TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

共産党に帰着した共産主義批判(途中)

1970-11-26 12:47:00 | 幻論
香港が大変なことになっている。その原因は、中国共産党の論理が非民主的なところにある。非民主的とは、大衆の様々な意見を正当・正統に採り上げる仕組みがない、ということである。そうなった原因は、広く共産党の論理にある。共産党の論理を作ったのは、スターリンの歪曲があるとはいえ、根源はレーニンにある。

スターリンは、権力維持のためにレーニンの片言隻句を集めたというのはその通りで、そこにレーニンとスターリンの断絶を見ることは勿論出来る。だが小生は、そうじゃなく、連続性も見てしまうのだ。それについては拙著『指導という名の欲望』に記したが、読み返せば明らかというわけでもない。

レーニンは階級闘争を推進するために民主主義を連呼し、擁護している。だがそれはあくまでも階級闘争の擁護、推進のためであった。他の諸課題については階級闘争に従属すべき、として、フェミニズム、エコロジー運動、はたまた動物愛護団体にはかなり手厳しいことを記している。これは、要は階級内部の諸課題については必ずしも民主主義を擁護していた訳ではないことを示していると小生は思う。

要は、階級外部については民主主義を擁護しつつ、内部については擁護しないということだ。一番の悲劇は、ムスリム共産主義への大弾圧であろう。ムスリムは欧州とは違う時間・空間の中に生きてきた。要は本来はヨーロッパから起こったマルクス主義の外部にある存在なのである。ロシアの版図にムスリムはあり、強烈な抑圧を受けていた。レーニンはあの有名な定式「万国の労働者、被抑圧民族は団結せよ」と言ったが、そこには勿論ロシア帝国のムスリムたちも念頭にあったはずだ。だが、彼は権力者として振る舞うとき、ロシア・ヨーロッパと「共通の前提(これなしでは民主主義は勿論成立しない)」を持てなかったムスリムを弾圧した。

勿論この悲劇には民主主義の持つ「不可能性」という問題が絡むが、そもそもマルクス主義は階級闘争の道具としての民主主義を擁護をしていたが、階級内部の民主主義については個人的には疑問をもっている。日本においても、左翼党派がささやかなりとも権力を握ったら、反対派をどのように潰していったかを見ているし、それは民主主義の観点から許しがたいものが色々あった。

さて。どうしてマルクス主義諸党派は民主主義の観点から許しがたいことを行えるのか。

まずレーニンに着目する。若いレーニンがどうして民主主義を階級闘争の道具とし、カント的に言うと「目的」としなかったのか。帝政ロシアの専制政治において、民主主義そのものを擁護することは出来なかったからと小生は思う。有名なメンシェヴィキとボリシェヴィキの分裂は、ロシア社会民主労働党の党員の資格を巡ってのことであった。党内にもなるべく民主主義を採用しようとしたメンシェヴィキ。これは最晩年のエンゲルスの理論に基づいている。後で触れるように、マルクス主義は必ずしも民主主義を擁護しているわけではなかったが、西欧では大衆の闘いによる民主主義の進展と、国家の圧涛I軍事力の伸張の前に、日本共産党がお好きな言葉である「議会を通じた革命」の道を選ぶようになった。これは、専制主義ではなく(ブルジョア)民主主義があるところでは妥当な判断ではあろう。だが、若いレーニンの生きたロシアはそうじゃなかった。レーニンが選んだ党組織論は専制主義に対応したもので、それはバクーニン~トカチョフの、ロシアの革命群像に連なる組織論であった。職業的革命家の集団であり、「革命家の教理(カレキテル)」に基づいた、軍隊的な組織論。それは「なにをなすべきか」という書物に結実した。それへの批判はメンシェヴィキ側から速攻で出された。トロツキーの「われわれの政治的課題」が有名である。「党員を地区が代行し、・・・・・党中央を党の最高幹部が代行する」。この批判に示された仕組みこそが、共産党の仕組みなのだ。

ロシアの現実は、ロシアにおいてはトロツキーではなくレーニンこそが「正しかった」ことを示す。もし、トロツキーが正しければ、二月革命で自由主義者がもっとマシな振る舞いをし、レーニン側が折れたであろう。トロツキーがレーニン側に折れたように(トロツキーはメジライオンツィからボリシェヴィキに合流した)。

勿論、レーニンは馬鹿じゃない。革命が成功した後に「われわれの革命について」を著わし、ロシアの革命や党組織論を絶対化することを戒めている。だが、この党組織論は党幹部の専横についてはとても都合の良いものであった。スターリンは「レーニン主義」という言葉を作り、党組織論を絶対化した。これは「民主主義的中央集権制」という、マルクスも使った言葉で語られ、その抑圧的で非民主主義的体質を合理化するのに使われた。

(「プロレタリア革命と背教者カウツキー」、19世紀の科学観を絡めて批判が続く予定)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする