hasyan の 旅の散歩道

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寺内町・興正寺別院  2013.04.23

2013年04月25日 20時12分14秒 | 神社・寺院


  所在地  興正寺別院    大阪府富田林市富田林町13-18

 富田林のほぼ中央にある興正寺別院は、寺内町の開祖である証秀上人がひらいた真宗の寺院で、表門は伏見城の城門の一部を安政年間(1854~59年)に移築したものである。その向かいにある妙慶寺とともに、町並みのポイントとなっていいます。表門の脇にある小さな入口を覗くと寺の人が、頼んで拝観させてもらいました。

 京都興正寺の別院として1558(永禄元)年に証秀上人が開基しました。寺の表門は伏見城の城門を移築しています。前の道は「城之門筋」と呼ばれ、日本の道100選に選ばれています。富田林村「村方様子明細帳」によると、興正寺院本堂は寛永15(1638)年に再建されたもので、その後元禄5(1692)年に大井屋八兵衛らの寄進によって、内陣の欄間彫刻や仏壇まわりが改造されました。

 本堂の中に入らせてもらいます。この中には富田林・寺内町の寺院や町家には江戸時代の絵画や書も多く残されています。寺内町の成立・発展の中心となった興正寺別院の本堂 (外陣)には、江戸時代の狩野派画家・狩野寿石秀信筆の襖絵  (障壁画)である、「松図と「竹梅図」)がそれぞれ残されています。

 これが狩野寿石秀信筆の襖絵 「竹梅図」で、興正寺別院本堂の外陣を飾る「松図」「梅竹図」は、桃山時代の古風さを残す江戸時代前期の狩野派を代表する作品といわれ、寿石秀信が描いた各所の障壁画が消失した今、大画面で残る数少ない作品の一つとして、その価値は計り知れないものがあります。

 興正寺別院本堂の正面欄間には、中国故事「二十四孝」に由来する7話を題材にした欄間彫刻が施されています。

 これは襖絵の「松図」で、狩野寿石秀信は幕府御用絵師として、御所、東福門院御所、東宮御所、仙洞御所、江戸城、大坂城、二条城等の公の画業に携わり、華々しく活躍しました。興正寺別院の襖絵の制作年代は、興正寺別院が永禄4年 (1561年)に建立された後、寛永15年 (1638年)に再興されましたが、内陣の欄間彫刻や仏壇まわりが元禄5年 (1692年)に改造されているので、この頃の制作かと思われます。「忠臣蔵」でおなじみの元禄14年 (1701年)、浅野内匠頭が吉良上野介に切りつけた場所が、俗称江戸城本丸”刃傷松の廊下”で、この廊下の”松”を描いたのが寿石秀信でした。

 本堂 (外陣・内陣)は、富田林道場として建立され、外陣が内陣に比して大きく、
① 本尊阿弥陀如来立像 (伝鎌倉末)② 親鸞聖人像③ 開山聖人像④ 華園摂信(本寂上人)像をそれぞれ安置されています。

 鐘楼:釣鐘は春季祭(証秀上人・開基祭)と秋季祭(親鸞上人・報恩講)、除夜の鐘で鳴らされています。

 境内の建物の屋根を突き抜けて大きな木が立っています。建物が始めか、木が始めに植わっていたのか? どちらでしょうね。

 山門は、重文級、城門であった為、通常の寺院山門に比べて建物規模が大きいのが特徴で、馬に跨って通行できる高さを確保したものと言われています。その脇に大きな「モミジ」の木がこれが秋になると紅葉すると綺麗でしょうね。また、訪れたいところです。
 次回をお楽しみに  では またね















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