増位山随願寺は、聖徳太子の命により高麗僧、恵便が開山したのちに行基が中興したもんで
播磨六山の一つとして姫路市内で、最古の寺と伝えられています。
また 姫路城城主 榊原忠次が随願寺を菩提寺として再建に努めました。
所在地 随願寺 兵庫県姫路市白国5丁目
随願寺の駐車場をから本堂の方向へ進んでいくと榊原忠次の墓所があります
榊原家は、譜代大名のなかの名門で、俗に徳川四天王の一つに数えられています
榊原忠次は、姫路城主28代となるまでの経緯、在命中の業績など彼の一代記が約3000の
文字に刻まれる、この文字を一字の誤りもなく読むと碑石の「亀」が動くという伝説があります。
随願寺の本堂です。
随願寺の梅林は高いところにあるので開花も遅く 今 5分咲きぐらいです。
梅林の梅です
梅林の大きさは大きくありませんが、段々畑のようになっています。
昨日からの雨上がりと土曜日というのに随願寺の梅林は静かな境内でした。
梅林から階段を上がると 榊原政邦公と夫人の墓所です
榊原家は、江戸時代の初期と中期の二度姫路城主となり榊原正邦は1704年越後の国村上城が
移封され 正邦は二度目の城主で民政に心を傾けていましたが、1726年56歳で亡くなり
夫人も江戸で亡くなり 同じ遺書により増位山に二人は葬られています
増位山随願寺へ行くドライブウェイの途中に咲く梅の花です
この辺は 白国からハイキングコースがあるようで、早朝登山に出かけているのか、
途中のドライブウェイの道で人に会うことが多かったです。
数日間天気が悪かったので 今日は天気もよく気持ちが良かったです
次回をお楽しみに では またね
播磨六山の一つとして姫路市内で、最古の寺と伝えられています。
また 姫路城城主 榊原忠次が随願寺を菩提寺として再建に努めました。
所在地 随願寺 兵庫県姫路市白国5丁目
随願寺の駐車場をから本堂の方向へ進んでいくと榊原忠次の墓所があります
榊原家は、譜代大名のなかの名門で、俗に徳川四天王の一つに数えられています
榊原忠次は、姫路城主28代となるまでの経緯、在命中の業績など彼の一代記が約3000の
文字に刻まれる、この文字を一字の誤りもなく読むと碑石の「亀」が動くという伝説があります。
随願寺の本堂です。
随願寺の梅林は高いところにあるので開花も遅く 今 5分咲きぐらいです。
梅林の梅です
梅林の大きさは大きくありませんが、段々畑のようになっています。
昨日からの雨上がりと土曜日というのに随願寺の梅林は静かな境内でした。
梅林から階段を上がると 榊原政邦公と夫人の墓所です
榊原家は、江戸時代の初期と中期の二度姫路城主となり榊原正邦は1704年越後の国村上城が
移封され 正邦は二度目の城主で民政に心を傾けていましたが、1726年56歳で亡くなり
夫人も江戸で亡くなり 同じ遺書により増位山に二人は葬られています
増位山随願寺へ行くドライブウェイの途中に咲く梅の花です
この辺は 白国からハイキングコースがあるようで、早朝登山に出かけているのか、
途中のドライブウェイの道で人に会うことが多かったです。
数日間天気が悪かったので 今日は天気もよく気持ちが良かったです
次回をお楽しみに では またね