田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

さみしい団地

2017年10月15日 | 日記
 朝から雨の第3日曜日、今日は団地の外掃除。なんども書いていますが、私が住む団地は限界集落ならぬ、限界団地です。私は途中入居ですが、竣工以来自主管理の弊害が顕著に現れ、管理体制は破綻しています。
 
 素人集団ですから、管理組合の仕組みや目的を知らず、目立つ行動ばかりを推し進めたものですから、住民感情が割れ、組合から離れてしまい、現在のアメリカのようです。
 
 何年かの間には、聡明な住民が理事長に選抜されたり、中古で購入した人が努力されましたが、なにせ任期が一年、苦労して引き継しても、翌年に廃案、骨抜きになってしまいます。
 
 これらの理由が実にくだらなく、罵詈雑言の無責任意見なのです。しだいに組合は形骸化し、単に修繕積立金の集金係となりました。今は洗濯物が干されないベランダ、灯りががつかないカーテン、いわゆる空き家が多く点在するようになってしまいました。にもかかわらず、返金できない積立金が膨張しています。
 
 過去には、空き家がスラム化を招くので、若い人に好かれるよう、ペット飼育を認めたり、空き家を利用した託児所の誘致はできぬものかと考えましたが、変化を嫌う、声の大きな老人に悩まされました。お暇な老人は、朝な夕なに、反対意見を電話で多くの人に伝えようとなさいました。困り果て、固定電話を廃止して、携帯電話に変える人が増えました。反対の意見は「喧しくなる。子供の騒音は耐えられない」「仏壇の上の畜生は絶対許せない」と、本来なら共同住宅には適さない方々です。
 
 そんな方々のお部屋もいつしか空き家になりました。これだけ空き家が増えますと、建替え決議もできないでしょう。こんな町中で、まさか限界集落の廃屋処分と同じような苦労を味合うとは思いもよりませんでした。
 
 たまに不動産会社の「お宅を売って下さい」とのチラシが投げ込まれます。ただし、売ればその日からの住む場所に困ります。
 
 以下は私の考えです。
私のように相続が子供二人、それぞれに財産放棄書が取りやすい住戸は『夫婦二人が死亡、もしくは居住の意志が無くなった』時点で所有権が自動的に不動産会社に移動する売買形式はできないものだろうか。当然買い叩かれる思いますが、早めにいくらかの金を受け取れるし、子供に迷惑をかけなくて済みそうです。一度企画書を書いてみようかな。それとも、もうあるかしら。おしまい。