続・蛙独言

ひとりごと

「脱原発・考」 2

2012-07-18 12:59:06 | 日記
高木仁三郎さんは2000年10月に62歳の若さで亡くなられた。
「市民の側に立つ科学者」としてのその業績は、測り知れないほどに重要なものだったと蛙は思う。
短い「文章」なので、facebookの方でも紹介した高木さんの「最後のメッセージ」、ここにUPしておこう。
これは2000年に書かれたものなのだが、不幸にして私たちは11年後の3・11、取り返しようもない事故を経験してしまった。
今からでも「遅くはないッ!必ず原発を無くさなければッ!」。

高木さんは、きっと私たちを見ているッ!
期待を持ってッ!

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友へ 高木仁三郎からの最後のメッセージ
「死が間近い」と覚悟したときに思ったことのひとつに、なるべく多くのメッセージを多様な形で多様な人々に残しておきたいということがありました。そんな一環として、私はこの間少なからぬ本を書き上げたり、また未完にして終わったりしました。
未完にして終わってはならないもののひとつが、この今書いているメッセージ。仮に「偲ぶ会のためのあらかじめのメッセージ」と名付けますが、このメッセージです。
私は大げさな葬式のようなことはやらないでほしい。もし皆にその気があるなら「偲ぶ会」を適当な時期にやってほしい、と遺言しました。そうである以上、それに向けた私からの最低限のメッセージも必要でしょう。
まず皆さん、ほんとうに長いことありがとうございました。体制内のごく標準的な一科学者として一生を終わっても何の不思議もない人間を、多くの方たちが暖かい手を差しのべて鍛え直して呉れました。それによってとにかくも「反原発の市民科学者」としての一生を貫徹することができました。
反原発に生きることは、苦しいこともありましたが、全国、全世界に真摯に生きる人々と共にあることと、歴史の大道に沿って歩んでいることの確信から来る喜びは、小さな困難などをはるかに超えるものとして、いつも私を前に向かって進めてくれました。幸いにして私は、ライトライブリフット賞を始め、いくつかの賞に恵まれることになりましたが、繰り返し言って来たように、多くの志を共にする人たちと分かち合うべきものとしての受賞でした。
残念ながら、原子力最後の日は見ることができず、私の方が先に逝かねばならなくなりましたが、せめて「プルトニウムの最後の日」くらいは、目にしたかったです。でもそれはもう時間の問題でしょう。すでにあらゆる事実が、私たちの主張が正しかったことを示しています。なお、楽観できないのは、この末期症状の中で、巨大な事故や不正が原子力の世界を襲う危険でしょう。JCO事故からロシア原潜事故までのこの1年間を考えるとき、原子力時代の末期症状による大事故の危険と結局は放射性廃棄物が垂れ流しになっていくのではないかということに対する危惧の念は、今、先に逝ってしまう人間の心を最も悩ますものです。
後に残る人々が、歴史を見通す透徹した知力と、大胆に現実に立ち向かう活発な行動力をもって、一刻も早く原子力の時代にピリオドをつけ、その賢明な結局に英知を結集されることを願ってやみません。私はどこかで、必ず、その皆さまの活動を見守っていることでしょう。
私から一つだけ皆さんにお願いするとしたら、どうか今日を悲しい日にしないでください。泣き声や泣き顔は、私にはふさわしくありません。
今日は、脱原発、反原発、そしてより平和で持続的な未来に向かっての、心新たな誓いの日、スタートの楽しい日にして皆で楽しみましょう。高木仁三郎というバカな奴もいたなと、ちょっぴり思い出してくれながら、核のない社会に向けて、皆が楽しく夢を語る。そんな日にしましょう。
いつまでも皆さんとともに
高木仁三郎
世紀末にあたり、新しい世紀をのぞみつつ

「脱原発・考」 1

2012-07-17 15:56:06 | 日記
この8月で満2歳になる孫娘のアオイちゃんも16日の「さよなら原発10万人集会」に参加して来た。
大人は17万人をも越えようかという規模に驚愕させられるが、彼女には周囲しか見えていないので、近くの人たちに愛想をふりまいて、結構、かわいがられていたようだ。
パレードなどはずっと小さなものだけれど、神戸でも参加してきているので、特段、驚いている様子もない。
0歳児を含めて多くの子どもたちも参加している。
勿論、親に連れられてということだが、このこどもたちにどんな未来を手渡せるか、親たちもまた必死の想いであるのだろう。
今日、17日、いつものように保育所へ向かう道筋、「サイカドハンタイ・ゲンパツトメロ」と聞こえるようなシュプレヒコールまがいなことを口にしながらである。

「発達障害」が「親の子育てに原因がある」かのように考えている愚かな国会議員もあるわけだが、それでも「子育て」には大きな意味はあるのだろう。
大人になるまで「何」を「どんな風に」見て、感じて、成長していくか、その環境が大きく影響するだろうことは間違いないと思われる。
蛙の「反権力」の意思も「どのように形成されてきたか」思い返せば、色々な節目があった。
同じ兄弟姉妹でも全く違った性格にもなるから一意に決まるような単純なものではないのだろうが。

放射能には「色」も「形」も「におい」も何もない。
それでいて確かにこどもたちのからだを蝕んでいくのであるから、これ程厄介なしろものはない。
防護の手立てなどというものがない。
せいぜい「安全なように思えるたべもの」を選択したり、やばいところには近寄らないようにしたりが精一杯なところだろう。
「人と原発とは共存できない」のだ。

それでも、金儲けのことしか頭にない連中は、あらゆる嘘とペテン、恫喝などを駆使して、人々を地獄へ引きずり込む。
「反原発」の主張に対して「反対のコメント」が寄せられることがよくある。
曰く「電気がなければ生きてはいけない」、曰く「日本経済が破綻してしまう」etc.etc.

少しの間、「この問題」について、続けて書いていこうと思う。

滅びに向かう人類

2012-07-13 22:33:50 | 日記
たいへんな豪雨で九州では大きな被害が出ているようだ、
ここのところ「天変地異」がうち続いて「災害列島」である我が国では、あらためて自然の脅威を思い知らされている。
けれども、何百年何千年、或いは何万年というスケールで考えてみれば、これらのことはもともとごく普通の「できごと」と言わなければならない。
蛙は「人であること」に嫌気がしてしまって、ただ、毎日、ボーッと時の移ろいを眺めているだけであるが、実際、人間の愚かしさは既に極限に達してしまっているのではなどと思う。
「自然とともに」というか「自然のままに」というか、そのような「生き方・暮らし方」が今ほど強調されなければならない時代はなかったのではなかろうか。
文明の発展の中で「人は万物を支配する王」であるかのような驕りが蔓延している。
正しい情報が全ての人々に提供されていれば、このようにはなるはずもない。
アメリカとか日本とか、所謂「先進国」の生活水準が全世界で共有されることがあるとすれば、それを保障する「地球の生産力」から考えて、この「地球」が6つあっても7つあっても足りないという試算もある。
何故こんなことになるのか?
言わずもがなということだが、それは支配層の「我欲」に「全ての人々」が洗脳されてしまっているからにほかならない。
「豊かな生活」とは、「便利な品物」が溢れかえり、「うまいもの」がいつ・どこででも食べられ、迅速に移動できる交通手段を持ち、「夜の暗さ」を無くしてしまうような、「今日的」な「在り様」とは違う。
恐竜時代は、隕石の衝突で滅びるまで、何億年も続いたが、人類の滅亡は、僅か数万年、しかも、ここ数百年の短い時の流れの中で加速度的に進行しているのかも知れない。
愚かというほかない。

蛙のあせり

2012-07-10 10:03:34 | 日記
野田泥鰌内閣が史上最悪の政権であることがますます明確になってきたと言わなければならないね。
これまでだって「いい政権」があったとは思わないけれど、少なくとも「タテマエ」だけでも「民主主義」を口にしてきたと思う。
野田の場合、これはもう「民無主義」以外の何ものでもない。
「福島第1」の責任も曖昧なままに「大飯原発」を再稼働させたり、先の見通しも立てないままに増税路線を突っ走ってみたり、「武器三原則見直し」とか「集団的自衛権見直し」とか、「平和憲法」を捨て去るところまで射程にいれながら、「解散総選挙は考えていない」などとうそぶいてさえいる。
誰のための政治かといえば、大資本とそれに群がる有象無象の輩の権益だけが目指されていて、「民」が生きようが死のうが「知ったこっちゃない」ってことだ。
この国を実際にリードしているのは高級官僚だと言われているが、そのエリートたちの質が最悪になってきたということでもあるのだろう。
翻って、この国の「民主主義勢力」の質を考えてみるに、これもまた一度も真実に迫ることができなかったのではなかろうか。
「憲法」を考えてみよう。
反動勢力の側からは「先の戦争の敗北の故に戦勝国から押し付けられたもの」という主張にどんな対抗発言をしてきただろうか。
確かに新憲法制定には当時のアメリカのリベラリストの考えが大きく作用しているが、事情はともかく、この「憲法」を我々は選択してきたのだ。
「フツー」の「国民国家」は「領土・領民・軍隊」の三要素によって成り立っていると蛙は思うが、「我々の憲法」は、その「フツー」であることを拒否するところに意義があったのだ。
どんな戦争も全て「自衛」のために企てられてきたという反省から、「未来世界は国際的紛争を武力で以って解決する野蛮な歴史から脱却しなければならない」という崇高な宣言として「我々の憲法」はあったはずだし、それだから、世界の人々から高い評価を受けていたのだね。
そういう理想は、この国の支配層の思惑を抑え、ずっと「手を縛ってきた」のだが、67年の時の経過の中、あからさまな「国権主義」の台頭の中で「風前のともしび」という情況になってきている。
例えば「在特会」などの蛮行は、支配層の裏側からの財政的・政治的な支えに因っているのであり、そうでなければ、もっと厳しく取り締まられなければならないものではないか。
事態は窮迫しているというのに、民衆の側は対抗する軸心を持ち得ていない。
「官邸前20万人のデモ」の向こうに、それは展望することができるのだろうか。

とりあえず、16日には東京に行ってみようと思うし、蛙に「できること」をやっていくほかないのだろう。

コラムについて

2012-07-07 14:26:49 | 日記
同盟中央機関紙もきちんと読んではいるけれど、今ひとつ面白くないと蛙は思っている。
「誰に何を伝えたいのか」という根本的な疑問を思うこともあるし、「書きことば」として「権力側」の形式が踏襲されているのも気にいらない。
広島県連の「解放新聞」は「地のことば」で書かれていたりするから、内容については色々「違うんでないか」なんて思うこともあるが、その「書きことば」のスタイルは「いいなぁ」と思ったりしている。
各府県連からの記事もその地方の「ことば」で書かれていたらずっと楽しい紙面になるんでないかなぁと思ったりするわけだ。

「問題」を解く鍵は「ことば」そのものが持っている差別性を撃つ作業が欠かせないと日ごろから蛙が考えていたりするのは、田中克彦さんの著作をたくさん読んできてのことなのだろうと思っている。
中央機関紙のコラムで「今週の一冊」というのがあるが、7月2日付(2575号)の欄にその田中さんの「差別語からはいる言語学入門」が紹介されていた。
最近、「ちくま学芸文庫」に収録されたものの紹介のようだ。
もともと、この本は10年ばかり前に明石書店から出されていたもので、蛙は2002年2月・初版第2刷というのを読んでいる。
コラム氏(K・Sと署名されている)が評する内容にどうも納得がいかない気がして、随分以前に読んでいるわけだから、どこが気にいらないのか分からなくて、読みなおしてみた。

田中さんの著作は、「ことば」を、常に抑圧されている力の無い民衆の側に立って、検証し、創り直していかなければならないのではないかという思想に徹頭徹尾貫かれている。
読んでいて、この本もそうだけど、凄く皮肉が効いていたり、強く胸うたれたりで、笑ったり涙したりで、蛙はたいへんなのだ。

このコラム氏の文章でまず一番にひっかかったのは次のくだりだ。
「第9講・トサツについての予備的考察」という章は、この本の中でも白眉というべきものなのだが、それにふれながら「著者は、動物の苦痛を最低限におさえる狩猟民・牧畜民の心に『動物を一方的に人間が支配し、自由に処分するモノとしてではなく、生存のパートナーとして考えようとする、より高い公正さを求める感覚』を指摘。・・・」と記している。
『 』で括られている部分が著作から引用されたものではないのではないかというのが第1印象としてあって、まず、その確認をしてみたのだが、確かに無い。コラム氏の「受け止め方」ということなのだろう。
著作が一旦公になってしまえば、その「理解」は「人それぞれ」でちっとも構わないのだけれど、この「受け止め方」を支える感覚は、蛙には気にいらない。
まず「パートナー」という表現だが、この「ことば」の持つ意味は「狩猟民・牧畜民」とは共有されていないと思う。
「主体=人」と「客体=動物」とが「対(つい)」として自然の全体から切り取られて初めて「この論理」が成立するが、「狩猟民・牧畜民」にあっては「森羅万象」は「全一」であって、自身もまたその中に包摂されているのであるから、「パートナー」などという感覚があろうはずもない。
「神」(蛙語では自然総体)のもとに「いし つぶて かわらけ」まで含めて、「全て」は互いに依存しあって存在を許されているのであるから、「ひと」が「どうぶつ」を食することも「神(自然)」の摂理にしたがってする行為にほかならないのだと思う。
「狩猟民・牧畜民」にとって、「彼ら」の文化の在り様は、資本制社会に骨の髄まで毒された「我々の文化」を刺し貫く。
それ以上でもそれ以下でもない。
「そこ」には「そこ」なりの「ルール」があるというだけのことだ。
それだから、次に続く「より高い公正さを求める感覚」などというものも、また、あろうはずもないということになる。

また、コラム氏は「・・『差別語糾弾』の高まりを『言語の問題で人民が自己主張を示した、日本語史の上でのまれな経験』と『観察』してきた著者。それにしては糾弾関係で事実誤認したような記述が混入しており残念だ。」と記しているのだが、どういう「事実誤認」があるのかと思って探してみても蛙には見つけることができなかった。
まぁ、コラムという字数の限定される稿では「意を尽くせない」のは仕方がないが、「残念」に思った箇所をひとつでもあげておいてもらいたかったと思う。
蛙には「事実誤認」などひとつも無いと思われるのだが…
それに、コラム氏が「日本語史」をどのように受け止めておられるのかも気になるところだ。
蛙が思うに、この国の支配の側は「国民的統合」を図る目的で、また、支配の側の「安定性」が保たれんがために、さまざまな「ことば政策」に取り組んできた。その最も典型的であるのはアイヌ・琉球での許し難い「言語政策」であり、植民地時代の朝鮮での悪辣な「創氏改名・日本語強要政策」だった。現在でも「国語審議会」などの公的なものや、守旧派文人による「日本語の乱れ」宣伝などを通じて、意図的な支配の側からのイデオロギー操作がある。
「ことば」は使う側が「勝手に作り変えてもちっとも構わない」モノなのであって、通用するモノが生き残っていくのである。
昨今の「メール」全盛時代、大きな変容を遂げていくことは間違いないが、これらは「自然発生的」な変化なのである。
それに引き較べて「差別語糾弾」から生まれるべき「人民のことば」の創出の過程は、これぞ民主主義の在り様そのものと田中さんは思った。また、そのような展開を彼は希望をもって、言語学者にできる協力を惜しまないつもりだった。
それだから「日本語史上、まれにみる経験」と彼は言ったのだが、残念であるのは「糾弾」の側が「ことば」について理解を深めることなく、そういう問題意識すら持つことができなかったというところにあると蛙は考えるのである。