019)5世紀には百万都市

 このレポートを読んで、黄土高原というのは辺鄙で遅れたところだと思われる方があるかもしれません。それは誤解です。
 黄土高原は中国でももっとも早く文明の発展したところです。なかでも山西省南部の河東地区は、華夏文明の故郷として有名です。
 山西省最北部の大同にも、輝いていた時代がありました。4世紀末からおよそ1世紀、北魏の都が置かれたのです。平城京です。
 そのころの平城京は、山には草木が生い茂る、水の豊かなところだと、古文書に書き残されています。五世紀には人口が百万人を超え、中国最大の都市になったといいます。
 にわかには信じられない話ですが、有力な証拠が雲崗石窟です。市内から西へ16キロの武周山のふもとに、東西1キロにわたって50もの石窟が掘られ、大は17メートルから小は2センチまで、5万体もの彫像が遺されているのです。01年にユネスコの世界遺産に登録されました。
 現存する主なものはここだけですが、往時の平城京は百以上の寺院が軒を連ね、3千人の僧尼を擁する北方仏教の中心でした。
 このような都市と文明を支えるには、恵まれた環境が必要だったでしょう。沙漠化が深刻な現状からは、想像するのもむずかしいことです。
 そのような変貌の原因が、人為的なものなのか、それとも自然条件の変化なのか、結論をだすにはまだまだ検討が必要でしょう。
 【写真】雲崗石窟。2001年にユネスコの世界遺産に登録されました。
  (2003年8月5日号)
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