治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

社会性の障害の意味がやっとわかった

2018-04-06 10:38:36 | 日記
私にとって感覚過敏は本丸でした。でもそれは、感覚過敏が発達障害の中核症状だと思ったのではありません。そうではなく「ここ治ればだいぶラクになるよな」という意味での本丸です。

赤本(『自閉っ子、こういう風にできてます!』の前書きに書いたとおり、コミュニケーションの障害というのは「こっち側の問題」なんだと思ってきました。たとえばコミュニケーションの障害の最たるものは「言葉がない」ということ。言葉以外にもコミュニケーション手段は数々あるけれど、とりあえず言葉が一番やりとりするには便利。だからそれがないと「こっちが」不便に感じますよね。言葉がある人のコミュニケーション障害(ずれ)もやりとりする側にとって不便。だから真っ先に「周囲は」コミュニケーションを気にする。
でも感覚過敏は、まず「本人にとって」不便。これが解決しないと社会性どころではないだろうから、まずこれを解決したかったわけですね。一人称の障害は、まず感覚過敏だと思ってきたのです。

そもそも私、この世界に門前の小僧として入り込んで以来、「社会性の障害」ってなんだかさっぱりわかってきませんでした。皆さんはわかっているんですかね? 最近気がついたんですけど、世の中の人は私より「なんだかわからないけどえらいひとがいったからそうなんだろう」でこなす率が高いんですね。私はその率が低いんですよ。えらいひとが言ったくらいでは納得しないで、いや、一応納得したフリをしていても実は考え続けているんですね。「治りません」と言われて「そうですか」と言ってたけど、結局「治るだろうよ」と考えるようになって今に至るのもそういうことです。

そして社会性の障害、って本当にわからなかった。というのは、『発達障害、治るが勝ち!』にも書いたとおり、私自身は別に「人に好かれよう」とか「人当たりよく」とか考えなくてもそれなりに社会を渡ってきたからです。社会っていうのはわりと懐が深い。なのに支援ギョーカイは社会を実際より心狭く見積もりすぎでそこに合わせようと汲々としてつまんないSSTとかやって奴隷道徳を教えている、そして二次障害を引き起こしている、そんなイメージでした。

でも昨日、わかったんですよ。

いや、その前も青いお祭り関係の人の主張を読んでて「誤解されたくない」とかいうのを見て、誤解ってなんだろう、とか考えたりしてね。ワガママではなく脳機能障害である。そこを誤解されたくない、って。あのさ、最新の定義では神経発達障害ですよ。それに障害特性がワガママに見られている人と障害特性持っている上にワガママな人と両方いるから、「ワガママではない」は乱暴だと思うよ。ワガママな人とワガママじゃない人がいると思います。

それと昨日、ちょっとした成人当事者とのやりとりがありましてね。

それを経て、思いついたこと。

もしかして「社会性の障害」っていうのは、嫌われたりつまはじきにされたり、っていうことを意味していたのかな? と。

どうもSSTでは「叱られたら謝れ」って教えているみたいなんですよね。
謝らなければいけない場面はあるけど、謝らなくていい場面、謝ってはいけない場面もあるのに一律に謝ることを教える。だから社会実装できないし、卑屈になっていくんですよ。

そして「社会の理解ガー」の人たちが恐れているのは「嫌われること」だったり「つまはじきにされること」なのかもしれません。
啓発熱心な人たちは「嫌わないで」「つまはじきにしないで」と言いたいのかもしれません。

な~んだ。だったら早く言ってくれよ、っていう感じです。
私とすれ違うのは当たり前だ。

私にとって「社会性がある」という状態は、嫌われないことではない。
どっちかというと、自分の敵と味方をきちんと見分けられること。
嫌われるべき人にはきちんと嫌われることが社会性の発達した状態です。

なのに「およそ仲良くしてもお互いメリットがない同士が仲良くしたフリをするのはなぜだろう」ってそこが不思議だし気持ち悪かったんですよね。
なんで社会にそんなに理解してほしいのか不思議だったんですよね。

でも「嫌われないこと」「つまはじきにされないこと」を目標にSSTしてしまえば

それは役に立ちませんよ。

少なくとも一部の人にしか役に立たないし(地方公務員とか)
個性の強い発達凸凹の人たちには役に立ちません。

どのように生きていくかのソーシャルスキルこそ個別的なものです。
資質によって違うのは当たり前。

だったらまず、この空間を他人とともにするのに苦痛ではない身体になりましょう。
そうしたら自分なりのソーシャルスキルなんて勝手に生えてきますから。

感覚過敏も治るが勝ちだなあ。

さて、実はこの本、書店発売は五月半ばですけど、連休前には一部私のところに来ます。

なぜなら、五月の半ばに某所でずばり「感覚過敏は治りますか?」という講演会やるんで、それに間に合わせたかったんですね。

講演会は結構遠くでやります。
いったん倉庫に入れてそこから送るとなると、早めに本ができあがっている必要がある。
だから直販の先着200冊は、頑張って連休中に送り出します、と告知する前に

200冊超えました。一晩で。

だからもう少し頑張ります。

いずれにせよ、直販ご希望の方はお早めに。
厳正なる先着順で、早い人は連休の間に送り出します。

感覚過敏は治りますか?

花風社HPはこちら(幻のあとがき読めます)



Amazonはこちらです。




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2 コメント

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社会性の障害は中核ではないのでは (ふうりん)
2018-04-08 10:51:46
砂場で友達と協力して遊べないと悪いの?と医師に尋ねたら、できた方がいいですよねと返されたの全然納得できなかった。そのぐらいの年齢でも差があるということなんだろうけど、やりたくないからやらないのだし、相手が熱心でうまかったら成立することもあるだろう。社会の理解ガーの人たちは相手する方がうまくやってくれたらなーという願望を理想の社会として活動しているのかな。
社会性の障害って、当事者に対する周りからの評価が反映された状況をいってるだけで、自分がどうすればいいかの指標にはなりにくい。第一相手の事情はコントロールできない。そこが知ってほしいの人たちと意見の違うところ。
できた方がいいのに障害だからできないだと逆に気になって、除け者にされていると恨みがましくなるのでは。社会性は後からついてくるぐらいの方がいい気がする。躾が必要でないわけではなくかえって必要だというのが矛盾しているようだが大事なポイントだ。愛着とか知恵とかもあるけど躾は未来を頭においてするからだと思う。

感覚過敏を突破口にするといいのは、感覚は外界と接した部分の情報と自分の身体内部の情報のどちらにも関わっているものだから。それがちょうどよく機能することは、できた方がいいどころじゃなく生命維持に役立つ。それに感覚過敏は自分で治せる。できた方がいいくらいの動機づけでは治せないかも知れないけど。
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いじめの番組から社会性を垣間見る (ミルクコーヒー)
2018-04-08 14:44:15
いつも花風社さんの本やブログにお世話になっております。ありがとうございます。
おかげさまで、最近のうちの子どもは記憶力が伸びています。

昨日、「いじめのことについて話し合う」内容の中学生向け番組を見ました。私には『学校の指導とは先生本意で、現実社会と違うことがある』、『更にそれを全く疑うことなく長い間信じている子ども達がいる』という内容と感じました。

……………
話し合いのなかで子ども達は、クラスの中で自分をランク付けしていると言い、「ランクが上の方の子の意見に同調し、下の方の子が仲間外れになっていき、やがていじめになる」と、「そのいじめをやめて欲しいけど、自分もいじめられそうで動けない。どう動いたらいいかわからない。」と話していました。そして、その話し合いを聞いていた先生が、最後に助言します。

先生「小学校入学の頃を思い出してみて。いや、幼稚園かもしれない。先生や大人がこういう子になって欲しいと言うよね。『明るい子、元気な子、たくさん友達がいる子』、これ、そんなに必要かな?」

そこで子ども達が気がつきます。
子ども達「それは個性もあるから、必ずしも必要じゃない…。」「ランク付けの元ってこれ?」

先生「クラスの皆んなを笑わせたりしている明るい子が人気者になるよね。」
……………
という番組でした。

私は先ず、「先生、気が付いているなら、早く子ども達に訂正して!(怒)」と思いました。その指導がいじめにつながりやすいことをわかっていて、自分達がやりやすい方を優先するなんて、先生という職業は恐怖麻痺反射が残っている人が多いんだなと改めて思いました。その先生自身の恐怖麻痺反射を子ども達に押し付けているようにも感じました。そして、そんなに小さい頃から私達の子ども(私達も)は、先生勝手な考えを植えつけられているのか?とも思いました。
でも、ほとんどの子どもは社会人になるまでに、「それは違う!」と気がつくのでしょう。気が付かない子どもが、なぜ自分が仲間外れにされるのかわからず、自分は社会性が無いから生きづらいと思い続け、それを抱えたまま社会人になるのではないかと思いました。もちろん、先生対応用のSSTをしても現実の社会で使える訳は無く…。
そして、日本の教育はもっと現実的になって欲しい、親も先生達を冷静に観察して現実的な事を自分の子どもに合う方法で説明しなければいけない(特別支援学級の場合は特に)と思いました。通常級も特別支援学級も、学校任せではいけないと感じました。
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