昨日夕方、賢ママさんからメールいただいて
うれしかったなあ。
どういうメールかっていうと
光君と大地君の快挙を心から喜んでいるメール。
私の周囲には、ありがたいことに
こういう風に人の快挙を素直に喜べる人たちが集まっている。
というか、自然に気の合う人たちと縁を築いてきたらこうなったんだけど。
私は「誰とでも仲良く」という友だち原理主義者ではないので
嫌いな人とは付き合わない。
敬意を持てる人と積極的に付き合う。
そうするとね、いい縁ができあがっている。知らないうちに。
さて、もう一回「ぼく、アスペルガーかもしれない。」で大地君の低学年のころを振り返ってみましょう。
=====
僕の体はみんなと少し違います。スポーツカーやトラックのようにギアがついています。みんなのように、自動で切り替わるオートマティックではありません。何かを始めるにも、終わらせるにも、ギアを入れ替えたり、スイッチを入れたりしなくてはなりません。
みんながすぐに慣れてしまうことも、僕の体は少し時間がかかります。その度に、僕はとても困ります。なぜなら、体が動かなくなったり、目が見えなくなったり、耳が音でいっぱいになるからです。
痛くて、苦しくて…涙が出てきます。このまま死んでしまうかもしれないといつも心配になります。でも、一度も死んだことはありません。僕は時間がかかっても、この体をうまく運転できているようです。
「ぼく、アスペルガーかもしれない。」P24より引用
=====
こういういたいけな子が一生懸命書いた本を、自分の嫉妬のためにこきおろし
「検索すると自分のページが一番上にくる」ことを快挙だと喜んでいた藤居学。
人の不幸が好きなんだね。
縁もゆかりもない花風社のことを
「儲かってほしくない」と言った名大吉川徹。
人の不幸が好きなんだね。
私の周りにも、無頼っぽいひととか、大酒のみとか、いろんな人がいるけど(で、私は彼らが好きだけど)
こういう他人の不幸をあからさまに願うような品性下劣なタイプはいないのよ。
他人が不幸になると、自分の幸せが増すとでも思ってるのかね? だとしたら、せこいね。
YTもそういうタイプだね。それを一生懸命やって、あげくのはてに(以下略)。
でも賢ママさんとか、そのほかこのブログに集ってくれる人のように
何かいいことがあったらお互い喜び合える関係が
私は大好きだ。
皆さん。
友だち原理主義はそんなに役に立つ道徳じゃないよ。
つきあって気持ちのいいひとと付き合おう。
はっきり言ってねえ、どうしようもないコンテンツしか持ってない人と無理して付き合っても役に立たないよ。
追伸
私はたとえ嫌いな人間であれ、別に不幸は願わない人なので、猿烏賊の気持ちはよくわかりませんが
たぶん私の中にある一番それに近い気持ちは「琴奨菊が負けたときみたいな気持ち」なんだと思ってます。
あれはうれしい。
でも一月場所で角番危機のときには応援したよ。さすがにかわいそうになった。
で、どうして菊がそこまで嫌いかというと
「十四番負けても稀勢の里だけには勝ちたい」という発言がかちんときているからです。
そうじゃなかったら、好きな相撲取りではなくても、積極的に嫌いじゃなかったと思うよ。
そういう意味で私は、やっぱり専守防衛なのよ。
画伯のHP「自閉っ子の部屋」が、ますます充実してきたなあ。
おさかなも増えたみたい。
うれしかったなあ。
どういうメールかっていうと
光君と大地君の快挙を心から喜んでいるメール。
私の周囲には、ありがたいことに
こういう風に人の快挙を素直に喜べる人たちが集まっている。
というか、自然に気の合う人たちと縁を築いてきたらこうなったんだけど。
私は「誰とでも仲良く」という友だち原理主義者ではないので
嫌いな人とは付き合わない。
敬意を持てる人と積極的に付き合う。
そうするとね、いい縁ができあがっている。知らないうちに。
さて、もう一回「ぼく、アスペルガーかもしれない。」で大地君の低学年のころを振り返ってみましょう。
=====
僕の体はみんなと少し違います。スポーツカーやトラックのようにギアがついています。みんなのように、自動で切り替わるオートマティックではありません。何かを始めるにも、終わらせるにも、ギアを入れ替えたり、スイッチを入れたりしなくてはなりません。
みんながすぐに慣れてしまうことも、僕の体は少し時間がかかります。その度に、僕はとても困ります。なぜなら、体が動かなくなったり、目が見えなくなったり、耳が音でいっぱいになるからです。
痛くて、苦しくて…涙が出てきます。このまま死んでしまうかもしれないといつも心配になります。でも、一度も死んだことはありません。僕は時間がかかっても、この体をうまく運転できているようです。
「ぼく、アスペルガーかもしれない。」P24より引用
=====
こういういたいけな子が一生懸命書いた本を、自分の嫉妬のためにこきおろし
「検索すると自分のページが一番上にくる」ことを快挙だと喜んでいた藤居学。
人の不幸が好きなんだね。
縁もゆかりもない花風社のことを
「儲かってほしくない」と言った名大吉川徹。
人の不幸が好きなんだね。
私の周りにも、無頼っぽいひととか、大酒のみとか、いろんな人がいるけど(で、私は彼らが好きだけど)
こういう他人の不幸をあからさまに願うような品性下劣なタイプはいないのよ。
他人が不幸になると、自分の幸せが増すとでも思ってるのかね? だとしたら、せこいね。
YTもそういうタイプだね。それを一生懸命やって、あげくのはてに(以下略)。
でも賢ママさんとか、そのほかこのブログに集ってくれる人のように
何かいいことがあったらお互い喜び合える関係が
私は大好きだ。
皆さん。
友だち原理主義はそんなに役に立つ道徳じゃないよ。
つきあって気持ちのいいひとと付き合おう。
はっきり言ってねえ、どうしようもないコンテンツしか持ってない人と無理して付き合っても役に立たないよ。
追伸
私はたとえ嫌いな人間であれ、別に不幸は願わない人なので、猿烏賊の気持ちはよくわかりませんが
たぶん私の中にある一番それに近い気持ちは「琴奨菊が負けたときみたいな気持ち」なんだと思ってます。
あれはうれしい。
でも一月場所で角番危機のときには応援したよ。さすがにかわいそうになった。
で、どうして菊がそこまで嫌いかというと
「十四番負けても稀勢の里だけには勝ちたい」という発言がかちんときているからです。
そうじゃなかったら、好きな相撲取りではなくても、積極的に嫌いじゃなかったと思うよ。
そういう意味で私は、やっぱり専守防衛なのよ。
画伯のHP「自閉っ子の部屋」が、ますます充実してきたなあ。
おさかなも増えたみたい。
私も子どものころ虚弱で過敏な体を抱えて苦労しました。長年かかって自分の体との付き合い方を身につけて、就職してから無遅刻無欠勤を達成した時のうれしさは今でも忘れられません。
うちの子どもたちも人と違う脳みそと過敏な体を抱えながらも毎日頑張っています。人と違うことは苦労があるけれど、ふつうの人では味わえない喜びもあるのでそれを支えにこれからもがんばりたいし頑張っている子どもたちや大人たちを仲間として応援したいと思います。
最近の医師や支援者のシリーズも頷きながら読める。
でも、俺的には大地の「ぼくアスペルガーかもしれない」は衝撃的だった。確かに一年生か二年生の幼い子供の文章力は物足りなさを感じる人やボリューム不足という人もいるだろう。だからこそ語られる単語や言葉の一つ一つに重みを感じた。自閉症児の親や支援者なら、何度も読み返したいと思う内容だ。この年齢の子が語る当事者本はもう出てこないかもしれない。もし出てきても活字でまとめられる出版社は無いだろう。
あの本を読んで、子供達の行動や反応がどんな理由のものなのかを知ることができた。例え幼くても、知的障害があっても、親は人間を育てなくてはいけないと教えてくれる本だ。子供は育つ。育ちたいともがいている。みんなと一緒に生きていたいと願っているのだ。
俺は障害児の親、支援者。全ての人に言いたい。「ぼくアスペルガーかもしれない」をぜひ先入観を持たずに、ピュアな気持ちで読んで欲しい。そうしたら我が子が声に出して言えない内面の本音に気づく事が出来るだろうと思う。そしてその後の大地の記録も読んで欲しい。子供は育つ。親の愛を真っ直ぐに受け止めて、周囲の人達に感謝して。そこに辿り着けたならきっと我が子の将来に夢を描けるようになると思う。
親父。明日が休みなもんで語っちゃいました。
メールをいただいて、本当にうれしかったです。いい仲間が全国にたくさんいるなあと思って。
自分の脳みそや身体との付き合い方を覚える人が、一人でも増えるといいと思って本を出し続けています。
これからもよろしくお願いいたします。
ここにもまた来てください。
ありがとうございます。あの企画が持ち込まれたとき、私でなければ出さないだろうし、出せないだろうと思いました。
あのころ私は裁判を抱えていた。一連のごたごたを巡る支援業界のていたらくにうんざりしていたころで、こういう態度では、世の中に送り出す当事者を育てられないだろうと思っていました。そこに大地君の原稿が来て、「社会に送り出す」という方針でしっかり育てていらっしゃる保護者や先生がいることを知り、そしてそれを決して強くない彼が立派に受け止めて育っていることを知り、出さなくてはいけないと強く思ったのです。
そして出してみたら、読み聞かせに使われたり、当事者のお子さんたちが夢中で読んだり、私の想定していない使われ方もしているという不思議な本です。
一方で、当事者を「接待され上手」にしか育てる気のない人々から反発を食らったのも当然のことでしょう。私の周囲には前向きな人しかいないので、そうじゃない人の存在を浮き彫りにしてくれたっていう意味でも貴重な本だったかもしれません。
でも今や「接待され上手」に育てても、施設が人を選ぶ時代なんですけどね。
またお越しくださいませ。