はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

信じる人たち信じない人たち

2006-07-13 04:27:47 | 会社
KBという後輩がいる。なんの用語とも一切関連はなく、ただ本名を記号化しているだけだ。だからもちろん日本人で、八戸なまりがすこしある。
そのKBに恋人ができた。地元の住民で、駅前のスーパーでレジ打ちをしているらしい。らしい、というのはまだ見たことがないからだ。仕事が忙しい、という以上に二人が付き合い始めてまだ一週間程度だから、純粋に機会がなかった。
普段、同僚の男同士での女の話題にも付き合わないようなKBだから、彼女ができた、と聞いた時は驚いた。こいつにもそういう部分があるんだな、と感心した。新たな発見をした学者の気分がわかった。興味深い。
しばらくは順調だったのだ。KBは嬉々としてのろけ話をしていたし、不埒にも仕事中にメールを交わしたりしていた。30分メールが帰ってこないだけでイライラしたりすねたりする姿は、ある種の動物を連想させた。
その二人の仲が、いきなり崩壊した。
ある日、KBが仕事帰りのコンビニ前で待ち伏せていた。「ちょっと部屋に行っていいですか」と、なんだか思いつめたような表情で近寄ってきた。
部屋に入るなり、PCを指差して言った。
「ちょっと調べてもらいたいことがあるんですが。いいですか」
「いいけど何?」
「宗教のことで」
「……マジすか」

僕の祖母は、とある宗教団体に入っていた。かなり有名な団体で、政界にも多くの人間を送り込んでいた。
小さい頃から信心を叩き込まれた。学校に行く前に、行った後に、仏壇に手を合わせお経を唱えるように教えられた。それがお前を救うからと、お前のためなのだからと。
幸い、というべきか。僕は無神論者だった。神に救われたことなどないし、まして何かにすがって生きようなどと考えたこともなかった。人は己の足で立つべきだ、というのが僕なりの宗教だった。それは小学生の頃からで、ずっと今も続いている。
だから、手を合わせお経を唱えても俺の心は仏の元にはなかった。ある種の親孝行だと思い、その「行為」を行っていた。僕の一家では祖母のみが宗教にはまっていたが、家族の冷ややかな視線を浴びる祖母を見て、ずっとかわいそうだと思っていた。団体の活動のビデオを見せられた時も、成人して選挙の時に特定の人物・党に投票しなさいといわれた時も、心の中は同じような感情で満たされていた。
その祖母が他界したのは去年の3月のことだ。葬儀に出席する人たちの中に、団体の関係者や地域の導師がいた。
「ある意味楽だったね」
後になって、両親は団体のことをそう評した。彼らは信者の葬儀のために尽力してくれた。広報活動、といった意味合いもあったのかもしれないが、それはそれで感謝こそすれ文句をいう筋合いではない。祖母亡き今、団体との付き合いは一切ないが、悪い印象はなかった。

「彼女に勧誘されたんですよ」
青ざめた表情のKBに、俺の経験を聞かせた。元葬儀屋をやっていたという隣の部屋のWも加わり、団体に関して色々と話した。
俺としては団体に対してマイナスイメージがないし、後輩に幸せになってもらいたかったから、宗教というだけで拒否するのは勧めなかった。
だが、結果はおそらく破局だ。
試しに開いてみたネットの記事に、「実弾」とか「右翼」とかの、団体に関しての黒い情報が書かれていた。KBの拒絶反応はピークに達した。
「色々聞けて良かったですよ。ありがとうございます」
そういいながら帰っていった。表情に、間一髪だったというような安堵の表情があった。

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