笠利町用(よう)集落、奄美大島最北の村とよく言われるが、笠利崎を挟んだ反対側の佐仁集落の方が緯度的には微妙に上かもしれない、ということで太平洋側に面した最北の村である、白い砂浜沿いを走る道路があるせいだろうか私的には、白い静かな村というイメージである、砂浜のすぐ沖にある岩は一時期人魚石(岩)といって観光スポットだったと思う、左が顔で右が尾である、確かに思い込めば見えないことも無いが角度にもよるのかな。
海に向かって左側の方に面白そうな岩が見えたので行ってみた。砂岩で出来た岩が侵食によって造られたのだろうか荒々しく鋭く尖った形を成している、溶岩の様にも見える、以前住んだことがある徳之島や沖永良部島でよく見かけた性質の岩だ、歩くのに非常に危険なつくりだ、転んだら血だらけになる、白い砂浜にこの黒い岩、南の島を代表するひとつの景色だろう、夏場ならもっと光り輝くのだがこの季節は仕方ない。
御貴殿の言われたとおり,沖永良部島や与論島の海岸地形では普通に見られる景観です。
用の人魚岩(石)の起源はサンゴ石灰岩です。波食や雨食などの物理的・化学的侵食により奇岩が形成されるのです。奄美大島本島の東部は隆起していることの一つの証になると思います。
御貴殿の写真の1枚目と4枚目に凹んだキノコのようなソロバンの玉のような形が見られますが,これがノッチと言って昔の海水面なのです。これも隆起を示すものだそうです。
そのゴツゴツした岩にも植生が見られます。以前,父の助手としてハンマーを使用して天梅を採取したことがあります。たしか喜界島では採取禁止か持ち出し禁止になっていると思います。
イソヒヨドリの雌雄は別種のような感じですなぁ。