治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

治るはずなんだけどね その9(何かを受信している人と呪いのお札)

2016-01-12 10:03:40 | 日記





このシリーズ、さくっと終わるつもりだったのですが、読んでくださる方々から貴重なご意見をいただくことが多く、それを採り入れて、どんどん続いています。
いいことだと思います。
上に貼ったのは私が岩永先生に裁判直後に言われたことを思い出して昨日FBで披露したんですけど、ギョーカイの本音ね。
これじゃあ「社会に理解を」=「反社会的活動」でしょ?
ギョーカイの下っ端はこういうごまかしを言っていますが、どっちを信じます?





匿名できれいごと言ってる下っ端と、仕事仲間である私に勇気をもって真実を打ち明けてくれた第一人者の一人である岩永先生。どっちがギョーカイの実情だと思います?
私は岩永先生を信じます。
そしてこのシリーズが長引くのはいいことかも。
それだけ
・何かを受信して騒ぎ立て、それがときにはストーカー行為にまで発展してしまう当事者



・治るんだ

ってわかるからです。

さていつも通り貴重なご意見をくださる狸穴猫さん。

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身内や恋愛関係でも (狸穴猫)
2016-01-11 13:22:35
家庭内や恋愛関係での暴力なんてのも基本的にダダこね系の延長だと思います。

ただ、逃げにくいのと放り出す事への躊躇があるためビビりやすい、それで被害が出やすいのでしょう。

被害に繋がるかの要素はA関係性とB態度で、それぞれ危険順にならべると

A 家族>恋愛関係>支援関係>アカの他人

B ビビる(おもねる態度)>ビビらない(毅然とした態度)

だと思ってます。

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実はね、今回のちっぽけなテロリストさんは、画伯にも会ってくれっていうメールを送ってたみたいです。
フィリピンで豚描いていたとき。
私が会ってくれないから、画伯に会って取り次いでもらおうとか思ったのかも。

画伯は「当然無視」って言ってました。
それ聴いたとき、一瞬「へ? 当然?」って思ったけど
それはほぼ無関係な一般人としては当たり前の選択なんですよね。

こうやって、支援者には死んだふりされ、一般人はめんどくさいからスルー。そして学習機会をどんどん逃すわけですね。
支援者でも一般人でもない私が、真っ向勝負しているわけですね。

でもさ、誰が学習に一義的な義務があるかっていうと、当然支援者でしょ。
支援者は仕事をせずにガマンする。そして支援を仕事にしているわけでもない一般市民にも「ガマンしてくれ」と言う。それを支援者は「社会の理解」と呼んでます。

さて次はKさん。
施設勤務です。
こういう対応をとられているそうです。

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Unknown (Kです)
2016-01-11 21:43:19
ギョーカイは無視するは正しいと思います。というよりギョーカイは「ごめんなさい」と言ったら反省しているから大丈夫と判断することが多いです。私は昔某社であったCM「反省だけなら猿でも出切る」を思い出します。反省だけでなく必要なら警察に通報することが必要だと考え実行しています。必ず抗議がきますがこう言って退けます。「いつも同じ権利を主張するなら罰も同じように受けなければいけない。罰は嫌なら同じ主張することはおかしい。」こういっても黙らない人は黙りませんが半分ぐらいは納得します。

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例えばね、施設を選ぶとき
A「悪いことする人は警察に話もっていってしまう施設はおっかないからやめとこう」
B「そういう施設はありがたい。ぜひ入りたい」

の二種類の反応があると思います。
Aはその点わが子に自信が持てない人。
Bは機能的に難しくてもきちんとしつけをしてきたからこそ、同じように学習機会を与えられてこなかった施設の仲間の被害をわが子が受けるのはちょっとごめん、という人ですから

こういう方針を持っている施設の方が客層は良くなると思います。

反省ねえ。

私たち夫婦は刑事告訴したとき、検察に別々に呼ばれて、別々に「被告に反省を求めますか?」ときかれましたが、なんの打ち合わせもなく二人とも「求めません」と答えてきました。

そんなものいらないからです。

反省なんかしなくていい。私たちが望んだのは、再犯防止だったから。もうやらないことだったから。そのために反省が必要な人とそうじゃない人がいるけど、この被告の場合には反省なんかいらないだろう、と思ったからです。

その経緯はこの本に。



じゃあ何が再犯防止なのかっていうと

「やったことは罪に問われることなんだ」っていう認識ですよね。
そのための学習機会だったわけですよね、裁判は。

だからKさんが施設でやっていらっしゃることも
「学習機会の創出」という、支援者としては当たり前の仕事をしているだけであって、それに異議を唱える保護者の人は結局「平等に扱われたくない」と言っているとしか思えませんね。

ところが岩永先生のおっしゃるとおり

「自分たちがガマンしているから一般社会もガマンせよ」というのが支援ギョーカイのメジャーな人たちの方針であり

それを
・多様性を許す社会

とかの美名に置き換えているのだから
支援者が唱える社会なんて実現するわけがないんです。いや、実現させてはいけないのですよ。

とにかくこのシリーズで我々がわかってきたのは

・受信は治る

っていうことなのですから

治せばいいんです。

治るが勝ちなんです。

だから私たちが考えなくてはいけないのは

どうしたら治るか

どうしたら周りは治ることを助けてあげられるか

なのではないでしょうか。

続く

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1 コメント

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治るはず (ふうりん)
2016-01-12 11:57:03
なんとなく自他の区別が治せるかどうかの鍵な気がします。自分の中に生まれた疑問を抱えきれないという個人的な問題だということにまず気付かないと。なぜそうするのか教えて教えて言っても答えは「浅見さんだから」で自分の心に浮かんだ問いの答えにはならないんだから。理屈で他人の行動を変えさせることができると思うと間違う。すぐに答えが出なくても一旦保留できるだけの体調の良さが必要なので、コンディショニングいりますね。

向き合うことは親の大事な仕事だと思います。愛着障害が起こりやすいとわかってるんだからなおさらのこと。自閉っ子、真剣に向き合っているかどうかに関しては鋭い。しょうもないこと言ってきたり意味不明の攻撃性を含ませてきたりでうんざりするやり取りでも、向き合うには自分の存在を懸けつつ感情的になりすぎず、相手の存在を認め、正直かつ慎重にというバランス感覚が必要です。浅見さんはこれが優れているので信頼しています。だから私は心配してなかったな。
無視する支援者は(被害を受けているけど見逃してやってるという感じだったのか?)一番大事なところを外しているので物足りなくなるのかも。我慢するとこ違うでしょー!
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