元日に帰国すると、日本郵便から不在通知が入っていた。
書留がきたらしい。ただし不在通知の差出人のところは空欄になっている。
私は郵便局に電話をかけ、差出人をきいた。
誰からの書留かわからないと、重要度がわからないから。
結果をきいて、タクシーで本局まで取りに行った。
千代田区霞ヶ関××× + 個人名
差出人はそれだけだった。
個人名には見覚えがあった。
担当の検察官だ。
私は刑事告訴したのが初めてなので、これが慣例なのかどうかわからない。
原告という立場だったので、被告でも同じ対応をされるのかわからない。
少なくとも地検の一部は、役所名を伏せて書留を出すという配慮をしているようだ。
たしかに一般人にとって、検察から書留を受け取るということは衝撃が大きい。
個人情報は保護されるとはいえ
周囲の目を気にする人もいるかもしれないし。
中には通告書が入っており
私たちの訴えた被告の名前と
処分が明記されていた。
刑事告訴してから二年半。
長い月日だった。
本当になんの変哲もない茶封筒だった。
印刷されているのは千代田区霞ヶ関×××だけ。
そこで思い出したこと。
あれはクリーム色の封筒だったような気がする。
あるいは薄いピンクだったかもしれない。
2008年の末に受け取った封筒。
「よこはま発達クリニック」と印刷してあった。
なんの用事だろう、と思いながら開けた。
私の予想とは違い
差出人は内山登紀夫医師ではなかった。
吉田友子医師だった。
ご高名はかねがね、とご挨拶したことがある。
岩永先生の講演会にいらしていた。
積極的に的確な質問を岩永先生に投げかけられ、感覚統合にも否定的でないことが確認できた。
私は終了後、吉田医師に近づき名刺交換をした。
けれどもその手紙は私に当てたものではなかった。
花風社にあてたものでもなかった。
論文が一枚入っていて、うちの著者あてに「引用させてもらいました。ご査収ください」というようなメモが書いてあった。
著者への転送はもちろん日常業務の中でやっている。
けれどもその際には、花風社御中、あるいは個人名あてに
「○○さんへ転送していただければ幸いです」等のメッセージが添えられているのが普通だった。
相手を対等な人間として見ていれば、当然の行為だろう。
ていねいな方は転送用の封筒あるいは切手を同封してくださるし
事前にメール等で打診の上送ってこられる方もいる。
だから正直言って
これほど礼を欠いた転送の手紙を受け取ったのは初めてのことだった。
いわばこれがサラエボの銃弾となった。
私はYTが、内山医師による診断治療を受けているとニキさんから教わってから
一抹の希望を抱き続けてきた。
名医といわれる先生なのだから
いつかあの横暴を止めてくれるのではないか。
そのころの私は
発達障害の世界の「名医」が医療一般の「名医」とは意味合いが異なることも知らなかった。
自分は常識的な人間ではないという自覚があったが
まさか高名な先生が
こちらを透明人間と見なすような失礼な態度をとるような人物だとは知らなかった。
結果的に、私はその手紙をつき返した。
花風社は、よこはま発達クリニックの下部組織ではない。
だから頼まれもせずに(実際に転送してくださいのメモの一枚も入っていないのだから)著者に転送する義務はないし
患者の不法行為によって迷惑をかけられていたら、訴えます。
そしてその著者の住所は他の人も知っているから
別のルートを当たってくださいと書き添えた。
あの出来事がきっかけで、私の中に確信ができた。
「支援者を当てにするのはやめよう」
数年後、立ち直ったちゅん平が言った。
立ち直りの一つのコツ。
それはこう心に決めることだと。
「降りかかってきたことは、たとえ自分のせいじゃなくても、自分で乗り越えなくてはいけない」
ちゅん平がこう言ったとき、私の胸に迫ったのは
まさに私がこれを実践しようともがいてきたからだと思う。
皆さんは、発達障害者、あるいはその家族として支援を受け
世の中に理解してほしいと思っているかもしれない。
けれども、世間に理解を訴えるその支援者が
世の中的にいうと、疑問符のつくような礼儀しか知らない可能性もあることを
勘定に入れておいたほうがいいと思う。
支援者としての優秀さと、社会人としての常識はまた別物なのだ。
別の機能なのだ。
そのことは知っておいたほうがいいと思う。
書留がきたらしい。ただし不在通知の差出人のところは空欄になっている。
私は郵便局に電話をかけ、差出人をきいた。
誰からの書留かわからないと、重要度がわからないから。
結果をきいて、タクシーで本局まで取りに行った。
千代田区霞ヶ関××× + 個人名
差出人はそれだけだった。
個人名には見覚えがあった。
担当の検察官だ。
私は刑事告訴したのが初めてなので、これが慣例なのかどうかわからない。
原告という立場だったので、被告でも同じ対応をされるのかわからない。
少なくとも地検の一部は、役所名を伏せて書留を出すという配慮をしているようだ。
たしかに一般人にとって、検察から書留を受け取るということは衝撃が大きい。
個人情報は保護されるとはいえ
周囲の目を気にする人もいるかもしれないし。
中には通告書が入っており
私たちの訴えた被告の名前と
処分が明記されていた。
刑事告訴してから二年半。
長い月日だった。
本当になんの変哲もない茶封筒だった。
印刷されているのは千代田区霞ヶ関×××だけ。
そこで思い出したこと。
あれはクリーム色の封筒だったような気がする。
あるいは薄いピンクだったかもしれない。
2008年の末に受け取った封筒。
「よこはま発達クリニック」と印刷してあった。
なんの用事だろう、と思いながら開けた。
私の予想とは違い
差出人は内山登紀夫医師ではなかった。
吉田友子医師だった。
ご高名はかねがね、とご挨拶したことがある。
岩永先生の講演会にいらしていた。
積極的に的確な質問を岩永先生に投げかけられ、感覚統合にも否定的でないことが確認できた。
私は終了後、吉田医師に近づき名刺交換をした。
けれどもその手紙は私に当てたものではなかった。
花風社にあてたものでもなかった。
論文が一枚入っていて、うちの著者あてに「引用させてもらいました。ご査収ください」というようなメモが書いてあった。
著者への転送はもちろん日常業務の中でやっている。
けれどもその際には、花風社御中、あるいは個人名あてに
「○○さんへ転送していただければ幸いです」等のメッセージが添えられているのが普通だった。
相手を対等な人間として見ていれば、当然の行為だろう。
ていねいな方は転送用の封筒あるいは切手を同封してくださるし
事前にメール等で打診の上送ってこられる方もいる。
だから正直言って
これほど礼を欠いた転送の手紙を受け取ったのは初めてのことだった。
いわばこれがサラエボの銃弾となった。
私はYTが、内山医師による診断治療を受けているとニキさんから教わってから
一抹の希望を抱き続けてきた。
名医といわれる先生なのだから
いつかあの横暴を止めてくれるのではないか。
そのころの私は
発達障害の世界の「名医」が医療一般の「名医」とは意味合いが異なることも知らなかった。
自分は常識的な人間ではないという自覚があったが
まさか高名な先生が
こちらを透明人間と見なすような失礼な態度をとるような人物だとは知らなかった。
結果的に、私はその手紙をつき返した。
花風社は、よこはま発達クリニックの下部組織ではない。
だから頼まれもせずに(実際に転送してくださいのメモの一枚も入っていないのだから)著者に転送する義務はないし
患者の不法行為によって迷惑をかけられていたら、訴えます。
そしてその著者の住所は他の人も知っているから
別のルートを当たってくださいと書き添えた。
あの出来事がきっかけで、私の中に確信ができた。
「支援者を当てにするのはやめよう」
数年後、立ち直ったちゅん平が言った。
立ち直りの一つのコツ。
それはこう心に決めることだと。
「降りかかってきたことは、たとえ自分のせいじゃなくても、自分で乗り越えなくてはいけない」
ちゅん平がこう言ったとき、私の胸に迫ったのは
まさに私がこれを実践しようともがいてきたからだと思う。
皆さんは、発達障害者、あるいはその家族として支援を受け
世の中に理解してほしいと思っているかもしれない。
けれども、世間に理解を訴えるその支援者が
世の中的にいうと、疑問符のつくような礼儀しか知らない可能性もあることを
勘定に入れておいたほうがいいと思う。
支援者としての優秀さと、社会人としての常識はまた別物なのだ。
別の機能なのだ。
そのことは知っておいたほうがいいと思う。
ちゅん平さんの言葉、その通りですね。
障害を持って生まれた自分、
障害のある子を授かった自分、
それが自分のせいでなくても、
自分で乗り越えるしかない。
自分で乗り越えようと努力していると
いい人にもいい情報にも恵まれるように思います。
努力していると必ず応援してくれる人が現れます。
自分で乗り越える、というのは
何もかも自分で背負い込むのとは違うと
思うんですけど、わかんない人にはわかんないでしょうね。
よく講演の先などで、ちゅん平さんたちが「運がいい」って言われることありますが
自分で切り開いてきたように私には見えます。
どういうことなんだろう。どこが違うんだろうと思っていましたが
あやみさんのおっしゃるとおり、努力すると縁が寄ってくるんですよね。
ちゅん平さんが就職にまで至る記述を今読んでいますが
本当にうまいこと、支援をその都度変えて、しかも支援者を過度にあてにすることなく(笑)
やってきたと思います。
またお越しくださいませ。
支援者に丸投げしないように仕掛けることが支援だと考えます。