遠くの山の上から見るたびに何時か、行かなきゃと思いつつ気になっていた場所、「篠穂の滝」、山からも降りて行けない、磯沿いにも歩いて行けない、だから海から上陸するしかない。
しかも漁船やモーターボートでも海がよほど穏やかでないと接岸できない、波打ち際で吹っ飛ばされても大丈夫のシットオン・サーフスキーは持って来い。案の定、嘉徳の浜からの出艇と滝の浜辺の上陸の時に波にもみくちゃにされました。
波と風がある時に絶壁が続く岸沿いを漕いで行くのはドキドキします。
岬の影から滝が見えた瞬間、「オーオーすごーい」感動です。
沖からだと3段の滝も下から見上げたら一番下の滝しか見えません、さっそく滝に打たれに水しぶきの下へ、シャワー感覚で入ったらとんでもない、重い、痛い、息できない、ドバドバ過ぎ、首に力を入れていないと耐えられない。
帰りに山の上から見下ろした、あそこに行ったんだと思うと再び嬉しくなってきた。
次回は梅雨時期水量の多い時に行くぞー。
戦後64回目の終戦記念日
らしい
産まれた時から平和だった、さんざん戦争の話しを聞かされても、本当の悲惨さは理解は出来ないと思う。怖いとか嫌だの、想像の範囲でしかない。
今年は世界の大国達が目だって原爆放棄を唱え始めてきた、だけど未だに原爆を持ちたがる国も増えている。
平和のためのバランスだそうだ。
愚かだね、人は。
赤崎公園にある「奄美群島殉国者慰霊塔」早朝から年配の夫婦が清掃していた。合わせた手に数珠を回したデザインで空に向かって拝んでいる。
過去に拝んでいるのか、未来に拝んでいるのか。日々に拝んでいるのか。
浜辺も海も空も穏やかだ。
この空の上を右から左へ沖縄へ向かい帰りの燃料もなく飛んで行った若者達、数十分後には銃弾の雨の中に特攻して行った事になる、最後に見下ろした奄美は彼らに何を思わせただろうか。
今、この同じ時間にも、世界には銃や爆弾を持たされている子供たちが居るそうだ。
この国に生まれたことに感謝しないといけないね。
島の至る所にこのような慰霊碑が点在する、手入れされなくなり年々草木に埋もれて行く。