草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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いつかすべての生活が消える日

2011年05月14日 21時40分43秒 | 
 福島第1原発の事故は本当に終息する日が来るのだろうか。昨日は1号機がメルトダウンを起こしていたことがわかり, 今日は1号機建屋の地下に大量の高濃度汚染水が溜まっていることがわかった。これで原子炉の冷温停止に向けた行程はさらに難しくなった。そもそもこれまで東電そして保安院の説明してきた楽観的な観測はすべて外れてきたのではないか。あの震災の日に福島第1原発の外部電源が止まったというニュースの扱いは極めて小さなものであった。日本のマスコミはもともと原発の危険性について何の警告も発してこなかった脳天気記者の集まりであるから事態の深刻さが実はわかっていなかったのではないか。東電のおそらく武藤副社長あたりであろうか, 「この原発にどれだけカネがかかっているのか, 知っているのか。海水を入れて廃炉にするなんて, とんでもない」とか言ったのは。すべての悪夢はあの武藤の行動から始まった。テレビに出ていた学者のだれが, 水素爆発の畏れを爆発前に予測したか。誰一人いなかったではないか。あの東工大助教の澤田哲生にしてもテレビに出演していて爆発が起きたのを見て「水素爆発だ」と言ったにすぎない。決してその前に水素爆発の可能性を指摘してそれを防ぐための手立てが必要だとは言っていない。さらにその後爆発した3号機についても1号機の爆発が何も生きていない。日本の大学教授というのは, 爆発前には何も言わないのに爆発が起きるとそのしくみをしたり顔で説明する。ばっかじゃないのかと思う。スリーマイル島の事故のときは水素爆発を予想してそれを未然に防いだと聞いている。これまでの東電の対応を見ているとどうも東電というのはただのド素人なのではないかと思えてくる。原子力委員会にしても原子力安全委員会にしても水素爆発の危険性を事前に全く予想していないのである。いつも楽観的予測が外れるあの保安院の脳天気さを見ていると福島をこういうド素人に任せていていいのかとなんとも不安になる。日本という国が情けなく思えてくる。事故当初からアメリカなどの技術になぜ頼らなかったのか。東電は素人なのになぜ自分たちだけでやることにこだわったのか。これだけ放射能汚染を深刻化させておいて, まだ原発を推進する人間がたちがいる。自民党の中曽根元総理は田中角栄とともに日本に原発を持ち込んできた張本人であり, 自民党は日本を原発列島にした張本人であるが, 民主党も原発推進党であることに変わりはない。あの二度の水素爆発が実はチェルノブイリと同じ放射能をまき散らしたなどとは国民には知るよしもなかった。すべてを知っていた政府は何も言わずに国民が放射能に晒されるのを黙って放っておいた。なんとういう犯罪行為であろうか。都民は自分たちの子どもが放射能に日々汚染されているのになにも感じないのであろうか。都民に人気のあの石原慎太郎も強力な原発推進論者である。正直私にはこの国の多数意見というものがなぜにこれほど愚かな選択をするのかわからない。
 福島はまだ終わっていない。いや現状を知れば知るほど深刻な状況のような気がする。福島の事故で私たちはもう十分に「すべての生活が奪われる」ことを現実に知ったはずなのである。一瞬にして私たちの生活は消えてなくなる。日常はすべて消えてなくなる。そのことを十分に知ったはずである。しかし, 現実はそうではない。福島でも懲りない愚かな人がいる。
 3.11の震災と原発事故以来, 私は1回も塾を休みとすることなく子どもたちを指導してきた。震災直後には東京から避難した子たちも数人いた。でも私は休まずに教室を続けた。あのときあの状況でも健気に通ってくる子どもたちが愛おしくてしかたなかった。私と子どもたちはあの重苦しい3月と4月を不安の中でただ勉強するという日常を黙々とこなしてきたのだと思う。私はこの子たちのためにすべてをかけて指導しなければといつも思い続けた。あの状況でお子さんたちを塾に送り出してくれる親御さんの気持ちを思うと頭が下がった。みんなどんな思いであのときあの日を過ごしてきたことであろう。何も知らない私たちは悪い政府と東電そして朝日などの大新聞, テレビに騙され続けたのである。あのときほど私は日常のありがたさを知ったことはない。私はそれまでの自分の無知を恥じた。あれからどれだけ原発の本を読んできただろうか。私は人間の制御できない, 人間を死滅させてしまう恐ろしい死の毒物を作り出す原発を推進する人たちの気持ちがわからない。このまま原発を続ければ, いつかすべての生活が消える日が必ず来るであろうことは間違いない。私は自分の子どもが毎日楽しそうに学校に行き, 笑ったり泣いたりしている生活が愛おしい。元気に働いている子どもの将来が幸せであればと願う。私たちの子どもたちの生活がある日突然に消える日のあることを思うと心が痛む。涙が流れる。
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