田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

飼い犬が乳児死亡させる

2017年03月10日 | 日記
 東京で、祖父母の家に一時的に預けられていた十ヶ月の乳児が、犬に噛まれて死亡したそうだ。なんとも痛ましい事故だ。両親にとっても、孫を失った祖父母も取り返しのつかないことをしてしまった。いかにも哀れだ。
 
 先日ペットの思い出を書いたが、近頃ペット、主に犬の飼い方や扱い方が、間違ってテレビや動画で流されている。慣れていても危険に変わりはない。中型犬でも、クマと互角に戦う能力を持っている。
 
 気性の激しい猟犬に囲まれていた父は、いつも犬に対する接し方を、母や子に語った。そして犬には厳しく、時には優しかった。
 
 父は「犬は可愛くても畜生、一つのことしか考えられない」と。幼かった私でさえ、猟犬の食事中は鎖の長さより離れた。子に授乳中の猟犬とは、絶対に目を合わせなかった。何度も威嚇され、怖い思いをしたからだ。そんな犬も、父には甘えて、目の開かない子をくわえて床下から出てくるのだった。
 
 昔は獣医はいたが、主に牛馬の診察と治療だった。犬を獣医に預ける時は予防注射、犬の鑑札って言ってけど、病気診察などもってのほかだった。
 
 犬猫の治療は飼い主がしなければならなかった。飼い主が対処できる病は寄生虫くらいだった。父は「犬を触ったら手を洗え。犬を触るのだったら手を洗え、さもないとヒトの病気がうつって死んでしまう」と厳しかった。座敷に上がれるのはスピッツだけだった。
 
 そんな我が家に、他家の犬を預かることがあった。「嫁が子を孕んだので落ち着くまで」と、おおかたは我が家の猟犬の子であった。幼いうちに引き離されても、親子の感覚があるのか争いはなかった。他人の家でも落ち着いていた。妊婦と犬はしばらく隔離が常だった。
 
 客の多い我が家だった。犬はそろって酔っぱらいが大嫌いだった。手を離すと、襲いかからんばかりの威嚇だった。そんな時に首根っこを抱くのが私の係だった。私を引きずりながら威嚇する目は充血、恐ろしいほどの牙をむき出した。酔っぱらいは逃げ帰った。静かになると、私は顔を舐められた。そんな時の父は、顔を洗えとは言わなっかった。
 
 酔っぱらいばかりではなく、子供連れが来た時など、不思議と猟犬は、私の顔を何度も見た。あんなに強い猟犬も見知らぬヒトは怖い。でも見たい、匂いを嗅ぎたい欲求にかられるのだ。父はいつも「賢くても畜生。もしかすると襲うかもしれん。そうなったら俺等の責任だ」と、私が鎖を持った。もし引きづられたら、私などでは止められなかったが、鎖に繋がれた犬は落ち着いていた。
 
 私は犬が好きだ。飼いたいと思うが、この都市環境では可哀想だ。この事件の被害者は乳児、ご両親、祖父母は言うまでもないが、犬も被害者なのだ。