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岸信介と731部隊と朝鮮戦争

2018-11-10 20:01:52 | 戦争
◯帝銀事件
 椎名町に住んでいる人に聞くと、今でも椎名町には帝銀事件の影響で銀行は出店していないそうである。
 帝銀事件とは戦後間もない1948年に東京・豊島区の帝国銀行支店で厚生省の役人を自称する人物が防疫のためと称して行員らに毒物(シアン化化合物と言われている)を飲ませ、殺害した事件である。その真犯人も動機も謎が多いために、様々な憶測や推理が行われた事件だ。
 ドキュメンタリストの吉永春子氏は帝銀事件取材の過程で、警視庁が旧陸軍731部隊(関東軍防疫給水部)にいた関係者たちを捜査対象にしていたことから731部隊の存在を知った、というのである。そして、これがきっかけとなり、帝銀事件とは別に、この陸軍の部隊がかつて満洲で何をしていたのか取材を進めていったという。

◯731部隊とは
 岸信介が満州国国務院実業部総務司長に就任した1936年(昭和11年)に軍馬や家畜に対する細菌兵器の開発を担当した。1941年には、「満州第100部隊」と改称された。
 満州での人体実験や細菌兵器の開発は当時の総務司長であった岸信介の許可なしには行われなかったのであり、七三一部隊を率いていた石井四郎の背後で岸信介が実権を握っていた。
 731部隊は三千人以上におよぶ「丸太」(=捕らえられた多くの中国人・朝鮮人・ロシア人ら) を生きたままペスト・コレラ・チフスなどの生体実験材料として殺し、非人道的な細菌戦の研究開発およびその実行をした。
元隊員証言では石井部隊長は徹底したエリート意識の持ち主だった唯我独尊の選民意識と、当時の日本人が持っていた『アジア諸民族の中では日本人が一番えらいんだ、優秀なんだ』という排外的な民族意識が結びついた731部隊の残虐行為の根っ子には度はずれた選民意識があるとしている。
 ペスト・コレラ・チフスの実験の他には飢餓や凍傷、レントゲン照射による肝臓への影響などの研究を行った。


◯山口県と731部隊
 吉永春子氏「魔の731部隊」1976年作を見ると、岸信介の出身地である山口県と、731部隊の関係に気が付かされる。
 古橋義雄証言では昭和20年3月731部隊には下関から出発している。
 大田氏に関する情報では731部隊は満州から山口県萩市に引き上げてきて部隊の秘密を誓い合ったとされる。
 朝鮮戦争で使われた細菌爆弾の一部は山口県の岩国基地から持ち出されたとされる。

◯フォート・デトリック(キャンプ・デトリック)
 アメリカも1941年頃からキャンプ・デトリックを中心に、細菌の研究と製造のための機関を設立していた。フォート・デトリックでは、1943年から1969年にかけて、アメリカ合衆国生物兵器プログラム(en:United States biological weapons program)の中心施設として生物兵器の開発や実験、生産が行われた。
 中国はアメリカの情報を分析して、この研究所には、戦後1946年頃から実験資料が持ち込まれ、ナチスドイツの専門家と石井士郎を始めとする旧日本軍の731部隊18人の日本人研究者が参加していたと判断した。
 1949年当時、すでに米国は日本軍731部隊からの資料を独占することによって、世界最大の細菌兵器大国になっていた。

◯朝鮮戦争で細菌爆弾を使用
 米軍の細菌戦実施については、1952年2月~8月にかけて世界的にも高名な学者たちによって組織された二つの国際NGO調査団(国際民主法律家協会・国際科学委員会)が、現地調査を行い、「北朝鮮と中国で発生している伝染病の原因は米軍による細菌戦である」と結論ずけ、さらに「米軍による細菌戦は、旧日本軍731部隊の研究・成果を引き継いで行われた」と断じている。
 石井四郎は朝鮮戦争勃発前夜1949年に消息不明となった。石井は朝鮮戦争に参加したと言われている。
 50年の12月から51年1月、米軍は共和国内の占領地域からの撤退に際して、初めての細菌散布作戦を行なった。撤退時に細菌を家屋や水源地などに散布する方法は、日本軍731部隊も中国浙江省で多用した。占領から解放されて住み馴れた地域に再帰した人々を汚染するのである。これにより、平壌、成川、高原、元山、咸興などは天然痘で、平安北道、平安南道、黄海道は発疹チフスで汚染され、1000名以上の人が犠牲になった。
 52年2月28日に始まった中国東北への細菌攻撃は、丹東、寛旬、洛陽、瀋陽、通化、本渓、撫順、長白、鞍山などの地域へ計72回の細菌攻撃があったが、その内、丹東(寛旬・龍王廟)地域だけで攻撃は28回に及んでいる。(「抗米援朝記念館」館長・張忠勇)攻撃の方法の多くは、内部が四層にわかれた部屋を持つ細菌弾(各層にそれぞれ細菌で汚染されたノミ、シラミ、ハエ、カ、クモなどの昆虫を入れ、着弾の寸前に容器が二つに割れて、中から昆虫が飛び出すしかけになっている)や、汚染した昆虫やネズミを缶に入れ、パラシュートで投下するというもの、汚染した食品、木の葉、綿花、羽毛、ビラなどを直接撒くというものであった。
 国際調査団『報告書』には、この時期、「52年1月28日から3月31日までに、米軍の朝鮮北部に対する細菌を持った動物の散布は804回に及んだ」と記されている。投下された昆虫・動物などは、蒼ハエ、カ、ノミ、クモ、ネズミ、ウサギ、鳥、魚、貝、南京ムシ、トウモロコシ、木の葉、錦花、そして玩具なども落とされ、その種類は20余種。細菌は、ペスト、チフス、炭そ菌などを中心に10余種京にのぼっている。

◯石井四郎元731部隊長や北野政治・若松有二郎が韓国(南朝鮮)で米軍細菌戦を指揮した。
 細菌戦部隊米国第406部隊に、731部隊の幹部たちは戦犯の免責と引き換えに協力、編入されていった。米軍は1950年からの朝鮮戦争に日本の旧731部隊員の協力を受けて大規模な細菌戦を展開した。
 新聞報道によると、52年の初めごろ、細菌戦の指摘が出始める前に、石井四郎が韓国を2回を訪問したとのこと。

以下転載

「ビルマ・ラング-ン発のテレプレス」1951年12月  (注:)まだ完全確認はされていません
歴代731部隊長の石井四郎、北野政次と、100部隊長だった若松有二郎らが米軍の顧問として、
ペスト菌、コレラ菌などを積み込んだ貨物輸送機で南朝鮮に派遣された。
「キム・ソンジュンの証言」
日本支配下の京城帝国大学医学部で学ぶ。
戦後は北朝鮮の保健省衛生部防疫局長
現在(2002)は医学科学院通報センタ-勤務
*米軍が中国志願兵部隊や朝鮮人民軍に対して細菌爆弾を使用したとの報告で、
  1952年キム・イルソン主席の命令で戦線地帯の調査をした。
*1月18日の未明米軍機が低空で何かを落としていった。
  爆発はしなかったが、現地にはハエやノミ、南京虫などの昆虫のほか,
  ネズミなどの動物,紙切れ,磁器の破片が雪の上に無数に散らばっていた。
  ある朝、伊川の現場で2つに割れた磁器製の爆弾を見付けた。
  私は以前731部隊の石井式磁器爆弾を見た事があるので,すぐにそれだと分かった。* 昆虫等の落下物を採取して検査をしたところ、
  ハエからはコレラ菌、腸チフス菌、パラチフス菌が、ネズミのノミからはペスト菌が検出された。
これらの調査をきっかけに研究を開始したクム・ソンジュン氏の研究結果を整理してみます。
* 第1期 1950年の朝鮮戦争開始前から1951年6月まで
1)1950年4月から6月にかけて、朝鮮軍の炊事場や水源地、貯水池がサルモネラ菌で汚染され、
  数百名に被害が出た。
2)1950年8月15日、大邱周辺の洛東江沿岸で畑の瓜とスイカを食べた兵士ら数百名が
  コレラに感染して40%が死亡した。
3)1950年末から51年1月、天然痘を流行させ、江原道、黄海道、咸鏡南道の各地方だけで
  3500人以上が発病し10%が死亡した。
4)1950年12月から1月にかけて米韓軍に再帰熱や発疹チフスが発生、
  撤退時に発病した韓国兵を残したため、その後数万人が感染し20%が死亡した。
5)51年秋から冬にかけて清川江の北から鴨緑江の南端までと陽徳、咸興、元山に
  汚染された日用品、お菓子、水産物が投下され、被害は数万に及んだ。
6)51年3月、元山沖で人民軍の捕虜ら数千人に対し数十種の細菌を使った人体実験をした。
  巨済島収容所でも人体実験は行なわれ、第4収容所だけでも2000人以上が伝染病で死亡した。
  ここでの人体実験では日本人の専門家が参加したといわれている。
* 第2期 1951年7月から1953年7月の休戦協定まで
1)52年1月から4月まで、5回飛行機連隊を動員して北半分の200の市、
  169もの郡に対しのべ8000回にわたって、細菌弾、毒ガスを投下。
  散布した昆虫は20種類以上だった。








細菌兵器731部隊】生体実験には子供や女性もいた!背後の指揮官は安倍の祖父・岸信介!生体実験の捕虜
https://web.archive.org/web/20171010011602/https://kimito39.at.webry.info/201708/article_53.html




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