所在地 旧玉置住宅 兵庫県三木市本町2丁目2-17
江戸後期の建築様式を伝える国登録有形文化財の建物です。文政9年(1826年)に、上州館林藩の財政建て直し策を図るため、切手会所(今の銀行)として建てられ、古くから湯の山街道,ひめじ道,あかし道が分岐する市街地の中心に位置しています。
明治8年(1875)に玉置家に所有が移ると離れ座敷や渡り廊下などが増改築され現在の形になりました。主屋は木造2階建、切妻、本瓦葺、平入、塗屋造、正面外壁は黒漆喰で仕上げられ、両端には防火施設として袖壁、開口部は虫子窓になっています。
部屋に上がらしてもらい、廊下に進むと奥には蔵かな?
この部屋は、何に使用されていたのかな?
「早坂好恵」ともう一人の色紙が読めない~ ここ旧玉置住宅に来たんですね。
ここは台所、奥には井戸が、その隣には「流し」が、右側に「かまど」がありましたが、少し離れたところに設置してあります。当時は多くのお客様を、お招きしもてなしたのでしょうね。
台所から戸をあけて、外に出ると中庭があり、渡り廊下が傾斜して建てられ建物も右側が低くなっています。玉置氏が所有して以後に建築された離れ座敷から渡り廊下には、当時の匠技(たくみわざ)が施されています。なぜでしょうね?
土蔵扉の琴柱(ことじ)家紋は、切手会所を建てた時の、館林藩の役人が使用していた琴柱家紋が土蔵扉に使われています。琴柱は琴の絃を支えて音を調整する道具です。
この先には、「北蔵ギャラリー」がありますので覗いて見ます。
「北蔵ギャラリー」に入ると、左に「二枚胴具足」が
これは、当時の旧玉置家住宅に残る民具が展示されています
江戸期の証として「棟札」が、文政9年に切手会所として建てられたことを示す「棟札」が出てきました。この「棟札」には工事の由緒、建築の年月日、施主やその建築物の責任者の名前が記されています。この「棟札」により母屋部分が江戸期の建物であることができます。
この展示には、襖は下地となる木でつくられた骨の上に、幾重にも重ねられた和紙の層を貼り、最後に襖紙(表紙)を貼ってできています。この和紙の層を下張りといいます。昔は和紙が大変貴重で、不用になった台帳、手紙、日記などが再利用され下張りに使われていました。それが、襖という形で引き継がれ、現代ではその当時の背景を知ることができる貴重な歴史史料の一つとなります。
ここ店奥(母屋)、中の間、神の間、奥の間にかけて町屋の深い奥行きの様子がうかがえます。
主屋は木造2階建、切妻、本瓦葺、平入、塗屋造、正面外壁は黒漆喰で仕上げられ、両端には防火施設として袖壁、開口部は虫子窓になっています。屋根は緩やかなむくり屋根で、下屋庇もむくりが付いています。三木城下の中心地,旧街道と美嚢川に挟まれた南北に長い敷地の南寄り街道沿いに南面して建つ。表屋造風のつくりです。時間がありましたら見に行ってください。
次回をお楽しみに では またね
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