続・蛙独言

ひとりごと

「脱原発・考」 3

2012-07-19 21:07:03 | 日記
「東海村に原子の火ともる。」
1957年、蛙は小学6年だった。
細部までは覚えていないが「原子力の平和利用」で「未来はバラ色」のように言われ、蛙もまた「科学少年」であろうと決意した日でもある。(「科学者」への夢は挫折ということになったが、それはそれで良かった。)
こどもだったこともあるが、国策として「アメリカ追随」として戦後一貫して取られてきた「レール」の上を走って来ただけのことだったことや、湯川秀樹博士が「原子力政策」の拙速を批判されていたことなど知る由も無かった。
この時、「原子炉」のボタンを押した正力松太郎という人物がどんな人間であるか、後に知ることになる。
全くのペテンだったのだ。
正力はA級戦犯に問われた人物であり、推量するにこの時、アメリカに魂を売って生き延び、その後もCIAと協力をしながら「この国の進路」を「支配層の思うままに」そして民衆を地獄へ引きずり込んでいった張本人と言わなければならない。
正力は「原子力の父」とも呼ばれているのだそうだ。
関東大震災の折の「朝鮮人虐殺」の最大の責任者だったことも考え合わせておかなければならない。

「脱原発」という思想は、それだから単に「原子力発電から撤退しよう」というものではあり得ない。
「この国の支配層」の思惑を根本から否定しようという運動として現実化されなければならないものなのだ。
なりふり構わず、野田が猪突猛進するかのような政策に邁進するのは、支配層にとって、ことは「その根本」に関わっているのだという徹底的な自覚があるからなのだ。

ただ、多くの人々は「ここで変われなければいつ変わることができるか分からない」という決定的な想いをもって立ちあがってきている。

「正義は我々の側にある」
「地獄への道筋を選ぶわけにはいかない」

民衆の蜂起は必ず勝利に結び付けられなければならない。

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