旗旗コメント投稿分
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こんばんは。小生は広く暴力の問題として、スターリン主義とファシズムを捉えています。暴力は剥き出しの物理的なものという姿なら脅威は少ない――なぜならあからさまだから――のですが、しかし権力という姿態を取ることにより、底知れぬ脅威を、圧涛Iな脅威を与えます。
申し訳ないですが、小生はファシズムを左翼の思想の一つと見なしています。勿論、スターリニズムと同様に、「ありうべき様態」からすれば反対物へ転化したものです(弁証法)。
で、なぜ、反対物に転化するのか。そしてそれは、保守から派生した数々のイデオロギーに基づく思想よりも酷いものになり果てるのか。
ここに三つのキーワードがあると思います。上に書いた「暴力」、そして「権力欲」と「恐武S」。スターリン主義の場合、きっかけは勿論ロシア革命でレーニンが状況に応じて取った戦時共産主義が発端だと多くの識者に示されています。種籾まで奪うエクス(レーニン)は農業集団化(スターリン)を思い起こさせますし、次々と反ボリシェヴィキに行き着き、内戦およびテロでもって反レーニン・ボリシェヴィキを闘った闘志に対する赤色テロは、スターリンの大粛清を思い出させます。しかし、レーニンが生きた時代の暴力と、スターリンの時代の暴力は違うんですよね。レーニンはファニー・カプランに危うく殺されそうになりましたが、あけっぴろげとも言える「警備」状況でのテロ、あからさまな状況でのテロ。カウンターでカプランは確か2日後に殺され、同時にSR左派もかなり殺されたと記憶します。やるか、やられるか。暴力が戦時共産主義を産み、拡大し、スターリンへの途を曹ォ清めました。
で、スターリンの時代。こちらの暴力はシステマイズされ、誰の上に降り注ぐか分からない不気味さがあります。いつ、スパイとか人民の敵として粛清されるのか。告発者・密告者は少しでも「敵」よりも優位に立ちたいという「権力欲」から、あるいはこちらのほうが圧涛Iに多いのですが告発される前に密告してしまえという「恐武S」。
マルクス主義は、理想主義的な文脈で語られることが多かった気がします。マルクス自身、あるいはもっと強烈にはレーニン自身が言うように、そのような理想主義的なものは「ナンセンス」なんですが。しかし、理想主義的にこれらが捉えられるならば、「善∴ォ」二元論に立たざるを得ないし、プロテスタンティズム的なキリスト教解釈が世界の多くを支配している現在、これは「敵は死ね」という、カールシュミットが論じた政治世界を現出します。そうなると、「敵に剥き出しの暴力を行使することは善」と簡単に言えますし、また「敵」規定さレルかもしれないという「恐武S」も、「敵に対して頑張った」という認められたい心、より多くの敵をやっつけるために他の仲間を自分の絵に従わせたいという「権力欲」が亢進します。マルクス主義者が権力を握ると、殆どがスターリン主義――国家権力だけではなく!――になるのは、こういう心理なのではないでしょうか。それが極限まで進んだのが革マルかな、と。
どれもこれも無縁ではないので、スターリン主義を「外在的」に取り扱う人はスターリン主義を理解できないし、克服することなんか不可能ですね。個人的には、マルクス物象化以前の議論=疎外論を徹底的に踏まえることがマルクス主義者にとって非常に大事だと思っています。観念論者としてのマルクス万歳!!
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こんばんは。小生は広く暴力の問題として、スターリン主義とファシズムを捉えています。暴力は剥き出しの物理的なものという姿なら脅威は少ない――なぜならあからさまだから――のですが、しかし権力という姿態を取ることにより、底知れぬ脅威を、圧涛Iな脅威を与えます。
申し訳ないですが、小生はファシズムを左翼の思想の一つと見なしています。勿論、スターリニズムと同様に、「ありうべき様態」からすれば反対物へ転化したものです(弁証法)。
で、なぜ、反対物に転化するのか。そしてそれは、保守から派生した数々のイデオロギーに基づく思想よりも酷いものになり果てるのか。
ここに三つのキーワードがあると思います。上に書いた「暴力」、そして「権力欲」と「恐武S」。スターリン主義の場合、きっかけは勿論ロシア革命でレーニンが状況に応じて取った戦時共産主義が発端だと多くの識者に示されています。種籾まで奪うエクス(レーニン)は農業集団化(スターリン)を思い起こさせますし、次々と反ボリシェヴィキに行き着き、内戦およびテロでもって反レーニン・ボリシェヴィキを闘った闘志に対する赤色テロは、スターリンの大粛清を思い出させます。しかし、レーニンが生きた時代の暴力と、スターリンの時代の暴力は違うんですよね。レーニンはファニー・カプランに危うく殺されそうになりましたが、あけっぴろげとも言える「警備」状況でのテロ、あからさまな状況でのテロ。カウンターでカプランは確か2日後に殺され、同時にSR左派もかなり殺されたと記憶します。やるか、やられるか。暴力が戦時共産主義を産み、拡大し、スターリンへの途を曹ォ清めました。
で、スターリンの時代。こちらの暴力はシステマイズされ、誰の上に降り注ぐか分からない不気味さがあります。いつ、スパイとか人民の敵として粛清されるのか。告発者・密告者は少しでも「敵」よりも優位に立ちたいという「権力欲」から、あるいはこちらのほうが圧涛Iに多いのですが告発される前に密告してしまえという「恐武S」。
マルクス主義は、理想主義的な文脈で語られることが多かった気がします。マルクス自身、あるいはもっと強烈にはレーニン自身が言うように、そのような理想主義的なものは「ナンセンス」なんですが。しかし、理想主義的にこれらが捉えられるならば、「善∴ォ」二元論に立たざるを得ないし、プロテスタンティズム的なキリスト教解釈が世界の多くを支配している現在、これは「敵は死ね」という、カールシュミットが論じた政治世界を現出します。そうなると、「敵に剥き出しの暴力を行使することは善」と簡単に言えますし、また「敵」規定さレルかもしれないという「恐武S」も、「敵に対して頑張った」という認められたい心、より多くの敵をやっつけるために他の仲間を自分の絵に従わせたいという「権力欲」が亢進します。マルクス主義者が権力を握ると、殆どがスターリン主義――国家権力だけではなく!――になるのは、こういう心理なのではないでしょうか。それが極限まで進んだのが革マルかな、と。
どれもこれも無縁ではないので、スターリン主義を「外在的」に取り扱う人はスターリン主義を理解できないし、克服することなんか不可能ですね。個人的には、マルクス物象化以前の議論=疎外論を徹底的に踏まえることがマルクス主義者にとって非常に大事だと思っています。観念論者としてのマルクス万歳!!