TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

防備

2013-05-27 21:28:00 | 工学
しかし、高いね・・・。


"Computational Models for Turbulent Reacting Flows"
http://www.amazon.co.jp/gp/product/0521659078#_


あ、これこれ。注意せんとなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=ZKHycSJw08g

きれいだ・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=jVktMGVhPoE

どんだけ発達するねん、このケルビン=ヘルムホルツ不安定・・・
http://www.youtube.com/watch?v=3mD2c6IDeTQ


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負け方というものがある、打たれ方というものがある

2013-05-26 23:53:00 | 野球
香川オリーブガイナーズ4≠R愛媛マンダリンパイレーツ
2013年5月24日(金曜日)18:00~
レクザムスタジアム、快晴、無風

時間が本当に取れなかったので簡単に。ノリさんはスピードがない分、丁寧だった。渡辺も、切れの良いカーブを軸に粘っていた。ナイスゲーム。

前の試合で集中力がないように見えた金城も、ツーナッシングから、そのカーブをじっくり選んで四球で次に繋いだのが、この試合一番感心したところだ。やはり良い選手だ。

さて、リリーフの橋本投手、アウトコースを大木に綺麗に引っ張られたのでリズムを崩したかな? 確かにパンチのある牟礼は浮「。だけど、ランナーを気にしすぎてリズムを崩す場面じゃない。本塁打でも同点。四球は本当に残念だった。

中村投手は、自分のピッチングをする以前の問題。そりゃあ、マウンドに上がるのは浮「。だけどなあ、自分のピッチングが出来なくて失点するのは口惜しいじゃないか。浮「時は、自分の技術を出すのみ。仕事に徹するのだ。普通の会社員でも、様々な恐れや不安を抱いて仕事をしている。黙々と自分のできることをするだけだ。

リベンジの場はこれからいくらである。自分の技術を発揮するのみ。頑張れ。

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読書メモ:『海賊とよばれた男』

2013-05-25 23:41:00 | 読書
 『海賊とよばれた男』(百田尚樹著、講談社)

 まず個人的な話を。この作品のモデルは出光佐三である。出光佐三のことを初めて意識したのは、大学3年の頃か。当時、洛風書房という本屋に出入りしていた。ここの主人は、何度か取り上げたこともある魚谷哲央氏であり、当時は昭和維新社という右翼団体のトップであった。

 彼が、小生に「君は確か化学を専攻していたね、これが面白いと思うよ」と示されたのが、出光佐三の自伝(自分で書かれていたと思う)。日章丸のことは覚えていないが、戦後の混乱期に馘首しなかったことや出勤簿や労組もない会社であることが印象に残っている。

 この本が出た時、そのことを思い出して是非とも早く読みたいと思っていたが、中々時間が取れずようやく読めた。で、出光氏自らの本では、あっさりと書いていたことが、こんなに熱く、ドラマティックであったとは。作者の脚色も入っているのだろうが、熱い。この本は、小生の年代の子供たちが熱中した(であろう)、「友情・努力・勝利」の物語である。すなわち、少年ジャンプだ。少年ジャンプが大丈夫ならば、日本は多分しばらく大丈夫。この本が去年の本屋大賞を得た、ということは、しばらく日本は大丈夫、ということか。

 主人公国岡鐡造は弱視で、体が弱く、どちらかと言えば気の弱い少年であった。そこから脱出すべく、早く働かせたい父親の思いに反抗し、進学を進める。そして、新設の神戸商高(現:神戸大)に入る。思春期から青春期に鰍ッ、心と体を鍛えることを意識する。この目的意識性の強さは、神戸大の伝統なのか? 彼は大学の先生から大事なことを言われる。「これから商人はいなくなる。」ここで言う商人とは、カール・マルクスがどこかで皮肉を込めて言った「相場を見て、あるいは相場を操作してあくどく儲ける連中」のことである。決して、レーニンが学べと言った「良き商人」のことではない。良き商人とは、売り手と買い手を要求を知り、廉価で両者を結び付ける人間のことである。このような良き商人が次代を担うと先生から鐡造は教わった。この教えを鐡造は一生追求することになる。一方、俗物的な講演については「黄金の奴隷となる勿れ」という格言が学生たちの間に出来る。それも忘れなかった。また、学生時代にふとしたことで秋田に旅行した時、石油の可能性を知ることになる。まだ、燃料としての価値に誰も気づいていなかった時代に。これが鐡造の一生の生業を決定する。

 鐡造は同僚たちが鈴木商店などの大手に入る中、丁稚として小さな小麦の問屋に就職する。ここの店主が偉かった。朝から晩まで、どの店員よりも早く・遅く働くのだ。そして店員を家族のように遇する。高卒(当時)の鐡造は、定時帰りの人間だったが、ふとしたことでこのような店主を見て、感銘を受ける。鐡造は製麺所の新規開拓などで頭角を現すが、没落する家族のために、早く独立することを決心する。しかし、先立つものがない。ここで、学生時代から親交のある高等遊民・日田重太郎が京都の別荘を売って工面する。しかも、返さなくていいという。「あんたがどこまで伸びるか、見たいんや」と。日田は、息子の家庭教師を鐡造に頼んだときに、厳しい躾と優しさを見て、人を育てる能力を見出していた。人財こそが企業の礎とは、P.F.ドラッカーのセオリーで有名である。

 鐡造は本当にやりたかった石油の商いを、門司で家族らとともに始める。まずは機械油の商い。優秀なアメリカ製に負けないものを開発し、紡績会社に売り込むことから。次に船の燃料油。ここで評者の個人的体験を。小生は新入社員の時、ある化学物質のプロセス開発に携わった。出来た製品は、触媒が素晴らしく、文字通り世界一の「商品」であったと思う。「」付なのは、売れなかったからだ。どうしてか?「もう、他から仕入れていますので、今更いいです」。商売の多くは、信頼と実績とコネなのだ。この壁は厚い。で、拡大路線と使命感でひた走る鐡造は止まったら死ぬ。普通に商いをしていては食い込めない。まず、燃料として認知されていなかった軽油――実質邪魔者扱い――が使えるエンジンを開発する。そして、大手の漁船は下関にある。そこに売りたい。だが、販売所の縄張りがある。どうしたか? ャ塔ン船を入手し、関門海峡近くの荒海で、売りさばいたのだ。元売りは大目に見てくれた。この面白い若者を潰すわけにはいかない、と。鐡造の会社員は海賊と呼ばれた。多くは尋常小学校上がりであったであろう店員たちに、商売をはじめ、読み書きなどを徹底的に教え込んだ。彼らが支店長になるとき、上に一々お伺いを立てているようでは駄目だ、と。

 九州での暴れっぷりが「眼に余る」ようになり、商売がしにくくなった鐡造は満州に目をつける。満州はスピードワゴンじゃない(ジョジョだよ?)、ロックフェラーが牛耳っている。満鉄に売り込みを図り、足繁く通う鐡造らに現場の人間は心を開く。そこでアメリカの石油は寒さに弱いことを知り、寒冷な気候でも使える機械油を調製し、試験をする。そこで勝利し、満鉄に油を売り込む。商売は売鰍ェ大きく、業容拡大のテンモフ速さもあり、経営は火の車。ここに関東大震災が起き、金融引き締めで資金繰りが苦しくなる。高利貸が現れ、日田に相談するが、破産したら一緒に乞食をしようやとさとされ、事業清算を覚悟する。そのために銀行を訪ねると、話を聞いた林支店長は頭取・長野善五郎を訪ねる。林は鐡造の人となりを伝えると頭取は鐡造と面会を希望、その結果、会話の殆どない「禅問答」により大口融資が決まる。その後の経営が苦しいときも、国岡の人を見た銀行員は国岡を支えることとなる。その後、元売りの方針変更を受け、満州に経営の主力を移したが、第二次世界大戦の流れは出来つつあり、石油を巡る戦争になること鐡造は予感する。国家は石油を統制品とし、それに鐡造は反発するが、日本の軍国主義は自由貿易、商業の自由を蹴散らした。貴族院議員の鐡造にもどうしようもなかった。また、アメリカからの石油がなくなれば、日本は南方侵略に活路を求めるだろうが、あの巨大なアメリカ相手に正面戦で勝ち目はない。それは分かっていたが、いざ戦争がはじまったら、何が何でも勝たねばならぬと考えていた。石油の確保のために上海に大油槽所を持つことを構想するが、横槍やら横取りやらが画策される。それを考えたのは、日本国家主導で作られたカルテル=石聯である。この時代、国家の名の下に私腹を肥やす輩が日本中に湧いたが、石聯も例外ではなかった。鐡造は石聯と対立し、国内で商売できなくなり、石油のある東南アジアなどにほぼすべてを移すことを余儀なくされる。なお、油槽所は不正を許さぬ商工省の燃料局の働きかけで守られた。守ったのは国岡商会の働きを見ていた軍人であった。ただ、その油槽所は海軍からの申し出で供用することになった。国のためを思ってのことだが、その国家とやらは国民を敵視するような法律(「要塞地帯法中改正法律案」)を出す有様。鐡造は議員として激怒し、ひっこめさせるが。挙国一致とやらの内実が表れていよう。そして1941年8月、アメリカからの原油輸入ストップ。第一次世界大戦で「石油の一滴は血の一滴」と言われるようになって久しい。日本の石油備蓄はせいぜい半年。ただ、戦争が始まったら政府に協力するのは当然。太平洋戦争の初期、日本軍は快進撃であった。「空の神兵」に謳われる落下傘部隊はバレンバン油田を確保。帝国石油の技師は油田の回復で驚異的な働きを見せ、日本は一息つけるはずだったが、戦線は泥沼・拡大し、敗戦に至ったことは言うまでもない。さて、この油田を巡っても、組織の肥大化と利権化の動きがみられ、それを嫌がった陸軍省燃料課は鐡造の会社に石油の現地分配を任せる。そのために、鐡造は二百人の社員を送り込むことにする。日本国家の理不尽に晒されながら、彼は愚直に日本のために会社を捧げる覚悟があった。また、石油確保のためにタンカー・日章丸を作ったが、石油を運ぶことは出来ず、他の物資を運んでいた中、撃沈された。アメリカ軍は、日本の物資の輸送船を狙い、撃沈した。軍用船に限らなかった。阿波丸事件など、明確な国際法違反であるが、関係者が処罰されたという話は聞いたことがない。戦争責任が追及されるのは、常に敗者のみである。

 そして敗戦。日本での営業が実質出来なかった国岡商会は、中国、南アジアに展開していたが、それらを失った。こうなると、普通は会社をたたむか大量の首切りだ。だが、鐡造は家族である社員の首切りなど、考えられなかった。仕事を得るために、GHQが宣伝媒体として眼をつけたラジオの修理に乗り出す。また、デマに満ちた言いがかりに等しい密告により、鐡造は追放されそうになるが、そこはアメリカ、筋道を通した反論に耳を傾け、窮地を脱する。さて、石油の仕事を得たい鐡造ではあったが、石聯の流れを汲む人間たちがアメリカの石油業界を牛耳る者たちとつるんで仕事を得る中、独立不羈の精神・民族独立の意志を貫く鐡造には仕事が回ってこない。そんな中、水と泥を含んだ海軍の燃料タンクを浚って原油を入手する仕事を得る。これがどれだけ酷なことか。うまみがないから、他がやらない、というだけではない。水を含んだ原油は、固まる。さらに泥。流れない。だから、タンクの底にあるものをバケツリレーで汲むところから始めるしかない。しかも、タンクの底は酸欠場所である。それを国岡商会はやったのだ。その姿を見ていた者は、GHQにも、石油メジャーにもいた。彼らは将来、鐡造を助けることになる。悪名高いメ[レー報告などは幸いにも反故となり、また冷戦の緊張もあって日本は、精製施設を持つことが許された。そうなると、原油の確保が問題となる。多くの日本の石油会社はメジャーの系列になったが、鐡造はそれを拒否した。まずタンクの確保。旧三井物産のタンクが競売に鰍ッられるのだが、出来レースでシャンシャンになるところを、筋論で競争入札にした。その獲得費用は、銀行からの融資に鰍ッた。東京銀行の大江常務はタンク浚いをしていた国岡商店の若者を見ていた。そして、必要な費用を融資した。そんなこんなで、石油メジャーとその配下の石油会社との戦いは必ずしもフェアではなかったが、筋論と使命感で乗り越えていく。鐡造はタンカーをまた作り、メジャーじゃないアメリカの石油会社から石油を購入する。良質のガソリン(アャ香jを安価で消費者に提供した。暴利を貪れなくなった石油メジャーは、西海岸の取引会社に圧力を鰍ッる。すると、鐡造はヒューストンで石油を得る。だが、もう、アメリカは厳しい。そこにイランの石油を買う話を、ブリヂストンの社長を通じて持ちかけられる。イランは石油の国有化を行なったが、それをイギリスは認めなかった。帝国主義国家は、色々と「ルール」を設定し、やらずぶったくりを正当化する。イギリスも例外ではない。イランの石油を買うことは、イギリスを敵に回しかねないことだ。アメリカは、イランの共産化を恐れて、イギリスの帝国主義的行動を支持しなかった。モサデクのイランの正当性を確信した鐡造は購入を決意し、秘密裏に社員を派遣し、商談をまとめ、秘密裏にタンカーをイラン・アバダンに送る。本のクライマックスゆえに詳述しない。知略と勇気にただただ感動。そして、イランから日本に石油を持ち帰る。南方に眠る英霊の加護があったであろうことは、言うまでもない。拿捕されずに帰ったのだ。その後、事業は発展し、徳山には後にグリーンベルト一杯の工場のモデルとなるプラントを作る。千葉にはさらに大規模な、、、うんぬん。いいや。

 鐡造が人間として凄いのは、終戦時に59歳だったが、そこからでも情熱的だったこと。引退した80歳になってから、マルクス研究に打ち込む。その世界の第一人者を呼んでの講義。マルクス・マニアとしてはちょっと興味がある。

 さて、敗戦直後、社員に「日本人に帰れ」と檄を飛ばした鐡造は、実に日本人的でないと小生は思う。日本人と言えば、横並び、コネ、利権構築とよそ者排除が大好きな奴らだ。それが全て悪いとは言えない。狭い国土で乏しいものを分かち合って生きてきた日本人には、それが必要だったという面も確かにある。だが、鐡造の場合は、明治を生きた武士たちの倫理が念頭にあったのではないか。それこそが、「日本人」なんだ、と。そして、日本が戦争で徹底的に痛めつけられたのを、思い上がったことへの天譴として捉えている。安倍首相は、「美しい日本」と言い、戦前を変に美化している。ならば、愛読したこの本を熟読し、鐡造が憎んだ先の大戦を否定するべきである。そこに現れた、日本人の醜さをも否定するべきである。高市早苗の言うことを聞いたら、「大馬鹿者」と鐡造(出光佐三)は激怒するだろうなあ。とまあ、これは蛇足だな。



 以上のようにメモしたが、他にも、仙ガイ、家族のことを端折った。特に、身を引いたユキさんのことは、本当に悲劇だ。分かれても生涯愛し続けるって、何と書けばいいのか。
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エラーと四球

2013-05-23 08:34:00 | 野球
愛媛マンダリンパイレーツ0≠S徳島インディゴソックス
2013年5月22日(水曜日)18:03~
東予球場、快晴、最初はセンターに風、4回くらいから無風

 ちょっと体調が悪く、どうしようかなと思ったが、この球場は大変好きなので、やっぱり球場へ。ストレス発散なのだ。

 ゲームのほうは、両チームの投手、ボールがばらつき、球威はあるけどコントロールが悪い状態でどうなるかと思ったが、良く守り合った。守り合いの試合で浮「のは、題の通りだが、愛媛側がそれで負けた感じ。だが、負けるに至る流れを作ってしまったのも確かである。

 1回表、先頭吉村に真ん中のボールをライト前に痛打されて出塁を許すも、いきなり牽制で刺す。クイックターン! 東はセーフティーを狙うも、強い当たりのサード前へのゴロとなってしまう。大谷真徳、大谷龍次にはいずれも真ん中近くに投げてしまいクリーンヒットを打たれる。酒井の当たりもアウトコース寄りの甘い球、痛打されるがショート正面。

 1回裏、愛媛は1死1、2塁のチャンス。ここで四番金城の初級は、真ん中に落ちるカーブ。バットが出るのを見て先制と思ったら、アジャストし損ねてセカンドゴロゲッツー。緩い球だから普通に振りぬけばいいのに。これが3回裏の不細工な三振に繋がったと思う。2死満塁で、ボールからボールになるカーブを振ってしまったのが仇となった三振。仕留め損ねたカーブを無理に仕留めようとしていた。気持ちは分かるが、これでは相手の術中に嵌る。

 6回裏、藤長が内野安打。ショート前、緩いゴロを、名手東の一生懸命のプレーも及ばず。この試合、吉村のダイビングキャッチ、この東の再三に渡る好守が目立った。愛媛も落ち着いた良い守備が随所に見られた。四ツ谷は取ってからのスローが少し速くなったかな。さて、四番金城。これはもう無茶振り。最後はアウトハイのカーブを三振。あれが打てないと、打てるカーブがないよ。この後の守備から交代も、仕方ないか。真面目に一生懸命野球に取り組む選手だけに、金曜日には切り替えて欲しい。(ャCントはもう少し前でええんちゃう? ちょっと窮屈そうに振っているよ) しかし、ヒットメーカー大井が繋ぎ、1死1、3塁に。この日の大井は大ファールもあり、期待が持てた。そして、この日スタメン抜擢の岡本。初球積極的に行ったのはいいが、ちょっと力が入ったかな。サードに弾んだゴロ。サードは本塁送球を選ぶ素振りを見せたが、セカンド転送。遅れた分だけ、一塁セーフになるかと思ったが、間一髪アウトでチャンスは潰える。スイングの速さは素晴らしい。次に期待。

 さて、運命の七回表。先頭井生の当たりは緩いセカンドゴロ。別に慌てなくてもいいのに、グラブの上げが早く先っぽでつまむ形となり、ャ鴻梶B急いでトスするもファーストのグラブが対応し切れずに落球。続く小野はバント。投前に強い当たりとなり、犠打失敗。これで流れが切れると思ったのだが。岡崎への四球が痛かった。浮「吉村には慎重になったか、これも四球。4回くらいから落ち着いていた制球が再び乱れ出していた。東には良いピッチング。能登原を思い出させるようなカーブで空振りの三球三振。ここでねちっこい大谷真徳。初球、アウトコースの球は、高さ、横、それぞれ少しだけ甘かった。芯近くで捉えられた打球はセンター左へ。高田が取ると思ったが、最後は思いっきり切れ曲がった。グラブのほんの少し先を抜けたボールはフェンスまで。大井からの中継がやや乱れるのを見て、大谷は一気に本塁へ。ちょっと無茶だと思ったが、ボールの到達が微妙に遅れてホームイン。この時、悲惨なことが。タイミングはアウト臭いのだが、キャッチャーのブロックが少し遅れたか。ヘッドスライディングの大谷の手はベースを払いに行ったと思ったが、その手の上にレガーズが。固いベースとレガーズに挟まれる形となり、ミシッという嫌な音がネット裏に響く。もんどりうって転げまわる大谷。後で救急車がやってきた。

 8回裏、入野登板。不安定。1死満塁まで追いこんだが、愛媛の下位打線を力でねじ伏せた。金城に代わって入った高橋が繋いだときは、期待したんだが。


 さて、この試合、長野からお客さんが。昨日空路で高知入りし、高知球場のウェスタンリーグを観戦後、レンタカーで東予まで来られたらしい。ようこそ。今度は、こちらがBCLを観戦したい。


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常軌を逸した論説

2013-05-21 00:17:00 | よしなしごと
 掲題、南朝鮮(韓国)の中央日報。

http://japanese.joins.com/article/765/171765.html

 消えるかも知れないので、以下に転載。


 
【時視各角】安倍、丸太の復讐を忘れたか
2013年05月20日08時52分
[? 中央日報/中央日報日本語版]comment152hatena34.
神は人間の手を借りて人間の悪行を懲罰したりする。最も苛酷な刑罰が大規模空襲だ。歴史には代表的な神の懲罰が2つある。第2次世界大戦が終結に向かった1945年2月、ドイツのドレスデンが火に焼けた。6カ月後に日本の広島と長崎に原子爆弾が落ちた。

これらの爆撃は神の懲罰であり人間の復讐だった。
ドレスデンはナチに虐殺されたユダヤ人の復讐だった。広島と長崎は日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐だった。特に731部隊の生体実験に動員された丸太の復讐であった。同じ復讐だったが結果は違う。ドイツは精神を変え新しい国に生まれた。だが、日本はまともに変わらずにいる。

2006年に私はメ[ランドのアウシュビッツ収容所遺跡を訪問したことがある。ここでユダヤ人100万人余りがガス室で処刑された。どれもがぞっとしたが、最も衝撃的な記憶が2つある。ひとつはガス室壁面に残された爪跡だ。毒ガスが広がるとユダヤ人は家族の名前を呼んで死んでいった。苦痛の中で彼らは爪でセメントの壁をかいた。

もうひとつは刑罰房だ。やっとひとり程度が横になれる部屋に4~5人を閉じ込めた。ユダヤ人は互いに顔を見つめながら立ち続け死んでいった。彼らは爪で壁面に字を刻みつけた。最も多い単語が「god」(神)だ。

ナチとヒットラーの悪行が絶頂に達した時、英国と米国はドレスデン空襲を決めた。軍需工場があったがドレスデンは基本的に文化・件p都市だった。ルネッサンス以後の自由奔放なバロック建築美術が花を咲かせたところだ。3日間に爆撃機5000機が爆弾60万個を投下した。炎と暴風が都市を飲み込んだ。市民は火に焼けた。大人は子ども、子どもはひよこのように縮んだ。合わせて3万5000人が死んだ。

満州のハルビンには731部隊の遺跡がある。博物館には生体実験の場面が再現されている。実験対象は丸太と呼ばれた。真空の中でからだがよじれ、細菌注射を打たれて徐々に、縛られたまま爆弾で粉々になり丸太は死んでいった。少なくとも3000人が実験に動員された。中国・ロシア・モンゴル・韓国人だった。

丸太の悲鳴が天に届いたのか。45年8月に原子爆弾の爆風が広島と長崎を襲った。ガス室のユダヤ人のように、丸太のように、刀で頭を切られた南京の中国人のように、日本人も苦痛の中で死んでいった。放射能被爆まで合わせれば20万人余りが死んだ。

神の懲罰は国を改造して歴史を変えた。ドレスデン空襲から25年後、西ドイツのブラント首相はメ[ランドのユダヤ人追悼碑の前でひざまずいた。しとしと雨が降る日だった。その後ドイツの大統領と首相は機会があるたびに謝罪し許しを請うた。過去に対する追跡はいまでも続いている。ドイツ検察は最近アウシュビッツで刑務官を務めた90歳の男性を逮捕した。

ところが日本は違う。ある指導者は侵略の歴史を否定し妄言でアジアの傷をうずかせる。新世代の政治の主役という人が慰安婦は必要なものだと堂々と話す。安倍は笑いながら731という数字が書かれた訓練機に乗った。その数字にどれだけ多くの血と涙があるのか彼はわからないのか。安倍の言動は人類の理性と良心に対する生体実験だ。いまや最初から人類が丸太になってしまった。

安倍はいま幻覚に陥ったようだ。円安による好況と一部極右の熱気に目をふさがれ自身と日本が進むべき道を見られずにいる。自身の短い知識で人類の長く深い知性に挑戦することができると勘違いしている。

彼の行動は彼の自由だ。だが、神にも自由がある。丸太の寃魂がまだ解けていなかったと、それで日本に対する懲罰が足りないと判断するのも神の自由だろう。


 再掲するのもおぞましい文章の数々。日本には、安倍に対して警戒する動きや、あるいは排外主義右翼に対するカウンターの動きがキチンとある。そういうものへの配慮もなしに、#あらゆる人間を無差別に死滅する#核兵器の再投下を暗示するものは、日本の中の「左派」とされる部分が読めば、どのように思うか、考えているのだろうか? 被団協、原水禁を筆頭に。

 この文章を、いかなる意味でも擁護することは出来ない。
コメント (4)
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