奄美へのいざない

ocnブログからの引っ越しですgooブログ

海遊び今、気になる二人

2006-12-18 06:38:27 | サーフスキー・シーカヤック

 シーカヤックをはじめて2年になる、おのずと関連のホームページは国内外を問わずかなりあさりまくった。書籍も増えてきた。おかげでまだ顔も知らぬ友人らも増えつつある。そんな中でカヌー・シーカヤック・サーフスキーで今気になる二人。

 シーカヤックでは、「グレートシーマンプロジェクト」の八幡氏、彼のオーストラリアから日本までの航海記録(進行中)は胸わくわくさせられる、沖縄を基地として活動されている、奄美から近いところでこうゆう事をしている人が居ると思うとそわそわする。ホームページはここ

 サーフスキーでは南アフリカのOscar Chalupsky (オスカー チェロウプスキーと呼ぶのかな)今年初め友人から頂いた2005年カナカイカイカモロカイレースのDVDを見てから釘付けだ、それ以前にエピックのDVDで見ていたときは太っちょのおじさんとしか思わなかった。世界各国の大会で常連の優勝者だとは・・・  ハワイの大ウネリの中を漕ぐ姿は圧巻だ それ以来外海レースを一度してみたくてたまらない、また海外では女性も平気で同じ大会に出場して大波に漕ぎ出て行く写真を目にする、彼ら彼女らの度胸と勇気を考えると負けられない。

 シーカヤック・サーフスキー共に構造的に言ったら原始的な単純な乗り物であるが、目的によっては最新の軍用艦艇が行けない様な所でも行ける能力を持つと私は思っている、しかも動力源は己のパワーだけだ。

 他にもいろいろこれら海遊びを引っ張っていく方々が日本にも結構居る、うちのカヌー仲間の白畑君は荒木タクジ氏を神様のように崇拝している。 ライフセービングの活動も日本各地で活発だ。沖縄のいろんな形の船での各種レースは同じ島人(しまんちゅ)としていてもたってもいられない、もっと奄美も頑張らなきゃ。

 最近の流れとして、アウトリガーカヌー・サーフスキーの動きが活発になってきているようである、海洋国家日本としてもっともっと普及するとうれしい

 ※ (以前の職場の友や島の友などから、ブログを楽しみにしてるから間を空けずに書けといわれりゃ、うれしい限り ハーイ頑張ります。あなた達もミックシーでもメールでもマメに書きましょう、私も楽しみにしていますので。)

 海外のサーフスキー大会の写真、

06surfskisa

Img_1642

9_20catch

Kf6d5474


あやまる岬

2006-12-15 05:05:35 | 奄美風景

 私が子供の頃から、ドライブ・ピクニックの定番、島外からのお客様が来ると必ず案内した景観地「あやまる岬」、ここには奄美唯一の国民宿舎があり、太平洋に面した岬の高台から一面に広がる青い海と真っ白な砂浜、最北端の用岬、喜界島、後ろには広大なサトウキビ畑と都会の人々が南の島を想像する風景がそこにはある。昨日久しぶりに行ってみた・・・

 12月も半ばを過ぎようとしているが、Tシャツで大丈夫な日和だし日差しもまぶしい、・・・無い? ない・・岬の高台あったはずの国民宿舎が無い、きれいに更地にされていた。

 確かにそうである、今では原生林やマングローブの林が目玉となり、テーマパーク等の整備がされ宿泊施設等の充実も、その当時との比ではない、国民宿舎と言う言葉も死語となりそうである、が寂しい気持ちになった、私の記憶の中で変わってほしくない風景の1つだったのだろう。

 大晦日の晩自転車で40~50キロ走って仲間たちと初日の出を拝みに来た、岬は島中からの人々であふれていた、御来光の瞬間、全員での歓声があがった。

 空港の送り迎えの時は必ずここに立ち寄り写真を撮った、来る飛行機も、飛んでいく飛行機もここから眺めていた、そこでは私だけではなく、ほかの人たちも同じことをしていた。

 休日は、岬下の公園で多くの家族の笑い声が響いていた、芝生の上で弁当を広げていた。 足こぎのミニ列車に行列ができていた時代もあった。

 それが今では、広大な敷地の中に人影がなく空しく観光案内版が色あせしてあるだけ、その前を人の乗り降りはほとんどないであろう定期バスが通過している、県道へつながる入り口までずーとつながるハイビスカスも、浜辺にあるソテツの遊歩道も寂しいかぎりである。

 廃墟の横の松ノ木に 南へ向かう途中なのだろうか「ピッーピー」と鳴くサシバがアップで止まっていた。かれらにとっては よかったのかもしれない。

Dscf7067

Dscf7064

Dscf7071

Dscf7065