田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

野次馬が、とんだ見間違い・・・

2014年11月25日 | 日記
 原発事故は今でも私の脳裏から離れません。目に見えぬ放射能で汚染された土地や建物の中で、必死に作業をしてくださっている人達には、ただ頭を下げるのみです。ありがとうございます。

 
 野次馬根性と、ただ私が安心するためだけに、フクイチのライブカメラをしばしば見ます。静かにクレーンが動くのが見られると「ああ、働いてくださっている」と安心できます。ところが、22日土曜日の画像には驚きました。ベント排気塔から真っ黒なっ煙が・・・ベント排気からの黒い煙ならば原子燃料の火災しか考えられません。地球の滅亡を感じました。ニュース速報もありません。煙は左へ左へと震えるように、たなびいていました。

 
 煙が動きます。よくよく見れば、カメラに止まったバッタでした。良かったぁ、ほんとに良かった。心から安心しました。
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偉大な俳優の死

2014年11月24日 | 日記
 偉大な俳優高倉健さんが亡くなりました。大騒ぎの世間を見て疑問に思うことがあります。昭和42年、43年頃のことです。大学の講義が連続で休講になりました。学内ですることも無く、帰路の途中で映画館へ立ち寄りました。普段は見なかった仁侠映画がかかっていました。当時は平日の午後でも観客は多く、客席の半分は埋まっていました。空席が多かった中央の前ほどに座わりました。当時は入れ替えも無く、2本立て3本立(関連の無い3本の映画を連続映写)で、時間さえあれば、いつまでも映画館に居られました。冷房目当ての豪華な昼寝を楽しむオヤジのいびきなども聞こえていました。

 
 任侠映画と言えば聞こえが良いのですが、やくざ映画の浪花節です。「玉を取った取られた」の極めて単純な映画だったような気がします。映画館に入った時に上映されていた映画が終わり、街の商店のPRスライドも終わり、メインの任侠映画に入ろうとした時、ドヤドヤと集団が入場して来ました。見るからに悪そうな男達の集団でした。「アニキ、ここへ・・・」アニキと言われた男はその言葉を無視して私の方へ来ます。それを察した子分の一人が「兄チャン席空けてくれ」って私の手をつかんで通路へ押し出しました。それほど観たい映画でもなかったし、それよりも男達の凶暴さに度肝を抜かれ、そそくさと最後尾の一段高くなった席へ移動しました。

 
 映画が佳境に入ると、男達の中には座席に正座するのもいました。手の甲で目をぬぐう者、感動的な演歌のBGMでは拍手する者さえいました。そしてアニキをガードしながらの帰り道は、入場とは大違いで「堅気の皆の衆、道をあけてくだセイ」と言わんばかりの、ひどく頭が低い集団になっていました。

 
 この光景が強烈に脳裏に残り、高倉健さんイコールヤクザの俳優さんのイメージがどうしても消えず、その後、健さんの映画を見ることはありませんでした。配役のイメージと演者の人柄を見誤る例ですね。

 
 遺作の映画では刑務所のシーンがありましたよね。役造りに訪れた某刑務所の知人が、「健さんがお礼に来てくれた」ってひどく感激して語ってくれましたが、映画も商品ですから、お礼で済むことだったら安いものです。現実の高倉健さんも、高齢な俳優さんの一人だった、と思うのは私だけでしょうかねぇ~?。斜めから見すぎかなぁ・・・。


初孫

2014年11月22日 | 日記
 昨日の打ち合わせはハードでした。内容はたいした事はなかったのですが、メンバーの思いを統一することが大切、思わぬボタンの掛け違いがあるやも知れません。丁寧な会議に努めました。メンバーは自分の持分が終われば退席します。オイラは統括ですので、S君と最後まで神経が休まりませんでした。終了が5時、その後S君の兄貴Mさんの会議に急遽出ることになってしまいました。いやはや毎日一人で仕事場でPCに向かっていたオイラにとっては地上に出た小さなアリンコみたいで疲れました。

 
 二つ目の会議はお役所からの疑義でした。既に終えた仕事(オイラはほんの少しだけ手伝い)が法に従っているかどうか、またその法が以前から存在していたかと問われたそうです。質問した技官はそろそろ定年の人だそうで、オイラと同じくらいと考えても、当然その法を使ってきた人です。知っていなければおかしいのですが「知らないの?」なんて言えませんから・・・。

 
 オイラの事務所は、10年ほど前までは法規集を捨てませんでしたから「ほら、昭和5×年度ではもう施行されてたでしょ」と言えたのですが、捨てちまったからなぁ。当然会社でも保管していないそうです。ま、「こんなこと常識だから、誰に聞いたって知ってるよ」ってことで会議を終えました。すっかり疲れ、体が冷え切ってしまい頭痛が始まりました。妻が暖かい野菜鍋を作ってくれましたが、お風呂に入りさっぱりしたら睡魔、10過ぎに床に就き熟睡しました。夜中一回目覚め、朝まで眠りました。

 
 さて今朝、息子から「生まれました。母子共に元気」のメールが届きました。超音波診断で事前に分かっていましたが、お口に少し障害を持って生まれてきましたので、今後お嫁さんや息子の気苦労を少しでも軽くするよう、精一杯お手伝いしようと妻と決めました。二人の元気な写真も添えられていましたので、まずは安心した寒い朝でした。よかった、よかった。

打ち合わせ

2014年11月21日 | 仕事
 昼一で会議始め、終わったのが6時、今帰宅しました。疲れましたぁ。先輩のHさんとは久しぶりのチームです、計算屋のMさんはいつものメンバー、チーフのS君は若干ミスリードが多いけど、これも経験だな。新顔のHさんはおもしろい人だ。ウィットに敏感に反応してくださる。オイラより2、3歳年上と見たがどうだろうね。 さて明日から連休。何ごとも無ければ仕事を進めようと思う今日この頃でした。以上報告まで。

冬支度

2014年11月20日 | 仕事
 寒くなりました。エアコンまでは求めませんが、足元を暖めるコタツや足温器、お布団には電気毛布を使い始めました。暑さにはめっぽう強いのですが寒さが弱点の私です。私が耐えられる寒さには限界があります。限界を超えると、体が冬眠を求め、機能に障害が発生します。体の冷えを感じた頃に起こるひどい肩こり、それを過ぎると頭痛です。汗をかくといっそう冷えますので、汗をかかない程度の厚着、ヒートテックの選定に注意する毎日です。

 
 毎日がPCに向かっての仕事でしたので、近頃は快適な生活、鎮痛剤はしばらく服用しておりません。明日午後全体打ち合わせですので、脱ぎやすい上着を探そうと思っております。

 
 さて現在進行中の業務ですが、発注、初期企画、使用者共に公です。当然審査も公ですが、予備審査で条例に違反するする部分を指摘されました。まるで重箱の隅の隅の隣をつつくような指摘ですが、『法は法』守らねばなりません。企画した担当者は連休だそうです。どうも新婚旅行らしい。バタバタしそうな悪い予感がしている今日この頃です。