん。データを常に頭に入れているだけでなく、質問したことに対して、遠慮なく自分の意見を言える人とのこと。
・NPBの名監督・コーチは、技術ではなく「考え方」を教えられる人。データや根拠があれば、部下の意見に聞く耳を持つのが真のリーダー。
・部下の愚痴は聞く。その上で、チームの方針を伝える。チームの運営に改めるべきがあれば改める。愚痴に同調してはいけない。
・打撃タイプ。A型=真っすぐに重点を置きつつ、変化球にも対応。B型=内外角を決める。C型=打つ方向を決める。D型=球種にヤマ。日本人は大半がA型だが、それだけで結果を残せるのは天才(松井ら)。状況に応じて他のタイプにシフトする。それを読むのが捕手の醍醐味の一つ。
・若い日の池山はブンブン丸。監督としては三振にぼやきたくなる。同僚の著者は池山が「知るか、そんなこと」と怒っているのを聞いていた。だが、コーチらも含め、野村の考えを教える中でチームバッティングをするようになった。著者は危機感があったからだろうという。
・ノムさんは補強にほとんど口出ししなかった。現有戦力を上手く使うことを考えた。外部補強に走られると、信用されていないのかと選手は考えてしまう。
・好き嫌いはあって当然。だが、実力主義で公平な組織運営に影響させてはならない。
・栄養士が心を砕いたメニューを食べない日本代表選手にトルシエは苦言を呈した。食べるべきものをしっかりと食べるという基本。基本をないがしろにすると良い仕事はできない。
・戦力として望まれるからトレードは成立する。選手にはチャンスだ。
・ノムさんは選手を見捨てない人だった。古田がどれだけやらかしても、辛抱強くぼやき続けたw
・2009年首位打者の鉄平は元中日。落合さんからノムさんへの申し送り事項は「鉄平は中日の事情で常時試合に出場できませんでしたが、打撃能力は高いものがあるので、楽天では戦力になると思います」。落合の眼力と度量。新天地をチャンスととらえた鉄平。
・強いチームほど規則は厳しい。NYYも同じ。選手の身なりにうるさかったノムさん。
・監督としては威厳を保つには、選手らとプライベートで関わらないのも手かなあ。
・2007年の最終戦でふてくされた態度を取った鉄平に鉄拳制裁をした著者。放置するとチームに悪影響が出る。
・「橋上もヘッドコーチという立場をよく認識して、選手たちとちゃんと距離をとってつき合いなさい」。
(最後、情にもろいノムさんが、流されないための処方箋だったのではないかと思う。遅ればせながら長年お疲れさまでした。サッチー含め、あちらでは親分と仲良く。)
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読書メモ:『革命キッズ』

2021-12-05 12:08:00 | 読書
読書メモ:『革命キッズ』


 60年安保を背景にした、荒唐無稽なピカレスクロマンであるが、岸信介、池田隼人、田中清玄、樺美智子、森田政治、青木昌彦らの錚々たる?歴史的人物の造型を、巧みにすり替えるなどして楽しませてくれる。でも、後処理を考えたら硫酸風呂はないなw

 その上で、彼らの当時の思い、日本の置かれた背景が浮かび上がってきて、政治的に考えさせられるセリフもちりばめられていた。60年安保で大衆的動員ができたのは、端的に言えば「アメリカが押し付けた民主主義のルールを、アメリカに妥協して生き永らえた岸信介が踏みにじることは許せない」という国民感情にあった、というのは今や常識かな。

 それも含めて、国家社会主義者として日本の枠組みを作ろうとした岸は妖怪だし、その後日本人の潜在力を高度経済成長に流し込んだ池田隼人も怪物である。田中清玄は全学連の学生に共感して、転向後の右派リベラルの立場から支援していたのは言うまでもない。

 ついでに言うと、日本共産党は、人様に民主主義を求めながら自らは実践しない専制主義政党であるのは言うまでもない。

 日本共産党はともかく、今どきの政治家からはスケールの大きなビジョンを感じられない理由を考えないと、日本は亡国だろう。これは、我々有権者の責任でもある。

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