たびびと

世界を楽しく旅しましょう!

世界遺産観光地から開発途上国まで、世界各地の心あたたまる、すてきな風をお届けします。

公衆トイレ ホンジュラスの風

2010年02月22日 | ホンジュラスの風
ホンジュラスでも公衆トイレはあまり見かけませんでした。

自分が住んでいた小さな市には、当然公衆トイレはありません。
どうしても我慢できないときに、数回ほどですが道で用をたしてしまったことがあります…。

住んでいたところは田舎でした。ちょっとわき道に入れば誰もいません。近くの木々を眺めながら、のんびりできます。特にプレッシャー?もありません。
友達のホンジュラス人である先生方も、横道で小便をすることがあります。もちろん男性の先生だけですが。

小さな町だったので、知り合いがたくさんできます。すぐに友達になれます。だから、道を歩けば知人の家だらけです。どうしても我慢できないときは、その家で気軽にトイレを借りるともできました。でもあまり頼んだことはありません。

理由が想像できますか?

住んでいた地域は、東京の猛暑のような日が連日続くのです。ほぼ一年中です。
あまりの暑さに、体の水分はすべて汗として出てしまうのです。缶ジュースを1本飲むとします。その瞬間に全て汗として出てしまいます。
だから、日中、トイレに行く回数がとても少なかったのです。

もう一つ理由があります。
トイレに行きたくなったときは、家に戻ることができたのです。
仕事あるいは暇つぶしに市内を遠出しても、家までは自転車ですぐに移動できてしまうのです。小さな町でしたから。
もちろん、近隣の市へバス移動したときや歩いて外出していたときは別ですね。

語学研修のときのことです。

ある日本人女性の友人は、語学学校から歩いて十分程度の場所に位置する家にホームステイをしていました。

彼女はある日お腹をくだしていました。下痢です。
語学研修は短期間なので、まじめな彼女はその日も学校に向かいます。しかし、通学途中に急激に便意をもよおしました。
家に戻る余裕はありません。超田舎のコパンルイナスにも、残念ながら公衆トイレは一つもありませんでした。

彼女はどうしたのでしょうか。

たまらず、見知らぬ民家の入り口にいた主婦に声をかけ、その家のトイレを利用したのです。
語学研修中で、自由なコミュニケーションができる言語レベルではありませんでした。でも、彼女は勇敢でした。

「女は強し」
ですね。

でも、僕が同じ立場でもそうしたと思います。

あなたならどうしましたか?


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公衆トイレはどこ? メキシコの風

2010年02月21日 | メキシコの風
中南米の開発途上国に、公衆トイレはほとんどありません。
理由はよくわかりません。文化の違いでしょうか。

そもそも、あちらの人は日本人のようにあまりトイレに行かないのです。ですから公衆トイレを設置する必要があまりないのかもしれません。
膀胱の大きさが違うこと、あるいは水分をあまりとらない食習慣が、トイレに行く回数が少ない理由の一つかと思われます。そちらの方が何かと便利ですね。

ごくごくまれに公衆トイレを見ることがあります。
喜んで入ろうとすると、入口に鍵がかかっていたりします。何のためにあるのでしょうか…?

ただ、最近は大都市にショッピングモールができ始め、そこにはトイレが整備されています。

さて、メキシコを旅行していたときのことです。

本屋さん巡りをしていました。
「メキシコでなぜ本屋さん?」
と思われるかもしれません。

メキシコでは海賊版の本が流通しているようで、スペイン語の本がとても安かったのです。書店の大きさも、それまでに滞在していたホンジュラスなどとは比較にならない大きさでした。当然本の種類も豊富です。

当時はインターネットが発達しておらず、アマゾンで外国の書籍を気軽に購入できる時代ではありませでした。

J・クリシュナムルティという人の本を探していました。
本屋さんに行っては、
「J・クリシュナムルティの本がありますか」
と尋ねます。

在庫がある、ないにかかわらず、そこで、更に近くの本屋さんを紹介してもらうことを繰り返していました。
住所と行き方を聞いて、公共バスで移動します。それがまたまた楽しいのです。公共バスとして小さなマイクロバスが小都市を移動していて、それを利用しました。

そしてある地方の本屋さんに寄った日のことです。本屋さん探索を満喫した後、中央公園のベンチで休んでいました。お昼前の時間です。
中南米のどこの都市もそうですが、中央公園の向かいには立派なカトリックの教会があります。

公園には幼稚園の子どもがたくさんいます。薄いブルーの制服を着ています。先生と一緒に遊んでいます。おしゃべりも楽しんでいます。どこの世界でも、子どもは無邪気です。

「メキシコシティは治安が良くない」
と言われており、それを肌で感じていましたが、こうして公園でのんびりできる雰囲気はまだ維持できていました。

休憩してしばらく経つと、トイレに行きたくなりました。早朝にホテルを出発してから数時間が経過しています。

近くにマクドナルドがあると、そこのトイレを利用します。お客さんがたくさんいるので、どさくさにまぎれて、何も買わなくても利用できるからです。もちろん、客がいないときは何かを買わねばなりません。

ところが、僕がいた場所は地方都市。マクドナルドのようなファーストフードのお店はありません。時間も午前中ということで人もまばらです。

教会近くを歩きますが、もちろん公衆トイレはありません。少し焦ってきました。
「どうしよう。結構おしゃれな地方都市で、路地もないな。こんなところで立ち小便をするわけにもいかないし」

当たり前ですが、道は舗装されています。地方都市ではありますが、都会化されているのです。その辺で用をたすと、警察に連れて行かれそうな危険を感じます。

道を歩きながら
「どうしたものか」
と考えていると、商店が少し立ち並ぶ通りにレストランがありました。その前で、ウェイターさんが一生懸命掃除をしています。
スーパーマリオのマリオのような顔をした背の高い中年の男性です。

「すいません。トイレを使わせてらってもいいですか」
我慢の限界に近かったので、この質問をする以外に選択の余地はありませんでした。

「ああいいよ。中に入っていくと、奥にあるよ」
快諾してもらえました。

小走りに奥に進んで、無事にトイレで用をたしました。
レストランではなく、そこはバーでした。

九死に一生を得てすっきりです。
外に出てお礼を言うと、彼は手を差し出します。
そう、チップを要求しているのです。
「お金を払うのは当然」
という表情です。

もちろん小銭をいくらかわたし、再度お礼を言いました。

その日以降、ホテルを出る前から水分摂取を控えるようになりました。


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トイレのチップ エジプトの風

2010年02月20日 | エジプトの風
レストランのトイレに行くと、入口に置いてあるいすに女性が座っていました。

中近東のトイレ入口にはよく清掃担当の人が立っています。
掃除をしていることもありますが、基本的に入り口に立っています。
チップを待っているからです。

レストラン、博物館にもいることが多いです。そこで仕事をしていて、チップで生活しているのです。
ハイウェイ休憩所でのトイレは基本的に無料ですが、有料のところも一部あります。
つまり、半数以上のトイレは有料です。

清掃人がいるトイレは綺麗でピカピカです。日本の電車の駅の公衆トイレよりもずっと清潔です。気持ちよく使えます。
手を洗った後、何と手をふくためのちり紙を手渡ししてくれる方もいます。かゆいところに手が届きます。まるでVIPになった気分です。

今回利用したレストランでは、団体客なので基本的にチップは不要です。博物館などでも、必要ない場所があります。

「チップを支払うのかどうかをどうやって見分ければよいのだろう」
と疑問に思われるかもしれません。

心配後無用です。
エジプト人ガイドさんがトイレチップを払う必要があるかどうかを、各施設利用前に必ず教えてくれます。だから迷いがありません。トルコでもそうでした。

ギリシャでのトイレ利用は基本的に無料でした。同行する現地人ガイドさんもいませんでしたが。

個人旅行の場合はガイドさんがいませんね。
チップを払う必要があるかどうかの判断はどうすればいいでしょうか。そう、他の人を観察して、まねてみればいいのです。
言葉が通じる場合は、トイレに入る前に、現地の係員か道行く人に聞くと確実です。

歯をみがいているとき、入り口にいた、華やかなエジプト民族衣装をまとった10代後半あるいは20代前半の女性が、愛らしい笑顔を僕にふりまきます。

このレストランでのチップは必要ありませんでした。
でも、彼女の笑顔に心を動かされました。
というわけで、トイレを出るとき、わずかな小銭を手渡しました。

彼女は嬉しそうでした。

英語で、
「どこの出身ですか」
と質問しましたが、英語は通じませんでした。

僕の英語の発音が悪かったからかもしれませんが…。


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虫歯と歯みがき エジプトの風

2010年02月19日 | エジプトの風
初めてのエジプトレストランで食事が終了しました。

その日は朝食を多目に食べていました。だから昼食がお腹に入るかどうか心配でした。でも、全体的に料理のボリュームは控え目で、僕には丁度よい量でした。

食後にトイレに行きます。
バス移動まで時間が少ししかありません。でも、歯もみがこうと思いました。

幼い頃、虫歯で痛い思いをしました。

毎日ではありませんでしたが、よくアイスクリームやチョコレート、スナック菓子を食べました。だから当然虫歯になります。

一度近所の友人の家に遊びに行ったときに驚いたことがあります。
彼のお母さんも仕事をしていました。いわゆる共働きです。だから、家に帰ると基本的に誰もいません。
しかし、何と、その友人の家のテーブルの上には、その日のおやつ代として100円がおいてあるのです。
彼と一緒に近くのスーパーへ行きました。今のようにコンビニはあまりない時代。消費税もないので、100円でおかし一袋が買えます。彼は購入したポテロングというお菓子を僕に半分分けてくれました。

彼のように毎日ではありませんが、週に数回はお菓子を食べていました。その後、夕食までの間、もちろん歯をみがくという習慣はありません。

虫歯が何本かでき、歯医者で詰め物をしてもらいます。
しかし、詰め物がとれたり、虫歯が進行したりで、治療を繰り返していくうちに、乳歯の根元のみが残るという無残な状況になりました。

ある日、歯医者さんでその乳歯の根3本を抜こうと決心しました。というか、母に歯医者に無理やり連れて行かれました。
ところが、歯を抜くときに、痛さと恐怖で僕があまりにもすごい顔をしたので、歯医者さんは歯を抜くのを中断してしまったのです。

歯科医院が嫌いでした。
あの、
「キーン」
と歯を削る感覚、音、何ともいえません。

そしてあの巨大な麻酔注射器。

小学校で毎年歯の検査がありました。毎年、
「乳歯の根っこが残っている歯を治療しなさい」
と記述された指示書を受け取りました。
でも、そのまま放っておいたのです。

そんな中、近所に新しい歯科医ができました。評判もなかなかです。そこで、ついに、3本の乳歯をすべて抜くことになりました。
3週間かけて、毎回一本ずつ抜いたのです。
子どもの僕には大変ショックなできごとでした。

数年後、全ての乳歯が永久歯に生え変わります。

そのとき僕は誓ったのです。
「こんな痛い思いはもうたくさんだ。
よし、どんなときも甘いものはなるべく控えよう。
そして、食後は必ず歯をみがこう」

コーヒータイム、おやつの時間がありますね。
歯をみがける状況にないときは、一切間食をしなくなりました。
これは大人になってからもかわりません。もちろん、スーパーの試食もしません。

外出時、旅行中のレストランで食事をした後は、すぐにトイレで歯をみがきます。

この努力のせいか、今は3本の処置歯のみ。
ちなみに、このうちの2本は、子どもの頃からのものです。
つまり、この決心をしてから、実質虫歯は1本しか発生していません。

やればできるものですね。

ところが、過去に虫歯になり詰め物がしてある歯が一本痛みます。
ここ数年我慢してきました。歯医者さんは、
「神経に特に問題ないのでこのままでいいのでは」
といってくれています。

でも、時折気になり、本も読めなくなることがあります。
仕方ないので抜いてしまい、入れ歯にすることを考えています。神経を抜く治療にはなぜかとても抵抗があるのです…。


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不運? 幸運? 危機一髪の松下幸之助さん

2010年02月18日 | こころの旅
今朝、窓のカーテンを開けると、1年ぶりに、少し雪が積もっていました。
静かな朝です。

窓から見える向かいの家、中学校のグランド…静寂が広がっています。
日本は四季が本当に美しいですね。

ブログを開設して約一ヶ月が経過しました。
写真も、お得な情報もありませんが、いつも、このブログを訪問してくださりありがとうございます。
皆さんの訪問が続ける励みになっています。

ご感想などありましたら、匿名で結構ですので、左のメールアドレスへどうぞお送りください。

最後のエピソードとなるその4です。

会社を始めた頃、松下さんが自分で造った製品を自転車の荷台に乗せて電車道を走っていたところ、転んでしまいました。製品は飛び散る。大勢の道行く人たちは一斉に立ち止まって見る。おまけに後ろから電車が来た。わずかなところで停止してくれましたが、そのようなことがあったそうです。

僕ならどう思ったでしょうか。
「今日は何て日だ。自転車で転ぶ、製品は飛び散る。まわりにいた人は片付けを手伝ってもくれない。おまけに後方の電車にひかれて死にかけた。こんなこと人生にあっていいのだろうか」

ところが、松下さんはこれも、
「自分は運が強かった」
と考えているのです。

転んで大勢の人に見られた恥ずかしさよりも、電車がわずかのところで停止してくれた、ひかれずにすんだことを「自分は運が強い」と捉えているのです。

プルナカシャパさんと、松下幸之助さんの2つのお話でした。

お釈迦様のお弟子のプルナカシャパさん。
価値観が固定していません。状況を判断するものさしを自由に取り替えています。

そして松下幸之助さん。
いかなる状況でも、
「常に自分は強運だった」
と断言しています。

状況を解釈するためのものさしである価値観が固定していません。それが、自由に生きるコツのようです。

どんな価値観も正しいわけではないようです。

自分の中で
「これだけが正しいのだ」
という考え方をもうしないと決めてみると、一体人生はどうなるのでしょうか。

今その実験の渦中にいます。

そして、
「運がよい」
とはどういうことでしょうか。

自分が望む現実を創造することでしょうか。
あるいは現象の捉え方なのでしょうか。

起こってくる全ての出来事、現象を自分でコントロールすることはできません。
でも捉え方はどうでしょうか。

プルナカシャパさん、そして松下幸之助さんのように状況を解釈するのは難しいことがあります。
でも、そう捉えることができたとき、100%幸せな人生が待っているような気がするのです。

「不幸を、不運を創造、選択しているのは、この自分である」
ということが少しずつわかり始めてきた今日この頃です。


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