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本の紹介 反応しない練習

2020-08-12 09:33:38 | 本の紹介
反応しない練習
著者 草薙龍瞬 くさなぎりゅうしゅん
中学中退経験、その後東大法学部卒業。
(インド仏教で有名な)佐々木秀嶺師のもとで得度出家。僧侶。興道の里代表。


はじめに

ムダな反応。相手の態度にイラッとくる。落ち込む。腹を立てる。過去を振りかえって後悔する。未来を悲観する。など。ムダな反応をしない。すると人生楽になる。
反応しない練習を教えてくれるのは、ブッダの教え。練習その1、座禅、マインドフルネス瞑想、ヴィパッサナー瞑想。心の反応、心の動きを見れば、心は静かになる。ストレス解消、気分転換によい。練習その2、物事を合理的に考える。
いたずらに反応しない。悩みを正しく考えて解決する。という毎日を目指しましょう。

1章 反応する前に、まず理解する

私たちの日頃かかえている悩みを理解することから始める。悩みがある⇒悩みには理由がある⇒悩みには解決策がある。
悩みがあると理解することで先へ進める。
悩み解決への方法を実践しようという、最先端の医学にも似た明快な処方箋がブッダの考え。
悩みの原因は執着にあると言われる。だが、執着以前に悩みを作り出しているもの。それが心の反応。その心のムダな反応をしないことが大切。
求める心があり、それが叶わないとき、悲しみ、失望、不満が起きる。求める心は、満たされないことが多い。大切なのは、心とは、そもそもそういうものだと理解しておくこと。心は求め続け、それゆえ渇き続けるもの。
悩みが出てきたとき、
1、心の状態を言葉で確認する。言い換えるとラベリングする。気分が落ち込んでいる。イライラしている。怒っている。など。2、からだの感覚を意識する。例えば、手をにぎったり、開いたり。鼻先を出入りする空気の感覚、お腹のふくらみちじみ。
3、心の状態を貪欲(とんよく)、怒り、妄想に分類する。貪欲は過剰な欲求にかられ、求めすぎている状態。怒りは不満、不快を感じている状態。妄想は、想像したり、考えたり、思い出したりと何かを考えている状態。これは、貪欲だ、怒りだ、妄想だ、と理解する。
1、2、3、の繰り返しでムダな反応は止まり、心が落ち着く。悩みはいつも心の内側に生じます。だから悩みを抜けるには、心の外にあるからだの感覚に意識を向けることがベストの方法です。

2章 良し悪しを判断しない

なぜ人は自分のこと、他人のことなど判断したがるのでしょうか。
ひとつは、判断すると、わかった気になって、結論が出せた気がして安心するから。
もうひとつは、判断することで認められた気分になれる。あの人はここが間違っていると、友人などに話して、そうだよねと第三者のお墨付きを得ようとすることがあります。承認欲を満たせることを求めています。
ブッダの経典より。人は3つの執着によって苦しむ。1.求めるものを得たいという執着。2.手にしたものがいつまでも続くようにという執着。3.苦痛となっている物事をなくしたいという執着。それらの執着は、たいてい思い通りにならない。
人が苦しみを感じる時、その心には必ず執着があります。執着がゆえに、苦しみを生んでいる。
かなわなかった過去の願いが、苦しみを生んでいる。こんなはずではないという判断が苦しみを生んでいる。相手はこうでなければという期待、要求が苦しみを生んでいる。
判断、決めつけ、思い込み、一方的な期待、要求は執着の一種です。心の病気です。
どんな判断であれ、執着してしまうと苦しみが生まれます。現実は、無常だからです。
こうでなければという判断は、頭の中にしか存在しない妄想です。妄想にすぎない判断に執着して、自分や相手を苦しめている。それが真実の姿です。
判断を手放すことは、ブッダにしてみれば簡単なことです。判断は頭の中にしか存在しないので妄想です。(ふと般若心経のことを連想する。有ると思っていることなんて無いんだと
言っているのは、きっと人の判断のことを指していたのかなと思える)
苦しみを生んでいる判断を手放そうという決意に立って、その方法を実践していこうではありませんか。
一方で、有益であるかないかを判断することは、どんな世界であれ、大切な基準です。その意味では、この判断は必要なものです。しかし、日頃の私たちの多くの判断は、どうでしょうか。
自分、他人、人生などについて間違っている、良い悪いという判断は、真実でしょうか、有益でしょうか。真実とは言い切れないし、有益でもありません。この判断はただの妄想です。ヒマつぶしです。
人と人が関わる時、必ず見解の違いが出てきます。これはどう考えても自分の方が正しいと考えることがありますよね。しかし、どう考えてもというその考えは自分の考えしか出てきません。その考えが正しいとは言えません。考えている前提ー立場も体験も脳もーが違うからです。
ブッダの経典から、
正しく理解するものは、自分が正しいと思うことがない。だから、苦しみを生み出す執着に引き込まれることはない。
判断しないことを、生活の智慧として理解したら、実践へと入っていきましょう。
その方法を3つ紹介します。
1.「あ、判断した」ということにシンプルに気づく。2.自分は自分と考える。世間には、比べること、評価することが大好きな人が大勢います。他人は他人と考え、自分は自分。判断しない。3.素直になる。人から何か言われて、逆上したり、落ち込んだりと、苦悩をためていきます。自分が正しいのに。でも自分は正しいという思いは、小さな自己満足にすぎません。その思いが誰かを幸せにしているのでしょうか。素直になった方が、みんな幸せになれます。

自分を否定しない。
失敗したと思うことは、誰にも
必ず起こります。そこで、へこまず、自分を否定しないことです。自分を否定すると、怒りも生まれ、攻撃や、逃避を選択してしまいます。攻撃は、キレる、いやがらせでうさを晴らす、自分を責める。逃避は、さぼる、手を抜く、引きこもる、刺激に依存する、鬱になる。
自分を否定しない練習3つ。1.散歩すること。肉体がキャッチする感覚に意識を向けるようにする。周りの風景から眼耳鼻口肌で、感覚をキャッチし観察する。それらの感覚、足を運ぶことによって、アタマを占領していた苦悩は、この瞬間にはありません。
2.外の世界を見渡す。街行く人達を観察する。外で見かける人はみなそれぞれの日常を生きている。心優しい人がたくさんいます。風景も見て、執着から一歩離れることができる。
3.わたしはわたしを肯定する。自分を否定しないと言い聞かせるより肯定的なのでこちらのほうがよい。


3章以降は、表題から見て、それほど興味を持てなかったので、
ピックアップするのは止めにした。人との関わり方の記述が多いので、
関心のある方は読まれるとよいと思う。
著者本人は、修行僧として、日々感じ取るということを心がけ、禅、サティ、気づき
、体のすみずみの感覚にも意識をめぐらせている。というので、実践もされている方のようだ。

なぜ悩むのかの問いは、この本、この本の中の仏教の引用で明らかにされている。ひとつの言葉で表すと執着。執着は心の反応が生み出す。良いとか悪いとか心のムダな反応、判断をしない。
人が考える多くのことが心のムダな反応。心のムダな反応を無くすことで、執着がなくなる。悩みがなくなる。
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