治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

神田橋杉山対談レポ@鹿児島 その9

2015-08-07 17:59:48 | 日記
さて、「対談レポ その8」を読んでさっそく本棚の中から「私の障害、私の個性。」を引っ張り出してくださった方がいるようです。
そして解説読んで「いらないわ~これは」というご感想。




そうでしょ。
あの本は本来、解説のいらない本です。
そして世の中の当事者本って、不要な解説が多いんですよ。
たぶん方々で、主治医かなんかによる押し売りが横行していると思うんです。
そしてたぶん編集者が主体的に仕事していないですね。死んだふりして機械的にのっけてると思います。それくらいつまんない解説を医者たちは量産しています。これも医療サイドの当事者萌えがもたらした現象かもしれませんね。

私から見ると編集者は指揮者みたいなもんなので
(毎回一緒に仕事をする画伯がよく知っているように)独裁君主制を敷いているし
もっと編集者が主体的に仕事すればいいのに、とたいして心もこもってなければ内容もなくそもそも文章が変な医者のあとがき載せている本を見るたびに思うんですよね。

でもこれも、やり方、立場の違いでしょう。
おそらく杉山先生が生硬な文章をそのままお出しになるような立派な学術系出版社では、穏やかなサラリーマンの編集者が頭を垂れて原稿をありがたがってくれるのかもしれませんね。
でも私は33歳からオーナー社長です。杉山先生がギャラに関してごねたとき私は、今のちゅん平より二歳だけお姉さんでした。はっきり言って小娘です。その小娘相手に、金の文句言うなんて情けない男だよまったく(暴言)。小娘だけど社長だから、甘んじて受けましたけどね。

私は、もともと主体性を大事にする人だからリスクをとってこういう立場になったのだし、自分の主体性の侵害には激しい抵抗感を感じる。それが私の命です。今回、鹿児島で「命を生きる」というテーマについて考えて、たどりついた二つ目の発見がそれです。それを発見した時、この世界に入ってから私にただ二冊だけ不本意な本を作らせた杉山先生が神田橋先生の隣に座っていて、そしてちゅん平が主体性を奪われた事件が起きた。ちゅん平があっというまに、弱弱しい声になってしまった。それが私が崩れた理由だと思います。十五年間のトラウマが、そこで噴出したのです。

それが支援側の「当事者萌え」から発しているのが本当に「きもい」です。きもいって相当下品な日本語ですけど、すみません。私の言語能力の限りを尽くしても、ギョーカイメジャーの有名当事者に対する欲情を目撃したときに私が感じてきた不快感を表すのに、ちょっと他の言葉を思いつきません。

当事者萌えのあまり、必要以上にもてはやす。当事者萌えのあまり、実社会を悪者にする。当事者萌えのあまり、その当事者のタニマチ筋さえ軽んじた発言をする。そうやって当事者を囲い込み、実社会と分断する。これまでの経緯から、私にとってはそのギョーカイ人の象徴が、杉山先生でした。

だから信じられなかったんだ。愛甲さんが「杉山先生も治す先生です」と言ったとき。
私はむしろ、杉山先生は社会に敵対的だと思っていた。

二日間聴講してみての結論は、杉山先生は「治す先生」というより「治したい先生」なんだろう、でした。治さなきゃいけない人といっぱい出会って、そして自分の限界とも出会って、難治性の人たちを治す神田橋先生に出会って、ギョーカイ的には杉山先生も相当治す方なんだけど、とうてい神田橋先生にかなわなくて、かといって神田橋先生やってることやっぱりあやしいし…みたいな感じなんだと思いました。

ニキさんやちゅん平が発達しているように、もしかしたら杉山先生も発達しているのかもしれません。発達しているから、ギョーカイ人なのに、神田橋先生を尊敬しているのかもしれません。本当に檀上を見ていて、杉山先生が神田橋先生を尊敬しているのはありありと見えたんですよ。

そして何より「トラウマ処理が発達援助となる」ことはすとんと腑に落ちた二日間の講義でした。繰り返しますが、これは今後発達障害治療のメインテーマの一つになるでしょう。そして青いお札の人たちに被害的にとられて邪魔されるでしょう。青いお札の人たちは不勉強だから、発達障害の子にトラウマがあるというと、自分たちに責任をなすりつけられていると思っちゃいますからね。でもそうじゃないんですよね。



資質と環境の相克で被虐待体験はできます。
私がギョーカイで受けた傷もそれ。

そう。

個人的な大収穫。
私はこの二日で、自分のギョーカイトラウマの真の姿を見ました。
杉山先生は、思った以上にそこに深くかかわっていました。だから嫌いだったのでした。嫌いな理由は、偽アスペルガー宣言だけではありませんでした。

そして自分の命のかたちを見ました。
私は誰かをかわいそうがる能力が高いこと。だけど発達障害を仕事にする際にはそれを押し殺してきたこと。だからつらかったこと。
そして私は、主体性を奪われるのが耐えられない人間だということ。誰かが奪われているのを見るのも被虐待体験になるほどに。だから支援の世界に違和感を感じ続けてきたこと。

そして今、私の大事な著者の一人は、こんなこと言ってます。
現地で弱弱しい声を聴いて「しっかり対応している」と思った皆さん
これが今の藤家寛子さんですよ。



そうなんだよ。
やたらpatronizingで猫なで声の支援者に

「ちげーよ馬鹿」

って言える子を増やさなきゃいけないんだよ。
それくらい言える子じゃなきゃ治らないんだよ。
医者っていうのはね、当事者が発達するって本当には信じてない人が多いんだから、さっさと逃げないと。
大地も中学の友だちにこう言われたらしいし。





大地は中学生にとってはリアルな世界である学校でちゃんとこうやって友だち作って同世代の真実を語り合っている。
本当だよ。
大地が大人になるころには、日本は経済大国じゃないかもしれない。
その危機感を持ちながら、発達障害の仕事をしている人、私以外にいたら手を挙げてください。
私はそれくらいの危機感をもって、「治る」情報を探し続けてますよ。


当事者は実社会で生きる術を見つけないといけない。
自分の中にある生きる力を発見して磨きをかけないといけない。

だから

医療側の神学論争へのおつきあいはほどほどにしとかないとね。



さて、次回は最終回ですかね。
この連載始まってからアクセスがすごく多いです。それだけ両先生のコラボは関心の的なのね。普段はお越しになっていない方がたくさん見えてるのね。でもね、これ相当偏った記事ですよ。まあ、読んでればわかるだろうけど。

最終回は、私のトラウマ処理にはEMDRも神田橋処方もいらなかった!
っていう話です。
EMDRより神田橋処方より(どっちもやってないけど)私には効果があった
浅見処方(仮)の話。

これが私の鹿児島行きの成果です。
私の命の力を使った、トラウマ処理法。
薬も医者もいりません。
そしてこの浅見処方(仮)を
私は死ぬまで使えるのです。私の資質に基づいた方法だからね。

でも独自の方法っていうより

神田橋先生の本を読みお話を聞き編み出した自分なりの方法なんですけどね。

どうぞお楽しみに!

=====

そして最終回のあと、花風社読者限定で、もう一回ボーナスステージがあります。
「神田橋杉山コラボ後の対応への提言」です。
これは読者限定なので一見さんは来ないでね。


最新の画像もっと見る