銀魂の実写版は、紅桜編を基本に出来ていた。
漫画・銀魂の主題は「人は何のために生きるか」ということだと思う。映画でもそれは表現できていた。刀鍛冶・村田鉄矢は技術に溺れ、父の名刀・紅桜を怪物にしてしまう。因果は巡り、妹が殺められようとする刹那、「人は何のために生きるか」を思い出し、身を犠牲にする。と、ネタバレw
漫画・銀魂は、あそこまで下ネタを使わなければ、教科書に載せていいくらいの教育的名作だと思うが、これは、作者の空知さんが、そういうのを拒否しているのかなあ。村上春樹が矢鱈セックスを描いて、「賞」を遠ざけるように。
で。この映画、もちろん上のような正道的見方をするのもいいのだが、かつて共産主義運動に係わった人間としては、(かつての)革命家としての物語としても鑑賞してしまい、色々とやりきれなかった。
銀魂は大状況は、宇宙からの侵略者(天人;あまんと)の襲来を受けた時、日本国では攘夷を成し遂げようとする侍たちが闘い、そして敗れ、幕府は宇宙への開国を選び、武士たちは廃刀させられたという状況である。その時の伝説的侍たちが、主人公坂田銀時、桂小太郎、高杉晋助である。敗北後、彼らは別々の道を歩む。銀時は「政治」から距離を置き、万事屋を営業。そこにはかつての仇敵であった天人の一人、かぐらちゃんがいる。食い詰め侍、メガネ(新八)がいる。町の万事屋としてつつましく貧乏暮らしをしている。そこで、幕府の警察たる新鮮組(字が違っていたらごめん)を含め、その体制の中で守るべき大事な人を作っている。小太郎は腐敗堕落した現体制を是とせず、革命家の志を捨てず、未だ攘夷を目指す同志たちと連携し、軍事を含めた行動をしているお尋ね者として地下活動をしているようだ。(とはいえ、時として新鮮組と行動を共にする。)彼らの師匠である吉田松陽を奪った世界を憎む(恐らくは)一番弟子・高杉晋助は、恐らくはそういうことはどうでも良く、この世界の破壊を目論見、天人とさえ手を結ぶ。
彼らをこう位置付けられるのではないだろうか。
坂田銀時:転向者
桂小太郎:正統的革命家
高杉晋助:極左過ぎて逸脱した感じ(総破壊の使徒?)
映画で象徴的なシーンがある。先生の教えを聞きながら、皆、違うところを見ていたシーン。凄く印象的で、彼らのその後を暗示している。同じ目的を有して闘っていたのに、敗北を受けて同志たちが別々の道に行くことは、数多くの闘争で繰り返されてきたこと。で。銀時は転向者であり、普段は目が死んでいるのだが、守るべきものを守る時には誰よりも力を発揮する。そんな銀時は、日本の明治以降の歴史を考えるとき、最も愛おしい者であるように感じる。転向は裏切りでも脱落でもなく、誠実であることの一つの結果なのだ。それは、小生ごときではなく、吉本隆明や中野重治が論じていることを読むのがいい。桂小太郎は、それでもなお、革命に留まろうとする者であろう。そしてその革命は、マルクス・エンゲルス的な意味で「外部」に主体を求めないものなのであろう(「労働者階級の解放は、労働者自身の手によってなされなければならない)。高杉晋助は、村田鉄矢と似たところがあると思う。彼は、美学・件pの人だ。あるいは、神官か。彼は、「外部(天人)」を憎みつつも、「外部」を利用しようとするタイプの革命家であり、論理的にはレーニン主義者のように感じる。どの生き方も小生は否定できない。
とまあ。ある人に頼まれて「銀魂論」を読んでみたいということで、書いてみた。
おまけ。今の中核派って「かつラップ」以降の桂小太郎っぽいぞ。(おい)
漫画・銀魂の主題は「人は何のために生きるか」ということだと思う。映画でもそれは表現できていた。刀鍛冶・村田鉄矢は技術に溺れ、父の名刀・紅桜を怪物にしてしまう。因果は巡り、妹が殺められようとする刹那、「人は何のために生きるか」を思い出し、身を犠牲にする。と、ネタバレw
漫画・銀魂は、あそこまで下ネタを使わなければ、教科書に載せていいくらいの教育的名作だと思うが、これは、作者の空知さんが、そういうのを拒否しているのかなあ。村上春樹が矢鱈セックスを描いて、「賞」を遠ざけるように。
で。この映画、もちろん上のような正道的見方をするのもいいのだが、かつて共産主義運動に係わった人間としては、(かつての)革命家としての物語としても鑑賞してしまい、色々とやりきれなかった。
銀魂は大状況は、宇宙からの侵略者(天人;あまんと)の襲来を受けた時、日本国では攘夷を成し遂げようとする侍たちが闘い、そして敗れ、幕府は宇宙への開国を選び、武士たちは廃刀させられたという状況である。その時の伝説的侍たちが、主人公坂田銀時、桂小太郎、高杉晋助である。敗北後、彼らは別々の道を歩む。銀時は「政治」から距離を置き、万事屋を営業。そこにはかつての仇敵であった天人の一人、かぐらちゃんがいる。食い詰め侍、メガネ(新八)がいる。町の万事屋としてつつましく貧乏暮らしをしている。そこで、幕府の警察たる新鮮組(字が違っていたらごめん)を含め、その体制の中で守るべき大事な人を作っている。小太郎は腐敗堕落した現体制を是とせず、革命家の志を捨てず、未だ攘夷を目指す同志たちと連携し、軍事を含めた行動をしているお尋ね者として地下活動をしているようだ。(とはいえ、時として新鮮組と行動を共にする。)彼らの師匠である吉田松陽を奪った世界を憎む(恐らくは)一番弟子・高杉晋助は、恐らくはそういうことはどうでも良く、この世界の破壊を目論見、天人とさえ手を結ぶ。
彼らをこう位置付けられるのではないだろうか。
坂田銀時:転向者
桂小太郎:正統的革命家
高杉晋助:極左過ぎて逸脱した感じ(総破壊の使徒?)
映画で象徴的なシーンがある。先生の教えを聞きながら、皆、違うところを見ていたシーン。凄く印象的で、彼らのその後を暗示している。同じ目的を有して闘っていたのに、敗北を受けて同志たちが別々の道に行くことは、数多くの闘争で繰り返されてきたこと。で。銀時は転向者であり、普段は目が死んでいるのだが、守るべきものを守る時には誰よりも力を発揮する。そんな銀時は、日本の明治以降の歴史を考えるとき、最も愛おしい者であるように感じる。転向は裏切りでも脱落でもなく、誠実であることの一つの結果なのだ。それは、小生ごときではなく、吉本隆明や中野重治が論じていることを読むのがいい。桂小太郎は、それでもなお、革命に留まろうとする者であろう。そしてその革命は、マルクス・エンゲルス的な意味で「外部」に主体を求めないものなのであろう(「労働者階級の解放は、労働者自身の手によってなされなければならない)。高杉晋助は、村田鉄矢と似たところがあると思う。彼は、美学・件pの人だ。あるいは、神官か。彼は、「外部(天人)」を憎みつつも、「外部」を利用しようとするタイプの革命家であり、論理的にはレーニン主義者のように感じる。どの生き方も小生は否定できない。
とまあ。ある人に頼まれて「銀魂論」を読んでみたいということで、書いてみた。
おまけ。今の中核派って「かつラップ」以降の桂小太郎っぽいぞ。(おい)