治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
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ギョーカイは治っている人をなぜ無視するのか?

2018-03-27 06:16:40 | 日記
この問題、考え続けていますが
「治ると儲からなくなるから」以外にも、栗本さんが言った「治った人を見たときに、事実をそのまま受け取らず根拠を求めすぎる」というのが当たっているなあと思います。治った人はいるんです。でも、「治った」という現実と「一生治らない」とすり込まれていた脳内理論が合わない。だから、目を背けてしまう。あるいは偽者扱いして自分の中で整合性を取ろうとする。要するに、現実より理論優先なんですねギョーカイ人。どう考えたって先に「現実」があるはずなのに。「生得的で一生治らない」と習ったのに、治ってしまう人がいる。その事実の方に理論を合わせるのではなく、自分が習った理論に合わない現実を見てパニック起こしている感じ。

そして373さんがそのあたりをわかりやすく説明してくださっているなあと思います。
コメント貼らせていただきますね。

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恐怖麻痺反射 (373)
2018-03-22 08:40:59
人はそれまでの経験に基づく「思い込み」によって様々な場面に対応しています。目的は、1)未来を過去に照らし合わせて見通しを立て恐怖を減らすこと。2)脳のエネルギー負担を減らすこと、などです。

学校のお勉強が出来ていた人は以下のような「思い込み」に気づかないうちに支配されていることが少なくありません。
1)問題には正解が必ずあり、それも1つだけ。
2)正解を誰よりも早く見出した人が優秀。
3)正解は誰がいつ解いても変わらない。
4)先生は正解を与えてくれる偉い人。

治った人を無視するのは、治ることは正解が変わってしまうことになるので、あれこれもっともらしい理由をつけて排除しようとする恐怖麻痺反射の1つと考えられます。理由として語られる言葉自体にはそれほど意味はありません。

同じメカニズムで突拍子もない理由をつけ異常視されるのが「妄想」とされる反射です。もっともらしいかどうかの違いです。

ちなみに、正解は1つですから、先に権威となった人が知らない人に正解を教える先生となります。先生になりたい人は新たな問題を作り出し「これが正解」と示そうと躍起になります。治るためには役に立たない分類名や解釈が次から次へ出てくるのはこうした背景があると考えられます。

ところが、社会や会社でぶつかる問題にはそもそも正解はありません。同じような問題でも時々で対応が変える必要があります。その状況での最適解を見出し試行錯誤し続けられるかが社会人としての姿となります。

何故無視するのか?恐怖麻痺でフリーズしていると考えてみてはいかがでしょう。


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この説明で「ギョーカイがなぜ役立たずなのか」が相当説明できます。「エビデンスガー」は「正解一つ」であり、それで治せないものは治せない。そしてABAでは一次障害は絶対に治らず、場面限定の(水族館のイルカショーとか)での芸しか覚えられないから社会実装できる社会性は養えない。だから「発達障害は治らない」ことになる。そして「治らない」とえらい人に教えられた人が治っていく人を見ると(いっぱいいます)「偽者だ」と考えてつじつまを合わせようとする。

そしてなるほどなあと思うのは373さんの指摘した

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ちなみに、正解は1つですから、先に権威となった人が知らない人に正解を教える先生となります。先生になりたい人は新たな問題を作り出し「これが正解」と示そうと躍起になります。治るためには役に立たない分類名や解釈が次から次へ出てくるのはこうした背景があると考えられます。

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ここだな。

ある読者の方がおっしゃってました。その方ご自身持病があり、新薬の開発に助けられた。そしてお子さんの発達障害は「治った」と言えるまでよくなった。神田橋先生と栗本さんのおかげ。ところが、ギョーカイだけなんで十数年まったく進歩をみせていないのか。

それは先生たちの大半が「治したい」というより「権威になりたい」だったからかもしれませんね。
支援者の中の愛着障害がやっかいなのはここです。

その点栗本さんは(以下略

そして今、私は電子化に向けて「自閉っ子と未来への希望」を読み直していて

私が真逆だったことに気づくのです。
あの本は私の黒歴史なんですよ。
どう黒歴史かというと「ギョーカイのいうことを信じていたら失敗した」という話の連続。
今読むとそうなんです。

でも私は、ギョーカイがどう言おうと「治っていく人がいる」と発見すると理論より現実を信じたし(だって目の前に治っていく人がいるわけだし)
ギョーカイが天使説を振りまこうと「つきあいづらい人がいる」と現実を見つめたわけです。そして裁判も起こした。

そしてだんだん「ギョーカイ嘘ばっかじゃん」と気づいていった歴史。
今読むとそうなのですね。

私はギョーカイに「権威」を最初から感じていなかったんでしょう。
だからいくらえらい人が治らないと言おうと治ってしまう人がいる以上そっちを信じた。
ギョーカイには私たちには見えないヒエラルキーがあって、それを信じてしまっている人は、えらい人が治らないと言った以上それを受け売りすることしかできないのだと思います。


そんなムラの掟に皆さんが巻き込まれる必要はありませんよ。
治りたい人は治りましょう。

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2 コメント

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自分が定義した真実にとらわれる怖さ (こより)
2018-03-27 09:45:45
ギョーカイに限らず、自分の定義した真実にとらわれると、それに反した事実を受け入れる事が困難になると思います。

自分の定義が崩れることへの恐怖が ある人は、その事実を否定する、トンデモ扱いすることで、自分を守っているのでしょう。

障害児のきょうだいを、(きょうだい児)と呼び、かわいそうだから、ケアしてあげなければ、と 活動する団体や個人がいます。

私から見たら 理解できませんが、不思議な世界観があるのだなあと思いました。

我が家の息子達は、普通にきょうだい喧嘩をし、ののしる言葉がなくなると 「自閉症のやつは いちいち細かいこと言うから うるせえ」「にいちゃんなんか 走るの遅いし おれより ダメじゃんか」と障害名やお互いの欠点を言い合ってました。

何々だから こうなはず、と 正解はひとつと 思い込み、それを他人を巻き込んで行うことは怖いなあと思います。
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Unknown (Kです)
2018-03-28 12:58:14
どの障害でもそうですが治った。働ける、好きな事ができる。自由というのではなく治った。いや嘘だ、働ける、年金が貰えなくなる、施設は、お金が減るから認めない、親はかわいそうな子の親でいられないから認めないが一定数いると思います。他施設との交流会で会った施設長は等級検査のときは出来るだけ悪く言ってお金を多く貰うと言っていたので固まってしまいました。
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