続・蛙独言

ひとりごと

蛙のあせり

2012-07-10 10:03:34 | 日記
野田泥鰌内閣が史上最悪の政権であることがますます明確になってきたと言わなければならないね。
これまでだって「いい政権」があったとは思わないけれど、少なくとも「タテマエ」だけでも「民主主義」を口にしてきたと思う。
野田の場合、これはもう「民無主義」以外の何ものでもない。
「福島第1」の責任も曖昧なままに「大飯原発」を再稼働させたり、先の見通しも立てないままに増税路線を突っ走ってみたり、「武器三原則見直し」とか「集団的自衛権見直し」とか、「平和憲法」を捨て去るところまで射程にいれながら、「解散総選挙は考えていない」などとうそぶいてさえいる。
誰のための政治かといえば、大資本とそれに群がる有象無象の輩の権益だけが目指されていて、「民」が生きようが死のうが「知ったこっちゃない」ってことだ。
この国を実際にリードしているのは高級官僚だと言われているが、そのエリートたちの質が最悪になってきたということでもあるのだろう。
翻って、この国の「民主主義勢力」の質を考えてみるに、これもまた一度も真実に迫ることができなかったのではなかろうか。
「憲法」を考えてみよう。
反動勢力の側からは「先の戦争の敗北の故に戦勝国から押し付けられたもの」という主張にどんな対抗発言をしてきただろうか。
確かに新憲法制定には当時のアメリカのリベラリストの考えが大きく作用しているが、事情はともかく、この「憲法」を我々は選択してきたのだ。
「フツー」の「国民国家」は「領土・領民・軍隊」の三要素によって成り立っていると蛙は思うが、「我々の憲法」は、その「フツー」であることを拒否するところに意義があったのだ。
どんな戦争も全て「自衛」のために企てられてきたという反省から、「未来世界は国際的紛争を武力で以って解決する野蛮な歴史から脱却しなければならない」という崇高な宣言として「我々の憲法」はあったはずだし、それだから、世界の人々から高い評価を受けていたのだね。
そういう理想は、この国の支配層の思惑を抑え、ずっと「手を縛ってきた」のだが、67年の時の経過の中、あからさまな「国権主義」の台頭の中で「風前のともしび」という情況になってきている。
例えば「在特会」などの蛮行は、支配層の裏側からの財政的・政治的な支えに因っているのであり、そうでなければ、もっと厳しく取り締まられなければならないものではないか。
事態は窮迫しているというのに、民衆の側は対抗する軸心を持ち得ていない。
「官邸前20万人のデモ」の向こうに、それは展望することができるのだろうか。

とりあえず、16日には東京に行ってみようと思うし、蛙に「できること」をやっていくほかないのだろう。