今日も思い出シリーズです(笑)。
昨日、しみじみ考えていました。
でも考えてみれば、ギョーカイのへたれぶり、胆力を欠いた支援ぶりを見て
今の路線があるのだと。
なんだかんだ、あれから四年経って気がついてみると、YTは有罪となり
私は一時あれほど憎んだ杉山医師の尊敬する神田橋先生の本をラインナップに加えることができた。
そしてその本を読んで多くの人が治っていった。
やっぱり運がいいんだろうな私。
今世で徳を積んだ覚えはないので、前世の行いがよかったんだろうな。
そうしたら愛甲さんからメールが来ました。
「浅見さんは運が良かったのです」
そうでしょ。
でも理由はちょっと違いました。
「ニキさんや藤家さんとの出会いがあって、発達障害者は発達することを実感できたからです。支援者でもそれを実感できない人はたくさんいます。実感できるようになると、支援の仕方が変わってきます」
そうなのか。
そして
この際、読んだ方も多い本ですけど
「発達障害は治りますか?」のまえがきをここに載せることにしました。
知ってもらいたいこと。
私は最初愛甲さんが来たとき
「そんなえらい医師の本なんか出したくない」と思った。
それは杉山医師、内山医師への反感からです。
ギョーカイメジャーでさえああいう人たちなのだから
大ギョーカイメジャーはどんなえらそうな人なんだろう、と思ったのです。
でもお会いした神田橋先生はあったかい方でした。
診察に行かれた方ならわかるでしょう。
そして
「発達障害は治りません」という支援の世界の言葉に、傷ついてきた人は多いと思います。
私も当時、その一人だったのです。
だからあの本は
「発達障害は治らない」という言葉に傷ついてきた人のための本なのかもしれません。
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この本が生まれるまで 花風社 浅見淳子
「花が開くように、発達障害の方が変わっていくんです」
「神田橋條治先生と岩永竜一郎先生の対談本を作りませんか?」
こういうご提案を受けたのは、二〇〇九年七月のことです。「どうして花風社がそんなすごい企画をやれと?」というのが最初の疑問でした。
たしかに長崎大学の岩永竜一郎先生とは、ニキ・リンコさんと私が二人で長崎に講演に呼んでいただいたご縁で知り合い、「自閉っ子の自立には身体の問題を解決することがとても大切!」と意気投合して本を二冊作りました。でも神田橋條治先生といえば、精神科医の中の精神科医。カリスマ的で、あまりに有名な方。当事者に書いてもらった本の多いこれまでの花風社のラインナップとは縁がなさそうでした。ていうか、ご高名な方すぎて、思い切り敷居が高い……。
ところがこのお話を持ってきてくださった愛甲修子さん(大学教員・臨床心理士・スクールカウンセラー)は結構食い下がられるのです(今になってみたら、自閉の神様のお遣いだったのかもしれません。ありがたいことです)。「私は陪席させていただいているのでわかりますが、神田橋先生はとにかく人格者です。怖い方ではありません」それが本当なら魅力的なお話ですが、さらにこれが私の心をつかみました。
「とにかく、治るんです。神田橋先生のところに行くと患者さんが」
「どうして? じっくりお話を聞かれるとか?」
「いえ、五分診療みたいな、短い診療時間が多いです。とにかくこなされる患者さんの数が多いですから」
「治るって、どう治るんですか?」
「二十年引きこもっていた人が、ハローワークに通うようになったりするんです。あと不登校のお子さんも学校に通いはじめたり。とにかく治療の効果がすぐに出るんです」
信じられませんでした。だって発達障害は治らないことになっているじゃないですか。
発達障害は治らない。この事実に苦しむ当事者・ご家族の方々も多いことでしょう。そしてその当時、私も苦しんでいました。家族ともども、ある発達障害の人のとんでもない「俺ルール」(ふつう考えるとありえない因果付け。詳しくは『俺ルール! 自閉は急に止まれない』ニキ・リンコ著 をごらんください)の被害者となっていたからです。
「ニキ・リンコは存在しない。浅見淳子が偽の自閉症者を演じて世間をだまし商売をしている。自分はそれを告発し浅見淳子を訴えて司直の手に渡す。大学教員である浅見淳子の夫も詐欺に加担している。職場を脅してやる」なぜだかこう思い込んでしまい、メディアに怪文書を送りつけている人物がいました。自分自身も自閉症と診断されている人です。
もしかしたら、自閉症者として本を書いたり講演に呼ばれたりするニキ・リンコさんに、嫉妬みたいなものを抱いたのかもしれません。嫉妬なんていうのは、多くの定型発達者も自然に感じる感情です。でもそれに「社会性の障害」が加わり見境がなくなると、そして「想像力の障害」が加わり思考の方向性が突飛になると、こういう珍説が出来上がってしまうこともあるようです(まあ分析は、専門家におまかせします)。
この人物は、十年間この珍説を唱え、宣伝流布していました。私はいつかそれが止まるだろうと思っていました。なぜならニキさんと私は二人そろって人前に出る機会も増えましたし、何しろこの人物には名医と呼ばれる主治医がついていると聞き、安心していたのです。
ところが宣伝流布は一向にやまないばかりか、実害が生じはじめました。まず、脅迫状が内容証明で送られてきました。続いて、会社に一日四~五十回、この人物から電話がかかってくるようになりました。夫の勤務先にまで同じことをやられたらたまりません。それに、物理的な身の危険も感じます。私たちは弁護士の先生を頼んで、法的措置を取ることにしました。
発達障害は治らない、二次障害は世間のせい、大人になった二次障害には手のつけようがない――専門家に意見を聞いてもそう言われるだけ。だから、司法に頼るほかなかったのです。
こんな時期に「神田橋先生は難しい患者さんもよくしていく」という話を聞いたのですから、興味を覚えました。本当に治るのだろうか。ていうか、どんな現象をもって「治った」と言うのだろうか? 自閉症じゃなくなるわけじゃないだろう。自閉症は生まれつきの脳の障害なのだから。
でも考えてみたら、私の周りの人たちはどんどん生きやすくなっている。ものの見方は自閉のまんまだけど、ニキ・リンコさんも藤家寛子さんも最初よりずっと心身丈夫になってきている。あれが治るという状態なのだろうか。私はだんだん、信じる気になってきました。
そして、「神田橋先生はどういう治療をなさるんですか?」と愛甲さんにおききしてみました。
「身体をとても重視されます。それで、私が岩永竜一郎先生にお会いしたと言ったら『僕は岩永先生とお話したいなあ』としみじみおっしゃって。岩永先生が長崎で行われている特別支援教育を、私も見学に行き感銘を受けました。このお二人がお話されるのなら、記録に残したほうがいいですよ」
うん、たしかに。
というか、岩永先生のお仕事を神田橋先生がご存知だということは、うちの本もきっと読んでくださっているんだろう。カリスマ精神科医が、ちびちび出版社から出版された年若い作業療法士の先生のお仕事をきちんと把握しているということに、私は興味を覚えました。
そして、神田橋先生が上京なさったとき、ご挨拶に行くことにしました。
実際にお会いした神田橋條治先生は、ぱっとお顔の明るい方でした。「花風社の浅見と申します」という紋切り型のご挨拶のあと、私はおもむろに訊きました。
「先生、発達障害は治りますか?」
その問に対する先生の答えを忘れることはできません。
「発達障害者は発達します。だってニキさん発達したでしょ?」
本当だ! シンプルなお答えでしたが、私は身体が震えるほど感動しました。たしかにみんな発達している! 専門家の先生たちは「治せない」と言い切るけど。でもみんな、発達している。
次にお訊きしたのは、こういう質問でした。「岩永先生のお仕事のどこに興味を持たれたのですか?」
「今の発達障害は、診断がひどいことになっているでしょ。岩永先生のお仕事は、その診断の混乱をきちんとなさるんじゃないかなと思って」
「?????」
私の知識と頭脳では、理解できないことでした。第一心理士や作業療法士が診断に参加する療育先進国と違い、日本では医師のみが診断できることになっています。岩永先生は作業療法士さんなのですから、そもそも診断とは関係ないんじゃないか……。
このときの私は、(今よりもさらに)浅薄な判断しかできませんでした。それでも「発達障害者は発達します」という言葉には感動したし、とても腑に落ちたし、神田橋先生が「ご高名な先生だけど怖くない」とわかったのが収穫でした。
「発達障害者は発達します」。私はこの言葉を、岩永先生にご報告しました。「すごいですね。そのとおりですね」と岩永先生はおっしゃいました。そして「めちゃくちゃになっている診断を、きちんとする研究をなさっているとかなんとかおっしゃっていました」という報告には、謙虚な岩永先生のこと、恐縮していました。
私はそれから「発達障害者は発達します」という言葉を、心ある支援者にも言いふらしました。ASD当事者で仲のいい人たちにも言いふらしました。みんな感動しました。
そして岩永先生と二人で、神田橋先生のご本や論文をせっせと読み始めました。もちろんプロの岩永先生と私では理解度に差があるとは思いますが、岩永先生は岩永先生なりに、私は私なりにだんだんだんだん、神田橋先生の治療のすごさがわかってくると「すごいですね!」「すごいですね!」の応酬になりました。「僕、長崎に久しぶりに行きたいなあ」という神田橋先生のご希望でミーティングは長崎で行われることに決まり、私はその日を楽しみにしながら年末年始の休暇中もせっせとお勉強しました。
新年を迎えたばかりの長崎で行われたミーティングには、神田橋先生、岩永先生、愛甲さん、私、それにアスペルガー当事者の藤家寛子さんも佐賀から駆けつけてくれました。途中、岩永ファミリーもちょこっと参加され、自閉っ子の藤家さんと岩永先生のご子息に対する診療のシミュレーションも拝見することができました。その場で表情がどんどん明るくなっていくのがわかり、先生の力を信じざるをえませんでした。
ミーティングを終えたあと、岩永先生はこういうメールをくださいました。
昨日、一昨日とお世話になりました。
私にとって、夢のような時間でした。
対談本ということを考えるともっとしゃべったほうがよかったのかもしれませんが、神田橋先生のおっしゃる一言一言を聞き漏らすまいと必死になっていました。
本当に神田橋先生は、素晴らしい臨床家だと思いました。
神田橋先生の御本で理解していた以上に魅力的な方でした。
治療に対するスピリッツ、患者さんのためにつねに新しいものを取り入れようとする貪欲さなど、知識以上に学ぶものがたくさんありました。NPO法人神田橋研究会ができるのも納得できます。
今回伺った、神田橋先生の含蓄のある一つ一つの言葉から感じえたことを多くの方と共有できればと思います。
こういうわけで、この本は生まれました。