TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

読書メモ:『「ファインマン物理学」を読む』

2020-03-22 15:34:00 | 読書
 『「ファインマン物理学」を読む 普及版 ──電磁気学を中心として』(駐煬O著、ブルーバックス)

 電磁気学の初学者が、「なんだか良く分からない」という状態になったとき、読むと良さそうな本。ファインマン先生の本に倣い、いきなり時間の偏微分項を含むマクスウェルの方程式から入る。div, rotなどを知っていたら、右ねじの法則などで理解出来るだろう。符号の意味も分かりやすく書いている。そして、これが大事なのだが、「電場(E)」と、「磁束密度(B)」と真空の誘電率ε0、光速cのみで表現している。多くの教科書は電束(D)、磁場(H)、電気分極(P)、真空の磁化率(μ0)が入ってとてもややこしく、訳が分からなくなる。この本は枝葉の説明は少しにし、EとBのみで殆ど説明している。なので、色々な物がすっきりと入ってくる。但し、ある程度は電磁気学やベクトル解析を理解していないと厳しいかも。そして、最初から電磁気学は相対性理論と無縁ではないことが分かりやすく説かれている。「正の電荷が導線を流れる電流と同じ方向で動けば引き合うが、だが座標を正の電荷と同様に動かすと、反発する」という矛盾は、相対性理論なしでは解決不能。古典的電磁気学は、相対性理論を加味した電磁気学と、量子電磁気学の近似なのだ。

 前半は教科書っぽいが、後半は面白くて「ほぉ!」という話ばかり。偏光とは何か。ファインマン図。くりこみ理論。電磁気学は古典であれ、量子電磁気学であれ、「電子は無限のエネルギー」ということになるが、それを回避するための理論らしい。「裸の」電子の質量は9.1x10^(-31)kgではないという話は面白い。また、「くりこみ」なので、0次、1次、2次、、、、と無限に求めることが出来るというのも興味深い。

 最後に、ファインマン先生がロスアラモスで原爆開発に携わった苦悩は、理論物理学者と雖も歴史の理不尽から逃れられない話と思った。


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読書メモ:『近鉄魂とはなんだったのか?』

2020-03-18 20:46:00 | ノンジャンル
『近鉄魂とはなんだったのか? ――最後の選手会長・礒部公一と探る』(元永知宏著、集英社)


 歴史には数多くの球団が登場し、消えていった。ただ、近鉄ほど強烈なチームカラーを出したチームも珍しいのではないか。テレビ朝日はあの10.19以降だったと思うが、応援団が相手チームの「マウンド集合」の時に発する「いてまえ」コールを使って、「いてまえ打線」と形容したと記憶する。磯部公一は近鉄魂を「いてまえ」とこの本で表現した。

 「いてもうたれ」というどぎつい河内弁。でもこれ以上に近鉄を表現する言葉はない。小生が野球を見始めたのは1972、3年で、近所に近鉄ファンの人がいた関係で近鉄ファンになった。まだ「B」の字だけの帽子だったと思う。そして1974年に西本幸雄さんが監督となり、近鉄の歴史は始まった。それ以前にも良い選手はいるにはいたと聞いている(児玉内野手など)が、基本鈴木投手のワンマンチームだったらしい。西本監督の見立ては違っていたようだが。ということは、小生は物心ついた頃から「近鉄正史」をファンとしてしばらく見ていたことになる。1987年からは故あってホークスに惹き付けられたのだが。

 この本にも書かれているが、西本監督は鉄拳も辞さない指導で阪急を強くしたように、近鉄を強くした。徹底的に鍛え上げた。というのは、西本監督には強い信念があったからだ。その一つが以下の言葉である。

 「プロ野球選手の寿命は短いんだから、2、3年でメドが立つようにしないといかん。指導する人間がいいかげんなことを言ったら、悪いクセがすぐにつく。近鉄では金を使わずに成果を上げないといけなかった。そんなに時間もないからね。コーチが教え方をわからないようなときには、コーチも選手と一緒に教えたよ」(p025)

 情熱的で徹底的な指導は西本退任後も、近鉄の伝統となる。門限は基本的にない、と聞けば緩そうだが、グラウンドでは猛練習と熱い試合をする。そして、諦めたらそこで終わりという西本の信念は試合にも表れる。極端なシーズンは、2001年の優勝であろう。ノーガードベースボール。やられたらやり返せ。ドラマチックバファローズ。近鉄の芯を作ったのは西本であり、それは球団消滅まで続いた。

 この本は西本が芯を作った伝統がどのように受け継がれて行ったかを、栗橋、金村、水口、梨田らに語らせる。また、富雄の「B≠bRAZY」の熱狂的近鉄ファンの浅川氏にファンから見た近鉄でその魅力を語らせる。

 はちゃめちゃで、やると思えばやらない、駄目と思えば信じられない方法で勝ったり躍進したりする。こんな魅力的なチームがあったのだ、と伝わってくる。そして、本書の締めが泣かせる。立教野球部の後輩である著者の言葉が。


 西本さん、教え子のみなさんはいまでも恩師の教えを守っています。
 近鉄という球団がなくなっても、近鉄の遺伝子を受け継いだ男たちが野球界で頑張っています。
 あなたがつくりあげた近鉄は、いまでも大勢のファンに愛されています。


 南海ホークスを作ったのは鶴岡監督で、その教え子(ご本人は嫌がりそうだが)の野村監督が大いに野球界に貢献したように、西本幸雄の野球は阪急、近鉄の元選手たちを通じて生きている。
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