たびびと

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不運? 幸運? 危機一髪の松下幸之助さん

2010年02月18日 | こころの旅
今朝、窓のカーテンを開けると、1年ぶりに、少し雪が積もっていました。
静かな朝です。

窓から見える向かいの家、中学校のグランド…静寂が広がっています。
日本は四季が本当に美しいですね。

ブログを開設して約一ヶ月が経過しました。
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最後のエピソードとなるその4です。

会社を始めた頃、松下さんが自分で造った製品を自転車の荷台に乗せて電車道を走っていたところ、転んでしまいました。製品は飛び散る。大勢の道行く人たちは一斉に立ち止まって見る。おまけに後ろから電車が来た。わずかなところで停止してくれましたが、そのようなことがあったそうです。

僕ならどう思ったでしょうか。
「今日は何て日だ。自転車で転ぶ、製品は飛び散る。まわりにいた人は片付けを手伝ってもくれない。おまけに後方の電車にひかれて死にかけた。こんなこと人生にあっていいのだろうか」

ところが、松下さんはこれも、
「自分は運が強かった」
と考えているのです。

転んで大勢の人に見られた恥ずかしさよりも、電車がわずかのところで停止してくれた、ひかれずにすんだことを「自分は運が強い」と捉えているのです。

プルナカシャパさんと、松下幸之助さんの2つのお話でした。

お釈迦様のお弟子のプルナカシャパさん。
価値観が固定していません。状況を判断するものさしを自由に取り替えています。

そして松下幸之助さん。
いかなる状況でも、
「常に自分は強運だった」
と断言しています。

状況を解釈するためのものさしである価値観が固定していません。それが、自由に生きるコツのようです。

どんな価値観も正しいわけではないようです。

自分の中で
「これだけが正しいのだ」
という考え方をもうしないと決めてみると、一体人生はどうなるのでしょうか。

今その実験の渦中にいます。

そして、
「運がよい」
とはどういうことでしょうか。

自分が望む現実を創造することでしょうか。
あるいは現象の捉え方なのでしょうか。

起こってくる全ての出来事、現象を自分でコントロールすることはできません。
でも捉え方はどうでしょうか。

プルナカシャパさん、そして松下幸之助さんのように状況を解釈するのは難しいことがあります。
でも、そう捉えることができたとき、100%幸せな人生が待っているような気がするのです。

「不幸を、不運を創造、選択しているのは、この自分である」
ということが少しずつわかり始めてきた今日この頃です。


多くの方に楽しい旅をしていただければと思っています。
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