『さいごの色街 飛田』(井上理津子著、筑摩書房)
(勿論、この読書メモも一八禁。)
こんなに面白く、危なく、そして切なく哀しい本もないだろう。女性ゆえに書くことが出来たと思う。どんな賛辞も足らないくらいだ。
本について触れる前に、個人的経験から。飛田は釜ヶ崎以上に洒落にならない街として教えられ、初めて踏み行ったのは、お寺の行事で「鯛よし百番」で食事をしたとき。二五年位前のお話。中曽根康弘大勲位の鰍ッ軸に、罰あたり坊主を筆頭に、蹴りを入れる仕草をして遊んでいた。
小学校五年位のお話。超ローカルネタ。きみちゃんという近所の串カツ屋の東横に、狭い路地があり、その奥まったところの家にとある女性が逃げて来た。大人たちは「飛田から逃げて来た子や、何を聞かれてもいてることを知られたらあかんから、知らんで通しや」と子供たちに説教。2日後、ヤクザそのものの兄ちゃんに、「ボン、かくかくしかじかの女の人見なんだか?」と訊くわけだが、示し合わせたように子供は「知らんで」。まぁ、何にせよ飛田っていうところは洒落ならんところ、というのが小生の記憶の中にある。
本を購入したときに眼に入ったのは、裏表紙の「料亭」(女性(この本では“女の子”)が売春をする店)の玄関、体を売る女性が座っているところに置いてあるキティーちゃん。何か場違いで悲しい風情を醸している。
筆者は「鯛よし百番」で開かれた新年会でこの街に初めて来て、その異様な風景に興味を惹かれたようだ。当然取材拒否の壁は高い。「早よ、帰らんかい」と凄まれる始末。しかし、軍艦マーチに誘われて戦意高揚。取材に踏み切る。
第一章は「飛田に行きましたか」と題して。行った男たちに取材。特殊な男ではなく、普通の男が客になる。セックステクニックはやはり凄いらしい。例えば、フェラでゴムを被せるのは当然。男心をくすぐるのも。ソープ嬢との「付き合い」を彷彿とさせる話とかはともかく、この街の風情が好きな人もいるようだ。大体は誰かに誘われて客になる。そして、昔はそういう遊びが当たり前だったのだ。セックス・スレイブ産業が当たり前だった時代は、ちょっと前まであった。
第二章は「飛田を歩く」と題して。今は亡き南海天王寺線、チンチン電車の平野線などで囲まれた、400m四方くらいの空間。それが飛田である。西隣は寄せ場の釜ヶ崎。昔は壁で周囲と遮断されていた飛田。筆者は飛田で抱きつきスリに遭うが、被害はなし。やはり、危なさはある。あ。「鯛よし 百番」。浮世と断絶された、趣向を凝らした装飾の数々は一見の価値ありと小生は思う。その鯛よしの主人も、「料亭」の地区のことは分からないらしい。鯛よしは「外」なのだ。「中」の経営者は金持ちで、子供には他の仕事についてもらうため、学をつけさせるから弁護士や医者になる子が多いらしい。さて。筆者はひょんなことから、街のスナックで「料亭」の息子に出会う。スナック「おかめ」の原田さん。当時も「料亭」を保管。コトをしていた殺風景な部屋と、賭博をしていた意匠を凝らした部屋を見学。その後、「おかめ」で仕事帰りの女の子の言うことに聞く耳を立てる。筆者としては余り知りたいことを知れなかったようだが、「仕事は専業」とか、大体歩ける範囲に住んでいるとか、座るのは一五分交代とか、興味深い話が書いてある。最初に身の上話を聞けた女の子は、この世界の典型例かと。中学生の時に兄に強姦され、親は多分ネグレクトで、田舎から逃げるように流れて来た。最初はソープ。だめんずに捕まり、、、。さて、直球勝負で「飛田新地料理組合」に取材を申し込むが、中々固い。ひっそりとさせといてんか、という訴えは分かる。結局、「宣伝してくれるんやったらええんや」と言われ、古い文献を渡される。この章の最後の話が悲しい。亡くなった女の子やおばちゃんを弔うための寺は必要だと小生は思う。高野山のとあるお寺がそうみたいだが、「そんなとこと関係あらへん」という仕打ちを受けているのだ。これも差別の一つだろう。
第三章は「飛田のはじまり」と題して。「マリア・クルーズ号」事件で逆切れしたペルー人の一言で「件ゥ妓解放令」が発令された。また、大阪の難波にあった遊郭は一九一二年の大火事で焼失していた。「解放令」を強い推進という時代状況にあったため、代替地が求められた。立憲同志会の水野與兵衛府会議員の利権などにまみれて、代替地は飛田に決定。いかがわしさ満開である。なお、江戸時代の飛田は墓場で、明治になって阿倍野に墓場は他の墓場と共に整理され、飛田は畑だったらしい。ちなみに、一八八〇年頃の大阪日本橋の写真。ここよりも田舎だったのが飛田。大阪府東成郡天王寺村大字堺田。
http://oldphotosjapan.com/ja/photos/378/tennoji-no-nagame
飛田の遊郭設置に対して婦人を中心に反対運動が起こったが、政治的圧力としては弱かった。この敗北が、婦人参政権運動のきっかけになったとか。キリスト教(おそらく救世軍)も頑張った。一九一八年一二月二九日、比較的ひっそりとスタート。そして、松島遊郭から「天野楼」などが引っ越してきて徐々に賑わうことになる。店を呼び込むために、「商業組合」が資金不足の業者に貸付を行った。まあ、結局はゼネコンが肥え太るシステムだったようだが。女郎さんが前借金を背負うのと同じ構図。飛田の営業形態は、妓楼に自分の部屋が与えられ、客を取る「居稼(てらし)」と呼ばれる形態。売春専門の街。出来た頃は「早い、安い、おいしい」男性天国。他の遊郭より下に見られていた。当時のこと、田舎、特に東北から売られてきた娘たち。飢饉の情報があると、女衒が走って行ったらしい。一八歳以上になると娼妓に。学歴は低く、男性体験は全員それ以前にある。生きるために最下層の女性が流れて来たことが本から分かる。事情のある女性ほど、頑張るので“ええ子”とされていた。借金は減らないように、部屋代や食費を取られる。阿部定も飛田にいたらしい。飛田と違うが、以下の文章は衝撃的だ。
滋賀県八日市市(現東近江市)にあった八日市新地遊郭では、娼妓になる儀式として、女性を、死者の湯灌に見立てた「人間界最後の別れ風呂」に入れ、その後、土間に蹴落とし、全裸で、麦飯に味噌汁をかけた「ネコメシ」を手を使わずに食べさせた。人間界から「畜生界」に入ると自覚させたのだという。「男根神」とかいて「おとこさん」と呼ぶ木の棒を強制的に性器に入れる「入根の儀式」というのも行なわれたという。
(p106)
売春業と言えば性病との闘い。二と七のつく日が検査日。「親にも見せない玉手箱」を情け容赦なく医者は検診。数年の間この世界にいて、非罹患率はたったの三%。この娼妓たちのカウンセラーに篠原無然という人がいる。学のない娼妓たちに文字を教え、思いをつづらせた。娼妓たちの詩は辛くて引用はしない。
飛田の戦前の全盛期は昭和五年から、一二年頃までらしい。大恐慌から、戦前最後の好景気直前までか。夜の三時も宵の口の不夜城。飛田に行く客のおかげで、周辺も潤った。それも戦火が深まると下火に。
第四章は「住めば天国、出たら地獄――戦後の飛田」と題して。飛田は焼けなかった。五龍さんのおかげらしい。飛田で食う、あるいは食い物にしてやろうという輩で終戦直後はごった返す。ヤクザ、ヨタモン、闇ブローカーで溢れ、暴力の街に。娼妓は「接待婦」となり、売春は黙認された。RAAが設置された時代。GHQは飛田の建物を見て古臭いという理由で慰安所にしなかったらしい。この時代、「赤線」という言葉が出来る。警察が売春を認めた場所。その周囲が青線。さらに周辺のャ嶋ォの多いところが白線。赤線は高価な所になった。焼け出された松島遊郭から引っ越す業者もいた。この時代の女の子は九州、四国が多かったらしい。また、赤線地帯に辿りつくまでの白線や青線のャ嶋ォなどが浮ゥったようだ。無法地帯。そして売春防止法施行(昭和三二年)の時代へ。面白いのは、羽仁五郎@忘れ去られた人 が「警察権限の強化や人権侵害につながる」と反対したこと。「社会的・政治的条件が未整備のまま、法律と警察で売春を防止するのは不可能に等しい」(p133)。なかなか鋭い。なお、売防法は刑罰の対象に売春婦は入っていない。客引きや経営者を罰するのだ。この時代から売防法が変わらないのは「票にならないから」とのこと。施行により、生活不安を経営者は感じたが、女将にはほっとする面もあったそうな。心労が多い稼業で早死にが多かったそうな。売春婦のために「婦人相談所」が設置されたが、世間の眼もあり転業は中々うまく行かなかったようである。また、親方たちは女郎を月メに仕立て、「客との自由恋愛」という名目で宿を下宿屋や旅館にして利用させる。そんな時代、「殺しの軍団」柳川組(伝説の在日軍団)が、飛田をシマにしていた鬼頭組と戦争をして飛田を手中に収めようとする。結局柳川組が勝利するが、柳川組は後に山口組の傘下に入る。この暴力沙汰が飛田とその周辺の人の連帯感を高めたのでは、と筆者は言う。警察は売防法完全施行のために頑張る。女性を保護し、お金を持たせて田舎に帰すが、「結論を言うと、売春婦まで落ちた女性は転業ができなかった。田舎に居場所がなかった。(中略)貧困の構造には太刀打ちできなかった……」(p143) 指揮した四方修@グリコの犯人捕まえろ は言う。売防法施行後、赤・青・白線の境目はなくなっていき、暴力団との関係が濃厚になり、無法地帯化が進む。一方、昭和三六年の釜の暴動に飛田は怯える。そして高度経済成長の時代に。アホほど儲かったらしい。結局、昔のスタイルに。百万円の束が家の中にゴロゴロ。泥棒は浮ェって入らない。無法地帯では困るので、小さなことからコツコツと、浄化作戦を実施。河内音頭で盆踊り。テーマソングの制作。「花の大門灯りがつけば」と題する歌。一番だけでも引用。
花の大門、灯りがつけば
なびく柳に 彼女(あのこ)のえがお
明るい西成 楽しい飛田
君と僕との 新天地 新天地
(p160)
擬似恋愛の街。あ、浄化作戦。警察の言うことを、出来ることからコツコツとしていったというところだね。それから、女性器を使ったストリップ撃熹c発祥らしい。「何が何でも、この仕事で食べていかな、つぶしが効かん」という切迫感が凄いテクに繋がっているようである。この街に来る女の子は訳ありだ。阪大の院生もいたらしい。そういや、京大のAV女優がばれて一部で騒ぎになってたなあ。
第五章は「飛田に生きる」と題して。現状、大体女の子は四五〇人くらい、おばちゃんは二〇〇人くらい、経営者は一四〇人くらいらしい。経営者は飛田新地料理組合に属している。ひっそりとやるために、ホームページはない。周囲の人間は中の話を聞かないから知らない。夏祭りは周囲の地域の子供も入り賑やからしい。その間だけ、写真OK。さて、「おかめ」のおっちゃん、原田さん。将来店に入る女の子に、強チンされたのが初体験らしい。女の子はボコボコにおかんに殴られたらしいけど、その女の子としては予行演習だったのか。原田さんは乞食から大金持ちまで様々な経験をして飛田に戻ってきた。そして、店を潰せない本当の理由を著者に話す。『開かずの間』があるかららしい。仕置き部屋?病気になった女の子が死んでいった部屋?観に行こうとして、余りにも悪い気を感じて断念するほどの。そういう次第で店を潰せない人が何人かいるらしい。深夜は追剥ぎが出るらしい。おばちゃんをやっている人にも取材。田口さん夫婦。奥さんはご多分に洩れず、苦労して育ち、お好み焼屋を飛田周辺でやってたが、商売にならない客(笑)相手で店をたたみ、おばちゃんに。ご主人はヤクザ、設備屋、釜の鳶、そして体を壊して生保。ご夫婦の生きがいは創価学会らしい。お題目というか、お経は確かに効くんだよね。経営者にもインタビュー。何にせよ、紹介がないとインタビュー出来ないみたいだ。彼女も旋盤工や工場経営者、保険員などで苦労してこの世界に。仕事に抵抗はあるが割り切って。良かったことなど一回もない、と。多分、珍しく娘さんが二軒のうち一軒の後を継ぐ。「やむにやまれず」「食いあぐねて」。不動産を調べようと、メモを取ったら「やめとき」と声を鰍ッられる。「素人が料亭するのは絶対無理やんな」「無理無理」。女の子の調達は当然自前。蛇の道は蛇。なお、不動産屋に出る物件はいわくつき。普通は出ない。ヤクザの取材。係わりは女の子の調達くらいか。組ってよりは組員のシノギの一つ。口八丁で家出娘なんかをスカウト、あるいはだます。まあ、夕刊紙などの求人広告でお店も調達しているらしいが。複雑な経路で。警察もお目こぼしでガサ情報を業者に流しているらしい。パチンコで借金こさえた子も狙い目。さて。スメ[ツ紙(?)を見て筆者は電話面接にトライ。四八歳でも無問題。銭のお話もストレートに。ゴムはないことを推奨。とにかく、女の子を求めているようだ。あと。闇金にも会おうとしたが、これは空振りみたいだ。
第六章は「飛田で働く人たち」と題して。警察と仲良くやっていることは先に書かれていた通りだが、西成警察署長やら西成交通安全協会会長やらから感謝状がいくつも贈られているとは。公的機関の覚えがめでたくないと商売に刺し障るんだろうな。で。
料理組合の組合長と茶髪の弁護士が二人でにっこり笑顔で写っている写真が、そこにあったのだ。
「あれ? これ橋下知事。『行列のできる法律相談所』に出ていたころの橋下知事ですよね?」
「そうや。組合の顧問弁護士。(略)」
(p228)
橋下氏がサラ金弁護士をやっていたのは有名な話だが、この世界にも係わっていたとは。彼は、既得権の世界でも最もエグい部分の利権の守護者であったということだ。多分、半グレではなく、もっと古い世界の代弁者なのだ。
で。「おかめ」が消えていた。結論から書くと飛田を情緒のある昔の世界に変えようとして、その古い人たちに疎まれていられなくなったらしい。さて、とうとう著者は面接を受けに。とはいえ、実際に受けるのは知人。刺青禁止。専業希望。電話と同じく、何とかやらせようとする店側。で、部屋を見せてもらう。そこにこの商売のエグい小道具が。セックスの後、膣内を洗浄する半透明の薄緑色のホース。その先は、強烈な逆性石鹸(オスバン水溶液)に浸けてある。そんなの、デリケートな おめこ に突っ込んだら、、、男で言えば、チンチンをタバスコに入れるようなもんやで?
さて。警察への取材。警察は思いっきり逃げ腰。被害者からの通報がないと動けないとのこと。逆に言えば、あれば動く。今は風俗案内所やファッションヘルスのほうが悪質だし、軸足を置いているらしい。次に、女の子の話を聞きたく、ビラを撒いて電話インタビュー。身の上話を誰かにした人とか、お金に切羽詰まった人から電話がある。分かることは、法律も知らず、人権保護のシステムも知らず、ネグレクトやら虐待の被害者が多そうだということ。子連れも多そう。這い上がるためのロールプレイヤーが周りにいず、ズルズルとこの世界に。どうしようもない貧困、金銭じゃなくセカイの貧困。それの連鎖。そしてそれらを貶める差別。
(勿論、この読書メモも一八禁。)
こんなに面白く、危なく、そして切なく哀しい本もないだろう。女性ゆえに書くことが出来たと思う。どんな賛辞も足らないくらいだ。
本について触れる前に、個人的経験から。飛田は釜ヶ崎以上に洒落にならない街として教えられ、初めて踏み行ったのは、お寺の行事で「鯛よし百番」で食事をしたとき。二五年位前のお話。中曽根康弘大勲位の鰍ッ軸に、罰あたり坊主を筆頭に、蹴りを入れる仕草をして遊んでいた。
小学校五年位のお話。超ローカルネタ。きみちゃんという近所の串カツ屋の東横に、狭い路地があり、その奥まったところの家にとある女性が逃げて来た。大人たちは「飛田から逃げて来た子や、何を聞かれてもいてることを知られたらあかんから、知らんで通しや」と子供たちに説教。2日後、ヤクザそのものの兄ちゃんに、「ボン、かくかくしかじかの女の人見なんだか?」と訊くわけだが、示し合わせたように子供は「知らんで」。まぁ、何にせよ飛田っていうところは洒落ならんところ、というのが小生の記憶の中にある。
本を購入したときに眼に入ったのは、裏表紙の「料亭」(女性(この本では“女の子”)が売春をする店)の玄関、体を売る女性が座っているところに置いてあるキティーちゃん。何か場違いで悲しい風情を醸している。
筆者は「鯛よし百番」で開かれた新年会でこの街に初めて来て、その異様な風景に興味を惹かれたようだ。当然取材拒否の壁は高い。「早よ、帰らんかい」と凄まれる始末。しかし、軍艦マーチに誘われて戦意高揚。取材に踏み切る。
第一章は「飛田に行きましたか」と題して。行った男たちに取材。特殊な男ではなく、普通の男が客になる。セックステクニックはやはり凄いらしい。例えば、フェラでゴムを被せるのは当然。男心をくすぐるのも。ソープ嬢との「付き合い」を彷彿とさせる話とかはともかく、この街の風情が好きな人もいるようだ。大体は誰かに誘われて客になる。そして、昔はそういう遊びが当たり前だったのだ。セックス・スレイブ産業が当たり前だった時代は、ちょっと前まであった。
第二章は「飛田を歩く」と題して。今は亡き南海天王寺線、チンチン電車の平野線などで囲まれた、400m四方くらいの空間。それが飛田である。西隣は寄せ場の釜ヶ崎。昔は壁で周囲と遮断されていた飛田。筆者は飛田で抱きつきスリに遭うが、被害はなし。やはり、危なさはある。あ。「鯛よし 百番」。浮世と断絶された、趣向を凝らした装飾の数々は一見の価値ありと小生は思う。その鯛よしの主人も、「料亭」の地区のことは分からないらしい。鯛よしは「外」なのだ。「中」の経営者は金持ちで、子供には他の仕事についてもらうため、学をつけさせるから弁護士や医者になる子が多いらしい。さて。筆者はひょんなことから、街のスナックで「料亭」の息子に出会う。スナック「おかめ」の原田さん。当時も「料亭」を保管。コトをしていた殺風景な部屋と、賭博をしていた意匠を凝らした部屋を見学。その後、「おかめ」で仕事帰りの女の子の言うことに聞く耳を立てる。筆者としては余り知りたいことを知れなかったようだが、「仕事は専業」とか、大体歩ける範囲に住んでいるとか、座るのは一五分交代とか、興味深い話が書いてある。最初に身の上話を聞けた女の子は、この世界の典型例かと。中学生の時に兄に強姦され、親は多分ネグレクトで、田舎から逃げるように流れて来た。最初はソープ。だめんずに捕まり、、、。さて、直球勝負で「飛田新地料理組合」に取材を申し込むが、中々固い。ひっそりとさせといてんか、という訴えは分かる。結局、「宣伝してくれるんやったらええんや」と言われ、古い文献を渡される。この章の最後の話が悲しい。亡くなった女の子やおばちゃんを弔うための寺は必要だと小生は思う。高野山のとあるお寺がそうみたいだが、「そんなとこと関係あらへん」という仕打ちを受けているのだ。これも差別の一つだろう。
第三章は「飛田のはじまり」と題して。「マリア・クルーズ号」事件で逆切れしたペルー人の一言で「件ゥ妓解放令」が発令された。また、大阪の難波にあった遊郭は一九一二年の大火事で焼失していた。「解放令」を強い推進という時代状況にあったため、代替地が求められた。立憲同志会の水野與兵衛府会議員の利権などにまみれて、代替地は飛田に決定。いかがわしさ満開である。なお、江戸時代の飛田は墓場で、明治になって阿倍野に墓場は他の墓場と共に整理され、飛田は畑だったらしい。ちなみに、一八八〇年頃の大阪日本橋の写真。ここよりも田舎だったのが飛田。大阪府東成郡天王寺村大字堺田。
http://oldphotosjapan.com/ja/photos/378/tennoji-no-nagame
飛田の遊郭設置に対して婦人を中心に反対運動が起こったが、政治的圧力としては弱かった。この敗北が、婦人参政権運動のきっかけになったとか。キリスト教(おそらく救世軍)も頑張った。一九一八年一二月二九日、比較的ひっそりとスタート。そして、松島遊郭から「天野楼」などが引っ越してきて徐々に賑わうことになる。店を呼び込むために、「商業組合」が資金不足の業者に貸付を行った。まあ、結局はゼネコンが肥え太るシステムだったようだが。女郎さんが前借金を背負うのと同じ構図。飛田の営業形態は、妓楼に自分の部屋が与えられ、客を取る「居稼(てらし)」と呼ばれる形態。売春専門の街。出来た頃は「早い、安い、おいしい」男性天国。他の遊郭より下に見られていた。当時のこと、田舎、特に東北から売られてきた娘たち。飢饉の情報があると、女衒が走って行ったらしい。一八歳以上になると娼妓に。学歴は低く、男性体験は全員それ以前にある。生きるために最下層の女性が流れて来たことが本から分かる。事情のある女性ほど、頑張るので“ええ子”とされていた。借金は減らないように、部屋代や食費を取られる。阿部定も飛田にいたらしい。飛田と違うが、以下の文章は衝撃的だ。
滋賀県八日市市(現東近江市)にあった八日市新地遊郭では、娼妓になる儀式として、女性を、死者の湯灌に見立てた「人間界最後の別れ風呂」に入れ、その後、土間に蹴落とし、全裸で、麦飯に味噌汁をかけた「ネコメシ」を手を使わずに食べさせた。人間界から「畜生界」に入ると自覚させたのだという。「男根神」とかいて「おとこさん」と呼ぶ木の棒を強制的に性器に入れる「入根の儀式」というのも行なわれたという。
(p106)
売春業と言えば性病との闘い。二と七のつく日が検査日。「親にも見せない玉手箱」を情け容赦なく医者は検診。数年の間この世界にいて、非罹患率はたったの三%。この娼妓たちのカウンセラーに篠原無然という人がいる。学のない娼妓たちに文字を教え、思いをつづらせた。娼妓たちの詩は辛くて引用はしない。
飛田の戦前の全盛期は昭和五年から、一二年頃までらしい。大恐慌から、戦前最後の好景気直前までか。夜の三時も宵の口の不夜城。飛田に行く客のおかげで、周辺も潤った。それも戦火が深まると下火に。
第四章は「住めば天国、出たら地獄――戦後の飛田」と題して。飛田は焼けなかった。五龍さんのおかげらしい。飛田で食う、あるいは食い物にしてやろうという輩で終戦直後はごった返す。ヤクザ、ヨタモン、闇ブローカーで溢れ、暴力の街に。娼妓は「接待婦」となり、売春は黙認された。RAAが設置された時代。GHQは飛田の建物を見て古臭いという理由で慰安所にしなかったらしい。この時代、「赤線」という言葉が出来る。警察が売春を認めた場所。その周囲が青線。さらに周辺のャ嶋ォの多いところが白線。赤線は高価な所になった。焼け出された松島遊郭から引っ越す業者もいた。この時代の女の子は九州、四国が多かったらしい。また、赤線地帯に辿りつくまでの白線や青線のャ嶋ォなどが浮ゥったようだ。無法地帯。そして売春防止法施行(昭和三二年)の時代へ。面白いのは、羽仁五郎@忘れ去られた人 が「警察権限の強化や人権侵害につながる」と反対したこと。「社会的・政治的条件が未整備のまま、法律と警察で売春を防止するのは不可能に等しい」(p133)。なかなか鋭い。なお、売防法は刑罰の対象に売春婦は入っていない。客引きや経営者を罰するのだ。この時代から売防法が変わらないのは「票にならないから」とのこと。施行により、生活不安を経営者は感じたが、女将にはほっとする面もあったそうな。心労が多い稼業で早死にが多かったそうな。売春婦のために「婦人相談所」が設置されたが、世間の眼もあり転業は中々うまく行かなかったようである。また、親方たちは女郎を月メに仕立て、「客との自由恋愛」という名目で宿を下宿屋や旅館にして利用させる。そんな時代、「殺しの軍団」柳川組(伝説の在日軍団)が、飛田をシマにしていた鬼頭組と戦争をして飛田を手中に収めようとする。結局柳川組が勝利するが、柳川組は後に山口組の傘下に入る。この暴力沙汰が飛田とその周辺の人の連帯感を高めたのでは、と筆者は言う。警察は売防法完全施行のために頑張る。女性を保護し、お金を持たせて田舎に帰すが、「結論を言うと、売春婦まで落ちた女性は転業ができなかった。田舎に居場所がなかった。(中略)貧困の構造には太刀打ちできなかった……」(p143) 指揮した四方修@グリコの犯人捕まえろ は言う。売防法施行後、赤・青・白線の境目はなくなっていき、暴力団との関係が濃厚になり、無法地帯化が進む。一方、昭和三六年の釜の暴動に飛田は怯える。そして高度経済成長の時代に。アホほど儲かったらしい。結局、昔のスタイルに。百万円の束が家の中にゴロゴロ。泥棒は浮ェって入らない。無法地帯では困るので、小さなことからコツコツと、浄化作戦を実施。河内音頭で盆踊り。テーマソングの制作。「花の大門灯りがつけば」と題する歌。一番だけでも引用。
花の大門、灯りがつけば
なびく柳に 彼女(あのこ)のえがお
明るい西成 楽しい飛田
君と僕との 新天地 新天地
(p160)
擬似恋愛の街。あ、浄化作戦。警察の言うことを、出来ることからコツコツとしていったというところだね。それから、女性器を使ったストリップ撃熹c発祥らしい。「何が何でも、この仕事で食べていかな、つぶしが効かん」という切迫感が凄いテクに繋がっているようである。この街に来る女の子は訳ありだ。阪大の院生もいたらしい。そういや、京大のAV女優がばれて一部で騒ぎになってたなあ。
第五章は「飛田に生きる」と題して。現状、大体女の子は四五〇人くらい、おばちゃんは二〇〇人くらい、経営者は一四〇人くらいらしい。経営者は飛田新地料理組合に属している。ひっそりとやるために、ホームページはない。周囲の人間は中の話を聞かないから知らない。夏祭りは周囲の地域の子供も入り賑やからしい。その間だけ、写真OK。さて、「おかめ」のおっちゃん、原田さん。将来店に入る女の子に、強チンされたのが初体験らしい。女の子はボコボコにおかんに殴られたらしいけど、その女の子としては予行演習だったのか。原田さんは乞食から大金持ちまで様々な経験をして飛田に戻ってきた。そして、店を潰せない本当の理由を著者に話す。『開かずの間』があるかららしい。仕置き部屋?病気になった女の子が死んでいった部屋?観に行こうとして、余りにも悪い気を感じて断念するほどの。そういう次第で店を潰せない人が何人かいるらしい。深夜は追剥ぎが出るらしい。おばちゃんをやっている人にも取材。田口さん夫婦。奥さんはご多分に洩れず、苦労して育ち、お好み焼屋を飛田周辺でやってたが、商売にならない客(笑)相手で店をたたみ、おばちゃんに。ご主人はヤクザ、設備屋、釜の鳶、そして体を壊して生保。ご夫婦の生きがいは創価学会らしい。お題目というか、お経は確かに効くんだよね。経営者にもインタビュー。何にせよ、紹介がないとインタビュー出来ないみたいだ。彼女も旋盤工や工場経営者、保険員などで苦労してこの世界に。仕事に抵抗はあるが割り切って。良かったことなど一回もない、と。多分、珍しく娘さんが二軒のうち一軒の後を継ぐ。「やむにやまれず」「食いあぐねて」。不動産を調べようと、メモを取ったら「やめとき」と声を鰍ッられる。「素人が料亭するのは絶対無理やんな」「無理無理」。女の子の調達は当然自前。蛇の道は蛇。なお、不動産屋に出る物件はいわくつき。普通は出ない。ヤクザの取材。係わりは女の子の調達くらいか。組ってよりは組員のシノギの一つ。口八丁で家出娘なんかをスカウト、あるいはだます。まあ、夕刊紙などの求人広告でお店も調達しているらしいが。複雑な経路で。警察もお目こぼしでガサ情報を業者に流しているらしい。パチンコで借金こさえた子も狙い目。さて。スメ[ツ紙(?)を見て筆者は電話面接にトライ。四八歳でも無問題。銭のお話もストレートに。ゴムはないことを推奨。とにかく、女の子を求めているようだ。あと。闇金にも会おうとしたが、これは空振りみたいだ。
第六章は「飛田で働く人たち」と題して。警察と仲良くやっていることは先に書かれていた通りだが、西成警察署長やら西成交通安全協会会長やらから感謝状がいくつも贈られているとは。公的機関の覚えがめでたくないと商売に刺し障るんだろうな。で。
料理組合の組合長と茶髪の弁護士が二人でにっこり笑顔で写っている写真が、そこにあったのだ。
「あれ? これ橋下知事。『行列のできる法律相談所』に出ていたころの橋下知事ですよね?」
「そうや。組合の顧問弁護士。(略)」
(p228)
橋下氏がサラ金弁護士をやっていたのは有名な話だが、この世界にも係わっていたとは。彼は、既得権の世界でも最もエグい部分の利権の守護者であったということだ。多分、半グレではなく、もっと古い世界の代弁者なのだ。
で。「おかめ」が消えていた。結論から書くと飛田を情緒のある昔の世界に変えようとして、その古い人たちに疎まれていられなくなったらしい。さて、とうとう著者は面接を受けに。とはいえ、実際に受けるのは知人。刺青禁止。専業希望。電話と同じく、何とかやらせようとする店側。で、部屋を見せてもらう。そこにこの商売のエグい小道具が。セックスの後、膣内を洗浄する半透明の薄緑色のホース。その先は、強烈な逆性石鹸(オスバン水溶液)に浸けてある。そんなの、デリケートな おめこ に突っ込んだら、、、男で言えば、チンチンをタバスコに入れるようなもんやで?
さて。警察への取材。警察は思いっきり逃げ腰。被害者からの通報がないと動けないとのこと。逆に言えば、あれば動く。今は風俗案内所やファッションヘルスのほうが悪質だし、軸足を置いているらしい。次に、女の子の話を聞きたく、ビラを撒いて電話インタビュー。身の上話を誰かにした人とか、お金に切羽詰まった人から電話がある。分かることは、法律も知らず、人権保護のシステムも知らず、ネグレクトやら虐待の被害者が多そうだということ。子連れも多そう。這い上がるためのロールプレイヤーが周りにいず、ズルズルとこの世界に。どうしようもない貧困、金銭じゃなくセカイの貧困。それの連鎖。そしてそれらを貶める差別。