TAMO2ちんのお気持ち

リベラルもすなるお気持ち表明を、激派のおいらもしてみむとてするなり。

99000km

2013-10-26 22:30:00 | クルマ
2013年10月26日(土曜日) 22:30  兵庫県から帰る途中、入野PA通過時。

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読書メモ:『保守の本分』

2013-10-24 08:04:00 | 読書
 『保守の本分』(noiehoie著、扶桑社新書145)

 著者は、明示していないがハイエクやエドマンド・バーグ系の保守系自由主義者だと思う。右翼の中でも穏健派である。彼が自分を右翼と定義づけ、そして日本の右翼の根拠として挙げているのが天皇への敬意である。イデオロギーに対する考えには疑問があるが、著者の主張は妥当であるし納得できることが多い。また、余り世の中では流布していない考え方が紹介されており、それも興味深い。

 まずは疑問について書いておこう。小生の書いた『指導という名の欲望』とも被る問題意識なので、分からないではないが、左翼=強制、命令と著者は捉え、計画経済などを頭から否定しているのはどうなんだろうか。著者の言うように、今や左翼は死に体。実は、大枠で計画経済めいたものを国家が策定し、個別資本がその大枠に沿った時にこそ世界中の国家資本主義は成長しているし――たとえば日本の傾斜生産方式や高度経済成長はそういうものだった――、計画経済そのものは何ら否定されるべきではないと小生は思う。問題は、それが全面化することだろうに。

 それと、著者はア・プリオリに近代を肯定しているが、近代なるものに必死に格闘する中で、右翼と左翼という兄弟は生まれたと小生は思っている。特に「外部」から資本主義化=明治維新を押し付けられた日本においては、近代は飲みにくい薬のようなものであったし、その無理が大東亜戦争に繋がったと小生は考えている。近代を否定すべきとは思わない。だけど、近代への反発、乗り越えを意図して右翼や左翼は生まれたということは踏まえるべきじゃないかな。

 とはいえ。大変面白く、共感した。著者は右翼や左翼の歴史に詳しいし、北一輝に対する評価、安岡正篤に対する強烈な批判は目から鱗。だが、安岡の陥ったことこそ、大御心に勝手に色々注入できる天皇というシステムの危なさではないか。天皇は空虚な真空だ。実体としての権力ではなく、権威だから。小生は、天皇が政治に近すぎる、ぶっちゃけ、憲法に規定されていること自身が危なさを担保しているんだと思う。三島論も興味深い。社会契約論的な天皇論もいい。そして、反原発、反レイシズムは右翼思想の真っ当な結論だと小生は思う。人間を人間扱いしない欧米に対する反発心が、アジア主義の根底にあり、アジアの民衆を蔑視したり差別する考えは、右翼の敵である。

 さて。いつも通り気になったことを中心に以下に記す。

 第一章は「保守が排外主義者を叩き潰さねばならない理由」と題して。
・ネット右翼には高学歴の亜インテリが多い。
・著者に言わせれば保守主義者は近代がイギリスの名誉革命以降、この三〇〇年で踏んできた道、議論を了解しなければならず、それをひっくり返そうとする「ネット右翼」は左翼なので叩き潰さなければならない。小生は苦笑いするしかないけどね。保守革命や右翼革命というものも、世の中にはある。今日は書かない。
・右翼たらんとするならば、せめてアジア主義や民権思想の歴史は踏まえろよという著者の訴えには同感。
・ネット右翼の思想的支柱は「反日教組」。だが、「反」に拘るものは、それに呪縛される。これも正しいが、著者にも言える面があるよね。
・著者による保守の根拠は、p16あたりを読めばハイエクっぽい。カタラクシアだね。思想というより、態度である。だが、「進歩主義的な考え方に対してアンチテーゼを出し続けていく」というのはどうかなあ。良いモノは咀嚼したうえで組み入れていくのも保守だろう。ゆっくりとした進歩主義者が保守である、というのは千坂恭二氏の名言。
・在日特権に永住資格が挙げられることが多いが、朝鮮人はそもそも日本人なんだよね。比較対象は日本人であるべきだ、というのは民族主義者としては正しい態度だろう。
・カルデロン事件。老人への悪罵。社会的弱者全般を攻撃する「行動する保守」。確かに、保守っぽくない。
嫌悪感を否定してはならない。そのことと、差別排外主義は別。 ヘイトと嫌悪感や違和感を混同してはならない。その点は、左側も同罪だろうね。例えば、小生が言われた言葉。「拉致問題について語ることは、北朝鮮への嫌悪感を広め、それは差別につながるから言わないでくれ」とかね。バカかと思う。そんな左翼は滅んでしまえ!
・で。新大久保の古くからの住人には外国人街化している状況を快く思っていない人も多い。在特会への暗黙の支持がある。これは、「言いたくても言えない」状況が齎した悲劇ではないかと小生は思う。
・で、ネットでは見た目匿名性が高く、「言いたくても言えない」ことが自由に語られ、そしてその感覚が決して極々少数派ではないことが分かる。情報はあっという間に広がる。マンガ『嫌韓流』が爆発的に売れた背景にこれがある。
・「ヘイトとは感情ではない」「実際に(在特会と)対峙すると、彼らは全然感情的ではありません。むしろ、まったくと言っていいほど冷静なのです。」(p31)
・レイシズムは、むしろ近代の病気だと小生は思う。
・「仲良くしようぜ」は、在特会が最も嫌がるスローガンと思えるから掲げたらしい。なるほど。
参考:http://red.ap.teacup.com/tamo2/1908.html

・著者は左翼=全体主義、と考えているが、社民主義など左翼にも色々あるよ。まあ、設計主義批判は理解できないでもないが、程度の問題だと小生は思う。
・戦前日本の設計主義的傾向はその通りだが、それは設計主義の右翼的現われと捉えることも可能。
・戦前日本はタテマエでは人種差別を世界から撲滅するためにアピールしていた。ネット右翼はそういう戦前日本の歴史的取り組みを否定している。
・全体主義に排外主義はつきもの。
・反米を忘れ、マーケッティングに失敗した戦後右翼。
・関東大震災という生活の危機から排外主義が高まった歴史は、東日本大震災という生活の危機で繰り返される危険がある。関東大震災のときは、保守リベラルがこれに飲み込まれた。
・啓蒙主義的、評論的態度はもう猶予されないと著者は言う。レイシズムに対しては叩き潰す行動こそが必要なのだ、と。「理屈が通用しない相手に対抗するとなると、もはや実力行使、暴力しかないのです。」(p48)真理はあるが、暴力とは技術と効果の問題である。その効果は、被る人間のみではなく、大衆全体で測られるべきかと。小生の場合、実際にぶん殴りに行って家内に止められたが(爆)、「何アホなこと言うとんねん!」と、罵声くらいは浴びせるかな、今は。
・右翼としては信用回復のために、国家主権尊重、他国の国柄の尊重、基本的人権の尊重を堅持するとのこと。その果てに、五族協和、八紘一宇が復権するだろう。
・「日章旗を掲げるという行為、ナショナルなものを前面に出すことは、韓国人にはヘイトでしかない」(p50)


 第二章は「右翼と保守主義」と題して。
・著者の言う保守主義は、反進歩主義、理性への懐疑の上で、「まずは自分の生活を守る」、そのために「他人の生活も守る必要がある」という考え。他人には必要以上に干渉しない。
・日本で右翼かどうかは天皇陛下万歳と言えるかどうか、である。右翼にも社会主義的な傾向を持つ者はいるが、著者は嫌っている。
・一君万民(尊王)、大アジア主義、自由民権。を、玄洋社だ。
・北一輝は、設計主義的な社会主義系の右翼。筆者は右翼ではないと言うが。確かに革命指向であり、天皇を「玉」と見ていた話は有名。彼は右翼ではあるが、保守ではないと小生も思う。
・保守本流で代表的なのは安岡正篤。「良知」=「天皇の内面との同一化」。その理論では変革を起こせるのは天皇だけとなる。主体的変革を求めた青年将校には嫌われるね。安岡は政財界に影響力を得ようとし、ひいては天皇の教導の野望を抱く。
・北は安岡を相手にしなかったが、安岡は北の妨害をしていた。
・北は「自己の理想の実現のために、その実現の必要不可欠な要素として相手(天皇)を求める」(p59)。恋闕の態度こそ、右翼としてのあるべき姿なのではないか、と、著者は言うが、太宰だったかな、「ローザはマルクス主義に恋をしている」。
・安岡は天皇をも見下している。
・安岡は確かに保守主義者だが認められないし、北にこそ惹かれると著者は言う。
・戦前右翼は殆ど考えることを止めてしまった。例外は蓑田胸喜、著者は挙げていないが中野正剛か。世の不条理を何とかしようとしても、すでに左翼が手を付けている。他の方法は実はなかった。それに気づいたとき、「天皇陛下がこの国を知ろしめされているのだから、変える必要なんかないのだ」と考えてしまう。彼らは健康問題に逃げ込んだが、これって、戦後の全共闘世代そのまんまだな。霊的能力のある方が言っていたが、全共闘には青年将校や戦前右翼の亡霊が取り憑いていたらしい。
・霊のことはともかく、「反」に拘ることの悲劇。左翼に呪縛され、右翼であることの限界が設定されてしまった。何度も書くが、右翼と左翼は兄弟なのだ。相手を全否定は出来ない。自分を否定することになるよ。著者に同じ危険を感じる。
・思考停止のリーダーこそが安岡。「東京の焼け野原を見て、何故こんな戦争をしてしまったんだろうと思う」と安岡が戦後に書いたが、著者は「お前が頑張るべきときに頑張らなかったからこうなったんじゃねえかよ」(p62)とあきれ果てる。
・ファナティックな民衆を窘める右翼もいたよ。中野正剛だ。煽る右翼もいた。蓑田胸喜だ。
・北が法廷闘争を拒否して死を選んだ理由は、後世への期待もあるかも知れないが、上に書いた恋が終わったからだと小生は思う。天皇は時の権力の傀儡として振る舞うしかないのだ。それを打唐キるには、天皇の外の、実力のみがモノを言う。ちなみに平成の世の今上天皇は、リベラルとしての教育を徹底的に受けておられるのだが、現在アメリカを含む諸国が、日本の政権が極右的(この表現は嫌だが)になっているのを懸念している状況で、今上天皇が時折見せる鬼の形相、嫌悪感に満ちた形相は、何を物語るのだろうか。
・戦前の保守がスノビッシュな方向にしか行けなかった理由。これは要検討。まあ、権力者に直接的に影響力を持とうとした時点で、運命は決まっていたか。
・戦前保守の失敗の総括として、著者はアンガージュ。ネットに溢れる冷笑主義はレイシストと同じ穴のムジナとまで著者は言う。確かに安岡の失敗から学んでいると思う。
・三島由紀夫は北を罵刀B傲慢だ、と。
・そもそも三島はギリシャに根源がある西欧美学への強いコンプレックスがある。日本がそれに対抗できる核を、三島は天皇に見たのだと小生は思う。あくまでも美学としての天皇。
・以下はこの本を参照にした小生の考え。美の中心概念としての天皇が、政治的に容共政権と対峙するというのは、本来無理筋。また、西欧列強に負けて人間宣言をせざるを得なくなった昭和天皇を、三島が悲しく告発するのも、彼の美学からすれば当たり前。コンプレックスを酷くすることだからだ。三島にとって、美学としての天皇は、神でなければならなかった。人間宣言は裏切りである、と。
・著者は言う。三島は人間宣言を裏切りと言うが、それ以前の契約は五箇条のご誓文であり、人間宣言はその契約の見直しである。「ごめん。私は十数年間、勘違いしていた」という昭和天皇の謝罪である。
・昭和天皇と日本人はそれを受け入れた。占領政策、新憲法。保守ならば、それに従うべきではないだろうかと著者は言う。
・さて、三島と対置されたのは山口瞳。雑誌の連載を小生は思い出す。楽しい記事だったなあ。
・山口瞳の保守主義は政治的表出がなかった。地元との交流を大事にした地に足のついた保守主義。
・昭和十五年体制というものがある。戦争遂行のために、多くの点で社会主義的・計画経済的手法を採用している。実は戦後もこれは色々と生き残っているんだが。著者はこれを以て、戦時体制を左翼的と告発する。革新官僚だね。何度も書くが、右翼も社会主義への性向を持っている。で、社会主義者、共産主義者への苛烈な弾圧は内ゲバだと著者は言う。まあ、当たっている点もないではないが。というのは、エリートと対峙できるほどの能力を、当時の共産主義に飛び込んだ若者は持っていたし、事実、水野成夫のように後の財界の実力者も中にいたしね。
・決定的に著者と小生の見解が異なるのは、著者は社会主義的なものを、徹底的に排除することを訴えるが、小生は、社会主義的なもののみが、国家が国民に約束を実行できる方法論だと考えていることか。市場原理にそぐわないものは世の中にはゴマンとあるし、社会主義なしでは何も実行できないと小生は思う。あくまでも社会主義は有効な方法の一つに過ぎない。
・中流階級のないところに保守主義はない。分厚い中流階級が存在したのは大正デモクラシーの時と、昭和元禄のときくらいか。今は社稷を損なう時代にはいってしまった。保守主義者はそれと闘うべきと著者は言う。その通りだと思う。
・折角「産業革命と社会主義思想の同時到来」(p77)が不幸の始まりと指摘しているんだがなあ。生活に根差した実感こそが、革命の根拠なんだけどなあ。

 第三章は「生活保護バッシングは議会制民主主義の否定である」と題して。
・「制度を改正するために個人を攻撃する必要はありません」は、言うまでもなく片山さつき批判。国会議員ならば、個人攻撃じゃなく、制度運用について自治体に働きかけるなどをしろ、という批判は至極当然。
・本当に必要な人に届くために、見直すというのはおためごかしだと小生も思う。本当に必要と思われる人の二割にしか生活保護は渡されていないのに。
・生活保護バッシングの走りは、一九五〇年代の朝日新聞と厚生省による在日朝鮮人叩き。帰国運動と結びついていた。
・不景気が続いて生活保護受給率が増えただけなのに、民主党バッシングに利用された。
・小野市みたいなことをしなくても、既存の仕組みを運用すれば事足りると小生は思う。捕捉率さえ計算していない役所。
・個人攻撃で大義名分を得ようとするのは国会議員ではやってはならないこと。それは、議会制民主主義の手続き論の否定になるからだ。ぶっちゃけ、下衆だ。
・議会制民主主義は試行錯誤の上に成り立っており、極めて保守主義的な意味を持つ。熱狂による産物とは対極の位置にあると著者は言う。……そうかな? 革命的変動を通じて議会制民主主義を採用した国家も多いだろう。
・年金制度に入りたくても入れなかった人々の社会福祉として生活保護が存在している面は確かにある。生活保護にまで人々を追い込まない施策を考えるべき。手前のセーフティーネットを。
・「原発が止まると弱者が死ぬ」と言う訴えはペテン的だと小生も思う。原発が止まっても弱者が死なない社会を作ることをせずにそういうことを言うのは順番が逆。

 第四章は「「右翼」だからこそ反原発」と題して。
・理性主義への盲信の結果が原発、だから反原発。
・故郷を追われた人が今、現にいるということから反原発。天皇が御幸出来ない土地があることが許しがたい。
・過疎における利益配分機能が経産省に集中してしまっている現状で、原発の「利点」は活かせない。
・「今、そこで泣いている人」のための連帯が必要である。著者としては「天皇陛下万歳」と叫びつつ、運動を続けたいとのこと。
・日本共産党はャsュリズムから「即時原発ゼロ」と言っているだけ。
参考:http://red.ap.teacup.com/tamo2/1722.html
・「放射能危険度評価(感受性?)」という軸も。著者は「右かつ原発ノーかつ放射能浮ュない」というセグメントに。
・「放射能浮「」派の言動は差別的で、小生に言わせればかなり非科学的。だけど、彼らを揶揄する人は「自分の賢さ」をアピールしたいだけでは?という著者の指摘は分からないでもない。それをスラックティビズムというらしい。
・価値相対主義的なスタンスの差別性については一読の価値あり。穢れ思想が悪化して排外主義に転化しているのは放射能を極度に浮ェる人々も、それを馬鹿にしている人も同じ。現実に苦しんでいる人がいるという意識がない。
・日本での核保有の難しさは、実験、監視、色々ある。アメリカが無理やり持たせたら、イランや北朝鮮に口実を与えることになる。
・核武装しちゃうことは、唯一の被爆国であるというカードを失うことだという意見には同意。
・東電は「反原発=左翼」と思いこんでいたので、右翼が参加したのを知った時は衝撃だったようだ。
・左がかっていると、国民運動にならないという指摘には考えさせられる。左も一般大衆からは信頼されていない現実。もっとも、右はもっと信頼されていない・・・。

 第五章は「保守主義者としての「歴史認識」」と題して。
・歴史認識が左右対立の軸になっているというのは著者の言うとおりだが、そうなったのは一九七〇年代以降と思う。
・日本はコテンパンにやられ、ャcダム宣言を受諾した。その時点で、あの戦争は(どこかで)間違っていたという認識は持つ必要がある。
・余りにも見事にやられてしまったから、その時点では放心状態で負けを負けと認識できなかったのでは、という指摘は面白い。
・先の戦争は革新官僚などの左翼的勢力が総力戦を仕切ったと著者は言う。その背景には民主的手続きで選ばれた政府があった。但し、平和主義者、左翼社会主義者、反戦主義者の口を封じつつの「民主的手法」なんだがなあ。で、以下の話は第一章と被る。
・確かに、大東亜戦争には左翼臭さはある。だが、共産主義者や、非共産党系の社会主義者が大弾圧を喰らったのは、内ゲバという範疇で説明すべきではないと小生は思う。
・著者のような保守主義の立場からならば、二・二六を奇貨として軍部とそれに結びついた官僚が、どのようにして反対者を排除したかを注目しなくてはならないはずだと思う。というのは、国家や社会の構成員は平等という擬制こそが、カタラクシアに正統性を与える根拠になるはずだからだ。
・「あの戦争は正しかった」とか叫び、総括をしない連中が靖国神社に行くことは英霊への冒涜だと小生も思う。
・日本軍の暴行、略奪などは大義が感じられない戦争だったからではないかと著者は言う。
・「安らかにお眠りください。過ちは二度と繰り返しませんから」という、極めて日本人的な言葉は、靖国神社にこそふさわしい。
・天皇がいなくても、共和制であっても、大東亜戦争が起こっていただろうという指摘は重要。
・歴史を直視する勇気。それをなくして誇りはない。大東亜戦争は間違いなく日本人が引き起こした戦争である。誰かに責任をなすりつけることは出来ない。
・著者は河野談話などを否定しているかのような安倍政権の態度は致命的だと言う。
・インドネシアの白鳥事件、映画の『兵隊やくざ』シリーズから従軍慰安婦のことは想像がつくのではないか。軍の関与はあったであろう。牟田口廉也によるビルマの清明荘など。
・南京事件については、まさに軍規の緩みや捕虜や住民の扱いの指針のなさなどが重なってのことだという指摘。これは、小生の知人も色々調査していて「日本側の資料だけでも少なくとも一万人は殺されている」とのこと。
・とにかく、嘘が嘘を呼んでいる状況は止めなくてはならない。
・A級戦犯は「暴徒」として扱うべきである。これは、昭和天皇の了解事項であったと小生も記憶する。実際、合祀してからは天皇は靖国神社に行っていない。

 第六章は「「左翼」はなぜ嫌われ、「右傾化」が進んだのか」と題して。
・この問題は、スガ秀美氏の論考が凄く参考になると思う。一言で言うと、左翼全般の体制内化が進み、彼らが権力の一端を担ったからである。権力レベルでは、一九九〇年代以降は特に左傾化が進んでいると小生は思う。例えば、人権問題の窓口が大きくなった。
・著者は独善性を挙げるが、小生は独善性だけではなく、権力に包摂されたことが大きいと思う。
・反原発デモの初参加者に、イデオロギーめいた話を押し付けられたら引くよね。
・「レイシストは日の丸を持つな」。分かる。だが、人権問題の場における日の丸への負のイメージは余りにも強い。これは理屈じゃなく、実績だ。
・左翼はマーケッティングに失敗している+傲慢。これじゃあ多数を獲得できまい。
・というわけで、以後スガ先生の考えに沿っていると思う。「反権力」「反体制」を担っているのは今や左翼ではない。左翼は体制内化した。
・まあ、徹底的にハードな同和教育を受けた人間からすれば、「橋下=反体制」として、喝采を贈る人が大阪に多いのは分からないではない。
・でも、今や在野の?左翼は無力である。その意味では、ネトウヨはドンキホーテ丸出しである。
・「特権を粉砕」って、左翼的心情丸出しだ!

 おまけ。小生は極右であるが、同時に極左なので、世の中の左翼の再構築が必要なんだなあ、とか強く思った。とりあえず、革命と民主主義の問題を書き上げて、この優れた感覚を持つ著者への批判に代えたい(おい)。繰り返しになるが、右翼と左翼は近代と対峙した兄弟だし、右翼も左翼も多分革命に備えなくてはならないのだ。そして、著者の左翼嫌いが左翼を支える要素にまで及んでいるから、それは右翼としての可能性を狭めていると思うから。
http://kinpy.livedoor.biz/archives/cat_50036851.html
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98000km

2013-10-18 11:53:00 | クルマ
2013年10月18日、金曜日、11:53、がもううどんに行く途中。
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生まれてはじめて

2013-10-14 20:57:00 | よしなしごと
【以下、汚い話】
 昨日の夕食は、何やかんやで外食にした。で、選んだのは近所の中華料理屋。住んでいるところから北に300mくらい。結婚式なんかが出来る会場が二階にある。で、ここのチャーハンなどは絶品。

 さて最近、血糖値の薬の影響か、モノが食べられなくなっている。信じられない人もいるだろうが、食が細くなっている。

 で、この店では定番だが、コースを頼む。以前なら、余裕で食べる量なんだが、物凄い量に感じた。残すという文字は我が辞書にはないので、全部食べたら、背中に張りが来た。これはただ事ではない。

 夜中、吐いた。酒を飲み過ぎて夜中に吐いたことはあるが、食べ過ぎでは記憶にない。

 まぁ、歳だな。ラーメンの注文も、最近は並ばっかりだし。天下一品の「こってり」は半分以上卒業モード。


 そういうわけで、今日の食事は少な目だった。

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読書メモ:『世界は2乗でできている』

2013-10-13 23:34:00 | 読書
 『世界は2乗でできている ――自然数にひそむ平方数の不思議』(小島寛之著、ブルーバックス=B1819)

 二乗というものは、物理や数学をしていると一杯出てくる。この本は、量子力学や相対性理論にも出てくる二乗の不思議を楽しく紹介している。この本で一番圧巻なのは、質量=エネルギー等価則を、運動量に着目して説明しているところ。他のどの本よりも分かりやすく導き出している。光速度不変の法則から導き出している。元ネタは山本義隆とのこと。東大全共闘に行かなければ、フィールズ賞かノーベル賞を取った可能性があると言われる天才だ。

 また、この本には紙と鉛筆を用意して解く問題集も章末にある。二度楽しいのだ。

 では、また、面白いと思ったことを。

 第1章は「ピタゴラスの定理」と題して。
・無理数を明確に定義し、その性質を明らかにしたのは19世紀のデデキント。
・ピタゴラス数の一般解の式があるんだね。

 第2章は「フィボナッチと合同数」と題して。
・連続するフィボナッチ数の平方の和は必ずフィボナッチ数になる。
・「x^2+5, x^2-5をともに(分数の)平方数にするxは、x=41/12, 3344161/1494696, 次は分子が27ケタ。
・合同数、合同数予想、ペル方程式、素数を作る式。

 第3章は「ガリレイと落体運動」と題して。
・ガリレオ・ガリレイの法則を完成したのは19世紀のコリオリ。
・ニュートン――月が地上に落ちないのは何故か、引力と遠心力による――により神の世界の法則と人の世界の法則が統一的に記述されるようになった。

 第4章は「フェルマーと4平方定理」と題して。
・この本はここからが本題かも知れない。
・フェルマーの小定理。「pを素数としてaをpの倍数でない数とするとa^(p≠P)≠Pはpで割り切れる」。
・オイラーの定理、二平方数定理、四平方数定理。四平方数定理は御多分に洩れず素数がキー。
・母関数で四平方数を一気に証明。母関数とは、数列に関する等式を、多項式を使って一気に証明する技術。
・p進距離というものがあるらしい。逆数めいている。
・ハッセの原理。ここまで来ると、書いてあることを理解するのに一苦労。「4平方数定理は、すべての素数pに対するp進数の世界で分析することによって別証明が与えられる」

 第5章は「ガウスと虚数」と題して。
・を、mod! 前に読んだ本の「時計数」だね。
・「平方剰余相互の法則」は、入り組んでいるね。ところで、p=11、q=19は?
・ガウス整数の世界では、ある種の素数は「素数」でない。(1+4i)(1≠Si)=17など。
・類体論。高木先生。複素数まで考えを拡張することで、整数論が分かりやすくなると言う迂回の弁証法。

 第6章は「オイラーとリーマン」と題して。
・平方数の逆数の和はπ^2/6。なぜ?
・sinθを、解と公式の関係を利用して分解すると、
 sinθ=θ(1 - θ^2/(1^2π^2))(1-θ^2/(2^2π^2))(1-θ^2/(3^2π^2))……
 ここから、θ^3の係数は、
 -1/(1^2π^2)-1/(2^2π^2)-1/(3^2π^2)-……
・一方、sinθのテーラー展開は
 sinθ=1/1!θ -1/3! θ^3 +1/5! θ^5 ……
 θ^3の係数は等しい。
・オイラー積。ここにも素数。
・リーマンのゼータ関数は、数式に「別の意味づけ」を。この関数を用いたリーマン予想。これが分かると、素数が分かるらしい。
・カシミール効果の説明にゼータ関数が現れるらしい。

 第7章は「ピアソンとカイ2乗分布」と題して。
・正規分布と仮定するのは合理的。「最尤原理」とか。
・イカサマかどうか、ピアソンの適合度検定で判定可能。ガチャ騒動のとき、これで検証しておけばなあ。
・ピアソンの開発した「記述統計」、フィッシャーの開発した「推測統計」。考え方が真逆の気がする。

 第8章は「ボーアと水素原子内の平方数」と題して。
・量子力学に至る道(ボーアモデル)の説明。懐かしい。そしてお見事。古典力学的説明でも概念は分かる。
・ハイゼンベルグ(行列力学)とシュレーディンガー(波動力学)。その同値。これはボーアモデルが特例であることを示しているらしい。
・粒子の存在確率は複素数のノルム。ミクロの世界は複素数で表現しなければならない。

 第9章は「アインシュタインとE=mc^2」と題して。
・光速度不変の法則を貫くと、あちこちに二乗の式が。
・座標によって同時観測であったり、非同時観測であったり。そういうことだったのか。
・で、E=mc^2の説明。動いているものに、挟み撃ちのように光子を打ち込み、運動量の増加から質量の増加を考え、それがエネルギーの増加と考えると、導かれる。ちょっとややこしいが、高校生の物理で説明できる。光速度不変という条件を守れば。


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