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坂の途中の学校

2012-04-03 22:45:48 | 秋田の地理
秋田市は秋田平野に位置する平坦な街なので坂は少ない。それに土地が広いから、山を削って造成して建物を造ることもあまりないと思う。坂道だと冬期の除雪も心配。
そのため、先日の明徳小学校のような「坂の上にある学校」は限られている。


そんな秋田市には「坂と学校の関係が変わっている」というか、「坂を活かした校舎」の市立小学校が、知る限りで2校ある。
それは坂の上でも下でもなく「坂の途中にある学校」。
※以下、各学校のデータは秋田市教育委員会の平成23年「教育要覧」などを参考にしました。写真は学校が休みの日などに撮影しています。



1つ目は、南西部の新屋(あらや)地区にある日新(にっしん)小学校。
1874(明治7)年7月7日開校で、秋田市でもっとも古い小学校の1つ。
以前の記事で、「日吉」と「新屋」の地名から合成された校名ではないかと憶測してしまっていたが、そうではなく、儒教の経書「大学」の「日々新又日新(日日に新たに、又日に新たなり)」にちなむものだという。
「新屋郷土史」によれば、新屋在住の儒学者の栗林茂という人が命名したそうだ。


実は日新小学校は、現在、秋田市でいちばん児童数が多い小学校。
桜小学校あたりが多そうに思っていたが、昨年度は桜は2位(894名)で、ダントツの1位が948名・34学級の日新小。
ちなみに、中心部の秋田駅から近い保戸野、明徳、中通の3小学校の児童数を足しても795名で、日新小には及ばない。

最近は少人数学級だから少し違うのかもしれないが、学校教育法施行規則第41条では「小学校の学級数は、12学級以上18学級以下を標準とする。」と定められており、一般的に31学級以上の学校を「過大規模校」と定義しているそうなので、34学級はかなり多い。
新屋地区は古くからの住宅地も多く、取り立てて新興住宅地というわけではないと思うが、学区が広いためだろうか。

日新小の所在地は、県道65号線沿いの移転した秋田銀行の旧新屋支店の裏側辺り。開校間もない1879(明治12)年からは、県道沿いのかつて西部公民館があった場所にあったそうで、1925(大正14)年に現在地に移転した。
新屋地区は比較的起伏があり、県道65号線から小学校に向かって緩い上り坂になっている。海抜は県道で12メートル、学校東側で22メートルほど。
狭い道の突き当りが日新小
狭い上り坂を進むと、日新小の東面に突き当たる。学校の「正面」というよりは「側面」といった感じだが、古そうな門柱があったり壁に校章が付いているから、いちおうここが正面か。
道は校舎右側へ続く
道は校舎の北側に回りこんで続いていて、西へ延びる。その道は引き続き上り坂。
つまり、校舎と坂道が並行していることになる。
道路と接近した、カクカクした校舎
日新小の校舎は1974年頃に建てられた(それまで大正時代の校舎が使われていた)。屋上に庇状のものがせり出している、秋田市でもっとも古いタイプの校舎。もちろん耐震改修済み。
小学校にしては珍しくほぼ全部が4階建て。敷地面積が狭いことをカバーするためだと思われるが、秋田市立の小学校で4階建てなのは、他には中通小くらいではないだろうか。【4日追記】東小学校も一部(塗装が変更されなかった側)が4階建てでした。
※日新小の校地面積は13341平方メートルで、市内45小学校中、下から5番目。いちばん広い飯島小の3分の1ほどしかないが、校舎面積(床面積)はほぼ同じ。
【2014年10月6日追記】日新小学校では、創立100周年の1974年に校舎竣工記念式典を挙行していた。2005年には「校舎増築工事」を行っていた。東側の2階建て部分が建て増しされたと考えられる。上の電話ボックスの写真付近で、そこは庇がせり出していない。

校舎外壁の塗り分け方は昔の秋田市立学校らしいものだが、薄いピンク色を使っているのが珍しいかもしれない。ちょっと古臭い感じがするけれど。
今時の校舎と比べると窓が小さくて壁が多い(特にこちらは北面だから)。道路の線形に沿うような角が多い形状で、さらに道路と校舎が近く、おまけに4階建てだからだろうが、圧迫感を感じる。
でも、僕としては懐かしい雰囲気の校舎だ。
東側を振り返ると、緩く下っているのが分かる
校舎東側では22メートルほどの海抜が、西側では27メートルほどになる。
その坂に校舎はどう対応しているのかというと、
校舎西側から
お分かりだろうか。西側では坂道より校舎のほうが下になっている。すり鉢の底に校舎があるような感じ。
上の写真では、中央に下に降りていく坂道があり、その先が玄関になっている。これは当然校舎1階へ出入りする。
一方で、写真右側にも玄関があるのが少し写っている。この玄関では、なんと校舎2階へ直接出入りできる!
坂を活用することで、階段なしに2階へ行かれるわけだ。坂がわりと多く家が建て込んでいる東京都内には、こうした構造の家があるようだが、学校には例があるだろうか。
道路より低い部分の1階は日当たりが悪そうだけど、おもしろい構造だ。

教室がある南側から校舎を見ると、
至って普通の学校
坂と関係ない南面では、ほとんど影響がなさそうだ。ただ、4階といっても高さとしては3階建て並みだろうから、眺めはさほどよくなさそう。
ちなみに、上のアングルで校舎を見ると、先代の山王中の校舎(1967~2005年)とよく似ている。(校舎を上空から見ると日新小はL字型なのに対し、山王中はT字型で一部3階建てだった。それに色が違う)

坂と絶妙な関係にある大きな古い校舎には、今も1000人が通うわけで、その収容力を発揮しているのだろう。

※日新小についてはこちらの記事でも取り上げています
【2020年11月26日追記】日新小校舎は老朽化が進んでいるようで、秋田市教育委員会は、2021年度以降に校舎改築の調査を行うことになった。着工はだいぶ先だろうが、実現すれば秋田市立学校で久々の改築になる。→この記事にて



もう1つは、北部地区(の中央部寄り)の寺内地区の寺内小学校。
1キロほど離れた八橋小から分離して1990(平成2)年4月1日に開校した学校で、秋田市内では1991年開校の御所野小に次いで2番目に新しい学校(校舎という意味ではなく学校として)になる。
分割直前の1989年度の八橋小は児童1356名・35学級もあり、1990年に八橋小と寺内小が別れた時点では両校とも600~700名の児童がいた。しかし、昨年度は両校とも430名ほど。この辺りでも子どもの数が減っているようだ。

所在地は高清水公園の南側で、ここも坂が多く、新屋よりも急。
新しい道路ができつつある八橋地区側から草生津川を渡って西へ進むと、学校の東面が見える。
右に坂が続き、坂にそって校舎がある
日新小とよく似たシチュエーションだ。
違うのは、校舎が坂の下の道路よりも一段高くなっていることと、校舎が新しいこと、坂が急なことか。

寺内小の校舎は、1980年代中頃以降に建築された秋田市立学校の校舎の特徴がよく現れている。
それは、1.校舎外壁が単色で、淡い色であることが多い。2.塔などのシンボリックな構造物が設置される。3.壁面に埋め込むタイプの時計(塔時計)が設置される。4.ベランダ(バルコニー)が標準装備。5.小学校では壁面に大きな絵が描かれる。
といった点。
上の写真でも分かるが、校舎の東側壁面の大きなレリーフみたいなのが取り付けられている。これが「5」。
これより後に新しく建てられた小学校ではカラーのタイル画なのだが、寺内小は最初期であるためか、このようなもの。絵柄は輪っかを持って組体操する(?)子どもたち。

校舎の手前で左に曲がると、学校正面。
階段で校舎へつながる
校舎外周は日新小より広く、開放的。
改築でなく新設校だからか、あるいは時代的に“バブリー”だったのか、なかなか立派で校舎と統一感のある外構。

網越しに校舎南側
校舎中央にあるのが、
時計塔
この後に建てられる学校では、塔ではなく壁面に同じタイプの時計が設置されることが多いが、寺内小はちゃんと時計塔になっている。
寺内小の時計塔のデザインは、寺内地区が「八橋油田」の一角であることにちなみ、その石油を汲み上げるやぐらをイメージしているそうだ。現在の油田は「ポンピングユニット」と呼ばれる装置で汲んでいるが、それ以前に使われていた櫓のことらしい。

寺内小の校舎は平成3(1991)年度の秋田市の「市民が選ぶ都市景観賞」を受賞している。
また、寺内小より新しい校舎でも、外壁に汚れが発生して汚く見えてしまっている学校も多い中、今もきれいな状態に保たれている感じがした。


さて、校舎全体の写真を見ると、この校舎も構造が少し変わっている。
時計塔を境に、左右でフロアがズレているのだ。
坂の下である右側のほうが低く、上である左側が高いから、これも坂への対応策なのだろう。
全体的に見ると4フロアあるが、左右それぞれでは3フロアしかなく、公式には「3階建て」として扱われている。

反対の北側から見ると、
北側からは車が入れるようになっている
こちらから見ると、坂の傾斜に合わせて1階の位置がずれているのが分かる。
奥(高いほう)の1階の下は、半地下のような構造になっているらしい。

ということは、時計塔を境に階数が揃っていないということになるはずだが、校内ではどういう階数の呼び方をしているのだろうか? 新入生は理解できなさそう。

校舎西側の坂の上から。秋田市街や太平山を望むことができる
東側では海抜10メートルだったのが、西側では20メートル強。地形図では、校舎の両端に等高線が引かれている。
国土交通省国土地理院「電子国土Webシステム」より抜粋
上り坂はもう少し続き、旧国道の寺内コミュニティセンターの前へ出る。


秋田市立学校では、ほかに旭川小や勝平小も、校地が坂と関係のある配置になっているが、特に変わった構造ではなさそう。【4日追記】富士山に向かって斜面が続く街である静岡県富士市の市立富士見台小学校と似たような、低い側に出入り口がある構造。
坂を利用した構造の建物としては、秋田市御所野のイオンモール秋田や青森の弘前大学医学部附属病院(の先代の建物?)が思い浮かぶ。僕はこういう構造の建物には弱いらしく、地階から地上に出られたり、階段を通っていないのに気がついたら違う階数にいたりすることにいつも戸惑い、どうもなじめないものだった。

■秋田市立学校に関する過去の記事■
学校名と東小の色似た校舎憧れの明徳小、坂の途中の学校(この記事)
※次の記事はこちら

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2 コメント

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学校 (FMEN)
2012-04-03 23:08:15
仁井田は田んぼを開拓した学校ですからね。
ただ、足腰の強さは坂道学校のが養われそうなのは確かですな。
秋田はどこも (taic02)
2012-04-03 23:41:53
どこも似たようなモンでしょう。
田んぼの中は冬の地吹雪が厳しいですが、坂の上は風が吹きつけてつらいかもしれません。
通年の坂道の上り下りも考えれば、やっぱり平地の学校のほうが楽でしょうか。眺めがいいのはうらやましいですけれど。

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