『牛を飼う球団』(喜瀬雅則著、小学館)
2007年オフ、高知球団は消滅の危機を迎えた。その危機を救った社長をメインに、多くの人が奇想天外で「野球チームなの?」と言いたくなるような取り組みで球団経営を盛り立てる、というか、救っちゃう物語。
高知球団を一言で言うと「フレンドリー」だ。ビジターの客ももてなす。大阪人相手には、お笑いのツボをつかんだセールストークでグッズなどを買わせる(別名:443を中心とした押し売り軍団)。
経営というものの本質を掴み、新たな形で地域貢献をする高知球団の経営とは、その理念とはいかなるものであるかが示され、「本気の地域貢献、地域振興」にヒントを与えてくれる経営学の本だと小生は思う。
この本を読んで高知ファイティングドッグスに興味を持たれた方は、是非高知の試合を。ビジター側であっても、彼らの熱心な姿を見ることはできるから、徳島や香川でも見ることはできる。本の記述以上に熱く、面白い人間集団がそこにはある。
日程はこちらのサイトから。
http://www.iblj.co.jp/
http://www.fighting-dogs.jp/
というわけで、「おもしれえ」と思ったことを箇条書き。
・高知は「先進地域」。高齢化と過疎化と人口減少の。
・北古味鈴太郎さんが球団を持つことの背中を押したのは、故郷・高知でなじみの寿司店に入ったとき、球団消滅の危機にあった高知の選手が坊ちゃんスタジアムで募金活動をしている姿がテレビに映っていて、それを偶然見たこと。その三時間前、北古味さんはリーグ側とオーナー就任の話し合いを終えていた。
・テレビを見て思ったのは、「県外の人たちにお願いしているのが悔しかった」ということ。ちなみにこの募金の時の試合に関する自前ブログは以下のリンク先に。
http://red.ap.teacup.com/tamo2/549.html
・北古味さんは、土佐高を出て家出をした。弟さんが高校の恩師に連絡すると「アイツは高知に収まるようなヤツとは違う」と笑う。その後、バーテン、そして不動産会社で建売の仕事。お客様の利益のために不動産自体を金融商品として扱い、証券化する。理不尽な課税が許せなかったから。サブプライムちゃうよ? それで成功し、会社を設立した頃に、高知FDのSOSが届く。
・北古味さんは一年のGWまで野球部にいたが体質に馴染めずやめる。人望ゆえに周囲は引き留めた。捕手を勧められたが「人に背を向けて守るなんておかしい」。
・鍵山リーグ代表と北古味さんはすぐに意気投合。が、迷いはあった。そして先に書いた寿司屋でニュースを見ているときに、土佐高の同級生である武政重和さんがやってくる。その前に、武政さんは藤川順一さん(後のGM、阪神の藤川の兄)に会っていた。翌日、武政さんの仲介で北古味さんと藤川さんが会い、三人は球団経営にかかわることになる。
・四国アイランドリーグファンなら水の「日本トリム」が高知のスャ塔Tーになっていることを知っているはず。鍵山さんが「北古味を支えるために」とスャ塔Tーを依頼した。社長の森澤さんは土佐清水市の出身。金は出すけど口は出さない人だった。
・浅くても広くスャ塔Tーを集め、2014年には451社。
・木屋信明さんは北古味さんの同級生。阪大で休学し、ブラジルに渡る。地元の人がバーベキューをしながらサッカーをし、その横にはトップチームが練習をしていることに衝撃を受ける。阪大大学院を出て開発途上国の教育の現状分析に始まり、学習改善のプランを相手国の公的機関と共に練り上げ、作成する仕事に携わる。お金を貯めて50歳くらいで夢のスメ[ツクラブを高知に作りたいと考える。
・2009年、越知町のホームタウン化。木屋さんは膝を打つ。FDの運動教室は町の子供の運動能力の向上に貢献し、隣町である佐川町との摩擦を緩和する。選手の寮は佐川町にある。入寮はイベントとなり、毎年高知全域に発信される。
・2012年、北古味さんは木屋さんに声をかける。「農業、やってくれん?」と。選手が農作業に従事することは、地域の労働に入ることだ。農業でも木屋さんはPDCAを回している。(今年、木屋さんの夢であるサッカー事業と高知FDは提携した。)
・牛の世話係は青木走野(そうや)だった。名前の由来はトム・ソーヤ。今は日ハムの広報で、少し前は大谷の広報だった。ちなみに大谷の兄は高知にいた。
・北古味さんは農業高校が牛を売りに出しているのを見て閃いた。農業関係者を中心とした反対にもかかわらず、肥育して売ることを決断。その担当が元選手の青木さんである。牛を飼うことは、病原菌の問題をはじめ、素人には困難が多い。畜産の素人は、豚から入るのがいいらしい。
・肥育の師匠は農業高校の萩原陽子さん。夫は家畜保健衛生所の職員で売ることに反対。素人に牛を売ることは暴挙に近い、と。
・畜産は産業である。同時に命の取引でもある。そこで高校生も悩む。最初の授業として、ひよこを与え、育てて、潰して食するというものがある。
・牛小屋は鉄骨の基礎を窒ナ補強し、ビニールシートを張って作る。村民の指導が入る。建設後、地元の人がおにぎりと肉をふるまう。こうして交流が始まる。
・牛の世話係になったのが元選手の青木走野(そうや)。選手の片手間では世話は無理だった。父は野球好き、兄は元広島(そして独立の新潟)。父は渡辺秀武(元巨人、メリーちゃん)を真似てアンダーハンドでキャッチボール。ちなみに渡辺は兄のドラフト担当。
・走野は高校でオーストラリアに留学し、クラブチームで野球をする。その後メジャーを夢見てアメリカの大学に履歴書を出すがかなわず、サマーリーグに参戦。そこで見た風景が、ウィスコンシンの広大な牧場。牛に印象付けられるという縁。
・二年経って日本に戻り、トライアウトを多数受ける。目黒のマンションの前で文字通り突っ立っていたら女性に声をかけられる。「体、大きいね。何かやってるの?」と。その女性こそ、渡辺の未亡人だった。彼女の部屋にお邪魔したときに、ドッグズから合格通知が来る。
・萩原の指導の下、走野は牛(ドラフト君)の世話をする。時には車で寝泊まり。洪水の恐浮ニも闘いながら。一年で800kgまで成長し、肥育業者のところにドラフト君は移住するまで。そして、屠畜の日を迎える。職員は「おまんら、よう頑張ったの」と労う。こらえていた涙が走野の頬を伝う。ちなみに収支はプラスだった。
・走野は、日ハムの通訳募集に応募、面接は牛の話、そして大谷の教育係。大谷の兄も独立リーグ高知にいたのは知る人ぞ知る。(ちなみに現役時代から「弟、凄いんだよね」と何とも言えないことをファンに語っていた。これは本から外れる話。)
・佐野淳敏(あつとし)さんは農業事業部部長。貝塚で不動産会社勤務時に農業を仕事としてやっていて、その後鈴太郎に誘われて高知へ。耕作放棄地の再生を通じ、地元再生を図る。梅、米、サツマイモ、玉ねぎ、小麦、大根、タケノコ、ハーブ、ミントなどなど。地元の農家に教えを乞う。ミントは栽狽オやすく、都市部で需要が高く、採算が取れやすいらしい。また、選手は貴重なマンパワー。
・経営再建能力を兄に見込まれた北古味潤さんが経営に参画すると、無駄が見えまくった。スタッフは総入れ替えとなった。元はバレーボール選手で、スメ[ツマネジメント学科の卒業。『深夜特急』を忍ばせて渡米、そして授業のつまらなさに挫折。そして世界23ヶ国を放浪。そして旅行会社の海外添乗員、そして高知へ戻る。
・潤さんは野球を知らなかったがゆえに、弘田澄男にも物おじしなかった。高知の人はNPB=タダ。かつてのキャンプ地の中心ゆえに。どうやってお金を払ってもらうか。逆転の発想。外から高知に来てもらう。「ベースボール・ツーリズム」。
・高知が目をつけたのが足摺テルメ。「トリムリゾート」を立ち上げる。シンガメ[ルへ営業に出た時、四国として売り込むことに気づく。IL全体なら千社のスャ塔Tーがある。農業、窯業などの文化体験のツアー。そこに観戦を組み込む。
・スペイン語しか話せない外国人選手も、農作業を通じて地元に溶け込む。
・通訳として野球界に入りたかった安河内聖(ひじり)さん。だが、野球界に入るには強いコネがないとダメだ。彼は青年海外協力隊でブルキュナファソに行き、野球を教えることとなった。そして高知に入団。
・安河内は東福岡高校で野球をやっていた。現ホークスの吉村、元イーグルスの上園がいた。怪我もあり、日大では軟式のサークルへ。だが、野球に関わる仕事に就きたかった。
・2009年にブルキュナファソから子供たちが来日。子供たちの中にプロ野球選手になりたいという夢を持つ者が出た。そして、時を経てサンホ・ラシィナが来日する。そして、高知球団が受け入れに名乗りを上げた。
・独立リーグには海外選手が多い。彼らにとって、日本であれ台湾であれ米国であれ、外国であることは変わらない。チャンスを求めているのだ。
・ラシィナは人気者である。去年の6月20日、ユニフォームが間に合わない中(根津選手のユニフォーム)、スタメン出場。小生は藤川球児に対するものに負けないくらいの大歓声を覚えいている。初打席のセンター前ヒットも。今は三番、ファーストでの出場が多い。
・鈴太郎は「寅年の会」で知り合った田野病院事務長の吉松誠爾を見て閃く。「緑の山々をバックに、球団のロゴを貼った車が細い山道を上っていく。」こうして、診療訪問が生まれた。高知の過疎地では医者が不足し、かといって患者が動くのも困難。
・関西の勤務医である女性が手を上げる。彼女は野球好きで、ILのセレクションを見るほどである。高知FDの試合もよく見ていた。こうした縁で診療訪問をすることとなった。
・医療崩壊を防ぐ手として、地域での看護学校設立という方法があるとのこと。高知市内では医療機関は充実しているが、一歩離れれば過疎。
・彼女の高知での業務は多忙。前日に高知入り、ドッグス号で1日最高14人の診察。そしてその日の内に関西へ。本からは、それを楽しんでいるように思える。タフだ。「私たちは、地域の皆様の笑顔のために、走り続けます」
・宙さん。記念受験のつもりがミスター・ドッグスに。大学では怪我で燃え尽きられなかった。選手時代に高知に骨を埋めるつもりであった。そして社長就任。社長になってスャ塔Tー営業へ。半年で三百万円という好成績。鈴太郎の嗅覚。宙さんの奥様は地元の企業グループの娘さん。人脈が豊富である。
・鈴太郎は武政元社長の今後について、スタートを切りさせたかった。議員を打診する。武政は高知発展のモデルとして、球団の取り組みをイメージしていた。それを県レベルに広げたい、と。重点は四国ツーリズム。こうして県議に挑戦。125票差で落選。四年後にリベンジ。
・そんな武政にアイゴッソ高知から入団の話が。今はUトラスターと合同して、JFLを目指してFC今治と激しく戦っている。
・球児入団は、高知FDが打診したわけではない。球児側からの打診、断る必要は全くない。それにしてもメディアに一切漏れなかったのは凄いね。練習を見ただけで、球児の凄さに宙さんは気づく。登板ごとに球威が増していったのは小生が見た通り。
・球児は高知と関西の往復の生活が気に入ったようだ。「バランスがいいですね、生活の」。釣りが趣味の球児に、鈴太郎は仁淀川を紹介したようだ。
・球児入団でグッズ販売は倍増、他の球団にも波及効果。ちなみに球児が去った今年の高知FDは、投手のレベルが上がっている。
・地域密着は犬探しまで。稲刈りは当然。地域密着にこれほど真摯な姿勢を見せる球団は、そうそうない。