治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

『感覚過敏は治りますか?』がたちまち増刷した件と支援者のサバイバル術と新刊からの抜粋

2018-05-31 08:51:10 | 日記
さて、『感覚過敏は治りますか?』書店発売二週間で増刷です。まあいわゆる「たちまち増刷!」ってやつでしょう。
そしてもうすぐ出る電子書籍『発達障害者支援法は誰を救ったか?』の中の栗本さんに関するパートを引用しておきます。SSTについても書きたいんだけどね、本当に深い話題だからちょっと月末は忙しいですね。明日以降書きます。

なんだっけ。

そうだ栗本さんだ。
なんで無名のおっさんに目を付けなぜ無名のおっさんの本が売れたのか。
それを書いときます。
これは皆さんのためでもあり、栗本さんのためでもあります。
だって上手に説明できないんだもん。自分のこと。

あくまで編集途上ですからね。



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 2018年現在から振り返ると、結果的に私は最初解決したかった三つの問題
1 感覚過敏 2 睡眠障害 3 季節の乗り切り方
を解決する本を出せてしまった。以下の通りである。

・感覚過敏→『感覚過敏は治りますか?』
・睡眠障害→『自閉っ子の心身をラクにしよう!』
・季節の乗り切り方→『芋づる式に治そう!』

 ギョーカイはえらい先生を最初に立て、その人たちが解決できる課題、できそうな課題、あるいはできそうだとみんなに信じ込ませられる課題しか取り扱ってこなかった。主人公はあくまで支援者でなくてはならないので、身体感覚の解決は後回しにされた。身体の問題になると、主役は本人。本人しかどこがつらいかわからず、支援者にはわかんないからである。でも社会性とかなんとかなら外から見てもわかった。そして「支援者からどう見えるか」の曲芸を教えることに終始し、当然一次障害は治らないので、「一次障害は決して治らないものなのです」と当事者保護者を洗脳した。

 私としては、ギョーカイで誰がえらいか等には興味がなく、たんに「発達凸凹の人たちの社会進出の邪魔になっているこの三つの問題を解決する方法はどこかにないものか」と解決策を探し続けた。そして、栗本啓司さんという一万パーセント無名なおっさんを見つけた。神奈川県小田原市飯田岡というところで「からだ指導室 あんじん」を主宰しつつ、方々の施設等で障害児者の身体アプローチを指導している人だった。
 私事であるが、小田原市飯田岡は戸籍謄本によると私の祖父生誕の地である。祖父は青雲の志を抱き故郷を出て勉学に励み、小田原高校や湘南高校などの名門校の校長を歴任し藤沢で天寿を全うした。けれども生誕したのは飯田岡で、現在「からだ指導室 あんじん」になっている物件の大家さんは私の旧姓である。つまり、江戸時代くらいまで遡ると栗本さんと私は親戚だったかもしれない間柄だ。
 そうとは知らずに出会って、私は偶然出会ったこの人に三つの疑問をぶつけた。感覚過敏どうにかなりませんか? 睡眠障害どうにかなりませんか? 季節によって体調が左右されすぎる問題、どうにかなりませんか?
 そして本が生まれたのである。この本を読んで、一次障害が治った人がたくさん出てきた。なぜなら栗本さんは、これまでギョーカイ人の誰も注目していなかったところに注目してそこに働きかけたからである。すなわち、発達障害という以上、内臓や関節の機能にも発達の遅れがあるはずだと指摘し、そこに働きかけた結果、たんに体調が整うだけではなく、一次障害が治っていく人が増えたのである。
 働きかけといってもきつい運動ではない。「え? こんなカンタンなこと?」と思うような働きかけで身体がラクになり、そうなると脳みそがラクになってできることが増えるのだ。つまり、一次障害が治っていくのである。「治りました!」という声がどんどん届くようになった。それは、提唱したこっちが不思議になるほどであった。
 でも不思議でも何でもないことが判明した。
 DSMが改訂され、第五版において、発達障害が神経発達障害と定義し直されたのである。
 神経発達障害なら、身体アプローチに効果があるのは当たり前ではないか。神経は全身に張り巡らされているのだから。
 そしてとくに背中へのアプローチに効果があったのは当たり前ではないか。発達障害は中枢神経の障害と言われる。そして中枢神経は脳だけにあるのではない。背骨にも格納されているのである。

 逆に言うと、発達障害にまつわる困りごとは「言い聞かせる」等の言葉によるアプローチでは改善しない。一瞬改善してもすぐ戻ってしまい「やはり治らないのだ」と絶望を重ねてきた人も多いだろう。こうやって言葉によるアプローチ、脳みそへのアプローチ、頭でっかちなアプローチにこだわり続けた結果、関係者一同期待しないこと、絶望することばかりを学習してきたのである。
 でも発達障害は脳みその障害というより神経発達の障害なのだ。
 そして神経発達は言語能力の発達よりずっと前から起きているのである。
 神経発達障害ということは、言葉で言ってどうこうできる以前の領域にバグがあるということであり、そこに働きかけるのは言葉以前のアプローチ、すなわち身体アプローチしかない。

 こうやって私が「自立」を「支援」するために解決したかった三つの問題の解決は無名のおっさんによってもたらされ、栗本さんは無名から「知る人ぞ知る」くらいまでには出世した。
 もっとも栗本さんを見つける前、身体アプローチを追求する途上、花風社は感覚統合の専門家の本なども出した。そして思わぬ突っ込みを受けた。『自閉っ子、こういう風にできてます!』に有名支援者たちがこぞって萌えてくれたことにより、ギョーカイではメジャーな出版社になっていたのに感覚統合という海のものとも山のものともわからない分野に手を出すのは危険である、と。おそらく支援者たちはこういう風に自主規制して、「たとえ治る可能性があるものでもギョーカイで叩かれそうな気配があれば近づかない」のかもしれない。私は空気を読まなかったのでギョーカイ受けより「自立」を「支援」する方法がないかを最優先させて出版活動をしていた。

 私にブランド志向がないわけではない。悪いけど、発泡酒や第三のビールを飲むくらいなら水を飲んだ方がいい。本物のビールでも某スーパー○ライには手を出さない。神田橋先生に焼酎風呂を習いお風呂に入れる焼酎と飲む焼酎を分けている人もいるようだが私はたとえお風呂に入れる焼酎でも安酒はごめんである。すなわち酒類においてはブランドにこだわり続ける私が解決策さえ持っていれば無名のおっさんでも進んで本を出したかというと、その頃までに私は「有名支援者」の無為無策にうんざりしていたからだ。

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つまり、ギョーカイが無能だから無名のおっさんにもチャンスがあったわけですな。
そしてたちまち増刷してしまったわけです。

昨日の私のツイートをたどっていけば、放課後等デイなどを経営する人たちがいかに金の亡者かわかります。
びっくりした人いたみたいだけど、あんなもんよ。
とくにギョーカイ成分多めで、フォーマルなアセスメントのお免状取るためにギョーカイ人に貢いでるところは、それがウリだと思っているから(ここが社会性の障害。保護者はそんなの興味ない)自分たちほどギョーカイに貢いでいないと思われるところにはサクラになっても突撃蹴散らすつもりのようですな。

でもさあ、公金商売なんだから本来経営難しくないはず。
実際に安定的に売り上げている業者だってあるでしょ?

どういう業者かというと、騙しているか、治してるよね。
ギョーカイ成分多めの業者は、治さないでもうけなきゃいけないから大変だ。騙す方向に腕を磨くしかない。

騙したくない人は、治すしかない。
じゃないと生き残れない。
逆に言うと治せば無名でも生き残れる。
栗本さんがいい例だ。

治さないでもうかる時代は終わりつつあるからね。
大ギョーカイメジャーとともに旅立たれたのですよ、治さないでもうかる時代は。
今の若い(当社比)親御さんたちは治りたい人たちよ。
若くてもギョーカイに洗脳されている人もいるけどね。

そのあたりのことも新刊には書いておきましたよ。
そこもそのうち引用しましょう。

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